共有
寝るときにまでクーラーをつけなければいけない時期なった日の夜。青白い光を放つ満月を見ながら僕は兄さんと話していた。
部屋には必要最低限の家具が無造作に置かれている。兄さんはベッドに座り、僕はその上に座っていた。
「おい、聖。人の話し聞いているのか?」
兄さんが僕の頭上から訝しそうに言う。僕は今まで考えていたことを中断し、兄さんの顔を見た。
「聞いているよ、兄さん。それから?」
僕達の日課は寝る前に今日あった他愛ないことを話すことだった。
僕達のとは言っても話しをするのは兄さんだけで僕は聞く側の人間だ。低すぎず高すぎない兄さんの声に耳を澄ませる。
あまりの暑さに耐えられなくなったのか、兄さんがクーラーの設定温度を下げた。
「聖は今日何かあったか?」
「何もなかったよ。平和だった」
兄さんは安堵のため息をつく。平和と言う言葉を聞いて安心したのだろう。
涼しい空気が室内に充満し、熱かった体を冷やしてくれる。その心地よさに眠気を感じ始めた。
「兄さんは?他に何かないの?」
「俺のことはさっき話しただろう?」
僕は兄さんの話を聞く事が好きだ。僕には想像も出来ない外の事を話してくれる。
兄さんはしばらく俯いて考え込んでいたが何かを思い出したように顔を上げた。
「燕の巣を見たよ。明日一緒に見に行こう。きっと雛鳥がいるはずだから」
「うん、行こう。楽しみだな」
外に出るときはいつも兄さんと一緒、それが当たり前だった。
「じゃあ、俺はもう寝るよ」
「おやすみ、兄さん」
「おやすみ、聖」
兄さんは寝るのが早い。寝ると決めて目を閉じると三秒もしないうちに寝息が聞こえてくる。
僕は兄さんが下げた設定温度を二十八度に戻すとタイマーを掛けて寝ようとした。
「―――聖」
隣から名前を呼ばれたので振り返る。
月の薄明かりのなかで何とか兄さんの顔を見ようとするが、あまり明るくない光の中では難しいようだ。
「何?兄さん。おきていたの?」
問い掛けたが返事はなかった。おかしく思い近寄ってみる。
「ゴメン……ゴメンな……聖」
寝言のようだった。兄さんは何度も同じ言葉を繰り返している。
僕は蹴飛ばされて足元に固まっていたタオルケットを兄さんに掛けた。そして、眠っている兄さんに向かって呟く。
「何を謝っているの?分からないよ」
これが初めてのことではない。
兄さんは眠ってしまってから、僕に謝罪することがある。本人は眠っているから、もちろん気付いてはいない。
僕には兄さんを起こす勇気がなかった。何を謝っているのか、聞くのが怖かったのだ。
「おはよう、聖」
「おはよう、兄さん」
兄さんは仕事に行くために、僕はそんな兄さんを見送るために、僕らはお互い早く起きる。
朝日が昇り、窓から外を見ると沢山の人がせっせと動いているのが見える。
「じゃあ、俺は行ってくるよ。あんまり無理はしないように、あと誰かが来ても絶対に扉を開けないこと、居留守を使え」
兄さんは僕に念を押してから家をでる。
僕は兄さんが外に出たらすぐに鍵とドアロックを閉める。兄さんとの約束だ。
家に一人になると急激な寂しさに襲われる。
しんと静まり返った家の中、外からは登校中の学生の笑い声が聞こえる。
僕は寂しさを紛らわせるため朝日が当たる机の上に突っ伏せた。
「――早く帰ってこないな、兄さん」
僕と兄さんは年が離れている。兄さんが仕事に行っている間、僕は暇なのだ。
時刻はまだ午前中今から太陽が上に昇り、暑い夏の気候になろうとしている。
暖かい日差しの中、僕はいつの間にか眠りに落ちた。
夢を見ていた。僕は誰か知らない人と手をつないで塗装された道を歩いている。
照り付けてくる太陽の光で夏であることが分かった。
車通りの少ない交差点で、僕は誰か知らない人を孟スピードで走ってくるバイクの前に突き飛ばした。
その光景を見て、今よりずっと若い僕は静かな笑みを浮かべた。
誰か分からない人、見覚えがあるようで思い出せないその顔。
この人は―――
「聖?寝ているのか?」
兄さんの声で目が覚めた。
外から帰ってきたばかりなのだろう。真夏の太陽のせいで顔は赤らみ、流れた汗をタオルで拭っている。
もう少しであれが誰なのか思い出せそうだったのに
「聖?」
スーツを着替えいつものようにラフな格好になった兄さんは僕の顔を下から覗き込み心配そうな顔を浮かべていた。
「なんでもないよ。ちょっと眠っていただけ」
兄さんに心配をかけまいと精一杯笑顔を作る。兄さんはまだ納得していないようだったが諦めたのか顔を上げる。
「そっか、ならいいけど。燕の巣見に行くか?」
「今日はいいや。何だか疲れちゃった」
「分かった。また明日な」
兄さんはキッチンに立って夕食を作り始めた。
その後姿眺めながら僕はベッドに横たわった。あの夢を見ると決まって脱力感に襲われる。
