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上海1932 恋恋不舎(中)  作者: 田中しう
もうひとつの顔
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(8)

 彼は、黄昏始めた南京路の通りをガラス窓越しに見下ろしていた。

 街の灯が点り始めている。

 眼下を東西に貫いている大通り、南京路。

 紛う事無き、上海のメインストリート。日が落ちてからますます増えた人波から生じるさざめきが、ここまで聞こえて来るようだ。道往く彼らを照らすネオンは、四馬路に見るような淫靡なものではなく、あくまでも明るく眩い。

 どの都市の街区にも、ランクと言うものがある。サッスーンを筆頭に、先施公司、新新公司と一流の企業がここに集まる。誰もが、いつかはここに自分の城を構えたいと夢を見て、この街で生きている。


 修英は、この景色を手に入れたかったのだ。

 この光の中に、君臨したかったのだ。

 だが、自分はどうだ。

 上海人が嫌いなのよ――

 リーナの挑発だとわかっていても、その言葉が月陵の胸の中の何かに触れた。

 紫闇が降り始める街を見下ろす月陵の胸に、寂莫感が染み出す。

 自分は、果たして上海人と呼べるのか。

 そう呼ぶには、母の血が濃すぎる。

 上海の街を嫌い、この街の暮らしを嫌い、この街の人を呪いながら死んで行った母。その呪いの言葉を物心つく頃から聞かせ続けられて育った自分。

我恨上海ウォー・ハン・シャンハイ――」

 母は自分の夢の中で、そう繰り返し呟いた。幼い息子を胸に抱きながら、何度も何度も息子の耳に囁いた。

 そんな思い出のある街を、人は愛せるのだろうか。


「月陵」

 呼ばれて、振り向く。

「僕らは食事に行こうと言ってるのだけど、君はどうするの。四馬路の店の方は?」

「ああ」

 月陵は夢想を追い払いながら、自分を現実に引き戻す。

「僕は戻るよ。姐さん、あんたも一緒?」

 咎めるようにリーナを見ると、リーナは長袍にコートを羽織りながら顔をしかめた。

「今日はオフをもらっていたでしょう。しっかりして頂戴」

 そうだったかな。

 月陵は頭を振った。

「じゃあ、先に行くよ?」

「ああ」

 月陵は再び背を向け、窓の外に視線を移した。既に、空から降りる闇を跳ね返すかのような光の波が煌いている。

 眩い。だが、これもまたイミテーションの光なのだ。この街がこんなにも眩く輝くのは、この街の闇が深すぎる故、それを照らす灯りが必要だからだ。

「我恨上海……」

 月陵は一人呟いた。



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