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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

啼く鳥の謳う物語

俺の先生

作者: フタトキ

 待ち合わせはいつも通り、駅前から少し複雑に進んだ場所にあるカフェだ。

 時間もいつも通り、11時。


 角に位置する二人用の席。彼はソファー側に座り、柱に凭れながら中庭を見詰めている。

 いつも通りだ。

 しかし、前回と違って半袖半ズボンと涼しそうにしている。眠そうに目をゆっくり開閉し、両手を膝の上で組んだりほどいたり。

 これは眠らせてあげた方がいいかな。

 少し距離を置いて眠るのを待とうかと思えば、その前に彼に気付かれてしまった。

「あ、加賀(かが)先生!」

「こんにちは」


 こんにちは、由宇麻(ゆうま)君。



 3年程前から私と由宇麻君は2ヶ月に1回の頻度で折り合いを付けては、こうしてカフェで会っている。

 カフェで他愛ない会話をしながら昼食を取り、その後は別に何をするかは決めていない。

 そのまま別れたり、博物館や水族館に行ったり。都合が合えば、オールナイトでカラオケと言うのもあった。

「この前由宇麻君がくれた抹茶モンブランケーキ、凄く美味しかったよ。あれ、どこの?」

 無地の白い紙袋に無地の白い箱。レース模様のビニールが巻かれた由宇麻君からの私の誕生日プレゼント。

 抹茶モンブランケーキはモンブランの甘さを濃厚な抹茶が抑え、豆乳クリームが時折舌を楽しませる。ケーキの和洋折衷みたいであった。

「気に入ってくれたん?」

「うん」

「ホンマに!?」

 思わぬところで由宇麻君はとても喜んだ。

 冷静沈着……大人へと成長した由宇麻君にも、まだちゃんと笑う心がある。昔に戻ったみたいで胸の内がほんわかと温まった。

「あれ、じっちゃんが俺の為に作ってくれたケーキなんや」

 由宇麻君のおじいさんは小さかった由宇麻君を単身で育てた素晴らしい人だ。確か、大阪で和菓子屋さんをしていたような……。

「じっちゃんのレシピ帳の中に俺の為に作ってくれたケーキのレシピもあって、じっちゃんのお弟子さんの渡瀬(わたせ)さんがそのレシピをくれたんや」

「てことは、あのケーキは……」

「俺が作ったんや」

「凄い!」

 あの美味しいケーキを由宇麻君は自分で作ったのだ。

 感動しかない。

「ケーキ、凄く美味しかった。ありがとう、由宇麻君!」

 と、私は興奮のあまりテーブル越しに由宇麻君を抱き締めていた。

 その体勢で5秒ぐらい。

「あの…………加賀せんせ……ここ、公共の場所…………」

 それから5秒後、彼の言葉を私はやっと理解した。


 私は由宇麻君を放し、周囲に軽く一礼して席に座った。




「加賀先生、もうええやんか」

「だけど……」

 嗚呼……いい大人が恥ずかしい。公共の場所で、人前で、私は女子高生じゃないんだから。

「皆、俺達のこと親子みたいに思てたようやで?ウエイトレスさんが『何かいいことあったの?お父さん、とても嬉しそうだね』って耳打ちしてきたから」

「……え?」

 由宇麻君とは精々、10才ちょっとの差で…………。

「俺の童顔が役に立ったってわけやな」

 へへんと背中を逸らして私を見上げてくる由宇麻君。持病で下がった視力の為にしている眼鏡越しだが、彼は彼の言う通り、童顔だ。枯草色の細い髪をさらさらと風に揺らし、由宇麻君は軽やかなステップで公園の石畳を進む。

