きゅうり
私は最近きゅうりにはまっている。はまっているというか、いやおう無く食べなければならないのだ。今年は野菜が高くなりそうな予感がした。
いや、毎年そんな予感がしているわけだが、そうなった時の自衛の手段をとろうと思ったのだ。家からは遠いがワケあってご愛顧しているホームセンターの園芸お兄ちゃんに
聞いてみると、きゅうりが簡単だという。そこで値段を聞いてみると、なんときゅうり一袋分より安いではないか。これでザックザックと実が成るなら安いものだ。
さっそく三株ほど購入して、お兄ちゃんお勧めの肥やしを買った。庭の端っこに園芸棒を専用の紐で結び、教えられた通りに組み上げて、我ながら立派な棚を作った。
最初はあまり育たなくて、やはり素人ではきゅうりザクザクは無理かと半ば諦めていた。しかし1週間後、きゅうりが本気を出した。芽が伸び始めたなと思ったら、あれよあれよと
いう間に蔓が延びて私の作った棚では狭いとばかりに生垣に蔓を伸ばし始めた。比較的早い段階から実をつけ始めたきゅうりの勢いは留まる所を知らなかった。お店にあるような
きゅうりになるまではもう少しかなと、収穫を見送ると、次の日にはヘチマのようになっている。どういうこった?少し身が細いぐらいで収穫した方がいいようだ。しかし油断できない。
葉の影に隠れて私の目を逃れ、隠密裏に成長してしまうヤツがいるのだ。私はあらゆる角度からきゅうりを監視した。高い所にある実だって逃さない。脚立投入である。高枝切りハサミは我ながら
ナイスアイデアだと思ったのだが、蔓を傷つけずに収穫するのが困難だった。そうして色々と工夫しながら毎日採れたてのきゅうりを口にする事ができた。しかし問題はすぐに露見した。
食べきれないのである。よく考えるときゅうりのレパートリーなんてたかが知れてる。話好きの田中さんを呼び止めてきゅうりはいらないかと聞くと、叔父が毎日持ってくるからいらないという。
誰に聞いても、他からもらっているからと、あまりいい顔をしない。
そうなのだ。時代は今きゅうりデフレに突入している。クッキングパッドのホームページを見ながら必死で料理をローテーション。元より貧乏性の私はせっかく目の前にあるきゅうりを捨て置く事が
できないのだ。きゅうりを舐めていた、3株もいらねーじゃん。しかしそんなきゅうり地獄に救世主が現れた。糠床である。話好きの田中さんに事情を話すと、当然のような顔をして漬けていないのかと聞かれた。
ちょっとむっとしたが田中さんに悪気は無い、多分。そして快く糠床を分けてくれたのだ。掴まるとめんどくさいのだが要所要所で頼りになる人だ。そんなきゅうりライフにまたもや敵が現れた。
なんと私の可愛いきゅうりの葉っぱ食ってるやつがいる。前にもあったような気がするが今回のは米粒よりは大きい飴色の光沢がある虫。なぜはっぱに穴が空くのかと思っていたがお前が犯人か。
急激に増えた謎の虫は私のきゅうりを食い荒らし始めた。おのれハイエナ共、散れ、私のきゅうりから出て行け。人の物を勝手に食うのは泥棒だぞ、食いたきゃ働け働かざるもの食うべからずはい論破。
心の中で罵倒しながら手で払うと、一瞬飛んで逃げるが、すぐにUターンして戻ってくる。人間を舐めおって、くちおしや。かくなる上は…。私はさっそくパソコンの前に座ってグーグル先生に聞いてみた。
「きゅうり、はっぱ、害虫、と、ふむふむウリハムシというのか」
ウリハムシはネット上の至る所でウォンテッドになっていた。これは相当な凶悪犯だ。しかし私を侮ったのが運のつき、覚悟しろ、ふははははは。
早速撃退法を調べてみる。
