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【1】バラの花束は突然に・2

「おかあさん、ごはんは少し後でいいわ」


娘である尾上裕はお腹をさすりながら言う。


「当たり前です、フルコースだったんでしょう?」


かなり呆れて母は答えた。


裕の後ろでは彼氏が、バラの花を抱えてぺこりと頭を下げている。


でかい図体ときちんと着込んだスーツ、そしてバラの花のアンバランスさに吹き出したいのを押さえて、どうぞと招き入れた。


「いつもごめんなさいね、娘がすっかり我が儘言ってしまって」


「いえ」


小さく答えて彼は勧められた席についた。


彼と会ったのは娘が大学に入って間もない頃。


大学の教員である義弟の教え子という彼は、紹介された当時は血気盛んな子供っぽさが残っている青年だった。


立ち振る舞いだけで人を判断するのはよくないことだけれど、会う事にずいぶんと大人らしく、男っぽくなっていく。


甘え方が苦手な娘の欠点と美点を、包み込むように見守ってくれている。


時として一方的になりがちなところがあった夫とは違うタイプの男性だ。


娘には彼のような包容力があるタイプの男性が合っている。このまま、ふたりの仲が続いてくれればいい、と母は思う。


「お食事はどうだったの」


「うん、おいしかった。今日はありがとう。また連れて行ってね」


娘は自分の彼氏にぺこりとお辞儀した。


いや、と首を横に振る彼の手の中のバラがいっしょにゆれる。


男性が、花束を買って帰るシーンは最近ではわりと見られるようだが、それでもよほどのことがない限りしないのが今時の日本。


海外赴任をしている彼には特に違和感はないのかもしれないけれど……赤いバラよね、この娘は、わかっているのかしらねえ、と加奈江は元から細い目を更に細めて彼氏と花束を見比べた。


