小牧・長久手の戦いの章~第六話~
織田信雄・徳川家康連合軍が本陣を構える小牧山。現在、小牧山市役所が麓にあるそこから13キロほど離れたところに、羽柴秀吉の本陣・犬山城はある。
「む~・・・」
羽柴軍総帥・羽柴秀吉は可愛らしい頬をプックリと膨らませて、目に当てていた遠眼鏡を外した。彼女が見据えていた先は、徳川・織田連合軍の本陣・小牧山。相変わらず風になびく三つ葉葵と織田木瓜、そして敵総帥・徳川家康の馬印。
犬山城・羽柴軍軍議の間―――
「む~!家康殿、ぜんっぜん動かないじゃないかぁ!これじゃあ、手が打てないよぉ!」
床几に乱暴に座って駄々っ子のようにジタバタする彼女に、大柄で威圧感がある体格ながらも穏やかな表情の男が宥める様に声をかけた。
「まぁまぁ、姉上。焦っては勝てる戦も勝てませぬ。ここはドッシリと構えて徳川軍の動きを待ちましょう」
「秀長~・・・」
大男の名は羽柴秀長と言い、秀吉の異父弟である。彼は羽柴家の副将として、いつまでも子供っぽい姉の手綱を握り、陰に日向に支えてきた人物である。
「しかし、羽黒で敗れて小牧山を固められたのは痛いですな」
端正な容貌に眼鏡をかけて知的な雰囲気の男性、与えられた仕事を何でもそつなくこなす事から『名人久太郎』と呼ばれる堀秀政は、先日の戦で敗れた森長可を暗に批判した。
「ぐっ・・・!」
暗に批判された猛将と名高い森長可は、悔しげに膝に置いた拳を強く握った。
事は羽柴本隊到着前に遡る。犬山城を占拠した池田恒興父子と、恒興の娘婿の長可は織田・徳川軍に占拠された小牧山の陣地を固められる前にこれを攻略しようと出陣したが、これを迎え撃った徳川軍の奥平信昌と酒井忠次によって撃破されていた。
猛将・武蔵守長可としてはこの汚名を雪ぎたいと機会を狙っていたのである。
「義父上!」
池田恒興の部屋を訪れた長可は、頭から湯気が出そうなほど憤怒の形相であった。娘婿のただならぬ様子を見ただけで、恒興は何があったかを察していた。
「如何した婿殿。大方、先日の羽黒での負け戦を詰られでもしたのだろう?」
「左様にござる!堀久殿にいじめられ申した!」
婿の様子から見て、次に彼が何を言おうとしているのかが手に取るように分かる。それほどまでに彼は単純な人物でもあった。
「義父上!私に力を貸してくだされ!必ずや、徳川軍と堀久殿の鼻を明かして見せまする!」
(やはりか)
「・・・婿殿。そなたの気持ちは痛いほどわかる。わしとて婿殿に何とか名誉を挽回してもらいたい」
「では!」
目を輝かせて身を乗り出す長可だが、恒興は首を横に振った。
「時期ではない。徳川軍の隙を未だに秀吉殿も幕僚たちも見出せておらぬ・・・今動いても、先日の二の舞ぞ」
歴戦の将たる義父の言葉に、肩を落として落胆する長可。
しかし、彼らが知らぬところで事態は進んでいるのだった―――
「―――それは、どういう事か?」
この男を招き入れたのは軽率だったかと、石川数正は内心舌打ちをした。数正の守る岡崎城を訪ねてきたのは主君・徳川家康の夫、鷹村聖一の友人だというこの男。怪しくはあったが、『内々に伝えたいことがある』という彼の言葉と、徳川家内部しか知らない聖一の詳しい経歴を語ったことにより、話を聞いてみようと思ったのだが―――
「何、簡単なことですよ。貴殿が羽柴軍に降り、この岡崎城を明け渡していただきたい。そう申し上げたのです」
数に劣る徳川軍が羽柴軍に対して優位に立っているのは、戦場である尾張から本国のある三河までの距離が近いこと。これにより、徳川軍は兵士の入れ替えや兵糧や矢玉などの補給が容易であった。その前線基地が岡崎城である。
「話にもならんな。誰ぞ、お客人のお帰りだ―――」
数正が人を読んで客人に帰ってもらおうとした時、男は言った。「これを読んでもまだそう思われますかな」と。そして、懐から取り出されたそれを見た数正は顔面蒼白になった。
「こ・・・これが、なぜそなたの手にある・・・!」
数正の恐怖におののく顔を確認した客人―――石田三成配下・大谷吉継はニヤリと唇をゆがめた。
