(5)
「上海星星」――
夜の街に、ネオンがその文字を煌めかせている。
初めて南京路にその看板が上がった夜。
ネオンに惹かれてビルに吸い込まれると、折目正しく躾けられたボーイたちが恭しく出迎える。一歩クラブ内に足を踏み入れれば、真昼かと思うような明るい照明の下、選りすぐりの美女たちがさりげなく傍に侍る。グラスの触れ合う音。はじけるような笑い声。そして、美国から直輸入の、最新のジャズが軽やかに奏じ られている。テーブルを埋める客たちを見れば、皆、上等のスーツに身を包んだ紳士たち――
また一つ、不夜城に楽園が現れた。
フロアの一番奥のテーブルに林兄弟の姿をあるのを確かめながら、林修英はカウンター席の端で珍しく唇の端に笑みを浮かべていた。
若いマネージャーが、テーブルとテーブルの間を縫いながら、客たちのご機嫌を伺って回っている。若さゆえにその奮闘ぶりは、健気である。
なるほど、彼は自分の若さをそうやって逆手に取る知恵もある。
修英は、従弟の出来の良さにも満足していた。
その月陵が、隙を見つけてグラスを傾ける修英の傍に寄り、そっと耳打ちする。
「黄大人の姿が見えません――」
修英は、小さく頷いただけだった。
年寄りの気紛れか、それとも。
黄が姿を現わさない事は、修英も先程から気にはなっていた。
(狸め――)
そう胸のうちで呟いたが、相手が狸どころではない事を、修英はすぐ後に知る事になる。
バンドがインストゥルメンタルの最後のフレーズを演奏し終わると、店内の照明が少しずつ落とされて行った。ざわめいていたテーブル席が次第に静かになる。一瞬の暗転。
ピンスポットがステージを照らすと、そこには本物の金髪を波打たせた美女がマイクの前に立っていた。堂々たる体躯を派手なチャイナドレスに包み、彼女は艶のある声で『BUT NOT FOR ME』を歌い始める。最初の一小節で、客席から拍手がわき起こった。
月陵が修英の肘を軽く突付いて、視線で入り口の方を促す。
今夜は女らしい黒ビロードのドレス姿のリーナが、毛皮のコートをボーイに預け、ゆっくりとハイヒールの踵を鳴らしながら近付いて来た。
「素晴らしく魅力のある歌手を手に入れたのね」
ウェイターの捧げ持つソーサーからカクテルグラスを取ると、リーナはそう言って皮肉たっぷりな笑みを見せた。
「私が上海で三年掛かって頂けるようになった額の、優に三倍は払っていると言う噂を聞いたわ」
リーナはわざとあけすけにそう言い、修英と月陵が顔を見合わせて苦笑する。
修英は自分のグラスをリーナのグラスで鳴らした。それを機に、月陵は静かに身を引いた。




