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京女

 綺麗なお姉さんが微笑んでいる。

 

 千紗ちゃんはなんぼになったんや?


 さよか、おりこうさんやなぁ


 後でお姉ちゃんと買いもんいこな、おりこうさんにはええもんこうたるさかいな


 頭の上の手が暖かい


「千紗!何やっとんの!朝どっせ!」

 物部一族の女達にとって、お盆休みは単なるバケーションなどではない。お盆休み……それは戦争だ!

 9日10日11日と遊び呆けていたが、今日からはそうもいかない。割烹着を着て続々と集結する分家の女達。

 わりと広い家の前のスペースが埋まり、遅れて来た者は前の道やわずかなスペースに路駐している。家の周りが車だらけだが、パトカーがガン無視で通り過ぎる。

 訪問した者は皆かつて知ったる家、庭を回って裏から入ってくる。今は準備が整うまでみな土間や裏庭、座敷の端っこで雑談をしている。

 田舎のイベントでは男と女が自然に別れて別々の部屋に行く。女は炊事場へ、男は奥の座敷で歓談中だ。豪快な笑い声がこちらにも聞こえてくる。

 そして来た!私の従兄弟の嫁、すなわち長男の嫁!長男は理由あって今は伊勢に住んでいるが、ゆくゆくは家に収まって家督を継ぐ予定だ。広大な裏庭の庭園が開け放たれた広縁越しに見える。

 長男の嫁はおそらく玄関で旦那と別れて裏庭に回ってきた。娘が二人いるはずだが二人とも留学していてここには来ていないはずだ。物部家には旧台所がある。土間に瓶や木桶が置いてあって

未だにかまどがある。旧台所は何故かひんやりしていて、普段は漬物を漬けたりしているが、盆正月の大イベントではかまどがフル稼働する。その旧台所に人々は結集しているが長男の嫁もそこに

向かった。そしてほどなく旧台所の土間から顔を出し座敷に上がってきた。そして廊下に出て歩いていき、奥の仏間で手を合わせ、座敷を通って再びこちらへ帰ってきた。

 ふすまがとっぱらわれて謁見の間みたいになっている物部家の座敷の中央を、畳のヘリを華麗に避けながらしゃなりしゃなりと歩いての、堂々たるエントリーだ。

「おはようさん、おはようさん」と笑顔を振り撒きながら座卓の前に座ってから一息つく間もなく長男の嫁に話しかけるものがいる。

「あら、美香子さんおはようさん、わりかし早よおましたなぁ、六道さん寄って来るって言うてはったからもっと遅うなるとおもてたのに」

「いえいえ、長男の嫁たるもの、一番にかけつけて現場を仕切る立場ですよって」

「駆けつけるもなんも、アイサに顔出すだけやのうて、家に収まってはったら遠方から帰ってくる手間もおまへんのになぁ」

「へぇ、なにせうっとこ主人が新規事業でいちはなだって指揮してますよって、えんばんとはいきまへんのどっせ」

「そらまたはばかりさんなこって、ちょっとひませしとってきずつないですけど、お菓子おあがりやす」

 キタ!早くも激しいジャブの打ち合いっていうか抜き身の斬り合い。長男の嫁vs西加茂のおばさん。

 こ、こええええ。二人とも目線はガッチリ絡み合ってんのになんで顔も体もそっぽ向いてるんだろう。おばさんは張り付いたような笑顔で表面が乾いてぱっさぱさになった余りものの羊羹を勧めている。

 美香子さんは美香子さんで微動だにせずに笑っている。おばさんがお盆の茶碗の山の中から一つを手にとって、それ何番出しだというお茶を入れ始めた。番茶はここからが美味しいのだろうか。考えたくない。

 四条出身のおばさんは美香子さんの事を六条の出身だと心の底でバカにしている。五条より向こうは京やあらしまへんと言って譲らない。

 そんな昔の事はもういいじゃん。そんな事言ったらここだってあらしまへんよ?しかも六条河原は刑場だったとか、もう腐し方がわけわかんねーよ。


「千紗さんはもう六道さん行きはったん?」

 流れ弾来た!私とは反対側にいる西加茂のおばさんと話していた美香子さんだが、突然こちらに話を振ってきた。おばさんにも私にも正対していない

美香子さんの体だったが、右から左に流すように目線だけをこちらにやって聞いてきた。目線はこちら、顔はすこしそっぽを向き、体にいたっては完全に真横だ。

 高そうな和服を高そうな割烹着で包み、旅館の女将のような纏め髪には古めかしくも光沢のある美しい櫛がささっている。べっ甲だろそれ。絶対べっ甲だ。

 そして着物は友禅なのか、ええ?友禅なんだろう?京の女らしく一見地味だが細部まで物のデティールにこだわった内面ゴージャス美人だ。そしてその格好で汗ひとつかいてない。

