女子高生の(非)日常
バトルものを書くつもりが、書き終わったら恋愛ものになってて書いた本人が一番ビックリしたお話です。
小説って書き終わらないと本人すら全体像が見えないものなんですね。
ピピピピピ。
携帯電話の呼び出し音が鳴る。帰り道クラスメイトとおしゃべりしながら帰っていたが、寄るところがあるからと途中で分かれた。ちょっとでも遅れると怒るのだ、この電話の相手は。
「ちょっとまだ下校時間なんですけど。仕事なら帰ってからにして下さいよ」
私は人影のない路地に入って携帯を耳に当てた。
「何だ、通常の仕事プラス特別料金を出そうと思ったのに。じゃあ、仕方ないな本職の死神にやらせるか」
携帯からは淡々とした声が聞こえてくる。私のバイト先の上司だ。
「やだぁー、そういうのは大歓迎ですよぉー。もう、アルビテル様ったらぁー」
携帯に向かって思いっきり媚びてやる。しまったそういう話なら別モードで出ないといけなかった。
「……あからさま過ぎるが、まあいい。いつも通りパッセルに詳細は知らせてある。ところでこの携帯とやらでわざわざ連絡を取るのはどうしてだ? 思念を飛ばせばそちらに姿を現すことも出来るのだが」
相手は死神。ちょっとズレた世界の人。怒っちゃダメよ私。
「だから、何度も言いますけど、こっちで透き通った人が路地に立ってたら普通に幽霊だと思われますから。とりあえずこの方法でお願いしますよ」
私が必死にお願いすると、しぶしぶながら納得してくれた。高校生になってやっと携帯が持てたのだ。これを活用しない手はない。
携帯の向こうは別世界。ざわざわと人ならざる者たちの声が聞こえる。
『アルビテル様! 就業時間を誤魔化していた死神を発見しました。残業時間を水増ししていたようです』
アルビテル様の部下だろうか、怒鳴っている人物の声が聞こえる。それに対するアルビテル様の返答は、
「別部署に飛ばせ。楽な部署に行けると思うなよ。今度やったらクビだと伝えておけ」
へい、と言う返事と共に報告していた部下が遠ざかっていくのが分かる。そう、アルビテル様は死神界の人事担当。逆らっちゃいけない人なのだ。私の死神バイトを許可してくれたのも彼だ。
そう、私はひょんな事から死神のアルバイトをする事になったごくごく普通の女子高生。
本業は女子高校生、副業は死神のアルバイト。自分で言ってもなんだかなぁーの世界である。だがしかし、現実なので仕方なし。お仕事お仕事、時は金なりである。
「そうそう、アルビテル様。なにが特別料金なんですか?」
中々向こうの会話が終わらないので(その間可哀相な裁きがどんどん下されていた)こちらから尋ねてみる。
「それもパッセルに言ってある。危険だと判断したならさっさと引け」
結構危険な匂いがするのだが、それよりも、
「逃げちゃった場合は特別料金は?」
今最大限に気になることを聞いてみる。
「逃げた場合は魂の回収料は払えないが、特別料金の方は出す」
いや、それは困る。回収料が貰えないのは大変困る。
「じゃあ、逃げずに魂を回収します」
目の前にお金がぶら下がっているのに、誰が逃すものか。
「命令だ。危険と判断したなら引け。その判断はパッセルがする。もしパッセルの制止を聞かずに暴走したなら、特別料金もなしだ」
何で、どうゆうこと。まあ、いざとなったらパッセルを脅しつければ何とかなるか。
「逃げた後、回収予定の魂はどうするんですか?」
ちょっと気になったので聞いてみる。
「暫く時間を置いて、空いている死神に行かせる。それまでにその魂が残っていればだが」
何だか意味深な事を言っているが、こういう言い方する時は聞いてもあんまり教えてくれないのだ。
「では、行ってくるが良い。くれぐれもパッセルを脅しつけて無理を通す事はしないように」
プツンと携帯が切れる。バレてら。さすがに付き合いも2年になれば性格を偽るのも無理が生じる。
「ま、もしかしたら今回はさっさとトンズラこく事になるかもしれんぞ」
あんまりやる気のない声が上から降ってくる。上を向くとカラスがゆっくりと降りてきて私の肩にとまった。パッセルだ。
「私はそんな簡単には諦めないからね」
私の言葉にパッセルがため息をつく。
「とりあえず、ここで何言ってても仕方ない。解除を許可する。さっさと行こうぜ」
そう、意味も分からずうだうだしていてもしょうがない。
私はゆっくり息を吸い意識を集中する。
右足のつま先を前、後ろ、左右に一回ずつ地面に下ろす。これで門の四隅を表す。次に詠唱。
「門を守りし者、我が声に答え、開門せよ。我は死神の眷属なり。偉大なるアルビテルの名において、その力を解放せよ!」
地面から光が登ってきて、私の体を包み込む。この光はこの世のものではないので、普通の人には見えない。私の体の中に力が溢れてくる。
右手を伸ばすと、大きな死神の鎌が現れる。
「さて、行きますか。今日は宿題があるからちゃっちゃと済ませないと」
軽く地面を蹴るとあっという間に空高く飛び上がっている。その勢いのまま飛ぶように屋根の上を走る。
「今日狩る魂は男の魂だ。隣町の神社の下に家が何軒かあるだろう。そこの一番右の家だ」
かなりの速度で私は走っているが、その横をパッセルが涼しい顔で追い抜いていく。もうカラスの飛ぶ速度じゃない。
そのまま先行して目的の場所に連れて行ってくれる。
あっという間に今日の指定の場所に着いた。周りはひどく静かだ。まあ、すぐ近くに神社があるから、夕暮れ時に賑やかと言うわけにはいかないわよね。しかも私の出番があると言うことは、この家の誰かが死にかけているということだから。
私は今回の仕事場所の家の屋根に立ち、中の様子を窺ってみる。特に物音がするでもなく静まりかえっていた。
「この家の人間は一人暮らしだ。まあ、孤独死ということになるだろうな。年齢は65歳。死ぬにはまだ早い歳なんだが、何故かここ数日で急に死期が早まった。このパターンはあまりよくないんだ」
パッセルが珍しく緊張している。いつも飄々としているのが嘘のようだ。
「どっちにしろ、サクッと魂狩っちゃえばいいのよね。特別料金が出るような仕事とは思えないんだけどな」
私はつま先で屋根をトンと鳴らす。そのまま体がゆっくりと降下していき、屋根を通り抜けて家の中に入っていく。
死神の力を少しでも使える今は壁だろうが、屋根だろうが通り抜けようと思えば自由に通り抜けられる。きっとサンタさんもこの方法でプレゼント運んでるんじゃないかと初めての時は考えた。メルヘンだ。
「向こうの部屋だな。慎重に行け」
パッセルの指し示す方に行き扉を開けた。廊下がある。その向こうにもう一つ部屋があるようだ。
そちらの部屋のドアに手をかけ、ゆっくりと開いた。
そこには苦しそうにベッドに横になっている男性がいる。体からうっすらと魂がはみ出していた。
「あれ、もう魂出てきてるじゃん。さっさと狩っちゃおうか」
私はそっと部屋の中に入り、鎌を振りかざした。魂と体の繋がっている部分を断ち切れば、魂は天に向かって飛んでいく。普通の魂ならほっといても勝手に体と魂が離れるんだけど、この世に未練のある魂は中々体から離れず、最後には飛翔する力を無くして地に落ちる。そうなると悪しきモノとなり人に害をなすのだ。それを防ぐために死神は体から離れにくい魂を強制的に引き離して天に向かわせるのだ。
「さて、この世に未練を残しちゃダメよ。さっさと飛んで行きなさい」
私は躊躇せず鎌を振り下ろした。その時、
「まずい、そいつ悪魔の印が憑いている、時子止めろ!」
私はすんでの所で鎌を止めた。ええ、この人悪魔憑きなのー。
「あらあら残念。生きの良い魂が手にはいると思ったのにぃー」
先ほど私とパッセルが入ってきた扉の方から女性の声がした。警戒しつつ振り向くと、もの凄いセクシーな黒服を着た女性が立っていた。何だこのコスプレみたいな服着た人は。
「あら、この子もしかして噂の人間さん? まあ、こんにちは」
女性は楽しそうに笑っているが、私の中では警報が鳴り響いている。害があるようには見えないんだけど、本能が危険を告げている。
「時子、逃げろ。こいつは悪魔だ」
悪魔。生きた人間を弄び、人間の魂を腐らせる。魂は飛翔する力を失い地に落ち絶望する。その絶望が悪魔の糧。つまりはお食事と言うことになる。最終的には魂ごと絶望を食べちゃうらしい。
初めて聞いたときはお腹壊さないのかな、などと暢気な事を考えていた。いざ本物を前にすると結構ヤバい事が分かる。特別料金ってこういう事だったんだ。
「あら、もう帰っちゃうの? もう少し私と遊ばない? 何ならお嬢さん私と契約しないかしら。貴女の望みを叶えてあげるわよ」
え、私の望み。
目の前に靄がかかり、一枚の写真が浮かんできた。男女が微笑んで写っている写真。女の腕には生まれたばかりの赤ちゃんがいる。色んな景色が流れて消えていく。最後には写真に写っていた女の後ろ姿が。
くやしい、悲しい、憎い。様々な感情が入り乱れる。これが悪魔のささやきか。私の望みはあの女を酷い目に合わせること。
「どうかしら。叶えたい事は誰にもあるはずよ。私がぱぱっと叶えちゃうわよ」
悪魔の力を使えばあの女に思い通りの苦しみを味わわせてやれるのだろうか。強制的に考えることを放棄させられた私は、悪魔に向かって手を伸ばした。
「いい子ね。貴女の憎しみはとても深いのねー。素敵だわ」
悪魔も私の方に手を伸ばす。
「時子、目を覚ませ! そいつは望みを叶えた後、お前を不幸にして殺して魂食うんだぞ!」
それでも望みが叶うなら。私の頭はそれで一杯になっていた。
『馬鹿者が。お前の闇はそれほどに深かったか』
目の前の空間が裂けて光が溢れてくる。
「やだ、そんなポンポン神が降りてきていいのかしら? あーもう、退散するしかないじゃなぁーい。もう少しだったのにぃー。」
悔しそうに遠ざかっていく声が聞こえる。禍々しい気配が消えて、ピンと張った空気が私の周りを包む。あれ、私誰かに抱き上げられてる。
私はゆっくりと自分を抱き上げている人物を見上げた。
「あ、アルビテル様」
そう、2年前に会ったきり姿を見る機会は無かったが、それは紛れもなくアルビテル様だった。モノホンはやっぱりちょーイケメン。最近じゃ直接携帯で話せるようになったけど、携帯持つ前はパッセル通じて仕事の説明受けるだけだったから会う機会など全くなかったのだ。
「やはりこの者は悪魔憑きだったか。それにしても時子、お前はなんて不甲斐ないんだ」
アルビテル様の青い瞳が怒っている。銀の髪が逆立っている。ひぃー、怖い。
「すいませぇーん。まさか悪魔のささやきがあんなに威力あるとは思わなくって」
マジ私落ち込んでいます。昔、仕事の知識として悪魔の話聞いた時でも私だったら絶対大丈夫って思ってたのに、あっさりと術中にはまってしまったんだから。
「お前にはまだ早かったか。悪魔憑きの疑いがあったから探りに行かせたのに、逃げることも出来ずに捕まりかけるとは」
うわー、絶対失望しているよアルビテル様。どうしよう、完全に失敗した。
「すいませんでした」
ここは素直に謝ろう。沈黙が痛い。
「全くお前は。私の眷属でありながら悪魔ごときに遅れを取ることは許さん」
返す言葉もない。そして、この態勢は結構恥ずかしいんだけど。でも、今のこの雰囲気では言い出せない。すいません、お姫様だっこもう結構ですとは言えない。
「パッセル。その人間の魂の具合はどうか」
私を抱っこしたままアルビテル様はパッセルに質問する。
「完全に契約が履行されています。印を消すのは難しいかと」
ベッドの上で苦しんでいる男性の魂は一部分が黒く変色していた。
「仕方がない。この魂は消滅させるしかあるまい」
そう言ってアルビテル様はすっと右手を上げた。巨大な鎌が顕現する。
アルビテル様は表情一つ変えずに、目の前の男の魂を巨大な鎌で消滅させた。
ああ、どうしよう。
さっきの現場から少し離れた場所で、私は落ち込んでいた。
目の前ではアルビテル様とパッセルが話し込んでいる。
「アルビテル様、いきなり降臨されるのもどうかと思いますが」
呆れ顔のパッセルがアルビテル様をたしなめる。
「私の眷属がコケにされているのにのうのうと仕事していられるか」
プライドがめちゃくちゃ高いお方だから、きっと我慢がならなかったのだろう。私が全く悪魔に対抗できなかったのが大きな原因だと思う。
もしかしてもういらないとか言われたり。
またあの時のようにあっさりと私は捨てられるのだろう。
どうしよう、やっぱり私はいらない子なんだろうか。
普段しまいこんでいる感情がぐるぐると頭の中を回り始める。
「時子、なに青い顔しているのか。お前にはまだ早かったが、まあ経験だと思って次はさっさと逃げるのだぞ」
えっ、あれ? 捨てられるんじゃないの? 顔を上げるのがちょっと怖いんだけど、このまま地面見てても分からないし。何か答えないと。
あれ、何だか前が見えない。
「時子ー、何でお前泣いてるんだ?」
パッセルが慌てて私の肩に止まった。へ? 泣いてる?
