小牧・長久手の戦いの章~第十話~
池田恒興は織田信長が打ち立てた偉業を創成期から支えた織田家の宿老である。桶狭間の戦いに始まり、信長の戦いの多くに従軍してきた歴戦の勇士であった。信長の晩年には、織田家に反旗を翻した摂津国の大名・荒木村重を撃破し、その旧領を有する。
本能寺の変後は羽柴秀吉に属して山崎の戦いで戦功を挙げる。賤ヶ岳の戦いでは参陣こそしていないものの、戦後に美濃国大垣城主(現在の岐阜県大垣市郭町)に任じられ、今回の戦いでも去就が注目される人物であった。結果として彼と池田家は羽柴方に属し、前哨戦で尾張国の要衝・犬山城を奪取する功を立てた。
そして今、彼は娘婿の森長可とともに岡崎城攻囲の軍の先陣として参加していた。
完勝の戦のはずだった。
敵将は年若く、実戦経験の浅い鷹村秀康なる娘。兵数も少なく、奇襲さえ警戒すれば不覚を取る事はないはずだった。
しかし、将の油断は兵の油断を誘発していたのだろうか。『窮鼠猫を噛む』という言葉が恒興の脳裏に浮かんだ。
「・・・状況は!」
「敵は大手門より出陣し、元助様の陣を攻撃中!不意を突かれた元助様の隊は総崩れ、すでに森様と輝政様が援軍に向かっております!」
「むぅぅ・・・朝駆けを受けたとはいえ、崩れるのが早すぎる。元助め、油断しておったか」
(しかし、それにしても秀康とやら、凄まじき突進力よ。堀殿と秀次様にも援軍を要請した方がよいかもしれぬ)
恒興は近習に馬を曳いて来させて騎乗するとともに、伝令を数人呼んで指示を下した。
「秀次様と堀殿に『敵を前線にて食い止める故、引き付けて一気に包囲すべし』と申し上げよ!前線の部隊には援軍が来るまで持ちこたえるよう伝えよ!」
夜明けとともに岡崎城から打って出た秀康率いる徳川軍は、正面に陣取る池田元助隊に突撃を敢行した。秀康は数名の足軽を蹴散らすとすぐに馬を捨て、徒歩侍とともに槍を振るった。
「チッ、次から次に雑兵どもが湧いてきやがって」
槍が折れれば太刀を振い、刃が欠ければ討死した敵兵から槍と刀を奪う。ただそれの繰り返し・・・返り血を浴び、なおも敵を斬り捨てる少女の姿に、敵兵は浮足立った。
「次はどいつだ・・・」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その姿に戦き、敵兵は武器を捨てて次々と逃げ出した。しかし、徳川軍はそれを逃がさない。秀康隊の後方に陣取る内藤家長率いる弓隊が前線の秀康隊を援護すべく、矢の雨を降らせ、敵兵を討ち抜いていく。城内からは奥平貞能の指揮のもと、鉄砲隊が銃撃を加える。
「おのれ・・・あの小娘め・・・」
池田元助も体勢を立て直そうとするが、大混乱に陥った元助隊は大将の指示を受け付けることが出来ない。加勢に来るであろう長可と弟の輝政と代わって一度退き、体勢を立て直す。父の指示通り、そう考えていた矢先、ふと視線を向けた先に森家の家紋『鶴の丸』の旗を掲げた部隊が目に入った。こちらに向かっているはずの森長可隊に相違ない。
しかし、ふとした違和感を覚えた。さきほどから、森隊が全く動いていないような?
「徳川勢が討って出たとな」
堀秀政は落ち着いた様子で池田恒興から送られた伝令兵の情報を受け取ると、兜を被ってその緒を締めた。
「徳川勢を誘引し、我が隊と秀次様の隊で包囲殲滅する。元助殿には後退し、森殿と輝政殿に本隊が動く時間を稼ぐよう伝えよ」
秀政の戦略としては中央の元助隊を退却させ、追撃してくる徳川軍に対して両翼に陣取る輝政隊・森隊に横槍を突かせ、池田本隊に退路を断たせる。そして秀政隊と秀次隊で包囲殲滅する。
「少数の兵で大軍の我らを破るには夜討ち朝駆けより他はない。朝駆けにて元助隊を蹴散らしたまでは見事だが、池田殿や我らを侮っていたな」
昨晩から今朝にかけて、秀政は兵を交代させながら奇襲に備えていた。後方に陣取っていたこともあるが、堀隊はすぐにでも動かすことが出来る。
加えて前衛部隊を率いるのは歴戦の勇者・池田恒興。彼ほどの実力者ならば、すぐにでも体勢を立て直して徳川軍を包囲殲滅することが出来るだろう。
「私に続け。徳川軍を包囲殲滅する」
「ははっ!」
しかし、戦では常に予想外の事が起こるものである。
岡崎城内から放たれた一発の銃弾が『鬼武蔵』こと森長可の眉間を撃ち抜くなど、誰が予想しえただろうか。




