【2】れいちゃんに 赤い花束を
「かあさん、今週末、子供連れて泊まってもいい?」
と娘から連絡があったのは12月も残すところあとわずかとなった頃。三連休前の前日だった。
受話器を取った「かあさん」であるところの尾上加奈江は問う。
いいけれど、と言いかけて、問うた。「ご主人は?」と。
すると、ひとり娘の裕からはこう返ってきた。
「仕事でね、ホントは今頃帰国できたはずなんだけど、どうしても週明けまで動けないんですって。お正月には間に合うだろうって言ってたけど、それ聞いたら娘がすねちゃって」
「あら、ご主人追いかけて出かけないの?」
娘である裕は海外と日本を往復することが多い夫について現地で暮らした経験もある。もちろん孫娘である愛美を連れてのこと。娘夫婦にとってはクリスマスは大切な日として君臨していたから、無理をしてでも家族で過ごすようにしていた。旦那が出張などで動けず、娘が日本にいる時は学校から空港へ直行したこともあるくらいで。
「かあさん、それはあの子が幼児だったころまでの話。出かけるといっても海外は遠いし、飛行機代もバカにならないし。あの子も今年から中学でしょ。チケットは大人料金だし、自分から冬休みの講習会へ行くって言って予備校に申し込みしてきたんだから、きちんとお休みせず通ってもらわないとね」
受話器から一瞬声が遠退いたので、おそらく、後ろで聞き耳をたてているであろう孫娘にきかせるように言っているからだろう。
「いつものように、慎一郎さんのところでみんなとは過ごさないの?」
「うーん、それも考えたんだけどね、マナがね、おばあちゃんにききたいことがあるから家がいいって言うの」
「わかったわ、おとうさんが聞いたら喜ぶでしょう。来る前にでもひとこと電話入れてちょうだい」
「うん。よろしく」
ぷっつりと電話は切れた。
◇ ◇ ◇
娘が嫁いで干支を一巡以上過ぎたことを、孫娘の成長から実感する。
まだまだ小さいと思っていた孫が、もう中学生だ。
背も今では母親と並ぶ勢いでもう少し伸びることだろう。
加奈江と裕はほぼ同じくらいの背の高さ。三人立つと横並びになる。
昨今の子供は成長がはやいというけれど、何もそんなに早く大人にならなくてもいいのに、と思ってしまう。
父親はもちろん、おじいちゃんである政がこれまた溺愛している。
誰に対してどう甘えたらいいか心得ている孫は、男ふたりの扱いがとにかく上手い。
数日泊まる予定でバッグいっぱいにあれもこれもと持ち込む辺りはまだ子供子供している。
「おじいちゃま、お世話になりますう」
にぱっと笑って玄関から駆けてきた孫に、夫である政はつとめて平静を装っているけれど、だらしなく下がった目尻は隠せない。
猫は、にゃんこはどこ? と聞く孫娘に、コタツの中にいるわよ、と答えながら、娘である裕に加奈江は言った。
「思ったより早く来たのね」
「マナが少しでも早くおばあちゃんに教わりたいことがあるっていうから」
ねえ、と隣の娘に語りかけながら裕は答えた。
「まあ、なんでしょ」
「あのねあのね」
愛美は大きなバッグをごそごそと物色し、じゃあん! と言いながら毛糸玉と編み針を出した。
「おばあちゃん、編み物、おしえてくださあい!」
「編み物」
これはまた。
ずいぶんと懐かしいことを言ってくるものだ。
ここしばらく編み針なんて持ったこともなかった。
結婚した当時や子供が小さかったころは季節ごとにセーターや小物を編んで家族に着せていたっけ。
昔は毛糸はかせになっているものが多かったから、まず毛糸玉にまとめてからでないと編み始められない。よく夫の両手にかせをかけてくるくると、毛糸を丸く玉にした。いわゆる『かせぐり』というやつで、ただかせを持っているだけでは糸がからまりやすく、巻くタイミングに合わせて相手方もかせごと腕を動かすと効率よく短時間で仕事ができた。合わない相手だととことん合わず、糸は絡まり放題となるわけだが、政とは不思議とウマが合い、絡まって困ったことはほとんどなかった。