「ちょっと待て、パッセル、何故時子は泣いているんだ?」
アルビテル様の声も何故か焦っているようだ。私は2人の言葉を聞いて目尻を拭ってみる。あれ、濡れてる。
目の前がいきなり暗くなった。
「あー、何だ。どうした、何故泣く。何かあったのなら聞いてやらんでもないぞ。もしかして悪魔が怖かったのか?」
すぐ目の前にアルビテル様が来ていた。怒っている様でも呆れている様でもない。本当に心配してくれている声だ。まあ、上からだけど。
「……アルビテル様。私はクビですか?」
恐る恐る聞いてみる。本当は聞きたくなかったけど。
「は? この程度でクビにする訳なかろう。それなら私は一日に何人をクビにしないといけないんだ?」
もしかして死神界って無能が多いのだろうか。そうだったらちょっと安心する。
「でも、アルビテル様の眷属なのに、全然歯が立たなくて、アルビテル様に恥をかかせましたよ」
そう、私は結構自信があった。大抵のことには冷静に判断できると思っていた。同じ年の子達とは違う、そう思っていた。なのに結局このザマだ。一気に落ち込んでしまうのも仕方ないと思う。
「本職の死神でも悪魔とやり合うのは大変なことだ。ましてや人間のまだ16年しか生きていないそなたがやり合うなどもってのほかだ。初めから危険なのは分かっていた。だからパッセルを通してリアルタイムに状況を見ていたのだ。本当なら別の死神に行かせる予定だったんだが、そなたに経験を積ませるために無茶をさせたのだ」
つまり、失敗するかもしれないから、見守ってくれてたってこと?
「アルビテル様、お仕事忙しいんじゃ……」
私の言葉にアルビテル様がハッとした。
「時子、今何時だ?」
私は慌てて腕時計を見る。
「はい、6時になりますけど」
いかん、会議が、資料が、とサラリーマンの様なことを口走りはじめた。
「パッセル、後は任せた。何かあったら連絡しろ」
アルビテル様はパッセルに指示を出し、戻ろうとしていたが、何かを思い出したように戻ってきた。
「また連絡を入れる。今日は帰ってゆっくり休むがいい」
去り際に頭を撫でてくれた。まるっきりの子供扱いだが、今はそれが凄く嬉しい。
アルビテル様は暫く私の顔をじっと見た後ゆっくりと消えていった。
何だかすごーく寂しい気分になった事は誰にも言うまい。
「とーきーこー。たーだいま!」
家に帰ると叔母の明が帰ってきた。看護師をしているので、帰宅時間は本当にバラバラだ。酒好きな為、仕事が早く終わった日は大抵飲み屋をはしごするのだが、今日は酒の匂いがしない。
「お帰り明ちゃん。今日は早いね」
不思議に思って聞いてみると、明ちゃんの顔がびっくりしたようになった。
「何言っているのよ、今日はあんたの誕生日じゃない」
すっかり忘れていた。私の記念すべき16歳の誕生日だった。
あれ? そう言えばアルビテル様も16年とか言ってたよね? 私の誕生日知ってた!
「……忘れてた」
綺麗さっぱり。生まれて3年で父が亡くなり、5年目には母が男作って逃げた。それからこの叔母である明ちゃんが私を育ててくれた。毎年なんだかんだと誕生日を祝ってくれているのだが、全く忘れていたのは初めてだった。
「もう、ちゃーんとケーキもあるよ。お祝いしよーよ」
2人用の小ぶりのケーキだがちゃんとホールだ。私はイチゴケーキが好きなので、毎年違う店のイチゴケーキを買ってきてくれる。いつも大雑把なくせにこういとこマメなんだよね。
「その前に何か作るよ。お腹減ったでしょ」
私は慌ててエプロンをして冷蔵庫の中を物色する。簡単なものなら作れそうだ。明ちゃんが後ろから手を伸ばしてビールを取り出した。
「おつまみ作るからもうちょっと待ってよ」
と、言ってみるが全く効果が無し。水のように喉を鳴らして飲んでいる。
ぷはー、とか言ってて美人台無しだよ。まあ、その飾らないところがいいんだけどね。
ごめんね明ちゃん。頑張ってお金を貯めて、その内独立するから、もう少し甘えさせてね。
おいしそうにビール飲んでいる明ちゃんを見ていると、もしかしてアルビテル様もビール飲んでぷはー、とか言うのかしら。腰に手を当てて飲んでたりしてたらちょっと笑える。
思わず想像して笑ってしまった。
良かった、まだ死神続けられて。またあの日々に戻るのはやっぱり堪えるから。
「今日も河合さん休みなの?」
女性教師が困ったような顔で教室を見渡す。
いろいろあったが一週間経ったら大分立ち直った。その間に何度か仕事をして自信も取り戻したし。アルビテル様が何度か電話くれたし。えへへ、心配されるって、照れくさいけど嬉しいものだね。
とかなんとかくだらない事考えて一人の世界に入り込んでいたが、教室のざわめきで我に返った。そうそう、河合さんだっけ。
河合さんって一週間ほど休んでいるよね。どうしたんだろ。
クラスの隅っこから微かに笑い声が聞こえる。なんだか耳障りな声。
「じゃあ、授業を始めるわよ」
教師の声が響いて黒板に勢いよく文字を書き始めた。私は先ほどの笑い声がどうしても気になっていた。
「ちょっと、もう一週間だよ」
廊下に出た途端に同じクラスの女子3人がヒソヒソ話をしていた。先ほどの笑い声の人物だ。
「このまま来なければいいのにね」
どうやら河合さんの話をしているようだ。
「うざいんだよね。へらへら笑ってついてくるし」
口調が段々辛辣になっていく。じっと聞いている訳にもいかないので、そっとその場を後にした。なんかやな感じだなー。
「ひとーつ」
目の前の魂を体から切り離す。魂は暫く空中に漂った後、勢いよく上に向かって飛んでいった。
「調子良いな、時子」
パッセルが楽しそうに言っている。
「まあね。今度はあんな奴に遅れは取らないわよ」
目指すは仕事に私情を挟まない女、ちょっとカッコいいわ。
「さ、次行くわよ。サクサク行くからね」
私の言葉にパッセルが微妙な顔をしている。何でだろう。
「この辺り、空気が悪いな」
そういえば、ここ数日この辺りの空気が悪いのは私も感じていた。はっきりしたものではないから放っておいたんだけど。
「少し力を上げてみろ。あまりやりすぎると向こうの世界に近づいてしまうから慎重になー」
死神の力はこの世界の力ではないので、使いすぎると危ない。生きたまま三途の川渡るようなものなので注意が必要だ。
「了解。なんかあったらアルビテル様に報告だね」
ちょっとだけ死神の力を門から引き出して使う。視界ではなく感覚が研ぎ澄まされていく。暫く探っていると、意識の隅に不気味なモノがひっかかる。
「向こうの角。黒いモノが見える」
私は感覚に引っかかったモノの位置をパッセルに知らせる。
「見に行ってみる」
慎重に角をのぞき込む。おかしなモノがいたらソッコー逃げよう。今度は失敗しないぞー。
意気込んでのぞき込んだが、そこにいたのは知った顔だった。
「あれ、河合さん?」
そう、そこには一週間前から学校を休んでいる河合さんの姿があった。思わず呼びかけてしまったが、今の私は普通の人には見えなくなっている。
……はずなんだけど。
河合さんは私の方をしっかりと向いてにやっと笑った。今まで見たこともない壮絶な笑顔。はっきり言って怖っ。
「こんにちは白金さん。お久しぶり」
河合さんの足下では人が倒れている。
「……ねえ、誰か倒れてるわよ?」
私の事が見えるのがおかしいとか、こんな所で一人で何をしているんだろうとか、様々なことが頭の中から消えていく。
「ああ、これ? たいしたものじゃないのよ」
そう言って河合さんは足下の人物を蹴り飛ばした。
蹴られた勢いでこちらを向いた顔は、今日廊下で河合さんの話をしていたクラスメイトの3人の内の一人。
「木下さん!」
足が自然に震えてくる。彼女の雰囲気がいつもと違う。
「彼女、私のこと馬鹿にするからちょっと脅してあげたの。そうしたら静かになったわ。この程度なら簡単に殺せそう」
河合さんは苦しそうな顔をしている木下さんを、満足そうに見ている。
「時子、逃げろ。そいつ鬼だ」
パッセルが私の前に飛び出してくる。それと同時に吹っ飛んだ。
「パッセル!」
いつのまにか河合さんが目の前に迫っている。爪が異常に伸びていて、武器の様になっている。
私は一歩後ろに下がって鎌を水平に構えた。
河合さんは不気味な笑顔のまま私に向かって来た。
半歩右にずれて一撃目を避け、よけた勢いで鎌を振るった。完璧なタイミング。
しかし、河合さんは信じられない勢いで後ろに下がり、再び踏み込んでくる。態勢を崩しながらも私は鎌を振り抜いた。
ボトッ。河合さんの右腕が切れて地面に落ちる。
「血が、出ない?」
腕の断面ははっきり分かるのに、血が一滴も出ない。
河合さんは無造作に自分の右腕を拾った。
「酷いわ、こんな事をして。白金さんも私を馬鹿にするの?」
拾った右腕を切られた断面に当てた。神経が自然に伸びてきてゆっくりと腕がくっついていく。
反則だぁー。再生能力ハンパない!