「先生、今日、俺の家に招待したいんやけど」

「え!?いいのかい!?」

 由宇麻君の家――すなわち、由宇麻君の私生活は担当医だったことと、彼が私の特別な人であったことも含めて、気になる。

「招待なんやから、いいんや。それに、加賀先生に一度、俺が過ごしてる家を見て欲しかったんや」

「なら……」

「その前に、プリクラやってみたいんやけど。ええ?」

 プリクラとは写真撮影を若者向けにしたアレなのだろうが。

「デートにはプリクラが必須やて……会社の同僚が言ってたから……」

 由宇麻君が赤面している。それにさっき、デートって……。

「由宇麻君、彼女できたの?」

 訊けば、彼は俯いてしまった。小道の真ん中でぽつんと固まっている。

「え……っと……由宇麻君?」

「……か、会社の同僚でな、部署違うんやけど、飲み会で席が隣になったことがあったんや……せやから……そうゆう仲なんやけど…………」

 赤裸々に出会いについて語ってくれるとは。

 由宇麻君はやっぱり成長しているんだ。

「これからアタックするんだね?」

「…………そー……なるわな……」

「じゃあ、プリクラしに行こう。私もプリクラは初めてだ」

「ホンマ!?」

 ホンマ、ホンマ。

 急に笑顔になる由宇麻君を見るのは私も心が躍る。

「行こう!加賀先生!」

「ああ」


 由宇麻君は昔も今も可愛いなぁ。






 加賀先生は優しい。


 俺の傍に居てくれる。


「先生は約束、ずうっと守ってくれてるんやなぁ……」

 何だか不思議な気分だ。保護者のように俺を見守っていた加賀先生が俺より先に酔い潰れてしまっている。

 肩を竦めてソファーの隅で微かに寝息を発てている先生。

佐藤(さとう)先生が迎えに来てくれるって」

「ぅん…………」

「加賀先生、寝るならソファー使ってええから、座ってたら辛いやろ?」

「ぅん…………」

 加賀先生がもぞもぞと体を動かす。俺は寝やすくなるよう肩を支えてソファーに寝かそうとした。

 でも……。

「…………加賀先生……白髪あるで……」

 1本、見えた。

 ただの1本。

 なのに、目が離せなくなった。


 俺の目線も変わらない。

 俺の背丈も変わらない。

 俺の手のひらの大きさも変わらない。


 なのに、先生は……変わった。


「そんなの当たり前やろ……」

 加賀先生の時間は流れていて、俺の時間は止まっているんだから。

 二十歳の時から時間が止まっているんだから。

 でも、成長を止めたのは俺で……だから、後悔はしてはいけないんだ。それに、あの時、もし俺が彩樹(あやき)君に頼まなければ、その場で俺は死んでいた。

 加賀先生の「おはよう」も聞けず、何も恩返しできずに。

 でも、だけど……――

「苦しい……加賀先生」

 こんなことを考えちゃいけない。

 この苦しさも痛みも、俺が生きる代償。運命に逆らって生きる罪と沢山の者を見送らなくてはいけない罰。全て受け入れたはずなんだ。

 彩樹君にちゃんと聞かれた。「それでも生きたいか?」と。

 俺はそれに答えた。「生きたい」と。

 だから、俺は生きるんだ。

 苦しくても痛くても。





 インターホンを押した佐藤は、予想外にも酔い潰れていたはずの加賀がドアを開けてきたことに驚いた。

龍士(りゅうし)?お前……」

「佐藤さん……休みに迎えに来て貰ってすみません」

「いいさ。でも、由宇麻君は?」

「……少し、機嫌悪くさせちゃったみたいで。いつの間にか丸くなって床で眠っていたんです」

 目を伏せ、加賀が肩を落とす。佐藤はその肩を、由宇麻の家の玄関に入りざまに抱き締めた。

「あの……佐藤さん?」

「由宇麻君のこと心配だな」

「……はい」

 額を佐藤の胸元に付け、加賀は彼の背中に腕を回す。



「由宇麻君をベッドに運ぼう」

「あの……佐藤さん……由宇麻君を寝室に運ぶのはちょっと…………」

「ん?龍士?」

 由宇麻を背負った佐藤は加賀を振り返る。佐藤に見詰められた加賀は気まずそうに俯いた。

「どうかしたか?ソファーよりベッドの方がいいだろ」

「…………由宇麻君の寝室には……私の姉の名残が…………」

