天正壬午の乱の章~第六話~
遅くなりましたが、今年一回目の投稿です!
『会議は踊る、されど進まず』
1814年から翌15年にかけてオーストリア帝国の首都ウィーンで行われた国際会議の状態を表すものとして有名である。
フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として開催されたが、各国の利害が絡んで数か月経過しても全く進捗せず、結局はフランス王を追われてエルバ島の小領主になっていたナポレオン・ボナパルトがエルバ島を脱出して復権を目指すと、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結されたというものだ。
新府城で開かれた北条家との講和条約の内容を巡る徳川家の重臣一同が集った評定は『徳川家の御為』という意思は統一されてはいたものの、まさにウィーン会議そのものであった。
「鷹村殿!いくら殿の夫君とはいえ、こればかりは譲れんぞ!真田如き小領主の領地を守ることよりも、徳川家にとって大事なことはいくらでもあるだろう!」
酒井・本多・井伊ら大方の重臣たちは聖一の提言―――『真田昌幸の上野沼田の領土保全』に反対であった。それもそのはず、今回の北条家との同盟では徳川の有力武将・鳥居元忠が北条家嫡男・氏直に嫁ぐことになっている。彼女1人との引き換えが小領主の領地安堵ではとても納得ができなかった。
「真田安房守殿はかの武田信玄公が『我が眼』と評し、この度の戦でも小さからぬ戦功を挙げられた戦巧者。御子息の源三郎信幸殿、御息女の源次郎信繁殿も北条軍を相手になかなかの戦功を挙げたと聞きます。沼田の所領を安堵してやり、彼ら一族を味方にすれば徳川家にとっても頼もしき味方となると思うのですが?」
一方の聖一も譲らない。彼の知る日本史において、真田家というのは徳川家の―――ひいては家康の天敵である。2度に渡る上田合戦に大坂夏の陣における真田信繁(真田幸村の名で知られているが、本名は信繁)の家康本陣への強行突撃。すでに姉川の戦いで本来の彼の知る歴史とは違った部分もあると知った聖一にとって、どれも看過できるものではなかった。
(この言い争い、いつまで続くのかな~・・・)
大論争の中、ひとり欠伸をかみ殺すのは榊原康政である。彼女としては『おにーちゃんがここまで言い張るんだから、何か重要なことなんだろう』とは感じていたので、立場的には聖一の味方だった。
上座に座る家康は、昨日から黙りこくって家臣たちと夫の議論を見ているだけ。議論をする家臣団の意見を纏めて、主君が最終決定を下す・・・これが徳川家の普段の評定ではあった。
「静かに」
家康はしばらく目を閉じて議論に聞き入っていたが、ふと目を開けて口を開く。決して大きな声ではなかったが、いつも不思議と通る声は白熱した議論を止めて全員の顔をこちらに向けさせるに十分であった。
「聖一さん」
「はい」
呼ばれた聖一は彼女に向かって向き直る。夫とはいえ、それはプライベートでの事。普段の場では2人は主君と家臣の立場である。
「真田安房守殿は、徳川にとって益となる人物ですか」
「安房守殿を徳川の幕下に加えるということは、劉邦が張良を得るが如しと言えるでしょう」
聖一の評に、どよめく一同。漢の創始者・劉邦に仕えた軍師に例えられる真田昌幸とは如何なる人物なのか・・・彼の口から改めて真田昌幸の事が語られだした。
「かの人は『攻め弾正』こと真田幸隆殿の三男として生を受け・・・」
信州・真田本城。徳川家中で噂の人物・真田安房守昌幸の居城である。その居城本丸に築かれた居館を歩く少年の姿があった。
年の頃は10代半ばといったところの、柔和な相貌の少年である。後頭部で結った緑色の髪を揺らしながら、ある場所に向かって歩いていた。彼の名は真田源三郎信幸。この城の主・昌幸の息子である。
(しかし、我が城は暗殺者に優しい城だ)
彼は常々そう考えていた。父の首を狙う暗殺者にとって、父の居場所を探るには容易である。なぜなら―――館中に響き渡る、父の鼾である。
何かにつけて豪快な父は、鼾まで豪快である。父の鼾のせいで、侍女数名が不眠に陥っているという報告も何度か聞いていた。
目的の部屋―――鼾の発信源の部屋の襖の前に辿り着いた信幸は、刀の鞘をドンドンと2度床を叩いた。これをしないと、暗殺者に間違えられて父に殺されかねない。
「父上、失礼いたします」
「おう」
襖を開けると、そこには父がいつもの姿で寝転がっていた。
戦場焼けした褐色の肌、頬には戦で付いた刀傷。生まれたままの状態の筋骨隆々の巨体、そして枕元には大刀・・・彼こそがこの城の主にして信幸の父・真田安房守昌幸である。
チラリと父の横に目をやると、そこには裸で気絶したように眠る女性。
「・・・母上とお楽しみだったようで」
「はっはっは!お前の弟妹が増える日も近いかもしれんぞ!・・・で、徳川からの使者が来たか」
「はい。すでに大広間にてお待ちです」
「そうか。では湯を浴びてから参ると伝えよ」
あまり見たくなかった両親の痴態には目を瞑り、急いで着替えるよう急かして大広間の使者のもとへ戻った。
大広間に戻った信幸は、徳川家の使者に申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありませぬ、鷹村殿。父は少し遅くなるようで・・・」
「いえ、お気になさらず。私も少々一息入れる時間が欲しかったので・・・」
聖一は徳川家臣団を納得させたその足で、真田本城にやってきていたのだった。護衛に渡辺守綱と養女の秀康を従えて。しばらく待っていると横の襖が開き、窮屈そうに礼服に身を包んだ褐色の偉丈夫が姿を現した。彼は聖一を認めると、ニヤリと笑みを浮かべた。
「約束は守ってくれたようだな、鷹村殿」
「遅くなりまして申し訳ありませぬ、真田殿」
聖一が一礼すると、昌幸は懐から1通の書状を取り出し、『真田安房守殿』と記されているそれを、何の躊躇いもなく破り捨てて見せた。
「徳川殿から沼田を安堵さえされれば、上杉からの書状は用無しよ」
彼は大きな音を立てて座ると、こちらに向かって一礼した。
「この真田安房守。徳川殿に御味方いたすことを約束しよう」
―――徳川家康による真田昌幸の沼田領安堵。聖一の知る歴史が少し変わった瞬間だった。これがのちに大きな分岐点になるとは、このときまだ誰も予想できなかった・・・