「じゃあ、殺すしかないよね」
いきなりホラーな展開になってきた。こんな仕事してても私ホラー物は苦手なんだよね。もうちょいその手の映画を見て慣れてた方が良かったかしら。ちょこっと後悔しながらも逃げる事が出来ない。だってさっきからパッセルがピクリとも動かないのだ。
再び戦闘態勢になった河合さんがじりじりと間合いを詰めてくる。うー、こりゃガチでやるしかないのかな。
「あー、もう。せっかくカラスの格好気に入ってるのにさー」
ぐったりしたパッセルと別の方向から声がする。
「邪魔しないでくれる? 私は白金さんとお話したいの」
河合さんはゆっくりと斜め前を見る。私も同時にそちらの方を見た。
「こっちの世界で形を保つのは難しいし、しんどいんだよ。死神達みたいな神様級ならともかく」
黒い髪をした背の高い青年が立っていた。えーと、イケメン。ちょー好み。でも、引っかかることが一つ。
「あのー、パッセル?」
本当に恐る恐る聞いてみた。今までカラスの形でベラベラ喋っていたあのパッセルのイメージとかなりズレる。出来れば違っててほしい。
「そうだけど。なにそのガッカリ感満載な顔」
ちっ、性格がおちゃらけているからちょっと減点しとこう。顔は良いのに勿体ない。まあ、アルビテル様見た後じゃ印象が薄くなるのは仕方ないよねー。
「なぁーに、白金さんのカレシ?」
河合さんの誤解に私は首を勢いよく左右に振る。隣で同じ動作しているパッセルが見えたが、無視。
「なんだー、違うんだ。じゃあ、その人私に頂戴。結構好みなんだ」
そう言いながら自分の爪を舐めている。ヤバい、完璧に殺る気だ。
「悪いね、好みじゃないんだ。俺、おしとやかな方が好きでね」
パッセルが右手を伸ばすと剣が現れる。戦えるのかちょっと不安。
取りあえず臨戦態勢の河合さんと今まで戦ったことのないパッセルがやり合うのは危険だ。私が何とかパッセルを逃がそう。いつもより力を多めに使っているから、パッセルを逃がすくらいは出来るだろう。……多分。
鎌を水平に持ち、体重を右足にかけ、いつでも飛び出せるように構える。
その時、周りの風景がブレた。3D眼鏡をかけている時のように、風景が何重にも見える。
「しまった。時子、力の使いすぎだ。門を閉じろ!」
私の体がドンドン軽くなっていく。まずい、半分向こうに行きかけている。
「お前の門はお前にしか閉じることが出来ないんだ、集中しろ」
向こうからパッセルの声が聞こえてくる。集中、集中。
「門を守りし者、我が声に答え、閉門せよ。疾く閉じよ!」
ゆっくりと門が閉じるイメージがして、完全に閉じた。途端に体が重くなって、地面に座り込んだ。
いけない、こんな所でうだうだしてたら、河合さんに襲われる。
そう思って路地の方を見ると、河合さんもパッセルの姿もない。
「何処いったんだろう」
頭上から激しい音が聞こえてきたので慌てて上を見上げた。火花が散っている。
「戦っている。ちょっとパッセル強いじゃない」
右に左に剣を振るい、河合さんを圧倒している。攻めあぐねている河合さんの口からは雄叫びが聞こえる。もう、女子高生の声じゃない。
もうすぐで追いつめようというところで、パッセルが失速した。その隙を見て河合さんは逃げ出す。
「しまった。見失う」
もう一度力を使おうとして立ち上がったが、
「今日はもう止めろ。ヤバいって」
パッセルがゆっくりと降りてきた。
「ちょっと大丈夫なの?」
私の呼びかけにパッセルは薄く笑った。喋らなければイケメン。
「膝枕してくれないと死ぬかも」
何を言い出すかと思えば、何処のセクハラ親父だ、こいつ。
「あー、惜しい人を亡くしたものだわ」
私の言葉にパッセルがガックリと頭を垂れた。もう死んでるんだから、今更死なないって。
「冷たい。相棒が苦しんでいるのに。膝枕くらい減るもんでもなし」
減るわ、心が。女子高生の膝枕、そんなに安いと思うなよ。
「どうするのよ、河合さん。元気一杯逃げていったわよ」
まず、次は確実にクラスメイトの残り2人が危険にさらされそうだ。
「あー、しばらくは動けないと思う。まだ鬼の体に慣れていないみたいだから」
鬼の体。悪魔憑きとはまた違うのだろうか。
「鬼っていうのは、生きながらなるもんだ。昔から人間の理解を超えた存在を総称して鬼という。あの子は相当な恨みを持っていて、この世界の理からはみ出してしまったんだろう。神の力を借りずに巨大な力を手にしてしまったんだ。大抵神経が持たず破滅する奴が多いんだが、結構頑丈な神経しているな、あの子」
私の疑問にパッセルが答えてくれているのだが、先ほどから体が透けている。
「ねえ、パッセル。本当に大丈夫なの? 透けてきてるよ」
私の言葉にパッセルは自分の手を見る。
「一旦向こうの世界に帰る。いつもはカラスの体を借りてこちらの世界に具現化していたんだが、今回は自分の力で具現化したから消耗が激しい。体力回復しないといけないや」
パッセルはゆっくりと立ち上がって右足で地面の前後左右をつつく。
パッセルの開いた門の光が見え始める。
「アルビテル様には報告しておく。今日は大人しく帰れ。力は使うなよ。微妙な力なんだから使いすぎると今回の様になるぞ」
忠告しながらパッセルの姿は薄らいでいった。
今日の私、ちょっとストーカーっぽい。
河合さんとの一戦から2日。パッセルからの連絡は無し。
やることなくて次の日から河合さんの文句言ってた3人の内の2人、田代さんと日下部さんを尾行中……もとい、護衛中。河合さんが狙ってくるとした多分この2人だと思うから。襲われた木下さんは命に別状は無かったらしいが、ショックで家から出られないらしい。
「京子、何があったんだろう」
その内の一人田代さんが泣きながら話している。
「知らないわよ。何があったかわからないけど、ショックで周りが見えてないなんて。ずっとあやまり続けているし」
あー、さすがに鬼に襲われたとは思わないよね。まあ、知ったとしてもなんの救いにもならないけど。
「まさか、河合じゃないよね」
泣いている方の女子生徒が恐る恐るといった風に不安を口にした。
「あいつの訳がないじゃない。そんな根性ないって」
いや、結構根性あったよ、あの子。とも言えないんだけど。
パッセルの話では鬼になった体になじんでいなかったから暫く動けないだろうという話だけど、ぶっちゃけなじんでないのにあの威力ってヤバくない? 次に来たら勝てる気しないんだけど。
「とにかく、帰りは一人で帰らない方がいいよね」
そうは言っても女子高生が2人に増えたところで大した戦力にはならないんだけどねー。
今は死神の力を勝手に使っているから、向こうからは私の姿は見えなくなっている。だから堂々とつけているんだけど、
「よっ」
危うく大声出しそうになった。
慌てて後ろを振り向くと、カラスが楽しそうに羽をバタつかせていた。
「パッセル。大丈夫なの?」
2日ぶりに見る相棒の姿に自然ほっとした。
「大分疲れていたけど、何とか回復したわ。大人しくしているかと思えば、何勝手に死神の力を使ってるんだ」
だって、家でじっとしてるのって性に合わないんだもん。やっぱマズかったかな。
「なーんてな。その力の元はアルビテル様の力だからな。来る前から知ってたし」
片足で器用にターンしながら楽しそうに言う。
「アルビテル様からこれ渡しとけって言われた」
そう言って何処から取り出したのか、指輪を渡してくる。
「……やーね、こういうのは本人が渡すものだと思うのよね」
シンプルな銀色の指輪を左手の薬指に填める。もう、これってそういう事なのかしら?
「こらこら、結婚指輪じゃねーんだから何でそこに填めるかな。中指が一番長いんだから、中指に填めろ」
よく分からないが、仕方なく薬指を諦めて中指に填めた。それにしても何処に填めてもサイズぴったりなんだけど。普通の指輪じゃないわね。
「これ、何? 結婚指輪じゃないのに何でくれるの?」
ジト目でパッセルを睨む。乙女心を弄びやがって。
「それは力を調整しやすいようにアルビテル様が作らせたものだ。前回力を上手く使えなかっただろ。それを填めておけば、多少の力を使っても反動が来にくくなる」
え、じゃあコレ填めてたら私ったら何気にパワーアップ?
