神君伊賀越えの章~第一話~
徳川家一行は茶屋四郎次郎清延と、父親が伊賀国出身で、国人とのパイプを未だに持つ服部半蔵を道案内にして堺を脱出して伊賀国に入った。徳川家の一行は家康・聖一をはじめとして道案内の服部半蔵に酒井忠次・大久保忠佐・本多忠勝・榊原康政・渡辺守綱・石川数正とお馴染みの面々に―――
「・・・なんだ、貴様」
「・・・なんでもないよ、直政」
「なら視線を私に向けるな、穢れる」
目が合っただけで聖一を罵倒する絶対零度の視線の持ち主は、井伊直政という少女だ。氷のように青く、冷たい瞳に青い短髪から『氷女』と陰口を叩かれているが、家康への忠誠と将として有能であることは万人が認めるところ。ちなみに目があっただけで聖一を罵倒するが、忠次や忠佐など目上の男性の武将にはきちんと相手の立場に見合った対応をするため、目があっただけで罵倒される男は敵以外では自分だけらしい。
・・・泣いていいですか。
「へみゅ!」
可愛らしい悲鳴を上げて木の根っこに躓いて転んだのは、徳川家一行の最年少の少女。金髪のツインテールが可愛らしい小柄な女の子だが、彼女はただのドジッ子ではない。
徳川家臣大久保忠世の嫡子・大久保新十郎忠隣である。今回は叔父の忠佐について一行に加わっていたのだ。
「ほら、新ちゃん」
「ほぇ・・・あ、ありがとう小五郎君」
その彼女に黙って手を差し伸べたのは、小五郎と呼ばれたメガネの少年。彼に助けてもらった忠隣は、頬を薄く染めた。
少年の名は酒井小五郎家次。徳川家臣団筆頭・酒井忠次の嫡男で忠隣の想い人である。それぞれ通称の『新ちゃん』『小五郎君』と呼び合っている。ちなみに忠世は忠隣を溺愛しており、「新十郎を欲しくばわしの屍を超えて行け~!」と親バカぶりを発揮している。
徳川家一行は、宇治田原から近江国甲賀の小川城を経て伊賀に入った。途中、襲ってきた土民には茶屋が金銭を渡して退いてもらうなどしたが・・・
「我らの所持金目的に襲ってくる輩は、金銭を渡せば退いてくれますが・・・織田家に恨みを持つ者は、金では退いてはくれますまい」
戦闘力を持たない茶屋は、家康や聖一の近くで歩を進めている。彼は汗をぬぐいながら、そう忠告した。
「例えば・・・彼らのように、か?」
家康のすぐ前を歩く忠勝が、前を向いたまま後ろを歩く茶屋に問いかけた。一行の目の前に、竹槍やむしろ旗を掲げた土民の群れが現れた。彼らが持つ旗の一つには、何かをくるんだ球体の白い布が掲げられていた。
「忠勝、彼らはどう考えても金銭目的じゃないぞ」
「織田の代官を討ち取った後・・・というところか」
先頭を歩く半蔵が刀を抜き、それを合図に徳川家臣団も抜刀する。一行の中には武将だけではなく茶屋や侍女など非戦闘要員もいるため、前に出て戦う者と後方で家康と弓を使う聖一、そして非戦闘要員を守る者に分かれることになる。
土民たちは憎々しげな表情でこちらを睨みつけ、竹槍を構えてくる。彼らは相当な憎しみを持ってこちらに襲い掛かってくる・・・その執念を侮ってはならない。大切な者を奪われた彼らには同情はできる。だが・・・
「私たちは、ここで斃れる訳にはいかないのです」
徳川家康には夢がある。
三方ヶ原で敗れ、大切な人を失いかけ・・・我が子が生まれ、大切な人と我が子の無垢な笑顔を見るたびに、膨れ上がってきた思い・・・『天下泰平』。
「押し通らせてもらいます!」
家康の号令を合図に、伊賀山中を舞台に土民と徳川家臣は激突した。