「主君への横恋慕の禁止―――かの鎌倉幕府三代執権・北条泰時公が源頼朝公の命で御成敗式目で定めた一文がありますなぁ」
鎌倉幕府初代将軍源頼朝は奥州征伐後、御家人たちに自分が女であることを公表するとともに、女性でも文武に優れた者は当主になれるという姿勢を示した。しかしここで問題になったのは後継者の問題である。男性当主ならば他家から嫁を貰い、子作りに励む。側室を置くなどして複数の伴侶を持つことがあるが、女性当主ならばそうはいかない。夫が何人いようとも、ひとりの男性との子供しかできない。さらに子が出来ると、身重となり兵役が果たせなくなる。しかし、一夫一妻では子が出来ない可能性もあると考え、男性同様特に婚姻に縛りは設けていなかった。
しかし頼朝は死の直前、有力御家人であった大江広元に『女性当主は一夫一妻に限る。さらに家臣は主君から求められない限りは主君に対して恋慕の情を抱いてはならない』という一文を決まりに定めるよう命じたのである。突然の遺命に大江広元は困惑したようだが、後に定められた『御成敗式目』のなかにその一文は記されており、鎌倉幕府が滅んだ今でも武家及び主従間の暗黙の了解として広まっている。しかし長い歴史のなかで、今や禁忌となってしまったその決まりを破ったことで、家中で争いが起こったこともある。そんななかで起こってしまった大事件がある。それが『応仁の乱』である。女性将軍であり、後に『傾城将軍』と言われるほどの美女であった室町幕府八代将軍・足利義政だが、男関係はだらしがなかったようで、夫の日野勝光がいるにもかかわらず当時の有力守護だった細川勝元や山名宗全、さらには管領家の斯波家と畠山家の当主や将軍側近とも乱れた関係にあった。そんななかで、彼女は妊娠・出産。生まれた子が九代将軍・足利義尚となるのだが、その父親の座を巡って細川派と山名派に分かれて日本中で諸大名は戦争に明け暮れた。
『家臣の一方的な恋慕は主家を揺るがす』。実は徳川家でも、家臣の横恋慕が原因で家が崩壊しかかったことがあった。それが家康の祖母で名将の誉れ高かった松平清康が陣中で家臣に刺殺されて松平家の衰退を招いた所謂『守山崩れ』である。この時、すでに夫も嫡男・広忠もいた彼女を刺殺した家臣の持ち物のなかに、清康に出そうと考えていたのだろう、恋文があったのである。また同じ筆跡の物が清康の使用していたゴミ箱の中から発見されたことから、何通も出していたことが分かった。
その為、徳川家では家康が当主になった際に『家臣団は主君に恋慕の情を抱かない』という血判状を認めたのである。無論、その家臣団の署名の中には石川伯耆守数正の名もあった。
「これが広まったら、石川殿は徳川家に居られなくなるでしょうなぁ。いや、もはや武家の風上にも置けない者としてどこの家にも仕官できますまい」
「ぐ・・・」
確かに吉継の手にある恋文は数正が認めた物だ。しかし、それは彼が家康が駿府に人質として滞在していた際に書いた物で、血判状を作成する前の物。結局は渡さず、かといって捨てられずに踏み箱の奥に隠していたものだ。
「・・・ここで貴様を殺して、文を処分するという事もあるのだぞ」
脇に置いてある刀に手をやり、吉継を睨みつける数正。しかし吉継は余裕の笑みを崩さない。
「私をここで斬っても結構。しかし、私がこの岡崎城から無事に出なければ、文を印刷したものを徳川家臣団に送るよう私の手の者に命じております」
「・・・貴様の目的はいったい何なのだ?私には岡崎城を奪う以外に目的があるように思えてならない・・・」
肩を落とした数正は、絞り出すような声で呻く。それに対し、吉継は数正が後々まで恐怖したという表情で語った。
「俺はなぁ・・・あいつが憎くて仕方ねぇんだ。俺が立つべき場所、手に入れるべき才能、そのすべてを奪いやがって・・・絶対にあいつからすべてを奪ってやると、この世界に来て決めたんだよ・・・!」
―――岡崎城代石川数正、息子康長・康勝とともに岡崎城を出奔し、羽柴軍に降伏する―――
徳川・織田陣営にそんな凶報が届くのに、そんなに時間はかからなかった。