「お前のお姉さん……姫野(ひめの)ちゃんの名残……」

「由宇麻君にとって、寝室は神聖な場所に違いありません……だから、入れば彼の逆鱗に触れることになる……そう思うんです」

 食卓用椅子に座った加賀は眉間を揉んで小さな声で喋る。

「そうか…………」

 佐藤は由宇麻をソファーに寝かせると、加賀の向かい側の椅子に座った。

「佐藤さん、由宇麻君が起きるまでここで待っていてもいいでしょうか?」

「俺も待つ」

「え……ですが……」

「由宇麻君が心配なのは俺もだ。それに、何かあった時は1人より2人だろ?」

 ぽんぽんと加賀の頭に軽く触れ、佐藤は後頭部に回した手のひらで加賀を自分へ寄せる。

「佐藤……さん?」

 テーブルに手を突き、佐藤に顔を近付けた加賀。そして、彼は首を傾げる。

「あの、佐藤さ――」

「喋るなよ、龍士」

「んっ!?」

 触れ合う二人の唇。

 佐藤の加賀を引き寄せる手に力が隠る。加賀の黒髪を鋤く指。

 その時、加賀の目が見開き、佐藤の胸を押した。

「ん……ぁ……やめてください」

「どうして?」

「ここは由宇麻君の家で……!!」

 仰け反り、席を立った加賀の逃げ道を佐藤が素早く塞ぐ。

「佐藤さん!なんっ……」

「嫌だ。お前の心が辛そうだ」

「ちょ……放してくださいよ!」

「じゃあ、何故、お前はそんな顔をしている?」

 佐藤は加賀の腰を抱き寄せたまま放さない。

「わ……私は…………」

「由宇麻君も姫野ちゃんも……お前は我慢し過ぎなんだ。今、お前は痛みを必死に我慢している……そんな顔をお前はしているんだ」

「私は……」

「泣けよ!泣いてくれよ!龍士!」

「でも……由宇麻君も姐さんも泣けないんだ。だから、私が泣くことは許されない……」

「何だよそれ!お前が笑ってくれるから由宇麻君も笑うんだ!お前が泣かないと由宇麻君だってきっと泣けないだろ!」

「………………」

 佐藤の必死の言葉に加賀は無言。

 ただ、佐藤の肩に目尻を押し付けて微かに震えていた。





 俺は欲しかった。

 家族が欲しかった。

 優しく頭を撫でる手の温もり。

 そんなものが欲しかったんだ。

 そんなものでいいから……欲しかったんだ。


『由宇麻君、おはよう』

『おはよう!加賀さん』

 おはよう、姫野(ひめの)さん。


 あなたは毎朝俺に挨拶をしてくれた。

 なのに……なのに……!!


『……おはよう……由宇麻君』

『おはよ…………え……』

 その日、朝の挨拶をしてきてくれたのは姫野さんじゃなかった。

 そして、俺は窓の外の騒がしさに気付いた。知らない看護師の苦痛に歪んだ顔にも。


 俺は自殺する直前の姫野さんの最も近くにいながら、ぐーすか寝ていたんだ。

 「おやすみ、由宇麻君。また明日ね」と俺の頭を撫でた手の温もりを「おやすみ!」と信じて疑わずに……。



「んん……ぅ…………温い…………」

「おはよう、由宇麻君」

 …………佐藤先生?

「あの……」

「勝手に朝ご飯作っちゃったんだけど」

 佐藤先生が俺のひらひらエプロンを着こなしてる。

 佐藤先生って白衣もフリルたっぷりエプロンも似合うなぁ。

「それは全然構わないんやけど……ええの?」

「ん?」

「病院は?」

「午後からあるよ」

「そう…………あの……加賀先生は……」

「退かしちゃうの?由宇麻君が龍士に頼んだのに?」

 マジで?

 だから加賀先生に抱き締められて狭いソファーで俺達は寝ているのか。

「寝言で『先生、抱っこ』って。龍士が流石に抱っこはできないからって、『くっついて寝ようね』だってさ」

 何それ……俺も加賀先生も恥ずかしい人。

「変わらないよな、龍士は」

 “中身は”変わらない。

「……せやな。佐藤先生も変わらへんしな」

「そう?」

「加賀先生に一途やんか」

「んー?……一途って言うのかなぁ」

「?」

 フライパンで目玉焼きを焼いた佐藤先生は考える素振りをしながら、それらをフライ返しで皿に移す。

「加賀先生のこと好きなんやないの?」

「付き合ってるけどね」

 …………え?そうなの!?

 友達って意味の好きじゃないの!?