最近では編み物に限らず手芸全般から遠ざかっていた。
でも、変ね。加奈江は思う。
子供の頃から母親の手仕事を見てきた裕はとかく母の後を追いたがり、当然ながら手芸は受け継がれ、彼女もそこそこのものを作れるはずだ。
当然、わざわざ祖母の力を借りなくても教えられそうなものだが。
「私は棒針編みが多かったから、かぎ針はよくわからなくって」
母親の疑問に先回りして、裕は言った。
本当にそれだけかしら。でも、まあ……いいでしょう。
「何を作りたいの?」
愛美に問う。
「あのね、マフラー作りたいの」
かさばる荷物は毛糸玉のせいとはいえ、何本編むのだというような分量の毛糸が、色とりどりに並んでいた。
「小さなお花をたくさん縫いつけてね、かわいいの編むの」
「ああ、だからモヘアをたくさん用意したのね」
「どの色もかわいいから選べなくて」
うきうきしながら愛美は毛糸玉を並べた。
モヘアにかぎ針なら、ふんわりと仕上がるのでそんなに時間かからず編み上がるだろう、花の数だけ雰囲気も変わる。
「じゃ、まず、手慣らしに小花を仕上げてみる?」
「うん!」
愛美は鮮やかな色が並ぶ中から、絵の具を選ぶように真紅の糸を選んだ。
「まあ、きれいな色ね」
「うん、マナ、この色大好き」
「どうせだから、裕も何かこしらえなさいよ」
「え、私も?」
「うん、ママも作っていいよ」
はい、と言って母親に毛糸玉を渡す娘に、「じゃあ、遠慮なく」と言って選んだ色は象牙色だった。
「それ取ると思ったよ」
愛美は言う。
「どうして」
聞く祖母に、孫娘は答えた。
「だってパパが好きな色だもん」
「そ、そう?」
無意識のうちに選んだ色は確かに、彼女の夫で愛美の父親が好んで着ている色だった。彼は妻が編んだプルオーバーを着たきりスズメのように毎度ずっと着続けている。
「パパ用に買った色だから、使っていいよ」
あ、しゃべっちゃった、と愛美は口をつぐむ。
「じゃ、おとうさんにマフラー編むのね」
花柄モチーフを縫い付けたマフラーを?
「もう言わない」
愛美は澄まし顔で真ん中から糸を引き抜いて、くるくると編み針を動かしだした。
まあ、ひとりでもきちんと編めるじゃないの。
これなら人に教わることもないんじゃない? と裕へ目を向けた加奈江へ、娘は肩をすくめて答えた。
寒い週末の昼下がり。
今日は曇天で今にも雨が降り出しそう。
いつもなら西日が入ってぽかぽかと温かい居間は底冷えする。
女三人はコタツに入って黙々と、まるでカニを食べているように編み物に集中した。
誰にも見られていないTVはつけっぱなし、隣室では政が仕事を装ってこちらの様子をうかがっているのだろう、静かに何かをしているようだった。
コタツの中では猫がぬくぬくと眠っている。
なんともおだやかな日だ。
誰にも見られていないTVから、CMが流れてきた。
それまで昼下がりならではの抑揚のない番組だったから、銘々の耳には唐突に響いた。というのも、いきなり英語が流れてきたから。
犬相手に語りかける、英会話学校のCMで、三人は示し合わせたようにTVに注目する。
「そうそう、ずっと言おうと思っていたのよ」
手を休めて加奈江は言った。
「このCMに出てる俳優さん、あなたの旦那に似てない?」
「ええー?」
「パパ……おとうさんに?」
孫娘は近頃、親を『パパ』『ママ』から『おとうさん』『おかあさん』に呼び変えようとしているのだそうだが、ちゃんぽんになってその度に言い換える。