「前々からアルビテル様が開発させていたんだ。昨日出来上がってな。俺も体調が戻ったので挨拶のついでに届けに来たんだ」
良かったなー、とかいつもの調子に戻っているパッセルがいる。やっぱちょっぴり嬉しい。……カラスの方がパッセルらしいし。
「えへへ、ありがとう。大事にするね、って言っている間に2人はあんな所まで。追いかけるわよパッセル」
ガッテンだ! とか言いながらパッセルが付いてくる。
再び追跡を始めたが、そろそろ田代さんの家が近づいてきた。このまま無事に帰れそうだ。
「じゃあ、私はこれで」
田代さんが扉を開けて家の中に入っていく。まず一人。
「あともう少しで日下部さんの家だよ」
警戒しながらゆっくり路地を進む日下部さんを追いつつ私も神経を尖らせる。ここで気を抜いちゃうとホラーって危ないんだよね。
キャー!!
ほら、こんな風に叫び声とか聞こえちゃうんだよね。ん? 叫び声?
「パッセル、日下部さんが」
慌てて先に角を曲がった日下部さんを追いかける。
座り込んで腰を抜かしているらしき日下部さんの前にゾッとする笑顔の河合さんが立っていた。やっぱり怖い。
「今晩は、日下部さん。今日は一人みたいね。いつも3人でつるんでいたのに、寂しいわね。そうそう、木下さんは元気? 今度は首をねじ切ってちゃんと殺してあげないと」
あはははと、ものすんごく楽しそうに物騒な事を言う。
「ねえ、一人の気分はどう? 私だけバカにして仲間外れにして楽しかった? 私ったら悔しくて悔しくて気が付いたらこんな風になっていたの。何であなた達にいいようにされてたのかしら、とっても弱そうなのに。どうして屋上から落とされそうになったり、先生に嘘の報告されて怒られたりしたのかしら。そうそう、机の中の物を盗まれたりもしたかしら? ゴミ箱の中に捨てられている時もあったかしら。懐かしいわねー。まあ、でもそれも今ではただの思い出だわ」
河合さんはゆっくりと間合いを詰めてきている。それを見ている日下部さんは恐怖で動けない。当然だろう、河合さんの目は人間ではあり得ない真っ赤に光っていたからだ。
「さようなら。楽には殺さないけど。手足を引きちぎって、首を引っこ抜いてあげるわね」
河合さんは目の前の獲物に手を伸ばした。
「えっと、日下部さんが酷い根性悪だと言う事は分かったわ。分かったから殺すのは諦めてくれない?」
我ながら説得力無いわー、と思いながら河合さんを威嚇する。
「あら、白金さんこんばんは。また会ったわね」
いやー、名前出されると困るんだけど。まあ、見えないからいいって、日下部さんこっちをばっちり見てますけど!
「ああ、鬼と死神が一緒の場所にいりゃ、そこは異界に限りなく近づくし。つーことで見えてるぞ、時子」
はいいー! 誰がどう見えてるって?
「……白金さん、何で」
日下部さんの真っ青な顔がじっと見ている。巨大な鎌持って同級生が突っ立っていたらさすがにビビるよね。
「説明は後、さて河合さん。さすがに死期がきていない人間を殺すのは御法度よ。観念しなさい」
私はいつでも飛び出せるように構えた。
「こういう奴はね、生きてても他に迷惑かけるだけなの。こんな奴らがこれから幸せな生活を送るのはムカつくのよ。だから最高に恐怖を味あわせて殺してやるの」
ダメだーただの女子高生の私には立派な説教は出来ません。でも彼女を切ったりしたら人殺しにならないかなー。鬼って生きたままなるんでしょ?
「お前、今下らないことグダグダ考えているだろう。鬼はもう人には戻れないから、人のくくりには入らんぞ」
どうして考え読まれているんだろうか。もしかして私って分かりやすい女。表情から気持ちダダ漏れタイプ?
「ほんっと顔に出るよなー。今からそんな事じゃ人生大変だぞ。人間の得意技ポーカーフェイスってやつは身につけといた方がいいぞ」
人生についてカラスに諭された。端から見たらかなりシュールな構図だわね。前に鬼。後ろに説教カラス。
「私は周囲が助けたくなるような、純粋で可愛い女になるわ」
そりゃちょっと、いやかなり無理があるわー。とか楽しそうなパッセルの声が聞こえる。後でその細い首をきゅっとしてやる。
「楽しそうね。貴女は大抵一人なのにどうして辛くないのか分からなかったけれど、人には無い力が使えたのね。それはとって素敵。私もその力を手に入れたから分かるわ」
じゃっきーんと爪が伸びてくる。刺されたら痛そう。
「それにしてもここまで鬼化が早いっていうのが気になるな。普通何年もかかるものなんだが」
いじめが始まったのは高校入ってからだろー?
パッセルの考え込む声が聞こえる。でも実際になっちゃってるっていう事実は曲げられないわけで、これから戦わなくてはならないのも事実で。
「もう、ごちゃごちゃ考えてても仕方ない。やるわ!」
私は先手必勝とばかりに河合さんとの距離を一気に縮めた。攻撃範囲に入った所で、鎌を水平に払った。
河合さんは一歩後ろに下がり、両手の爪をクロスして、鎌の軌道を変える。やーるーわーねー。
「この前より早いわね」
言った途端に河合さんが私の間合いに入り込んでくる。私は鎌の柄の部分を短く持ち、コンパクトに振り抜いた。しかし、やったと思ったに、河合さんは素早い動作で下に潜り込んだ。
「終わりね」
河合さんの爪が下から伸びてくる。
私は上体を反らしてギリギリその攻撃を避ける。その間に鎌がついているのとは逆のほう、つまり石突きの部分を河合さんに突きだした。
河合さんの脇にクリーンヒット。しかし、体勢が悪いため、大したダメージを与えられない。
「やるわね」
脇を押さえながら河合さんが呟く。これだけ戦ったら、夕日を背景に仲良くなったりしないかしら。死神と鬼のガチバトル後の友情物語。
うわー見たくねー。
「まだまだ!」
私が構えて再び飛び込もうとしたら、河合さんは怯えている日下部さんの後ろに立った。
「そんなもの振り回したら、日下部さんの首が飛ぶんじゃない?」
日下部さんを盾にして、楽しそうに言う。
「……止めてよ。河合さん、だって貴女も悪いじゃない」
もう話す気力が無いと思っていた日下部さんが、虫の息のような声で話し出した。
「貴女って私たちに何も言わなかったでしょ。何でもいい、皆に任せる。そう言って何の意見も言わなかったじゃない。何がしたいのか、何が言いたいのか分からなくてイライラしたのよ。だから、皆で冷たくしてやろうってなったの」
段々と声を大きくして日下部さんは河合さんに心の内をぶちまけた。
「……だからって、いじめてもいいの?」
河合さんの言葉に日下部さんは黙り込んだ。
「言えなかったのよ。嫌われたくなかったから。あんたたち3人は中学から一緒だったけど、私だけ高校から加わったから。言えなかったのよ」
河合さんの目から涙が流れる。……血の涙だけど。
「言ったら、何か変わった? またそれを材料に気にくわないとか言うんでしょ? 一緒なのよ。あんたたちは。こんな根性悪が生きている資格無いわ。殺してあげる」
日下部さんに向かって爪が振り下ろされる。マズイ、あれに引っかかれたら普通の人間は確実に死ぬ。
考えるより先に私は踏み出して、日下部さんを突き飛ばした。
河合さんの爪が迫る。鎌の柄を突きだし、直撃を避けようとしたその時、
「隙ありー、待ってた甲斐があったわぁー」
横から声がして、わき腹に焼け付くような衝撃が来た。
衝撃で私は吹っ飛び、河合さんの爪の直撃は避けられたが、わき腹を見ると血で染まっていた。刺されたのだ。
「あらー? 何かの加護が働いているのかしら? ああ、アルビテルの力ね。やっかいだけど、手に入れたら使えそうねー」
嬉しそうに悪魔が近づいてくる。以前に私を操ろうとしていた悪魔だ。
「私の名前はアマータ。この鬼に力を貸してあげたお節介な悪魔なの」
嬉しそうに河合さんを指さす。
「つまり、そこの彼女が鬼になるのが速かったのは、おまえの差し金か。目的は何だ!」
パッセルが私と悪魔の間に舞い降りた。
「目的は簡単。そこのお嬢さんを介してアルビテルの力の一部を手に入れる事。その隙を作るために身近な彼女に手を貸したのよ」
パッセルと相対しながら悪魔アマータはゆっくりと語る。私が弱るのを待っているのかしら。
「この前偶然出会った時は焦ったけどね。仕込みが終わって無かったからさぁー」
ゆらゆらと揺れながら段々と気配が変わってくる。
「今度はやっと殺せるね」
言った途端にアマータの姿が消えた。とっさに私は痛みを堪えて今いた場所から飛び退いた。
途端に地面に短刀が突き刺さる。あれで私のわき腹差したのかー。
鋭利な刃物がキラリと光る。ダメだ、あれ見てたら痛みが増してきたわ。
今日は指輪をつけているので、もう少し力を引き出してみよう。ゆっくりと門を開けていくと、感覚が更に研ぎ澄まされていく。
右!