 おのれ妖怪。歳の頃なら50近いはずだがこの人は歳を取らない。30後半で通用するのではなかろうか、私はこの人が苦手だが、何かと私に絡んでくるのだ。

「え、ええまあ、今から行こうかと……」

 六道珍皇寺は京の人たちからあまねく崇敬を集めるお寺さんだ。お盆になるとこぞって参るのがここ最近1000年間ぐらいのトレンドになっている。

「六道さんは早めにいっとかんとあきまへんえ、明日にはおしょうらいさんも迎えにいかなあきまへんのやし」

「い、今から五条の芳江姉さんを迎えに行くのでそのついでに行こうかと……」

 芳江姉さんは別に姉さんという歳でもない老人だが、みながそう呼ぶので私もそう言う。

「さよか、ほなはよいてきなはれ、あの辺は今ごろ通りが多いよって気ぃつけていくんどっせ」

「え、ええ車が帰ってきたら……」

 別に意地悪をされた事はないし、むしろ他の人より親切にしてくれるし、こうして心配もしてくれるのだが、その鉄仮面で言われてもまるで心配されてる気がしない。

 それにそのどぎついまでの京言葉が怖い。物部が衰退した豪農であるのに対し、彼女の家は衰退した豪商の家系らしい。結納の時に家のしきたりで一悶着あったらしいが、くだらない見栄張ってどうすんの。

 あとなんでどっちも衰退してんだよ。がんばれよ。まあ農地を売ったお金がこの家にはたんまりあるわけだが。その事も財産狙いだとか噂される原因の一つだった。

 そこへ農協に貯金をおろしに行っていた祖母ちゃんが勝手口から帰ってきた。玄関めっちゃ綺麗にしてあるのになんでみんな裏口を使う。みなが祖母ちゃんに声をかけながらにこにこして

米つきバッタのようになっている。おかげでなかなかここまで来れない。

 さすが本家の大奥様。格が違う。やっと台所の土間を抜けて座敷に上がってきた祖母ちゃんが封筒を美香子さんに手渡した。どうやら盆の軍資金らしい。しかも結構分厚いぞ?

 いったいいくら入っているんだ。祖母ちゃんとて京女。こうやって行事を嫁に全面委任してその器を計っているのだ。まあいい、とにかく車が手に入った。さっさとこの修羅場から逃げ出そう。

 最近になってわかったのだが、お盆に親戚の女達が集まっておばんざいを作るのは、伝統的な料理を皆で作りながら顔を見せ合い、近況を報告するのが目的の半分以上だ。

 遠方の人は本家に泊まり、ちょっと遠方や近所の人は血の繋がり方によって適度に顔を出す。この儀式は五山の送り火で西の山に炎の船が燃え上がるまで続く。


 大イベント二日目の夜、新しく買ったゲームソフトで子供達を沈黙させた私はお酌で忙しかった。ピチピチ女子なら他にいるだろうが、適度なエイジング具合が話しやすいようだ。

 酔っ払った京都のおっさんははっきり言ってなんと言っているのかわからない。「千秋ちゃんべっぴんさんやったもんなあ」が連発される。私はそれほどでもないってか、ああそうかい。

 これでもミスキャンパスに推薦されて2次まで行ったけど惜しくも5位に落ち着いたほどの実力なんだぞ。小野妹子の官位と同じなんだぞ。っていうか私の膝から手をどけろ。そして

こんなに料理がたくさんあるのに何故私は飢えてるんだろう。ひたすら引き攣り笑いをしながら酌を続けた。

 こうしてよくあるお盆の風景三日目の昼前に事件は起こった。西加茂のおばさんに捕まってくだらない話の相手をしている時、ちょっと離れた所にはいるが、確実に聞こえる距離でおばさんが美香子さんの

悪口をいい始めた。内容ははっきり聞こえているはずだが美香子さんは笑顔で他の人と話しているし、美香子さんの相手も眉毛一つ動かさずに相手している。この人達すげー、どんなアイロンハートなんだ。

 こっちが持たないよ。多分おばさんは喧嘩を売ってるのだ。美香子さんが耐え切れずに反論してくるのを手をこまねいて待っている。しかしこれじゃあ私が共犯者のような絵面になっていかんともしがたい。

 美香子さんは徹底して無視を続けたが、やはり均衡は続かなかった。しかし美香子さんが切れたのは意外にも自分の事ではなかった。

「嫁は頼りにならんし、千紗ちゃんがこっち帰ってきて家継いだらええのに、男の子が二人もおるし、よっぽど優秀やがな、後家さんなんやろ?ええ人紹介したるさかいに」

 私はその発言にショックを受けて一瞬言葉を失ったが、その時私の視界の端で修羅の目が光った。美香子さんがつかつかとこちらに進み出て来て、おばさんに向かって3歩ほどの距離でぴたりと止まった。