「農薬?却下、ネギを植える、おせーよ、捕殺?地味だな、正攻法すぎんだろ、なんだよ役にたたねーな、インフォメーションテクノロジーなんだからインフォメーションしろよ」
悪態をついていると、背後に何か気配を感じる。振り返ってみると3歳になる下の息子の海斗が椅子の後ろからぽかんとしてこちらを見上げている。
「お、おほほほほあまり有益な情報は得られませんでしたわ、ぼっちゃん」
「何見てるの?」
「あのね、ママのきゅうりに悪戯する悪い虫がいてね、退治する方法を調べてたの」
海斗は目をくりくりと動かしてからこちらを見て言った。
「カマキリ最強」
「え?なあに」
「お兄ちゃんが言ってた、カマキリ最強だって、戦わせればいいんじゃないかなぁ」
私ははっとして天井を見た。それだ、それだよ海斗君。私はわが子の天才っぷりに思わず椅子から降りて膝をつき、抱きしめた。が、しかしここで新たな問題が浮上。それは捕まえようにも
相手は手が鎌だからだ。昆虫界の銃刀法違反。危険極まりない。そしてあの鋭い目つきと牙。番犬に相応しい資質を持っているが、しかし主人を認識していない場合は単なる危険物でしかない。
でも思い起こせば男の子はよく摘んで捕まえていた。私はにっこり笑って海斗を見た。
「ふふーん、で、海斗はカマキリ触れるの?」
「むりー」
そこで我が家期待のホープ、5歳の陸斗が登場。なんと今年で年長さんだ。聞けばカマキリは余裕だという。三人で一緒に探して彼に捕縛してもらおう。さっそくくさむらで成長しきっていない
羽のないカマキリを発見した。余裕で首根っこを掴む陸斗。そして私が虫かごの横の透明な蓋を開けて待ちうける。ところが寸前でカマキリが暴れて虫かごの側面に取り付いた。
次の瞬間私は全身の毛が逆立つのを覚えた。カマキリがジャンプして私の手に乗ったのだ。
「きいやあああああああああ!」
カマキリはエイリアンの幼虫のような素早さで私の手を駆け上って顔に近づいてくる。虫かごを投げ捨てて腕を振ったが、相手が消えた。足元にはいない。
次の瞬間、髪の毛を団子に纏めていた私はぼんのくぼにやつの気配を感じた。
もはやかすれて声にならない声を上げながらへたり込んだ私の目の前に、人影が現れてこちらを覗き込んだ。
「大丈夫?どうしたの?」
話好きの田中さんだ。どうやら絹を裂くような乙女の声を聞いて駆けつけたようだ。私の指差す後頭部を見て一応の事情がわかると田中さんは笑って私の頭からカマキリを摘み上げ、虫かごに放り込んだ。
さすが話好きの田中さんだ。いざという時に頼りになる。こうやってパーティーに最強の戦士が加わり、カマキリ捕獲の旅は順調に進んだ。その間中、田中さんは喋っていたが、この人は人の噂をしない。
内容は主に大失敗自虐ネタか面白いものを見た、テレビでこういう事言ってたといった他愛の無いものだった。だから付き合っていられる。私の事も他で悪く言ったりはしないだろうから。
そして自宅前まで帰ってきて、ばかばかしいミッションにつき合わせてしまった田中さんにお礼としてきゅうりをさし上げると言ったら断られた。
カマキリ作戦は功を奏し、順調にウリハムシの数は減って行った。話好きの田中さんにペットボトルの口を近づけると飛び込んでくる習性を利用する方法も教えてもらってほぼ壊滅に追いやる事ができた。
そろそろ京都の爺ちゃんが送ってくれたナスが漬かる頃だ。美味しかったら話好きの田中さんの所に持っていこう。
そう思っていると、玄関のチャイムが鳴った。噂をすれば影というが、田中さんだった。
「千紗ちゃん、ナスいる?」