「そうかな、マナ、どう思う?」
「どう、って、ママはどうなの」
「最初のCM見て特にそう思ったのよね」
「ああ、バラの花束抱えてたやつね?」
「そう。ねえ、思い出さない?」
「何を」
「あなたが旦那さんにプロポーズされた時、きちんとスーツ着てバラを抱えていたじゃないの」
「ああー」
裕はわざとらしく首をひねる。
「ええー、何々、パパ、そんなことしたんだ?」
「うーん、どうだったかな」
もう、この子にはまだ話してないのに、と裕は難しい顔に照れを滲ませた。
娘の意図を知ってか知らずか、孫娘は聞く気満々なのを受けて祖母は続けた。
「そうよ、クリスマスの日よ、ちょうどこの部屋で、このコタツはさんでだったわ」
「そうなんだ!」
もっともっとと先を急かすように目を輝かす孫娘の後ろの襖の向こうで、祖父がわざとらしく咳をしている。
「全然ロマンチックじゃなかったけどね」
裕は苦笑する。
「でも、ふたりの前で言ってくれたから、いちいちとうさんやかあさんに報告する手間は省けたけど」
「そうなんだー」
「今も素敵だけど、あなたのおとうさん、若い時は格好良かったのよ」
「ちょっとメタボ入ってるけどっ」
娘もだけど、孫娘もちょっと素直じゃないわねえ、全然普通じゃないの、太ってないけどねえと祖母は内心でひとりごと。
「だけど」
愛美は毛糸の端を始末してぱちんと鋏で切りながら言った。
「英会話はパパの方がずーっと上手だよ。パパの方が……かっこいい」
ぽつりと。
「そうよね」
うんうんと裕も頷く。
なんだかんだ言いつつも、娘も孫も、夫や父親を一番に大切にしている。いいことだわ、と加奈江は思った。
「できたっ!」
愛美は片手をまっすぐ上げて真紅の花を掲げた。
細編み、長編み、鎖編みだけのくりかえしでもくるくると編んでいけばきれいな花になる。愛美の手の中のモチーフは真っ赤なチューリップのようだった。
「まあ、可愛くできたわね」
加奈江は褒める。
「それをマフラーに縫い止めるのね」
「ううん、使わない」
ぶんぶんと首を横に振って、愛美はからりと隣室との境目になっている襖を開ける。
「おじいちゃーん」
「お、おう。なんだ」
「はい、プレゼント」
と言いながら、その、編み上がったばかりの花をおじいちゃんである政に差し出す。
娘の母と、そのまた母親は思わず吹き出した。
俺に花ー???
祖父は固まっているが、孫娘はまったく頓着も屈託もない。
ソーイングセットから安全ピンを取り出して、さっさと祖父の胸元につけてしまった。
「うん、かわいいー。おじいちゃん、かわいいー。還暦むかえたら赤いのつけるといいんでしょ? ちゃんちゃんこよりそっちの方がいいよ」
「マナ、おじいちゃんもおばあちゃんも、還暦はとうに終わってるのよ」
「え? だって65は還暦でしょ」
政と加奈江は今年で65歳になった。
「残念でした、60歳でした。マナが小学校の時、お祝いしたじゃないの」
「なあんだー、てっきり……」
「いい、おじいちゃんは家にいる間ずっとつけてるぞ!」
政はへこんだ孫娘へ、と励ましているんだかいないんだかわからないフォローを入れた。
「じゃ、おじいちゃんへプレゼントするために編み物しにきたのね?」
問う祖母へ
「違うよ」
と速攻で孫娘は答えた。
「それは練習」
喜びもつかの間、「俺は練習台かよ」と表には出さず、けれど祖父は落胆した。
「れいちゃんにね、編んであげるんだ、マフラー。クリスマスには間に合わないけど」
手元に視線を落として愛美は同じ赤い糸で2つめのモチーフを編み出す。
れいちゃん。
どこかで聞いた名前だこと、と加奈江は裕に目配せした。
多分、かあさんの知ってる人、と大きく頷いて母親に応えた。
加奈江が知っている、『れい』と名がつく人はひとりしかいない。
