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月の光と葵の乙女~天正争乱~  作者: 三好八人衆
天正壬午の乱の章
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天正壬午の乱の章~第四話~

北条軍別働隊を率いる大将・北条氏忠(ほうじょううじただ)は先代当主氏康の六男である。彼の別名は佐野氏忠と言い、平安時代から続く下野国の名門・佐野氏の養子となっており、ほかの兄弟とともに兄の氏政と甥の氏直を補佐している。

しかし、その氏忠にも現在進行形で困ったことがある。一族の北条氏勝(ほうじょううじかつ)とともに別働隊を率いる彼だが、騎馬を駆る彼の隣で同じく騎馬を駆る青年にその原因はあった。

「叔父上、なにか?」

「・・・のう、新九郎殿。そろそろ小諸城では大騒ぎになっているのではないかと思うのだが・・・」

隣で騎馬を駆るのは北条全軍を率い、小諸城で総指揮を執っているはずの北条新九郎氏直(ほうじょうしんくろううじなお)であった。

「・・・たまには意味もなく馬を責めてみたい時もあるのです」

「答えになっておらんぞ!?・・・まったく黙って付いて来んでもよかろうに・・・」

氏直は幼少期から突如として突拍子もない行動を起こしては、周りを困らせる子供であった。先ほどまで静かに兵法書を読んでいたかと思えば、次に家臣が目を向けた時には城を抜け出して小田原城下を散策しているというような事が多々あった。

「む、斥候が戻ってきたか・・・なんだ!」

「申し上げます!鷹村聖一率いる徳川の別動隊が黒駒に布陣し、我が軍を待ち受けております!数は2千ほど!」

数の少ない徳川軍が数の多い北条軍を迎え撃つ場として、大軍が展開できない足場が狭いところで迎え撃つのは妥当な策である。

「『月の使者』が相手・・・押し通りますか」

「・・・ああ。少々荒い策だが、これ以上回り道をして兵を悪戯に疲れさせるわけにもいくまい」

『北条鱗』の旗を押し立てて、北条軍は黒駒に向かって進軍を開始した。







「北条軍1万、こちらに向かって進軍中!」

「分かった」

黒駒に簡単な砦を構築した徳川軍。報告を受け取った聖一は、集った兵たちの前に立った。彼ら一人一人の目は爛々と輝き、戦に向けて戦意が高揚しているのは明らかであった。

「皆聞け!北条軍は数こそ1万なれど、連戦に山道の行軍で疲れている!士気も高くはなかろう・・・我らの敵ではない!」

『オォー!』

兵士たちの雄叫びがこだまする。彼らの喊声(かんせい)だけでも北条軍を圧倒できそうだと彼は感じた。

「我々は勝つ!」

『応っ!』

「総員構え!」

北条軍の旗が現れ、聖一は鉄砲隊と弓隊に戦闘準備を命じる。鉄砲隊の火縄の香りが戦場に立ち込めだす。

北条軍の先陣が、喊声を上げて砦に向かって突撃してくる―――火縄銃の射程圏内に入ったところで、鉄砲組頭と後ろに控える弓隊組頭が指示を下す。

「撃てっ!」

「放てっ!」

銃声が響き、矢が風を切る音が鳴り響いて北条兵に殺到する。悲鳴を上げて北条兵が斃れていく。

「第二陣、用意!」

「撃てっ!」

「放てっ!」

聖一は容赦せず第二陣に攻撃を命じ、自らも矢を放って騎馬武者を射落とす。3・4度と繰り返すうち、北条兵たちの勢いが目に見えて弱ってきた。

「3将、突撃!」

この機を逃すほど聖一は甘くはなくなった。北条陣に風穴を開けるべく鳥居・三宅・水野の3将に突撃を命じた。鳥居隊を先陣に北条軍を蹴散らしていく。







徳川隊の先陣を切る鳥居元忠は、長刀を振るって北条軍を蹴散らしていく。先日の対武田戦の一環である高天神城奪還戦で負傷して足に障害を負って以来の出陣に、彼女は張り切っていた。狙うは名高き大将の首一つ。

(どこかに名高き将は・・・)







「氏忠様!お逃げください!」

「う、うむ。ところで新九郎殿は?」

「・・・あ、あれ?おられませぬ!」

「なにぃ!?」





明らかに格の違う者は、身に纏うものが違う。それは目に見えない物であったり、身に着けている物であったりする。

その2つを兼ね備えている人というのは、明らかに回りと違うものである。元忠が戦場で出会った騎馬武者は、まさしく本物の高貴な将であった。

平安の昔、平清盛(たいらのきよもり)の孫で富士川の合戦に向かった黄梅少将・平維盛(たいらのこれもり)の武者姿は美しく、絵にも描けないと言われたそうな。

(まさに維盛少将の再来・・・と言ったところかしら。北条の名高き将なのは間違いないですわね)

「私は徳川家臣・鳥居彦右衛門(とりいひこうえもん)!貴殿の名をお聞かせいただいても?」

「・・・左京だ」

抜刀した『左京』が斬りかかり、元忠は長刀を振るって応戦する。

(・・・なかなかの腕前。ただの美男子ではないのですね)

しばらく切り結んだ後、彼は唐突に距離をとって矛を収めた。

「・・・貴女とは、気が合いそうな気がする」

「え?」

「また会おう」

彼は踵を返して風のように去って行った。後には、ポカンとした元忠だけが残された・・・

「・・・変わったお人ね」







小諸城に引き揚げた北条軍。氏直は文句を言ってくる小姓の小言を聞き流しながら鎧を脱ぎ捨てていき、ポツリと口を開いた。

「・・・これが運命とやらか?」

「は?」







黒駒での徳川軍の勝利後、信濃戦線は大きく変わっていった。木曽地方の豪族・木曽義昌(きそよしまさ)が徳川方に寝返り、旧信濃守護の家柄である小笠原貞慶(おがさわらさだよし)が旧本拠地・深志(ふかし)(現松本市)に入って徳川方として活動。さらに真田昌幸(さなだまさゆき)が徳川方の依田信蕃(よだのぶしげ)に味方して北条軍の兵站を脅かしだした。さらに彼らに武田旧臣の曽根昌世(そねまさただ)を付けて戦力を強化、北条軍を各方面で苦しめだしたのである。

ここに至って北条軍はこれ以上の戦闘を諦め、徳川との講和を模索しだす。そして北条家の外交僧・板部岡江雪斎(いたべおかこうせっさい)が新府城に持ってきた講和条約の内容のひとつに、一同は騒然とする。

―――次期当主・左京大夫氏直(さきょうのだいふうじなお)のもとに、鳥居彦右衛門が正室として嫁ぐこと――――



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