厩舎に住む猫
冬の童話祭2015参加作品です。初参加です、よろしくお願いします!
ある北の王国のお城に、とても立派な厩舎がありました。特別に選ばれた素晴らしい馬を育てていて、王様やお妃様の乗る馬も、代々ここで生まれた中から選ばれます。
それ以外の馬たちも、大事なお役目を持っています。馬たちは毎日厩番にブラシをかけてもらい、鞍をつけ、騎士と共に訓練をします。敵が攻めてきたときに、騎士を乗せて勇敢に戦うためです。
訓練が終わったら、馬たちは再び厩舎に戻ってきます。ひづめから土を落としてタールの入った油を塗ってもらったり、暑い日には身体も洗ってもらったり。もちろん、飼い葉もたくさん食べます。
その日も、訓練を終えた一人の騎士が愛馬と一緒に、厩舎に戻ってきました。お城の騎士団に配属になったばかりなので、他の騎士たちに遠慮して一番最後に入ってきたのです。
厩番に馬の手綱を渡し、騎士はふと、足下を見ました。
「お、猫だ」
厩舎から、一匹の猫が出ていくところでした。黒地に銀色の縞模様、鼻面から腹にかけては白。赤い首輪。よく運動していそうな、しっかりした身体つきの猫です。金色の目をちらっと騎士に向けはしましたが、すらりとしたしっぽをゆったりと動かしただけで、さっさと建物の裏手の方に歩いて行きました。
「綺麗な猫だなぁ……」
騎士はその猫を、じっと見送りました。厩舎には他にも猫が住んでいますが、特別その猫からは目を離せなかったのです。
その場から動かない騎士を見て、厩番が笑って言いました。
「お気に召しましたか? でも、連れて帰ってはだめですよ」
「わかっているよ」
騎士も笑いました。
馬の飼料を狙ってねずみがやってくるため、厩舎ではねずみを捕るために猫を飼っています。つまり、騎士や厩番と同じく、お城の平和を守る大事な働き手。いなくなっては困るのです。
「今の猫、名前は何と言うんだい?」
騎士が聞くと、厩番は答えました。
「テピ、と呼んでいます。雌猫です」
「テピか。ここに来る楽しみが増えたな。よし、今度はテピに何か土産を……」
「食べ物はだめですよ。ねずみを捕らなくなってしまいます」
厩番にあっさりと言われ、騎士は頭をかきました。
「そうだった……。うーん、食べ物がだめなら、何で仲良くなればいいかな。うーん」
首をひねりながら厩舎を出ていく騎士を、厩番は笑顔で見送ります。
「騎士様は本当に、猫がお好きなんですね。お疲れさまでごさいました」
その日から、騎士は訓練にやってくると必ず、テピの姿を探すようになりました。厩舎に住むテピは、馬はもちろん人間を怖がることはありません。気ままに厩舎を出入りしては、たまに厩番や騎士たちに撫でてもらっています。でも、テピが姿を現すと真っ先に撫でに行くのはあの騎士でした。
テピは有能な猫で、仕事ももちろんきっちり果たします。ねずみを捕まえては、厩番の休憩所の扉の前に並べて置いておくので、厩番はよく踏んづけそうになるのでした。
ある日、訓練の前にも後にもテピの姿が見当たらなかったことがありました。騎士があたりを探すと、猫の威嚇の声と鳥の羽ばたきが聞こえます。駆けつけてみると、テピは厩舎の裏手の林でカラスとの喧嘩の真っ最中。カラスを追い払うと、テピは前足に怪我をしていました。
厩番たちは、仕事で忙しい時間。騎士が見つけなければ、テピはもっと大きな怪我をしていたかもしれません。
「テピ、騎士様に見つけていただいて良かったなぁ」
手当をしながら厩番が言うと、テピは騎士を見上げて短く「にゃん」と鳴きました。
「お前、鳴き声も綺麗だなぁ」
騎士がうっとりと言うので、仲間の騎士たちが面白がってからかいます。
「やめておけ。城の厩舎に住むことを許された、いわば猫のご令嬢だぞ。高嶺の花だ。なあ、テピ?」
「でも、お前が本気でどうしても譲り受けたいと言えば、どうにかなるんじゃないか? なあ、テピ」
「いや、そういうんじゃないんだ」
騎士はきっぱりと言います。
「テピは立派な仕事をしている。その誇り高い姿が綺麗なんだ。邪魔したくない」
こりゃ「本物」だ、と仲間たちは笑うのでした。
それから何年か経った、ある春。
隣の国との間に、戦争が起こりました。お城の馬場で訓練していた騎士たちは、次々と戦いに出ていきました。
厩舎の中はすっかり寂しくなってしまいましたが、それでも馬はまだいますし、ねずみも出ます。猫たちはきちんと、自分たちの大事な仕事を果たしていました。もちろん、テピも。
夏が過ぎ、秋になり、そして冬を迎える前に、戦争は休戦となりました。どちらの国も、寒さの厳しい冬に戦い続けることは無理だったからです。
戦いに出ていた騎士たちが次々と帰ってきて、厩舎に愛馬を預けにきました。