反射的に鎌を右に振り抜く。後ろに飛びすさるアマータの姿が見えた。危なかった。
「やるじゃなーい。この前私に操られかけたとは思えないわ」
楽しそうに話すが、目が怖いよ。
「俺のこと忘れるなって」
ざくっという音と共にアマータの後ろからパッセルが飛び出してきた。爪の先にはアマータの髪と思われるものが数本ついていた。
「いった、このカラス! 人の頭を削んないでよ」
頭から血を流しながらアマータが凄い迫力で怒り狂っている。どうしよう、アマータの後ろから鬼になった河合さんも迫ってきたし。なんか勝てる気がしないんですけど。
「……だからといって、諦める気もないんだけどね」
死神の力のせいか、わき腹の痛みが徐々に引いていく。
「ちょっとー、もう立てるの? どんだけ凄いのよアルビテルの力は。さっさと私に寄越しなさい!」
アマータが頭から血を流しながら迫ってくる。右手にはいつの間にか長剣。
「若者なめてんじゃないわよ、おばさん」
私の言葉にアマータの表情が変わった。もう、立派な悪魔の顔だ。
「誰が、おばさんか! この小娘、さっさと魂喰らってやる!」
アマータはスピードを緩めること無く、剣をまっすぐ私に突きだしてきた。その早さも、いつもより死神の力を使える私からしたらはっきり見える。力が増すとこうも違うものなのだろうか。
突き出された剣を軽く避けて、その勢いのまま思いっきり鎌を振り上げた。
軽く手応えを感じたが、アマータは信じられない早さで空中に逃げていた。あれ、黒い羽が見える。
「そういや、悪魔だったっけ」
私の暢気な感想に、アマータの顔が真っ赤になった。
「どういう意味よそれ! どう見ても悪魔じゃない! バカにするなー」
結構馬鹿だ。空中で地団駄踏んでいる。
「せっかく時間かけて追いつめたのにぃー。何で元気いっぱいなのよぉー」
お疲れさまー。こっちはそんなにヤワじゃないわ。
『さて、そろそろ終いにするか』
あれー、聞き慣れた声が。
「また出たー! ちょっと神様暇なんじゃないの!」
キーキー言いながらアマータはあっさり逃げてった。はやっ。
「逃げたか。まあ、目的が分かったから別にいいが」
いきなり隣に気配がして、アルビテル様が降臨していた。
「アルビテル様。あいつの目的探ってたんですか?」
そうだ。と言ってアルビテル様はアマータが逃げていったのと別の方向を指さした。
「それより、あれを早く何とかしてやらんとな」
アルビテル様が指さした所には鬼になった河合さんと、カラスのパッセルがにらみ合っていた。そうか、河合さんが大人しいと思ったらパッセルが足止めしてくれていたんだ。
「早くどきなさいよ、この馬鹿ガラス!」
イライラした河合さんの声が聞こえる。
「うっせ、ブス。こっち来んな」
パッセルが女性に対して最大級に失礼な言葉を言っている。
バーカ、だの根暗だの、レベルの低い言い合いが延々と続いている。いいのかしら、これ。
「取りあえず、お前の同級生を切らねばならん」
アルビテル様がご自分の鎌を顕現させた。やっぱり私の鎌とは比べものにならない位神々しい。
「どうしても切らないとダメですか?」
さすがに同じ教室で学んでいた同級生を切るのは躊躇われる。だから、アルビテル様はここに来てくれたのだろう。自らその役目を果たすために。
でも、それは、
「私がやります」
そう、それは私の役目だ。アルビテル様にその役目を押しつける訳にはいかない。
「出来るのか?」
心配そうにしているアルビテル様に、しっかりと頷いた。私の顔を見てアルビテル様は自分の鎌をすっと消した。
私はゆっくりと河合さんの元に行った。
「もう、いいから。もう、止めなさい」
私の声に河合さんは鋭い目つきで睨みつけてきた。
「あんたもあいつ等の味方なのね。私はあいつ等を許さない。何があっても許さない」
許さないを何度も繰り返し、怒りを溜めているようにも見える。その様が昔の自分を見ているようで辛い。
「別に許さなくていい。私が言いたいのはそんなことじゃない」
私の言葉に河合さんはゆっくりとこちらを向く。そう、私は彼女の気持ちが痛いほど分かる。だから、彼女たちを許せとは言わない。
「じゃあ、何が言いたいのよ。説教はごめんよ」
河合さんは私の言葉をじっと待っている。おかしな事を言えば、一瞬で襲いかかってやろうという風に見える。
私は何も考えず、ただ心に思いついた言葉を口にした。
「……よく頑張ったね」
そう、辛い日々を頑張って生きてきた彼女に今一番必要な言葉だと思った。最後は悪魔に利用されて鬼になってしまったが、それでも苦しんで苦しんで生きたのだ。
「がん……ばった?」
河合さんの顔から表情が抜け落ちた。先ほどからの恐ろしい形相が嘘のように。普通の女子高生そのままに。
「そうよ。あいつらを許してやる事は無いわ。ただ、今まで頑張って耐えた自分を誉めて許してあげて」
そう、苦しんだ自分を許してあげてほしい。私の心に突き刺さった苦しみが、同じように苦しんでいる彼女に告げている。
「許す? 自分を? 褒める?」
先ほどの無表情から河合さんは安堵したような表情に変わっていた。今度は血の涙ではなく、普通の透明な涙を流していた。
「うん、いいよ。もう楽になっていいよ。自分が自分を大事にしないで、一体誰が大事にしてくれるのよ」
私はゆっくりと河合さんに近寄っていく。もう恐怖は感じない。ただ、楽になって欲しい。それだけだ。
「そっか、そうだよね。うん、もういいよね」
河合さんは脱力したように膝から力を抜いた。地面に座り込む。
その河合さんの体から魂がふらふらと出てきた。
「体と魂を切り離してやれ。今なら飛翔できるだろう」
アルビテル様が後ろから教えてくれる。
私は鎌を振り上げ、丁寧に魂と体を切り離した。
切り離された魂は、少し空中に漂った後、勢いよく上空へ飛び去った。
「……これで良かったんでしょうか?」
多分これが一番いい方法なのだろうが、やっぱり辛い。
「ああ、鬼のまま切られれば、魂は消滅するだけだが、浄化された魂は天に帰る事が出来る。また生まれ変わる事が出来る」
さすがに一度鬼になった魂はあちら側に近づき過ぎる為、人間には戻れない。
「良くやった。立派になったな」
アルビテル様が私の頭を撫でてくれる。子供扱いされるのは嫌なんだけど、今はこの手がとても嬉しい。
涙が自然に溢れてきて止まらなくなった。アルビテル様が優しく抱きしめてくれる。今だけは甘えてしまおう。今日だけは思いっきり泣こう。
しばらく大声で泣いていた私に、アルビテル様は辛抱強く付き合ってくれた。
次の日。熱が出てしまった。
パッセル曰く、力の使い過ぎだそうだ。
さすがにいきなりあれだけの力を使ってしまったため、体がびっくりしたらしい。
「ちょっと、時子。私休むわよ」
叔母の明ちゃんが心配そうにのぞき込んでいる。
「いいわよ。大丈夫、大分楽になってきたし。仕事行ってきて」
明ちゃんは看護師さんなんだから。待っている人がたくさんいるんだから。私の為に時間使ったら勿体ない。
「……分かった。でもなんかあったら絶対連絡してよね。姪が救急で運ばれてくるとか嫌だからね」
明ちゃんは何度も振り向きながら病院に向かった。こういう時心配されるのがちょっと照れくさいんだけど嬉しかったり。
明ちゃんが仕事に行っちゃった後のこのもの悲しい空気は嫌なんだけど、我慢我慢。
「のど乾いたな。冷蔵庫にお茶あったっけ」
一度起きあがろうと思ったら、顔の横にお茶のペットボトルがトンっと置かれた。
お茶の瞬間移動?
「これでいいのか?」
ペットボトルの向こうには麗しのアルビテル様。
「あれー、熱のせいでアルビテル様が見える。ああ、いいー夢だわ」
夢でも一人っきりじゃなく、誰かがいてくれると安心する。それもアルビテル様がいるとか贅沢すぎる。
「何が夢か。お前一人では不便だろうと思い、有給をもぎ取ってきたのだ」
何だかリアルな言葉が聞こえてくる。有給? 死神にもあるの、そんなもの。
「いいか、仕事は適度な休みを挟みつつやるのがベストなんだ。まあ、私の場合は有給をとるのは10年ぶり位なのだが」
おお、もう10年になるのか。休んでないじゃないか、私ともあろうものが!
自分の仕事人生振り返ってアルビテル様がショックを受けている。誰かこの人休ませてあげてよ。
「せっかくの10年ぶりの休日なのに、私の為に使ったら勿体ないですよ。人間界をぶらぶらしてきたらどうですか?」
窓の外を見ると、眩しいくらいの光が見える。いい天気だ。散歩したら気持ちいいだろうな。
「そういう事なら一緒に散歩に行くか」
アルビテル様が私の額に手をかざした。
頭がスッと冷えてきて熱が引いたのが分かる。
「あれ、苦しくない。凄いアルビテル様、やっぱり神様なんですね!」
さっきまでの重苦しい体が嘘のようだ。思いっきり伸びをする。
「元々私の力だからな。うまく調整すれば元に戻る」
もしかしてその為にお休みを取ってくれたのかな。なーんて、贅沢な事を考えてみる。
「アルビテル様ありがとうございます。そうだ、良かったらこの辺案内しますよって、神様だから知ってますよね」
空の上から見ているのだから、インターネットのマップより詳しいだろう。
「いや、実際自分の足で歩くのは勝手が違うからな。久しぶりに人間界を歩いてみるか」
今のアルビテル様はどう見ても人間のイケメンにしか見えない。
いつもの銀色の髪は黒々とした髪に変わっている。瞳も茶色がかった黒だ。
「えへへ、なんだかデートみたいですね」
今日一日は寝て過ごさないといけないと思っていたからヘコんでいたが、思いがけない幸運が舞い降りてきたものだ。私はもの凄くはしゃいでいた。いやーついてるついてる……本物の神様が。
私とアルビテル様は町を見下ろせる高台に上ってきていた。
特に目的がなかったので、ここに来てしまった。
「アルビテル様、ここ覚えていますか?」
高台の手すりに手を置いて訪ねてみる。眼下には私の住んでいる町が見える。
「ああ、覚えている。お前と初めて出会った場所だ」
そう、2年前に私とアルビテル様、そしてパッセルが出会った場所だ。
「お前はここで一人、呪いの言葉を吐いていたな」
そう、2年前まで私は人生に絶望していた。
空がどんより曇っている。今にも雨が降りそうだ。
「きっと殺してやる。今にきっと」
幼い頃に自分を捨てた母親に対する恨みは成長した今でも薄れることがない。何処にいるか分からない母親への恨みをこの町を見下ろせる場所で毎日つぶやき続けている。もしかしたら、ここから見える場所にいるかもしれない。そう思いながら町を睨みつけている。
「狂っておるのか?」
涼やかな声が頭上から聞こえる。今まで人の気配は無かったはずだけど。
ゆっくりと振り向くと銀の髪の青年が立っていた。今まで見た誰よりも美しい顔をしているが、格好が変だった。マントをつけている。いわゆるコスプレというやつかしら。
「おや、アルビテル様、こいつ貴方様が見えているようですよ」
マントを着けているアルビテルと呼ばれている男の肩で一羽のカラスが面白そうに羽を動かす。黒マントの男がゆっくりとこちらに近づいてきた。
「ほう、呪いを吐き続けていたために、こちら側に近づいているようだな。そなた気をつけるが良い、下手をすると死ぬぞ」
なんだか不思議な威厳を身につけたアルビテルという男は物騒な事を言いつつも笑っていた。
「相手を呪い続けると、自分もこちら側に近づくのだよ。お前、悪魔に喰われるか、生きながら鬼になるか。どちらだろうなぁー」
カラスが本当に楽しそうに笑っている。
こいつら何を言っているのだろう?