何かを思い出しそうなのだが思い出してはいけないような感覚にとらわれるのだ。
「今日の夕飯は聖の好きなカレーだぞ。ケーキも買ってきたから、夕飯の後に食べよう」
そんなときに限って兄さんがいつも以上に優しくしてくるから、僕はどうでもよくなってしまうのだ。
夢なんて、所詮は夢でしかない。僕にとっては曖昧な夢より、現実の優しさの方が大事だった。
昨日より涼しくなって眠りやすくなったせいか僕はケーキを食べ終わるとすぐに眠ってしまった。
「ゴメンな……聖」
眠ってしまった僕を見下ろして、兄さんは静に呟いた。
窓の側にかけてある風鈴が真夏の生ぬるい風を受けて涼しげな音を鳴らした。
次の日、兄さんは休みで僕を燕の巣まで連れて行ってくれた。
可愛い雛鳥が顔を出して親鳥に餌を求めている。その姿が愛らしくて僕は声を上げた。
「わぁ、可愛い!兄さんありがとう」
笑っていた兄さんはふっと顔を曇らせた。
「聖、今日は話しがあるんだ。聞いてくれるか?」
深刻そうな顔で僕を見つめる兄さんに笑って返した。
「僕が兄さんの話を聞かなかったためしがある?」
「――そうだったな」
暑いくらいだった真夏の空気がその一瞬だけ冷たくなったような気がした。
話とはなんなのか、それは僕にとって嫌な話なのだろうか、僕は不安を感じた。
兄さんは僕を何処にでもありそうな交差点に連れて行った。車通りは少なく道の脇の電柱には看板が立てかけられている。
『平成十七年 五月十日
二人の少年がバイクで跳ねられました。十二歳の少年は死亡、当時七歳の少年は行方不明になっています。佐賀警察署は犯人を捜しています。何か見たという方はお電話下さい』
「行方不明になっている少年、それはお前だ」
体からは冷や汗があふれ出し、話を聞いてはいけないと頭が理解している。
だが、頭とは裏腹に体は言うことを聞いてくれなかった。
「七年前の五月十日。俺は遊び半分で親父のバイクを私道で乗り回していた。簡単に乗れたものだからいい気になって、スピードを出して、気が付いたら国道に出ていた。そして――横断歩道を渡っていた兄弟を、跳ね飛ばした」
信じられない事実を告白されていると言うのに僕の心は兄さんの言葉を理解していた。
「お兄さんは弟を突き飛ばした。そして……死んだ。怖くなった俺は唯一の承認である弟を連れて逃げた。俺の両親は放任主義で金持ちだったから、別荘をただでくれたよ。そこが……今住んでいる家だ」
「違うんだ、兄さん」
さっきまで二人の間に吹いていたはずの冷たい風はやみ、もとの熱い真夏の風が僕の前髪を揺らす。
「本当の兄さんは僕を突き飛ばしたわけじゃない。僕が兄さんを突き飛ばしたんだ」
そう、あれは僕が七歳の夏。暑さで頭がクラクラするような昼下がりの事だった。
「はなして!にいさん。ぼくはにげるんだ」
兄さんに片腕をつかまれ、僕は引きずられるように塗装された道を歩いていた。何とか逃げ出そうとするが五歳も年上の兄には敵わなかった。
「お前みたいなぐずが俺達から逃げられると思うな!お前は一生俺達の道具なんだよ!」
その言葉を聞いて幼い僕の恐怖心は限界を迎えていた。
僕の目に兄さんの後ろから猛スピードで近づいてくる一台のバイクが映った。
対抗していた僕が大人しくなると兄さんは僕が諦めたと思ったようだった。
「にいさん、しんごうがあおになったよ。いこう」
信号が青になったことを確認し、歩き出した兄さんを僕は思いっきり突き飛ばした。
バイクは兄さんが飛び出したことに気が付いても止まらなかった。僕は静に笑みを浮かべた。
それが、今まで何度も夢に見て、思い出そうとしても思い出せなかった僕の忌まわしい記憶。
「僕は……兄さんを殺してでもあの状況から逃げ出そうとしたんだ。おあいこだよ、兄さん。兄さんは僕の本当の兄さんを殺した。僕は兄さんに本当の兄さんを殺させた。今まで通りだよ。兄さんは僕の兄さんで、僕は兄さんの弟だ。何も変わらない。ほら、帰ろう?僕達の家に」
「――そうだな」
僕が微笑むと兄さんは悲しげな笑みを浮かべた。
僕は照りつける太陽を鬱陶しく思いながらも考えた。
本当は僕が兄さんと一緒にいたかっただけなのかもしれない。
同じ秘密を共有することで、僕に縛り付けておきたかっただけなのかもしれない。
もしかしたら、兄さんはそれを望まないかもしれない。
自首して楽になりたいかもしれない。
それでも……
ねぇ、兄さん。
僕らは一緒にいなきゃいけないんだよね?兄さんもそれを望んでくれるよね?
だって僕らは『兄弟』だから。
~END~
死ねたです。あまり書いたことがないので上手くかけたかは定かではありませんが……個人的にはなかなか好きです。皆さんが気に入ってくれれば何よりだと思います。
読んでくださってありがとうございました。