しかし、あの、テピのことが大好きな騎士は、姿を見せません。
「きっと、戻ってくるよ」
仲間の騎士たちは、テピにたびたび声をかけましたが、テピは相変わらずしっぽをゆったりと動かすだけ。
そんなテピも、ずいぶん年を取りました。相変わらず美しい猫でしたが、以前ほどは毛並みにつやがなくなり、ふざけて厩舎の壁によじ登るようなこともしなくなりました。
そしてその冬、テピはとうとう、目の前を横切るねずみを追いかけても、追いつくことができなくなりました。
「テピもそろそろ引退か。長い間、お疲れさん」
厩番たちはテピを優しくねぎらいます。
「後は他の猫に任せて、お前はここでのんびり暮らすといいよ。今までずっと頑張ってきたんだから」
テピは耳をピクピク動かし、じっとそれを聞いていました。それからいつものように、厩舎の見回りをしに立ち去っていきました。
テピの姿が見えなくなったのは、それからしばらく経ったあとのこと。お城の馬場には、その冬最後の粉雪が舞っていました。
長い冬が過ぎ、ようやく陽射しが暖かくなってきました。草原は白や黄色の花々で色づき、川の氷も解け、水鳥のひなが水辺で遊びだしました。
お城から少し離れた、とあるお屋敷にも春が訪れました。門に絡まった蔦に花がいくつも咲いて、とても華やかです。
「あぁ、ようやく我が家に帰って来れた」
門の前で馬車から降り立ったのは、一人の騎士。あの、テピのことをとても可愛がっていた騎士でした。
先に降りた従者が騎士に手を貸し、そして松葉杖を渡します。彼は戦争で大怪我を負って、ずっと国境の近くの病院に入院していたのです。国境付近は雪が深く、冬の間は動けなかったのですが、春になってようやく帰って来れたのでした。
「ご両親もお喜びでしょう」
従者が言うと、騎士は苦笑してちょっとうつむきます。
「どうかな。この足ではもう戦えない。私は、役立たずになってしまった息子だから。……これから、どうして生きていけばいいのか」
その時。
するり、と何かが騎士の足下を通り抜けました。
「あっ」
騎士は目を見張りました。
黒い毛に銀の筋、金の瞳の猫。前足には毛の生えていない部分があり、怪我の跡だとわかります。──テピです。
騎士は松葉杖にもたれて、テピの方にぐっと顔を近づけようとしました。
「テピ! テピじゃないか、久しぶりだな! どうしたんだ、お前が厩舎以外の所にいるのなんて、初めて見たよ」
テピは騎士を見上げて、澄んだ声で「にゃあ」と一声鳴きました。まるで、「おかえりなさい」と言っているようです。
「おや、こんな所にいたとは……無事で良かった」
従者はテピを見て目を見張ると、騎士に言いました。
「テピは年を取ったので、厩舎の仕事を引退したんです。後はのんびりさせてやろうと思ったら姿を消してしまったそうで、厩番たちも騎士たちも心配していたんですよ」
テピは門に近づくと、屋敷の方を向いて門の前に座りました。そのまま、じっと動きません。
「開くのを、待っている感じですね」
従者の言葉に、騎士はハッとしたように言いました。
「そうか。私がなかなか戻ってこなかったから、テピはずっと待っていたんだ。ここで」
騎士は松葉杖を使って門に近づくと、自ら門を開きました。
「待たせたな、テピ。今日からここが、お前の家だ」
テピはすっと立ち上がると、落ち着いた足取りで中に入っていきました。
「当然のように入っていきましたね」
従者が笑い、騎士も明るく笑いました。
「役目を終えた後の余生を、私の側で暮らすことにしたのかな」
もしかして、テピは本当は、危ないところを救ってくれた優しい騎士と早く一緒に暮らしたかったのでしょうか。でも、大事な役目があったから、役目を終えてからにしようと決めていたのかもしれません。それなのに、いざその時になってみたら騎士が行方知れずになっていて、テピはずっと騎士を待っていた……
騎士はそんな風に思いましたが、従者に笑われそうなので口にはしませんでした。代わりに、こう言いました。
「……戦えなくなったからと言って、くよくよしている場合じゃないな。テピの仕事ぶりは尊敬に値した。彼女にならって、私も私にできることをやらなくては。彼女をずっと大事に養っていくためにもね」
騎士はひとつうなずくと、従者と共にテピを追って、花に彩られた門の中に入っていきました。
その後。
騎士をやめた彼は、魚を養殖したり加工したものを売ったりする会社を始めました。商品は評判になり、たくさんの人を雇うようになり、皆が喜びました。お城の王様も、お客になりました。
テピは彼のそばで、美味しい魚を食べ、ゆったりのんびり暮らしたということです。
【厩舎に住む猫 おしまい】