目の前の理解不能な男とカラスを睨みつける。この世に呪いがあるというなら、是非見てみたいものだ。出来れば今すぐあの女を殺して欲しい。
「そなた、この世界に大事なものはないのか?」
アルビテルがじっと私を見ながら尋ねる。
「大……事?」
私の脳裏にいつも笑顔の叔母の顔が現れる。母に捨てられた姪を引き取ってずっと可愛がってくれている人。彼女がいなければ私は生きていなかっただろう。
「そうか、あるのか。良かった。ならばまだこちらに来るのは止めておけ。そなたを不幸にした人間の為に、そなたが不幸になる必要はあるまい」
アルビテルの言葉に私の心が少し動いた。
「不幸にした人間の為に不幸になる?」
私は不幸なのだろうか。
「そうだ、そなたはそなたを不幸にした人物を忘れて幸せになる権利があるのに、その人物に執着して不幸になっている。何だかおかしくないだろか」
詭弁だ。だが、今まで聞いた話の中では一番心に響く。
「忘れられない。あいつの事は絶対」
死ぬまで忘れられないだろう。
「あれを見るが良い。特別に私の力の一部を貸してやろう」
アルビテルが私の肩に手を置きながら眼下の町の一点を指さした。
黒い影がゆらゆらと漂っている。
苦しみもがきながらゆっくりと移動している。
「あれはな、人を恨んだりこの世に未練を残した者の末路だ。死しても魂は飛翔することを拒み、地上に残った。そのうち魂は飛翔する力を無くし、地上をあのようにさまよい続けることになるのだ」
あれは死人。先ほどまでは聞こえなかった悲痛な叫びが聞こえてくる。思わず耳を塞いだ。絶望が体の芯までこびり付きそうだったからだ。
「そなた、あのようになりたいか?」
反射的に首を横に振った。死者の声がどんどん増えてくる。
「いや、聞きたくない。怖い」
私は反射的にアルビテルにしがみついた。そうすると先ほどの死人の声が聞こえなくなる。
「おい、人間、アルビテル様に自ら触れるとは恐れ多い! 離れろ!」
頭上でカラスがギャーギャー騒いでいる。
「カラスのくせにベラベラ喋らないでよね!」
私はアルビテルにしがみついたまま頭上のカラスに言い放った。
「カラスじゃなぁーい! 我はアルビテル様の眷属、パッセルだ! どうだ、恐れ入ったか!」
カラスは訳の分からない事を言って威張っている。
「いや、パッセル。人間は私の名前を知らぬだろう」
アルビテルの言葉にカラスははっとした。
「偉大なる神の名を知らぬとは……情けない」
パッセルの言葉に私はアルビテルの顔をまじまじと見てしまった。
「貴方神様なの?」
私の問いにアルビテルはにっこり笑った。
「そうだ、我の名はアルビテル。死神なり」
死神ってあのホネホネで大きな鎌もっているやつ?
私の疑問にアルビテルは大声で笑った。
「そうそう、それだ。ほら、鎌を見せてやろう」
そう言って何もない空間に突然鎌が現れた。私はそれにそーっと触れようとした。
「止めておけ、そなたは触れてはならぬ」
アルビテルは私の前からスッと鎌を消した。
「人間というのは不安定なものでな、この世界にもあちら側の世界にも近い存在なのだ。ちょっとした事ですぐに立ち位置が変わってしまう」
私にはアルビテルの言っている事があまり理解できない。でも心配してくれている事だけは伝わってきた。彼は人間が好きなのだろう、不思議とそう思えた。
「さあさあアルビテル様、そのような人間に関わっている時間はありませんぞ。さっさとその娘の記憶を消して、戻りましょう」
カラスがアルビテルを促している。
「記憶を……消すの?」
私の言葉にアルビテルは寂しそうに笑った。本当は消したくないのかな。
「そう、記憶が消されたらまた私はここで呪いの言葉を一人でつぶやき続けるのね」
少しだけ灯った明かりがまた消えて、真っ暗な中をまた一人で歩くのだ。
そう、彼らに出会う前の自分に戻るだけのこと。
「いいわ、さっさと消してちょうだい。下手に覚えていたらまた会いたくなっちゃったらいけないからね。神様に会えるのって一生に一度あるかないかの高確率だもんね」
そう、会ったばかりのこの優しそうな神様にまた会いたくなったらそれこそ辛いだろう。もう二度と会えないなら、忘れてしまった方がいい。
アルビテルは何故かびっくりしたような顔で私を見た後、
「また、私に会いたくなるのか?」
不思議そうに聞いてきた。
「そうね、多分。貴方と話していると、一時恨みを忘れられそうになっちゃうのよね」
こんな事は初めてだった。神様だから人間皆に優しいのだろうが、それでもこの神様に笑ってもらうと心が和む。本気で心配したり笑ったりしてくれているのが分かるから。
「決めた。そなた、死神の手伝いをしないか。霊感は強いみたいだし、出来るだろう」
真剣なアルビテルの言葉に私は驚いた。人間が死神の手伝い?
「アルビテル様、相手は人間ですぞ。どうするおつもりですか?」
カラスが羽をばたつかせながらアルビテルに抗議する。
「この人間を私の眷属とする。私の力の一部を貸し与える」
眷属? それって、
「このカラスと一緒?」
私の言葉にカラスの動きがピタッと止まる。
そして同時に、
「いーやー、カラスと一緒」
「このような人間の小娘と一緒」
ものすんごい嫌そうな声を放っていた。
「そなたら気が合いそうだな。仲良くやるが良い」
アルビテルだけが楽しそうに笑っていた。
そういう事で、私は死神としてお仕事する事になったのである。
「まだ恨みは残っているのか?」
昔の事を思い出していると、隣のアルビテル様が話しかけてきた。
「そうですね、まだあの女は殺してやりたいですけど、昔のような執着はありません」
そう、毎日呪いの言葉を吐き続けるような真っ暗な日常は今では信じられなくなっている。
「そうか、大分立ち直ったな」
嬉しそうにしているアルビテル様を見ていると、私まで嬉しくなってしまう。なんか御利益ありそう。手でも合わせとこうかしら。
「前から聞こうと思っていたんですけど、アルビテル様は何で私に力を貸してくれたんですか? 眷属ってホイホイなれるものじゃないんでしょ?」
私の言葉にアルビテル様は苦笑いしている。
「私はあの時疲れていたんだ。死神になって600年ほどになるが、真面目に働き続けていたのに何故か嫌われてしまうんだ」
別にアルビテル様が悪い人な訳ではなく、死神の人事を担当しているからいわれのない恨みを買っているのではないだろうか。
「誰も私と話そうとしなくなってきて、話している時も愛想笑いを浮かべて適当に話を合わせているのが見て取れた。そんな時にそなたと会ってな。私にもう一度会いたくなると聞いたときは嬉しかった。まだ私を必要としてくれる者がこの世界にいるのだと思ってな。もちろんパッセルはいつでもあの調子で元気づけてくれていたんだが、大分参っていたんだな」
あのパッセルが愛想笑いとか無理無理。全力でアルビテル様慰めている姿しか想像できないわ。あんなんでもアルビテル様の支えになってるようで良かった。今度会ったらちょっと優しくしてやろう。
「そなたが私の眷属として元気に仕事しているのを見ていると、私も仕事を頑張ろうという気になってな。その時は張り切ってどれだけの死神を転属させたか」
はっはっは、と楽しそうに笑っているけど、この人仕事のことになると容赦しないよね。部下に刺されそうになったら、パッセルしっかり盾になるのよ。
「そっか、ちょっとでもアルビテル様のお役に立ててるなら、頑張りがいがありますよ」
そう、こうやって一緒に外を歩けるとか、とても楽しいし。
……でも、ちょっと待って。この顔見慣れたら他の男ってどうよ。ああ、ダメだ。同級生とかレベル低すぎる。彼氏出来なかったらどうしよう。
「どうした、急に青い顔をして」
アルビテル様が心配そうにこちらを見ている。
そういやアルビテル様って独身なんだろうか。神様にそれ聞くのちょっと抵抗有るんだけど、でも気になってどうしようもなくなってきたんだけど。ええい、ままよ!
「あのー、つかぬ事をお伺いしますが」
私は生まれてこのかたここまで緊張したかと思うぐらい心臓バクバクいわせながらアルビテル様に尋ねる。
「アルビテル様って結婚しているんですか?」
聞いてしまってからしまったと思った。そうよ、パッセルに聞きゃ良かったぁー。
アルビテル様はポカンとした顔で考え込んだ後、ちょっと意地悪な顔になった。
「そなたはどっちが良い? 結婚していて欲しいか? それとも独り身がいいか?」
なーんーか、ズルい感じ。そりゃやっぱり独身の方がいいわよ。贔屓のアイドルが結婚とかしたらガックリくるじゃない? それと同じだと思うのよね。
「どっちでも良いです。アルビテル様意地悪です」
本当は気になって仕方ないけど、後日パッセルを締め上げて聞いてやると決意した。
「何故怒るのだ? 不思議なやつだ。結婚する前に恋愛だろう。まあ、仕事一筋で恋愛する暇無かったからな。独身だ」
ジラされるのかと思っていたらあっけなく答えが転がってきた。まあ、生活感とか全くなかったから、そうじゃないかなーとは思ってたんだけど。
でも、アルビテル様から「うちの嫁が……」とかの話が出たら面白すぎるんだけど。
「え、でも彼女とかいるんでしょ?」
私は調子に乗って更に突っ込んでみる。
「だから、恋愛する暇がなかったんだっ。そう言うわけで、いないぞ」
そっかー。死神達は見る目がないよね。こんなイケメンほったらかしで。私がそっちにいたら頑張ってアピールしたかもなー。
「あー、じゃあアルビテル様も仕事だけじゃなく、これからはそっちも頑張って下さいね。恋愛とかしたらもっと私生活充実しますよ! 私も頑張って彼氏作ろうかなー。顔は我慢するとして、性格良い男子探そう! 人生これからだし」
うん、そうだ。もしかしたら学校で彼氏とか出来たら毎日楽しいかもしれないし。料理とかちょっと練習しようかなー。
ん? 何だかアルビテル様静かになったぞ。
「アルビテル様、どうかしましたか?」
アルビテル様は遠くの方を見ておられた。何か見えるのかな?