裕の母親の視線から、その意図を察して彼氏は少しばつが悪そうな顔をする。


「おとうさんは?」


二者の思いには全く絡まず、無邪気に娘は言う。


「今日は他の先生方と会食ですって。どうしても外せない会だから、帰りは遅くなるって。……いなくてよかったわね」


前半は娘に、後半は彼氏に向かって言った。


「いえ、自分は」


速攻で打ち消したけれど、内心ではほっとしてるはずだ。


というのも、娘の父親の常で、夫・政は彼を目の敵にしている。


端から見ているとまるで噛み合わない漫才のようで、見ていて飽きない。


「まあ、とにかくお茶でもいかが?」


加奈江はずっとお盆に乗せたままだったお茶を出した。


少しぬるくなってはいるけれど、茶を口にした彼は思う、もののはずみで食事を、と言ってしまったけれど、裕が母親の食事を第一と言いたくなるのもうなずけると思った。


方々で茶を出される機会が多い会社員、ただお湯に色がついた茶もどきも多い中、おいしいお茶を供されると心も和む。


彼女の母が煎れる茶は、特に美味い。


裕も、子供の頃から小さい心配りを普通に受けてきたから、些細なことでもこだわり、良いもの、そうでないものの区分けがうるさい。


自分は友人たちからは「細かい、うるさすぎる」と時々文句を言われる。


けれど、裕は違った、「わかる、そういうの妥協できないものね」と、ぽんと返ってきた一言に、ああ、そうか、だから彼女がいいんだ、と納得した。


馬が合うの一言では済ませられない収まりの良さを共感できるふたり。


俺たちは似たもの同士だ、と。


だから。


ソファーに置いた花束のセロファンが、かさりと音を立てる。


ただのプレゼントではない花に託して、今日は伝えたいことがあった――


一瞬の間の後、「あの」と彼が言い出すのと、玄関先で「ただいまあ」と言う太い声が重なった。


え。


ただいまって。


居間にいた三人は三人とも互いに顔を見合わせる。


ただいまと、呼び鈴もなしに入ってくる人間は、この家ではひとりしかいない。


「おやまあ、帰ってきちゃったのね」


ぱたぱたと、スリッパをならして母は玄関先へ向かう。


軽やかな足音を受けて折り返すように、どすどすと重い足音が近づいてきて、からりと居間の襖が開いた。


「おとうさん、おかえり」


切っ先を制して言う娘に、父・尾上政つかさは「おう」と答えて、今気づいたようにわざとらしく、隣に座る彼に目をやって、むすっとする。


「やあ、いらっしゃい」


まったく歓迎してない口調で胸を張る。


「どうぞごゆっくり」


もう、お父さんったら、いつもこうなんだから。娘はふくれっ面をした。


後ろから着いてきた加奈江は、なんてわかりやすいことを、と柳眉を上げて非難の視線を送る。


うそつけ、そんなこと露ほどにも思ってないだろう、と彼氏は思うが、つとめて普通の表情で答えた。


「いえ、そろそろお暇いたしますから」


「そうか、そうか。おい、お帰りだそうだぞ、お見送りしてこい」


やけに明るく言う父へ、


「お父さん、いい加減にして!」


娘は文句を言った。


「いらしたばかりなんですから、お父さんも大人げないことを言わないで下さいな」


母は娘と彼氏の援護射撃し、何か言いたげに尚も続けようとする夫を目で制して、隣へ座るように促した。


ひとつのこたつを挟んで二組の男女が向き合う形になる。


ちくたくと、長年尾上家で時を刻んできた柱時計の音がやけに大きく響く。


「今日は、ずいぶんとはやいお帰りだったんですね」とは母。


「若者には次の予定がある日だとかで早じまいになったんだ」と父は折り詰めを卓上に置いた。


ホントに持って帰るのかよ、と彼氏は呆れた。半分冗談だと思っていたのに。と同時に彼女の母の手料理に俄然興味がわいてくる。


「じゃ、軽く何か召し上がります?」


「うん、茶漬けでいい」


「あなたはどうなさる?」


加奈江は裕の彼氏に声をかけた。


「そうよ、今日はそれで来てもらったようなものなんだから」


「茶漬け食いにきたのか、わざわざここまで」


は、とオーバーに言う父へ、


「お母さんのお料理はおいしいから食べに来てって頼んだの!」


と娘は切り返した。


「何だ、お前、今日はそいつと食事に行ったんじゃないのか。そうかそうか、ろくでもない店だったんだな、かわいそうになあ……」


「違うって! 外で食べるよりお母さんのごはんの方がいい、って言ったの私なの!」


「ほんとかよ」


「本当なの! いつも折り詰めにしてもらって持って帰ってくるお父さんに言われたくないし!」


料理店の包装紙できちんとくるまれた包みを前にして申し開きはできない、父親は一瞬固まり、続けた。


「こ、これは、かあさんにだな、美味いもんでも食わせてやろうと思って」


言い訳がまったく功を奏していない。


俺、この親父と付き合っていかないといけないのか。


がんばれ、俺。負けるな、俺。


げんなりしながら、彼氏は自分を励ます。


「もう、お父さんも裕もそこまでにして。お茶漬け、いるの? いらないの?」


「……いる」


父は妻の前では素直になる。


「あなたも、召し上がるでしょう?」


加奈江は裕の彼に話を振った。


「一口、ぜひ頂戴したいです」


彼氏は一礼した。


「尾上先生も、褒めてらしたお味をぜひ」


「ま、慎一郎さんが?」


「はい、お噂はかねがね。料理店を開業したら繁盛するだろうと」


「慎一郎がかあ?」


あいつ、何吹聴してるんだ、と兄である政はぶっすくれた。


「うん、叔父さん、よく言ってたよ」


娘はしらっとして付け加えた。


「お父さんに何かあっても、充分食っていけるだろう、って。小料理店の女将とか、ぴったりだって」


「そんなこと言ってるの? もう、慎一郎さんたら」


面映ゆそうに言う妻へ、政は即答した、「だめだだめだ!」と。


「母さんの手料理は身内以外食っちゃならん!」


「えー、お父さん、心狭い―」


茶化す娘へ、「えーい、やかましい!」と政は断言した。


「だから、お前に食わす茶漬けはない!」


お前と指さしはされなかったものの指名されたに近い彼氏は「わかりました」とピンポン玉を打ち返すように答えた。


「家族だったらいいわけですかね」


「そ……そうだ!」


「なら、なりましょう」


彼は横に座る裕へ向き直り、楽にしていた足を正して正座した。


「と、いうわけ」


「……え?」


裕は面食らう。


「何が『というわけ』なの?」


「わからない?」


「……う、うん、私が考えているのと違ったら」


「違わない。絶対」


「じゃ」


「俺の家族になってくれ」


そして改めて、バラの花束を彼女に掲げた。


「や、やっぱり、そうだったの」


裕はバラに負けじと耳まで真っ赤になって言った。セロファンがくしゅくしゅと音を立てる。


「そうじゃなかったら、どうなんだ」


「だって……」


言ったきりうつむく娘を見て、何だ、ちゃんと気づいてたのね、と母はうんうんと二度頷いた。


頷けないのは父親だ。


「俺はわからないぞ」


「あなたはいいんです」


母はしらっとして言う。


彼氏は裕の両親に向き直り、双方を交互に見ながら礼をした。


「娘さんの了解を頂きましたので、今後共末永く宜しくお願いします」


「ええ、どうぞ。こんな子ですけど」


「よくない!」


彼氏は父親をサクッと無視した。


「そういうわけですので。今日は無理ですが、次の機会にはぜひご馳走にならせてください」


「喜んで。いついらっしゃる?」


「来なくていいぞ! 絶対来るな!」


ひとりわめいている政は残念ながらひとりで浮いている。


「第一、裕はまだ大学生だろう! 結婚なんて早すぎる!」


けっこん、とはっきり言ったわね、と加奈江は内心で思う。ふたりともお茶を濁して言葉を選んでいたのに。やれやれ。


「私があなたと結婚したのはたしか4年生の時だったわね。プロポーズは3年の時」


「え」


「そうなの?」


と裕とその彼氏は口を揃えて言う。


「ええ、そう。だから全然早かないですよ。ねえ、あなた」


ううう、と口ごもり、それでも、と政は言った。


「いやなものはいやなんだ、結婚なんて、ゆるさーん!!!」


負け犬の遠吠えのような、父の叫びはクリスマスイブの夜の星空に溶けていったのだった。


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