小牧長久手の戦いの章~第十二話~
「これはやられたね」
羽柴軍本陣・犬山城で、羽柴秀吉は自らを取り巻く戦況に苦笑いを浮かべた。岡崎城を攻めて失敗した甥の秀次や軍監の堀秀政を責めるつもりはない。寧ろ岡崎城まで攻めることが出来たのは上出来と言ってもよかった。
すでに羽柴軍は楽田城から退き、守りの堅い犬山城に入って各地の戦況を見定めていた。長宗我部軍・雑賀衆が迫る本拠・大坂城を守る岸和田城は言うに及ばず、佐々軍と戦っている能登国末森城の後詰にも動かなければならない。
(徳川家の狙いは、ボクが後背に軍を向けざるを得ない状況を作り上げ、講和に持ち込むこと・・・それも『ボクから講和を持ちかける』という形にするという事だ)
織田・徳川軍が羽柴軍とまともに戦えば、数に勝る羽柴軍が勝つであろう。しかし、敵は本多・榊原らの音に聞こえた勇将たちに頑強な三河兵。勝ったとしてもその被害は甚大である。主君・織田信長の偉業を引き継ぎ、天下統一を目指す彼女にとって、それはどうしても避けたい。
後はメンツの問題である。自分から織田・徳川陣営に講和を持ちかければ『羽柴が徳川に和を乞うた』と囁かれ、各地の反秀吉勢力に侮られかねない。
「それなら・・・家康殿が戦えないようにすればいいか」
家康は今『盟友の遺児・織田信雄をお助けする』という神輿を担いで秀吉と戦っている。逆に言えば、それがなければ別に秀吉と戦う理由はないのである。
「さてと・・・戦国一の出世頭のなめてもらっては困りますよ?徳川の御夫婦?」
秀吉は得意の調略を以て織田・徳川陣営の切り崩しにかかる。先に信雄により誅殺された家臣たちの一族が伊勢で信雄に反旗を翻すと、織田軍の有力武将・九鬼嘉隆が秀吉の調略に乗って寝返り、信雄の足元を脅かしだしたのである。
徳川軍も織田軍とともに羽柴方・滝川一益に落とされた伊勢・蟹江城などを奪い返すなど善戦するが、旗頭である織田信雄の精神は限界を迎えていた。
叩いても叩いてもどこからか攻めてくる羽柴軍。自軍の将は次々と寝返り、もはや誰を信じてよいかも分からない。今目の前で忠臣面している者が、あすにも羽柴陣営に寝返っていてもおかしくないのだ。
「・・・書状を書く。秀吉殿に和を乞うのだ。伊勢と伊賀を割譲するならば、我らを無体には扱わんだろう」
「殿!しかしそれでは徳川殿はどうなります!?亡き右府様の信義を重んじ、力を貸してくれた徳川殿に何と申し開きをするのです!」
家臣の諫言に信雄はウッと詰まるが、後ろめたさを隠すように家臣を怒鳴る。
「と、徳川殿とてこの戦いの落としどころを迷うておられるに違いないわ!わしが伊勢・伊賀を割譲して戦の幕を引いてやるというのじゃから、感謝こそすれ、非難されるいわれなどない!」
―――信雄陣営と秀吉陣営の間で秘密会談が持たれ、信雄は伊勢・伊賀両国を秀吉に割譲することを条件に秀吉と和睦。旗頭である信雄が秀吉と和睦したことにより、戦いの大義名分を失った徳川軍も三河へ撤退することとなった。
帰国の途に就いた家康は、信雄の単独講和によって兵を引かざるを得なくなり秀吉と決着をつける事は出来なかったものの、彼女は確かな手ごたえを感じていた。
(この戦いで、秀吉殿に我ら徳川の力を見せつける事は出来たはず。徳川は味方にしておくべきだと。彼女が西に向かうには徳川と和を結ばなければならないと感じて頂けたはずよ)
本能寺の変の後、家臣たちの中で『徳川家こそ天下を取るべし』という思いがほんの少しずつではあるが、広がっていることは感じていた。しかし、家康は自分が天下を取るにはまだ早いと感じていた。
(私が望むのは天下泰平・・・秀吉殿がそれを成し遂げられるというのならば、無用な騒乱を起こす必要など・・・)
恐らく遠からず秀吉による天下統一は成るであろう。
だが、その天下はいつまで続く?
源頼朝が平家を滅ぼして鎌倉に幕府を開いた時、足利尊氏のもと室町幕府が開かれた時・・・その時代の人たちは、源氏による天下、足利氏による天下が永遠に続くと思っていたのかもしれない。しかし、源氏は三代で北条氏に取って代わられ、足利氏は織田信長によって滅亡に追いやられた。
(もし、秀吉殿の身に何かが起こり、それによってこの日ノ本が再び騒乱の炎に包まれそうな時には、私は―――)




