天正壬午の乱の章~第二話~
そういえばこの章、セリフより説明が多いですね・・・
聖一率いる徳川軍別働隊は首尾よく新府城に入った。武田残党軍は約定通り徳川軍に降り、徳川軍による甲斐・信濃制圧に助力すると語った。
聖一は武田旧臣である曽根昌世を使って武田旧臣の調略を行い、駒井氏などの勢力を徳川方に味方させることに成功し、甲斐を徳川家の領地にすることに成功する。一方、明智光秀を討つべく京を目指していた家康率いる徳川本隊は尾張国で『ある知らせ』を受け取り、軍をそのまま東に戻した。途中で本隊から酒井忠次隊が離脱して信濃国に入り、北条方の諏訪頼忠が守る信濃国高島城の攻略を開始した。
信濃国・川中島―――
口惜しい、と少女は思う。眼下に広がる彼女の養母が宿敵と五度に渡って対峙したこの地で、自分は何をしているのだろうと。薄い青い色のショートヘアーの少女は爪が肉に食い込むほどに拳を握りしめていた。
彼女が養母の後を継ぎ、越後国を治めるようになったのはつい数年前の事。養母が急死し、実子のなかった先代の後継ぎを巡って内乱が起き、それを治めたのはこの少女であった。
少女の名は上杉喜平次景勝。先代上杉謙信の姪(姉の子)で、実子のない彼女の養子となっていた。越後上杉氏の後継問題である『御館の乱』で勝利を収めて上杉家の当主となっていた。しかし、天才的な軍事の才とカリスマ性で内乱が絶えなかった越後を治めてきた養母と比べて、彼女は国人たちからすれば組み易い小娘にすぎなかった。
それを象徴するように、御館の乱で功がありながら恩賞問題で不満を募らせていた北越後に居を構える勇将・新発田重家が織田氏・伊達氏・蘆名氏と結んで反旗を翻したのである。
(いまだに私は新発田ごときの反乱を独力で解決できず、養母様が制した能登・越中も織田勢に奪われてしまった・・・)
景勝は自ら軍を率いて新発田征伐に赴いたが、反乱軍が籠った新発田城の堅牢さと東の蘆名氏や西の織田氏からの攻勢の前に幾度も撃退され、また、それらの対処に兵を割かれて新発田征伐に本腰を入れることができずにいた。
そして今。北信濃防衛の為に川中島に連れてきている兵は、北条軍の10分の1の5千。新発田重家への抑えと、越中の佐々成政軍の備えのためにこれぐらいしか動かせなかったのだ。
(ともかくここを凌ぎ・・・)
「殿!」
振り向くと、向こうから甲冑を身に纏った金髪の少年が駆けてきていた。景勝の幼馴染にして家中から『殿の懐刀』と称される彼の名は直江山城守兼続。彼が景勝に向ける忠誠心と何事にも精一杯取り組む姿勢。そして今、小柄な体を目一杯動かして駆け寄ってくるその姿は、小柄な柴犬を連想させる。彼は膝をつき、頭を垂れて報告した。
「北条家からの使者が参っております。恐らくは、和睦交渉の使者かと」
「・・・なぜ、そう思う?」
静かに問いかけた景勝だが、もちろん彼女にも見当がついている。あえて兼続に問いかけたのは、自分の頭の中にある答えと彼の頭の中にある答えが一致しているかどうかを確かめるためだ。
「北条としては、国内問題もロクに解決できぬ上杉を相手に兵の疲れを積み重ねたくないところ。不世出の英雄であらせられた謙信公とは月とすっぽん・・・いや、それではすっぽんに失礼でした。月と石ころの差もある景勝様ではもはや関東平野に出てくることもできず、土俵の上にも上がれない上杉よりも、精強な徳川軍を相手にする為の力を蓄えておきたいところだと思いま・・・あ、あれ?殿、なんでそんなに落ち込んでおられるのですか?」
「い、いや・・・なんでもないぞ、なんでもない。落ち込んでなんかいないぞ・・・」
ふと気が付いて兼続が顔をあげると、主君・景勝は『どよ~ん』とした落ち込んだ雰囲気を纏い、膝から崩れ落ちて落ち込んでいた。彼女のハートが兼続からの攻撃に耐えられなかったのだ。
この兼続少年。主君景勝に対して悪意は全くなく、その進言も的確なのだが、いささか毒を吐くきらいがある。
「い・・・行くぞ兼続」
「はっ」
なんとか心のダメージから立ち直った景勝は、兼続を伴って北条家からの使者が待つ本陣に向かったのであった。
「北条と上杉が和睦?」
北条方の諏訪氏の守る高島城を包囲した酒井忠次が隠密頭・服部半蔵の報告を受け取ったのは、ちょうど高島城への攻撃を中止して息子家次とともに食事をとっていた時だった。
「はい。国内の鎮圧を急ぎたい景勝と、信濃を制したい北条の思惑が一致した結果でしょう。すでに上杉軍は越後に引き揚げ、北条軍は前線基地に定めた小諸城に入ったとのこと。すでに殿からは酒井殿に新府城に引き揚げるよう命が出ておりますので、早急に引き上げますよう」
それでは、と半蔵はさっさと引き揚げて行った。
「父上、我らも急ぎ引き揚げましょう。3千ほどの我が軍では大軍に抗しけれませぬ・・・それに諏訪軍には我が軍を追撃できるほどの戦力もありますまい」
「うむ・・・者ども!新府城へ撤退する!」
家次の進言に対して、即決した忠次は即座に撤退を命じ、酒井隊は甲斐・新府城に向けて退却した。
北条氏直率いる四万余の軍勢が酒井隊を追ったものの、追い切れずに酒井隊の撤退を許してしまった。
東海の雄・徳川家当主の夫という顔とは別に、軍師としての一面を持つ聖一は家老の一人である石川数正とともに外交を担当している。岡崎城代として西の外交を担当する数正と、浜松城で家康の補佐をしつつ東の諸大名との窓口になっている聖一は、新府城を制した後も普段通り大名家に向けた書状をしたためていた。宛先は常陸国の佐竹家。関東で北条家と互角に戦えるほぼ唯一の大名家だ。
その佐竹家当主・義重は『鬼義重』の異名を誇る猛将であるだけにとどまらず、外交戦術を駆使して勢力を広げている有能な政治家である。佐竹軍に動いてもらい、北条軍を牽制してもらうのが狙い・・・佐竹家としても北条家がこれ以上範囲を広げるのは望むところではないはず、と読んでの交渉である。
「これを佐竹の当主殿に。道中、気を付けて行ってくださいね」
「はっ。ただちに太田城(佐竹氏居城)に向かいまする」
書状を預かった家臣が出ていくのと入れ替わりに、もう一人の家臣が入室してきた。
「殿(聖一)、大殿(家康)が新府城に入られました」
「分かりました。すぐに行きます」
いつものように静かにスッと立ち上がり、報告に来た家臣の横を通って門へと向かった。
しかし、聖一の家臣は見逃さなかった。
(やはり、大殿を待ちかねておられたのだな)
部屋を出た瞬間、主君の足が僅かに早まったのを。