 この微妙に遠い距離が妙に緊張感を生み出している。にこにことした笑顔でおばさんが美香子さんを見据えたが、美香子さんの言葉に私も、おそらくおばさんも驚いた。

「おばさん、口をつつしみなはったほうがよろしいようで、千紗ちゃんの旦はんは亡くなったわけやおへん、ちょっと留守にしてはるだけです」

 意外な発言内容と直接攻撃を仕掛けてきた美香子さんにおばさんの顔色も変わった。

「なんやその口のききかた、のさばるんも大概にしときなはれや」

 戦争が始まった。私は自分の心配などする暇もなく、戦争勃発の当事者として二人の間で手を泳がせたが、美香子さんの追撃は辛辣だった。

「自分かて旦はんにはスカタンくろてますんやろ?お宅の旦はん飛田新地で花魁遊びに夢中やて聞き及んどりますけどな、ゆうたらおばさんも後家さんみたいなもんどすがな」

 足が震えた。そこまで言うか。さすがにこれには回りも顔を背けた。わなわなと震えるおばさんと、凍りついた空気の中で悠々と笑っているのは美香子さんだけだった。

 その時、まさにタイムリーというか、先ほどから立ち込めていた暗雲が稲光を放ちはじめた。轟音が轟く。

「よだち……きよりますなぁ」

 まんじりともせず微笑んでいる美香子さんが夕立を予告した。

「う……うち洗濯もん取りこまな」

「うちも」

 近所に住む人がいい口実ができたとばかりに小走りに出て行った。もうあかーんと思っていると、この事態を収拾できる人物が一人だけいた。

「やくたいな人らどすな、ほたえとらんで手ぇ動かし、正恵さん、ちょっとこっち手伝うて」

 祖母ちゃんだ。よかった、正に救世主だ。鶴の一声におばさんは美香子さんから視線を引き剥がすようにして去って行った。美香子さんは体勢はそのままに視線だけ私にやって言った。

「千紗ちゃん、気にせんとき」

 いやいやいや、私の事なんかとっくに霞んで消えてますよ。いまさら何言ってんすか。怖ろしい、物部の女達怖ろしい。

 それからは何故か美香子さんは私の作業に加わって一緒に手を動かしていた。ひたすらサトイモの皮を剥く作業だ。

 私はちらりちらりと美香子さんを見ながら以前からの疑問の事を考えていた。美香子さんはその佇まいや外見からはとても取り付き安い人ではないし、それは私に対しても同じだったが、結果的に

見てみると、私は何かことさら美香子さんに親切にされている気がする。私は思い切って口を開いた。

「あの……なんで私に親切にしてくれるんですか」

 一瞬キョトンとして素の顔になった美香子さんだが、すぐに本家の嫁スマイルで笑った。

「千紗ちゃん、お母さんそっくりにならはりましたなぁ」

 何の話だ。京女の話のつかみはつかみ所がない。

「そんな事ないです、母はみんなにべっぴんさんやべっぴんさんやって言われるけど、私は言われた事ないですもん」

「そうどんなぁ、お母さんは別格やったさかいな、比べる相手が悪かったゆう事ですわなぁ、でも千紗ちゃんも綺麗どっせ」

 綺麗な人に綺麗と言われても説得力が無い。なんかだんだん落ち込んで来たどすえ。

「うちなぁ、この家に来た時はほんまにおぼこい子ぉやったんどっせ、今でこそひねてもてこないえずくろしい事になってもてるけど」

 自覚してるんだ、ってかおぼこい姿が想像できん。無理やり想像したら鋼鉄の処女になってしまった。拷問道具がすげー似合う。

「大きい家で、うなぎの寝床で育ったよそもん一人がそら無意気に雑巾がけしましたがな、しきたりも違うし味方もおらん、そら心細いもんどした」

 それはそうだろう。私にとってここは祖母ちゃんの家ではあるが、他人からすれば猛獣溢れるジャングルなのかもしれない。こんな家に嫁に来るのは私でも躊躇するだろう。

「苦しくて、悲しくて心がめげてまいそうになったときに、いっつも助けてくれる小姑はんがおったんどっせ」

 なに?小姑といえば典型的な嫁の敵急先鋒ではないのか、すきあらばガラスのお面のようないじめをしてくるものではないのか?ドラマの見すぎだろうか。

「千秋さんどす」

 お母さんが…そういえばそうだ、計算してみれば美香子さんがこの家に来た時に私はまだ幼かったが母は生きていた。記憶を辿ればその頃の美香子さんは今ほど怖くなかった気がする。

 あ……むしろ優しい笑顔が思い浮かぶ。 

 すっかり忘れていた。あれは美香子さんだ、今朝夢に出た私の記憶の中にある優しいお姉さん。今とは別人すぎて繋がっていなかった。

 美香子さんは作業を止めて手ぬぐいで手を拭くと、畳に両手をつき、こちらに体を向けた。

「千秋さんはこの家での生き方を教えてくれはったんどす」

 美香子さんは私の顔を真っ直ぐに見て、あの頃のように笑った。

 今日の夜、西の山で炎の船が浮かぶ。

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