多分……娘の夫の同級生で、確か結婚式の披露宴で義弟と同じ席についていた、確か……
「れいちゃんかあ。かわいい名前だなあ」
妻の思考を遮るように、政は言った。
「愛美の友達か?」
と、とうさん、違う違う、間違ってる! 裕は目を見開き。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な人だから、と加奈江も眉をハの字にした。
けどまあ。
数回顔を合わせたきりだったし、だいたいからして名前がよくないわね、と母と娘はうなずいた。
ちゃん付けされるとなおさら、男か女かわからなくなるが、ここで言う『れいちゃん』は、柴田麗という名の青年のことを指す。
父親と同い年の男性に対してちゃん付けする愛美のセンスも大したものだが、言われるままで特に訂正もしない相手もいかがなものかと思う。
「おともだち……かなあ……」
うーんと言いながらあさっての方向を見る愛美は、祖母を真似て細く目を閉じる。
「かわいいかどうかはわからないけど、きれいな人だよ。ずーっといっしょにいたいから、プレゼントしたくて編み物してるの」
「そうか」
「でも……喜んでくれるかな、迷惑じゃない……?」
「そんなことはないだろう」
政は大きく頷いて言った。
「これだけ上手に編めていれば、相手もきっと喜ぶ」
ぱっと顔を上げて、愛美はにぱっと満面に笑みを浮かべた。
「そうだよねえ、喜んでくれるよねえ?」
そ、それはどうかしら、と祖母は思ったが、ちょっと彼の反応を見てみたいかも? と母は意地悪く思った。
娘のちょっとした表情の変化を読み取った母は、だから愛美を連れてきたのね、編み物は口実だったんでしょう? と裕に目配せをした、もう、悪いおかあさんね、と。
だって、面白いでしょ? 裕は澄まし顔で肩をすくめた。楽しいことはひとりじめできないもの、少しでも多くの人と共有しなくちゃ。もっとも、父さんの反応は想定外だったけどねえ、と。
背中の向こうで、妻と娘が何やらあやしく目線で語り合っているのにも気づかず、政は言った。
「マナは本当に『れいちゃん』が好きなんだなあ」
「うん、そうなの」
愛美は答える。
「大切な、人なんだもん」
自分に言い聞かせるように語る彼女の横顔には、ほんの一瞬だったけれど少女の無邪気さが消え、女性の恥じらいの色が浮かんでいた。
後書きという名の能書き
はじめましての方も、何度かご覧頂いている方も。
作者です。
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
番外編も3つめとなりました。
本編度外視してちょっと書きすぎ?
すんません、すんません。
でも、クリスマスが近かったので、
リアルタイムでイベントに絡めた話を書いてみたかったのです。
当方には珍しく書きたてのほやほやで
大まかな筋以外は成り行き任せで書き上げたものでした。
例年、クリスマスの時期になると
元赤坂プリンスホテルのツリーに見立てた窓の装飾を
楽しみにしていたのですが
まさかの廃業、
今はどんどん丈が短くなり、
来年の今ごろは跡形もなくなっているでしょう。
いつか赤プリで豪勢に泊まってみたかった…
その願望でもってかいた前編と
後日談の後編です。
来年の今ごろには、せめて母の恋物語に着手できてればいいんですが。
よろしければお付き合い下さるとうれしいです。
年末年始、お忙しい中にお時間を割いて読んで下さって
ほんとにうれしいです。
今年、2012年の冬は寒いです、皆様ご自愛くださいね。
あと1作、予定では明日26日に告知で予告してました
慎一郎と秋良の超短編を掲載できればな、と思ってます。
ではでは。
作者 拝