「付き合ってるけど、龍士は……どうなんだろうなぁ……」

「………………加賀先生、佐藤先生のこと好きやろ」

 友達としては絶対に。恋愛としてはどうかだけど。

「俺、龍士が分からないんだ」

「分からない?」

 加賀先生は優しい。そうやろ?

 先生は――先生だけは、どんなに時が経っても変わってくれない。

 俺との約束を忘れてくれない。

 離れてくれない。

「なぁ、由宇麻君。君は龍士の大切な人だ」

 知ってますよ。

「だから…………」

「俺は怖い。先生は俺にとっても大切な人や。せやけど……先生は俺との約束を守って……それは俺に縛られるってことやろ?」

 “傍にいる”

 俺は成長しない。俺の時間は止まっている。

 そんな俺の傍にいるってことは人生を奪われることでしかない。

 昔の約束なんだ。

 餓鬼だった俺との約束なんだ。

 律儀にずっと約束を守って……。

 忘れてよ。もう忘れてくださいよ、加賀先生。

 俺から求めた約束だけど、加賀先生がいつまでも引き摺るものじゃないんだ。


 今更、俺の罪が加賀先生を苦しめるんだと気付いた。


「それは違うよ」

「違う?」

 違わなくない。

「龍士は由宇麻君のことが好きなんだ。俺より由宇麻君のことが好きなんだ」

 嗚呼……昔、加賀先生に俺と佐藤先生のどっちがより好きか聞いたことがあったな。でもあれは戯れみたいなものみたいなものだ。

「龍士は由宇麻君が大切で、君の存在が龍士を支えてくれているんだよ」

 俺が先生を支えている?

 俺はそんな凄い人間じゃないよ。

「龍士は由宇麻君に会えることをとても喜んでる。この前は誕生日ケーキ貰ったっておおはしゃぎだったんだ」

 昨日もハグされたし。

「信じられないなら、龍士に聞いてみなよ」

 佐藤先生はエプロンを外して丁寧に畳んでもとあった棚の上に置くと、俺を抱き締めて眠る加賀先生の頭に触れた。髪を鋤くようにいとおしそうに。

 佐藤先生って本気で加賀先生が好きなんだ。

「ん…………ゆう……ま君……」

「ほら、龍士は由宇麻君が大好きだろ?」

「…………佐藤先生、早く加賀先生起こしてや」

 分かったから。…………俺、いつまで抱き枕なんだろう。

「はいはい。龍士、起きろ」

「え……あ…………佐藤さん?」

「午後から病院だろ。早く起きないと龍士が抱き締めてる由宇麻君の目の前でおはようのキスすんぞ」

 やっぱり、佐藤先生はマジでガチだ。だけど、本当に目の前でキスされたら、加賀先生の担当患者だった俺が居たたまれなくなるからやめてほしいな。

「由宇麻君のお家で何言ってるんですか!」

 ま、赤面の加賀先生が見れたからいいや。

「加賀先生、放してくれへんと俺がキスするで?」

「由宇麻君まで!」

 からかう俺に眉を寄せながらも、すぐに許してくる加賀先生。先生は俺がどこかで怪我しないように俺の頭をそっと支えながら起こしてくれる。

 もう子供じゃないのに。

「由宇麻君、おはよう。よく眠れた?」

 …………姫野さんが亡くなったあの日の夢を見た。

 でも、大丈夫だ。

 姫野さんのお守りがあるから。

「先生のぬくぬくでよく眠れたわ」

「……苦しくなかった?」

「ぬくぬくは別に苦しくあらへんやろ」

「だね」

 ちょっぴり子供みたいに笑う先生。こんなに近付いたのは久し振りだから、加賀先生の体臭がなつかしいかも。

「佐藤特製ボリュームたっぷり朝御飯を食べるぞー」

「はーい」

 佐藤先生が作ったご飯を食べるなんて初だ。

「その前に、手ぇ洗えー」

「はーい、佐藤先生」

 加賀先生が洗面所へ向かう俺の後ろから付いてくる。


 なんだか、昔に戻った気分だ。






『先生……抱っこ』

『いいよ。おいで。くっついて寝よう?』

『先生のこと……大好き』

『私も大好きだよ』


 暫くすると、君は私の肩に頬を押し付けて寝息を発てて眠りについた。




 おやすみ、由宇麻君。

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