(1)
(注意)
時代背景として、どうしても政治的な部分も出て来ますが、
あくまでも物語の要素として扱っています。
作者個人の思想を表すものではありません。
ご了承ください。
『桃源』――
二階にある執務室から出て来た趙は、大柄な体を揺すりながら階段を降りていて、突然寒風に頬を殴られた。
手摺りから体を伸ばして覗き込むと、月陵がコートのボタンを外していた。
「どうしました。仕事をサボって外出ですか?」
趙の声に、はっとしたように月陵が顔を上げる。白い頬が寒風にさらされたせいか、少し赤らんでいる。
「お客さんを送りに出ていただけだよ」
「何で裏口から?」
趙は月陵の前に立つと、わざとらしく鼻をひくつかせる。月陵の髪からは、微かに甘ったるい香りがした。
「〝陳の店〟から戻った所でしょう」
「客の要望に応えるのが仕事だからね」
「老爺はあんたにそう言う類の仕事はさせたくなさそうですけどね」
月陵は肩をすくめた。〝陳の店〟は、修英が持っている〝高級秘密倶楽部〟で、手っ取り早く言えば、遊び好きの上客たちに阿片を吸わせる。
「子供の頃はそうだったろうさ」
「ふん」
趙は幾分不遜な態度で胸元から煙草を出し、火を点ける。月陵はそんな趙を横目で見て、通り過ぎようとした。
「少爺――」
煙を吐きながら、趙が呼ぶ。月陵が振り返ると、趙は壁を見詰めたまま言った。
「老爺を裏切らないように」
珍しく、月陵の切れ長の目に感情がむき出しになった。
だが、それも一瞬で、いつものように冷たい表情に戻る。
「お前に言われなくとも―」
「月陵」
階上から声がして、月陵は二階を見上げる。修英がこちらを見下ろしていた。
「上がって来い」
それだけ言うと、執務室のドアの向こうに消える。
月陵は趙の顔を見た。趙は無表情に見返す。
月陵は仕方なしに、階段を昇った。