(4)
二日ぶりの外気だった。
アパートの階段を下り、里堂の石畳を踏んだ途端、冷たい風にさらわれそうになって、一人は思わず立ち止まる。
「大丈夫か?」
馬羽が揺らぐ一人の体を支えるようにして、声を掛ける。
「ああ…」
一人は答えて、里堂の先に目をやる。壁にもたれて月陵がこちらを眺めている。
余計な荷物を背負い込まされたせいで苛ついているのか、それとも慣れない土地でこんな事に巻き込まれた少年に同情しているのか。相変わらず、よく表情が読めない。
「車が待っている」
月陵は一言告げると、里堂の出口を指した。
一月にしては良く晴れて、ビルとビルが覆い被さるようにして影を作る里堂からは、通りは白っぽく見えた。杖に頼ってやっと小路を抜けると、大通りには黒い乗用車が停まっていた。「車」と聞いて、人力車だと思っていた一人は少し戸惑う。
月陵が後部座席のドアを開くと、そこには男物の長袍に身を包んだ若い女が腰を下ろしていた。
男姿にも関わらず、東洋人離れした、鼻梁の高い端正な顔つきは、一人がこれまで出会った事の無い美女だった。
「彼女が送ってくれる」
月陵はそう言うと、一人を女の隣に押し込める。馬羽が当然のように助手席に乗り込むと、女が少し体を傾けて、
「わたし一人で結構よ」
と言った。
馬羽が困ったように窓外の月陵を見上げる。好きにさせればいいさ、と月陵は表情で答えた。馬羽は振り返って一人の顔を見たが、一人はどちらでも構わないと思い、軽く首を振った。
「出して頂戴」
馬羽が車から降りるとすぐに女は運転手に告げた。
広東路を走り去る車を見送りながら、馬羽は軽く頭を掻いた。
「何だか迫力負けだなぁ」
呑気な馬羽の言葉に、月陵は少し厭そうな表情を見せる。
「それにしても、彼女、何でああ男姿が好きなのかな。勿体ないよな、あれだけいい体してるのに」
「修英の女だよ」
月陵は馬羽の言葉を咎めた。
馬羽は肩をすくめる。
「ま、あれくらいの女じゃないと修英には釣り合わないだろうからな。お似合いって言やぁ、お似合いかもな。あんたもぼやぼやしてっとあの女に今の地位を脅かされるぜ」
もう脅かされてるのさ、と月陵は胸の中で呟く。それから気を取り直して顔を上げる。
「時間はたっぷりあるんだろう? ちょっと付き合ってくれないかな。今から南京路の店を見に行く」
「お、勿論、付き合うよ。内装工事はもう出来上がったのかい?」
「大体の所はね」
「一体どんな立派なクラブになるんだい? 楽しみだなぁ」
馬羽の呑気さに、月陵は苦笑した。