「……そなた、彼氏が欲しいのか?」
心なしか暗い声のアルビテル様。さっきまでと様子が違うんだけど。私何か失礼な事言っちゃったかな。
「まあ、そりゃ欲しいですよ。デートとかしてみたいですもん」
こんなお仕事してますけど、本業は女子高校生。周りを見てみると好きだ嫌いだと皆騒いでいる。
「そうか、そうだな……時子……」
アルビテル様が何か言い掛けたとき。
「アールービーテールー様ーーー!」
空中からパッセルの声が響いてきた。カラスが一羽滑空してくる。
「どうした、パッセル。そんなに慌てて」
アルビテル様がスッと腕を伸ばすと、パッセルはその腕にそっと止まった。
「アルビテル様、大変です。お休みの所申し訳ありませんが、どうぞお戻り下さい。この前、アルビテル様が転属を申しつけた者が人事部に殴り込みかけてきまして。皆どうすればいいのか右往左往しております」
羽をバッサバッサさせながら、パッセルは現在の状況を必死にアルビテル様に説明する。
「そうか、それは大変だ。すぐに戻ろう」
アルビテル様はせっかくお休みだというのに、あっさりと戻ることを決められた。まあ、偉い人だし仕方ないのかな。
「アルビテル様、今日は有り難うございました」
私が体調悪いのを心配して休んでくれたので、ちゃんとお礼を言っておく。
「すまないな、時子。もう少し話していたかったが、残念だ。この私にこの様な思いをさせた者はただでは済まさんぞ。丁度厳しい上司のいる職場が空いたところだ。たっぷり鍛え上げてもらおう」
ちょっと怖い顔になったアルビテル様が、じゃあな、と言って去っていく。私ももう少しお話しできたら良かったんだけど、仕方ないか。でも、さっき何か言い掛けていたけど、いいのかな。
取りあえず、滅多に過ごせない貴重な休日になった今日この頃でありました。アルビテル様、たまにはちゃんと休んで下さいね。
「今日は仕事があるぞー」
2日後、パッセルがやってきた。
今日の私は絶好調。
「やっときたわね。さあ、バリバリ働くわよ」
この前から散々な目にあっているから、そろそろ通常運転に戻したい。
「なあ、時子。お前アルビテル様に何か言ったか? お前の交友関係をしっかり見張ってろって言われたんだけどな」
私の交友関係見張ってどうするんだろう? は、まさか!
「自分より先に私に恋人とか出来たら悔しいんじゃ!」
なに、恋人! パッセルがびっくりしたように目を見開いている。
「お前、彼氏作るのか? 出来そうなのか?」
そりゃ槍が降るわー、とか何とか失礼な事を喚いている。
見てろー、きっと彼氏作ってやるぅー。
「それよりさっさと行くわよ」
私はすぐに死神の力を呼び出していつでも仕事にかかれるように準備した。何度も言うが、時は金なりよ。
「そうだな、じゃあ今日のターゲットだけど……」
パッセルが何か言葉を言い掛けてぴたっと止まった。そのまま考え込むように動かない。
「どうしたの?」
私が尋ねると、ようやくパッセルが動いた。
「今、アルビテル様がから通信があって、ターゲットが変更になった。この仕事をやるかやらないかはお前にまかせるってよ」
またしてもイレギュラーな仕事のようだ。2度あることは本当に3度あるものなのだろうか。
「内容を聞かせて」
取りあえず受けるにしろ、断るにしろ、聞いてみないと分からない。
「今回のターゲットは中年の女性。この世に未練がありすぎて魂が飛翔せず腐りかけているらしい。このままでは亡者になりかねない」
それだけなら大した仕事ではない。それまでにも何度かやったことのある仕事だ。問題はこの後だろう。
「その女性の名前は白金涙」
パッセルが一瞬何を言ったのか私は理解できなかった。2年前までずっと頭に浮かんでいた名前なのに。
「お……母さん」
一体何に未練があるのか。自分の好きなように生きたくせに。
「どうする、この仕事受けるか。受けないなら、他の死神に行かせる。でも、あまりにも未練が強すぎて、今のままでは魂を消滅させるしか無いかもしれない」
何があったのだろう。2年前の私ならそのまま朽ち果てるのを望んだだろう。だが、今は一体お母さんの未練は何なのかが気になる。一緒に逃げた男とかだったりするかもしれないが。
「受けるわ。けじめ付ける。この仕事、アルビテル様が回してくれたんでしょ?」
そう、別の死神にこっそり行かせることも出来ただろうに、私に回してくれたのだ。それは多分、気持ちを整理するチャンスをくれたのだろう。
「了解。では行こうか」
パッセルは神妙な顔で飛び立った。私もそれに続く。昔の醜い気持ちが胸をよぎったが、すぐに振り払う。私は昔の私とは違う。アルビテル様がいて、パッセルがいる。一人じゃない。
小さなボロいアパートが見えてきた。どうもあそこが目的地のようだ。
子供を捨ててこんな所で私の母親は暮らしているのだ。一体何がしたかったのか。
「入るわよ」
私は一枚の扉の前に立ち、手をかざした。その手は簡単に扉を通り抜け、続けて体も通り抜けた。
扉を抜けると小さな玄関があり、すぐ向こうには六畳ほどの部屋がある。部屋の右側にはベッドがあり、そこに人が横になっていた。
「……あれが、私の母親」
子供の頃に分かれたため、顔もあんまり覚えていない。どんな声をしていたとか、どんな香りがしたとかとかは全く覚えていない。
「だれ? 鍵をかけ忘れていたかしら?」
弱々しい声が聞こえてきた。やっぱり知らない声だ。
もう死の世界に近づいているため、私の気配が分かるのだろう。
「貴方を成仏させに来ました。でも貴方は未練があるようだからこのままじゃ、魂が腐って成仏出来ないわよ」
私はゆっくりベッドに近づいていく。そこにはやせ衰えて力なく横になる女性がいた。
「……私には娘がいたの。小さい頃に捨ててしまったんだけど。もう二度と会う資格が無いのだけれど、一度だけでも話がしたくて」
女性はもうあまり目が見えないようで、虚ろな瞳で私の方を見ていた。
「捨てたんならもういらないんじゃないの? その子には会っていないんでしょう。そんな事のために苦しむのって馬鹿じゃないの」
そう、どうして今頃この人は私に会いたがるのだろう。今までほったらかしにしていたのに。
「会いたくて、何度もあの子の住んでいる家まで足を運んだわ。一度も声を掛けることは出来なかったけど。当然の事ながら、あの子は私の事を恨んでいたのよ」
会いに来ていたのだ。気づかなかったけど、この人は側まで来ていたのだ。
「どうしてその子を捨てたの?」
今まで聞きたくてずっと聞けなかった疑問を口にした。
「夫が亡くなってから寂しくて、辛くて、優しくしてくれた男性と一緒に逃げたの。今考えたら馬鹿なことをしたわ。その男性はしばらく一緒に暮らしたんだけど、すぐに別の女性の所に行ってしまったわ」
一気に話すのに疲れたのか、女性は一度大きく息を吸った。かなり弱っている。
「その後、あの子の元に戻ろうとしたけど、娘は妹にとても懐いていてね、楽しそうに暮らしている二人を見て、私はもう戻ってはいけないと思ったの」
それからはずーと一人で暮らしていたと、母は寂しそうに語った。
母は母なりに悩んだようだ。私を捨てて身軽になって幸せに生きていると思っていた人が、こんなに寂しい最後を迎えようとしている。
涙が出た。憎んで憎んで、会ったら殺してやろうとさえ思っていた人物が、自分よりよっぽど惨めで寂しい人生を送っていたのだ。
「……どうしたの? 私のために泣いてくれているの? でも大丈夫よ。娘の事は妹が時々教えてくれていたの。イチゴのねケーキが大好きだって言うから、誕生日には私が買って妹に渡していたの。そうしたら、毎年美味しい美味しいって食べてくれるんだって」
そう言いながら、母の目からも涙が溢れた。
あの毎年明ちゃんが渡してくれたケーキはこの母が買ってくれていた物なのか。なんだ、私はちゃんと愛されていたんだ。
どうしてもっと早く会えなかったんだろう。喧嘩しても良い、怒っても良かった。もっと早く会えていたら。
「……どうして、会いに来てくれなかったのよ」
思わず本音がぽろりと出てしまった。私の言葉に母はびっくりしたようにこちらを見る。
「……時子?」
母はベッドの上で必死に起きあがろうとしている。
「時子なの? 会いに来てくれたの? ごめんね。酷いことしてごめんね」
私は母に手を貸そうと、ベッドに更に近寄ろうとした。
「残念。この女は成仏させないわよー」
この前聞いたばかりの耳障りな声が聞こえる。
「アマータ!」
やたらと露出度高い服を来た悪魔が再登場した。
「出たな、ブス」
今まで遠慮して部屋の隅にいたパッセルが颯爽と飛んできた。
「来たわね馬鹿鳥! 焼き鳥にしてくれるわ」
何故か私は無視で、パッセルVSアマータの戦いが始まろうとしていた。
「その女の魂には悪魔の印が刻まれてるのよ。あんたに最後に一目会いたいって願いを叶えるのと引き替えに魂売ったのよ」
私は思わず母を見た。体から魂が出掛かっており、その魂には悪魔の印が刻まれていた。
「お前何もしてないじゃないか」
パッセルが怒って爪を光らせた。
「ふふん、急激にこの女を弱らせてやったじゃない。死神達はおかしいと思うでしょう? そこの小娘はアルビテルの眷属だって事だから、アルビテルの奴は絶対その小娘寄越すと思ったのよ」
勝ち誇ったようにアマータは胸を反らす。
「なんて事を」
この悪魔絶対に許さない。
「そこで取引よ。この女の魂を解放して上げるのと引き替えに、貴方の中のアルビテルの力を頂戴。なに、簡単な事よ。アルビテルの力をため込んでいるあんたの魂を喰らえば、ほんの一端だけどあいつの力が私の物になるのよ。それだけでもわたしら悪魔からすればとんでもない力になるのよね」
この私の魂を。何考えているんだろうこの悪魔。
「時子、聞くこと無いぞ。どうせお前の母親はもう長くない。お前の魂と引き替えに生きても絶対また後悔するぞ」
パッセルの言葉にアマータは鼻を鳴らした。
「いいの? せっかく母親に会えたのに。いいお母さんじゃない。その為に犠牲になるのって素敵よね。人間はこういう話大好きでしょ?」
ゆっくりと頭に霧がかかってくる。やばい、前と同じになっちゃう。
「時子、気をしっかり持て。心のどこかで自分を犠牲にして母を助けようとか考えていたら、操られるぞ!」
ダメダメ。私に何かあったら、明ちゃんが悲しむ。そして、アルビテル様もきっと悲しまれる。それはやっぱり嫌。
私は鎌をしっかり握りしめる。流されちゃダメだ。今度は自分の意志でこいつの術に勝つんだ。
「時子、私の事はいいから、逃げなさい。最後まで馬鹿な事してごめんね。怖がらずにお前に会いに行って謝れば良かったのにね」
母は自由にならない体を必死で起こしながら叫ぶ。
本当に馬鹿なんだから。どうしてそんなに不器用なんだろう。やっぱり私と似てるわ。
「大丈夫よお母さん。私はこんな奴に負けないから」
門から死神の力を引き出す。今までに無い量を呼び出していく。
「時子、そんなに力を使うな! さすがに指輪があってもヤバいって」
パッセルの慌てた声が聞こえる。
「この力はアルビテル様の力。私に害を為す訳がないわ」
そう、信じる。この力を私は使うことが出来るはず。
私の前で、アマータが怯んでいる。当然だ。私が振るうのは荒ぶる神の力。たかが小悪魔一匹相手にならない。
私は一歩踏み出した。それだけで目の前にアマータが迫る。一瞬のスピードだ。今までとは桁が違う。
「ちょっと、人間のくせになんで!」
アマータが悲鳴のような声を上げる。
私は無造作に鎌を払った。アマータの左腕が吹っ飛んだ。
「嘘、今までと全然違うじゃない! あんた向こうの世界に行っちゃう気?」
アマータは必死に私から逃げようとするが、スピードが違いすぎる、すぐに追いつくことが出来た。
そして、
「オイタが過ぎたようね。神に逆らう者は天罰が下るのよ。さようなら」
目を見開いたアマータに向かって鎌を振り抜いた。
「お前、悪魔を倒してしまったか。とんでもないな」
あっけなくアマータは消滅した。たった一部の力でこれだけの威力だ。アルビテル様の力ってどんだけ凄いんだろう。
取りあえず、さっさと門を閉じる。これ以上はさすがに危険だ。また寝込むんだろうなー。
私は力を閉じると母の元へ近づく。
母はもう魂が露出している。が、先ほどの悪魔の印は消えていた。
「印をつけたアマータを倒したから、所有者の付けた印も消える」
これで母は成仏出来るのだろうか、でも先ほどより更に魂の輝きが鈍っている。
「これはもう飛翔する力が無いかもしれない。それにまだ未練が消えてない」
おかしい。母は私に会いたかったのではなかったか。それがかなった今、もう未練はないはず。
「お母さん。まだ何か未練があるの?」
母は辛そうに私の方を見た。
「ダメね。もう一度会えればそれでいいと思っていたのに、会ったら会ったで貴女を置いていくのが辛くなる。人間って本当に欲張りね」
母は私を置いていくのが心配なのだ。それで成仏出来なかったら私が辛いよ。
「何とかならないのパッセル」
傍らのカラスも必死に思案を巡らせているようだが、良い答えにたどり着けないようだ。
その時部屋の隅でかすかな光が現れた。
「なんだ、魂の光?」
パッセルの言葉に私はその光に目を凝らした。眩しい、これが魂の光?
「かなり高位の人間の魂だ。強い力を持っている」
その光はゆっくり母の元にやってきた。
光が少し薄れて、人の輪郭が見えてきた。男性のようだ。
その人物を見た途端、母は驚きの表情を浮かべた。
「あなた……どうして」
光を纏った人物は母に手を伸ばした。母もつられて手を伸ばす。
「大分待ったからね。迎えに来たよ」
今ではかなり光が薄れて男性の顔もはっきり見えるようになっていた。どこかで見た顔。
「……お父さん?」
そう、写真に写っていた男性、私の父の顔にそっくりだった。
「時子、有り難うね。お母さんを助けてくれて。立派になったね」
お父さんはゆっくりと私の方を向いて微笑んだ。ああ、写真で見た笑顔そのままだ。
「寂しいだろうけど、お母さんは連れていくね。魂の力が弱っているから、一人では飛べなくなっている。だから私が支えて一緒に飛んでいくよ」
そういうとお父さんは、お母さんの体と魂を指さした。
「時子切ってくれるかい?」
そう、今ならお父さんがいる。私はお母さんの魂を体から切り離した。
「ありがとう、時子」
「元気でね、時子」
お父さんの声とお母さんの声が聞こえた。次の瞬間にはお父さんの魂は再び眩しい光を放ちながら力強く飛翔していた。その傍らには弱っているお母さんの魂が寄り添っている。
「いつかまた会おう」
最後にお父さんの声がして、その場は急に暗くなった。いや、元に戻ったのだ。
傍らのベッドにはお母さんの冷たくなった身体がある。
「良くやったな。時子。良かったな」
パッセルが羽で肩をたたいて喜んでくれている。まさかお父さんにまで会えるとは思わなかった。いろんな事がありすぎて、頭が飽和状態になっている。
お母さんの部屋から出て、私とパッセルはとぼとぼと家に向かって歩いていた。
「全く、次から次へと世話の焼ける。やはり私がついていないとそなたは駄目だな。うん、駄目だ」
しばらくぼーっとしていたら、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「アルビテル様」
アルビテル様の姿を見たら、緊張の糸がぷっつんと切れて涙が止まらなくなった。嫌だな、私。格好悪い所ばかり見られてる。
「そなたはよく泣くな。だから放っておけないんだ」
さっきから気になる台詞をバンバン言ってるなと、泣きながらでも突っ込んでしまった。
「あの、アルビテル様ごめんなさい。色々ご迷惑かけちゃって」
取りあえず、またしても謝っておこう。忙しいのに度々降りてきてくれるんだから。
「アルビテル様、時子はやりましたよ。悪魔に勝ったんですよ」
横でやんややんやとパッセルがはやし立てる。
「そうだな、良くやった。本職の死神でも手を焼く悪魔を倒すとは、たいしたものだ」
アルビテル様に誉められると何だか照れくさい。
「こんなにお転婆なら普通の男では手に余るだろうな」
えーっと、さっきから何だかアルビテル様が自分に言い聞かせているように聞こえるんですけど。
「アルビテル様? なにをおっしゃてるんで?」
さすがにパッセルも気づいたのか、アルビテル様に問いかけた。
「つまり、そなたの彼氏が普通の人間に務まるとは思えないのでな。そう、例えば力が強い者だとか、地位のあるものだとか、そういう者でないとな」
意味不明なアルビテル様の態度と言葉に助けを求めようとパッセルを見たら、ものすっごい苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「あの、アルビテル様。言いたいことあったらハッキリおっしゃったほうが宜しいですよ。さっきから全然時子に伝わってません」
パッセルの冷たい言葉にアルビテル様ははっとした顔をする。
え、私なんか悟らないといけなかった?
「そうか、そうだな。つまりだ……あー、もう」
目の前でアルビテル様が苦悩している。こんなとこ見るの初めてなので、どう反応したらいいのか分からない。
そうこうしているうちに、落ち着いたのか、アルビテル様が私の方を向いて、深く息を吐き、
「つまりだ、時子。私と付き合え」
ストレートにのたもうた。
「うわ、直球」
向こうでパッセルが仰け反っている。
え、付き合う。それって私がアルビテル様の彼女になるって事?
今までそんなの予想もしていなかった事だけど、よく考えたら凄く嬉しいかも。初めて会ったときから、存在が偉大すぎて無意識に恋愛対象から外していた人なんだけど。
「アルビテル様が、私の彼氏?」
私のつぶやきにアルビテル様が力強く頷いた。
え、マジで。いきなり有名人に告白された気分。
「駄目か?」
不安そうな顔のアルビテル様が何だか可笑しい。初めて見た。
「よろしくお願いします」
この人が対抗馬だったらそんじょそこらの男じゃ相手にならないわ。私は可笑しくて笑い出してしまった。
そんな私の様子にアルビテル様がまたおろおろしている。
「良かったじゃないですか、アルビテル様。OKですって」
アルビテル様の肩の上で、パッセルが嬉しそうに踊っている。
全ての重荷が一遍に無くなって、急に軽くなったような気がする。やっと新しい気持ちで歩いていけそうな気がしてきた。
これからまた賑やかに楽しくなりそうな予感がして、ちょっとわくわくしている。
お母さん、お父さん。私はもう大丈夫。元気でやるから心配しないで。
……そっち行ったらまた会おうね。
「時子、浮気はしていないだろうな」
携帯電話からいつもの決まり文句が聞こえてくる。
「大丈夫だって、私はアルビテル一筋でしょ?」
あれからたまに電話がかかってきてたわいない話をするようになった。私の一言に向こうで照れたような気配がする。
後で聞いた話だが、アルビテルは私に出会ったときから私の事が気になって仕方が無かったらしい。でも、私の方が問題有りで恋愛どころではなかったので、ずっと見守ってくれていたらしい。もう、良い人過ぎる。
「今度、休みを取るから、えーとあの有名な遊園地に行こう」
一生懸命言い出す彼が何だか可愛く思えてしまう。
「海の近くのあそこですね。やった初デート♪」
最近は毎日が楽しい。もちろん、死神のバイトも続けている。
お母さんは明ちゃんと一緒に弔った。明ちゃんにお母さんと会ったことを告げると明ちゃんは涙を流して喜んでくれた。ずっと気にしてくれていたらしい。ごめんね、明ちゃん。そして、有り難う。
「いかん、もうこんな時間か。そなたはもう寝る時間だろう。明日も学校だから、ちゃんと寝るのだぞ」
生真面目な事を言って、アルビテルは電話を切った。
うーん、そうだ明日も学校だった。もうそろそろ寝よう。
バイトはあるだろうか、そういやパッセルにも彼女出来たって聞いたな。今度会ったらからかってやろう。
私はうんと伸びを一つする。
外はしーんと静まり返っている。
ゆっくりとベッドに入って照明を消した。
今日もいい夢見れますように。
おやすみなさい!
結構短めなんですが途中、ちゃんとまとまるか不安でした。
何とか最後はまとまって一つの作品になって良かったです。
書きながらストーリー考えるタイプなので、出来上がるまでどうなるか、本当に分からなかったです。
でも書いてて楽しかったです。