第58話 薬草採取
ギルドの高い天井の付近に穿たれた細い窓。そこから差し込む幾筋もの朝日が、石造りの広間を冷ややかに照らしていた。
その光景とは対称的に、依頼ボードの前は冒険者たちの荒い呼気と苛立ちで満ちている。
「おい、今日は薬草採取の報酬が跳ね上がってるぞ!」
「どけ!先に目を付けたのはこっちだ!」
「いいからこっちにも寄越せ!」
依頼票を奪い合おうとする男たちの影が、床に激しく揺れる。
「朝からすごい熱気だな。依頼票取ってくるぜ」
言うが早いか、ライルの背中は冒険者の群れに飲み込まれ、たちまち見えなくる。
「取ってきたぞ!」
やがてライルが誇らしげに薬草採取の依頼票を掲げて戻ってきた。
僕たちはそのまま窓口で依頼を受注し、北門へと向かった。
門が近づくにつれ、道端には小さな露店が目立ち始める。
「昨日資料室で調べましたが、北側は湿地帯です。出る前にブーツに脂を塗ってもらいましょう」
僕がそう言うと、ライルがさっそく近くの露店に向かう
「おっちゃん、俺たちのブーツにも頼むぜ!」
ライルの威勢のいい声に、革の前掛けをした老人が無言で頷いた。
露店の台の上には、獣の脂を煮詰めた独特の臭いを放つ木桶が置かれている。老人は手慣れた動作で、僕たちのブーツの継ぎ目や革の表面に、ねっとりとした脂を刷り込んでいく。
僕は老人に銅貨を数枚払うと、脂の匂いを纏った仲間たちと共に、門をくぐった。
門を抜けた先は、石造りの街並みが嘘のような泥濘が一面に広がっていた。
黒い泥水を覆い隠すように、乳白色の霧が低く立ち込めている。
視線をわずかに上げれば、霧のカーテンの向こうで、冒険者たちの影が揺れていた。
「底なし沼も点在しているようです。僕の後に付いてきてください」
一歩踏み出す。泥が足首まで沈み込み、脂を塗ったブーツが黒く濁った泥水を撥ね飛ばした。
僕は杖で足元を探りながら、慎重に進んでいく。
立ち枯れた木々が不気味に並ぶ水辺を抜けると、霧の向こうに鮮やかな青が見えた。
倒木の影、そこだけが周囲の泥濘から孤立するように、草むらが小さな島となって浮かび上がっている。
「おい、あそこ!薬草じゃないか」
駆け出そうとするライルの肩を、僕は慌てて掴んで引き止める。
「待って、ライル。よく見てください。あの島、底なし沼に囲まれています」
僕は手にした杖を地面に突き刺した。
杖は何の手応えもなく、根本まで一気に飲み込まれていく。
「……うわっ、マジかよ。杖が消えた……」
ライルが顔を引きつらせて後ずさりする。
「エレナお願いします」
僕が声をかけると、エレナはうなずいて、一歩前へ出た。
右手を泥濘にかざし魔力を集中させる。
パキパキ、と乾いた音が連なり、黒い泥の表面が一気に白く染まっていく。
凍結は波紋のように広がり、足場を形作っていった。
僕は引き抜いたばかりの杖で凍りついた地面を叩き、感触を確かめる。
「大丈夫そうです、急いで渡りましょう」
僕は凍りついた地面へ一歩踏み出した。
わずかに軋む音が足裏に伝わるが、沈む気配はない。
「……頼むぞ、割れるなよ」
ライルがぼやきながら進み、カイも無言で後に続く。
全員が渡りきったのを確認して、僕はようやく息を吐いた。
「……はぁ、生きた心地しなかったな」
ライルが肩を落とし、大げさに息をつく。
底なし沼の先にぽっかりと浮かぶ浮島。その奥、倒木の根本にそれはあった。
透き通るようなコバルトブルーの花弁。その下で露を湛える、小ぶりなハート型の葉。
——間違いない
資料にあった、ポーションの原料。
「これが『瑠璃雫草』ですね」
僕はそっと屈み込み、慎重にナイフを差し込んだ。
「根は残して、ナイフで丁寧に摘み取ってください」
手本を見せるように、茎の根元に刃を当てる。サクッ、という手応えとともに、透き通った青い花が掌に収まった。
「よし、手分けして摘んじまおうぜ」
ライルの言葉に、カイとエレナも腰を下ろした。
静かな湿地にナイフの音だけが響く
「……これで最後っと。さて次の群生地を探そうぜ」
ライルが立ち上がり、腰を大きく伸ばした。
だが僕は首を振り、刈り取ったばかりの株へ指先を触れる。
「いえ、ギルドも困っているようですから、効率的に採取して、沢山納品してあげましょう」
僕はそう言って、根元に向けて『ヒール』をかけた。
刈り取られたはずの『瑠璃雫草』が、時間を巻き戻すように再生していく。
みるみるうちに茎が伸び、葉が広がり、元の群生へと戻っていった。
「……は、ははっ。マジかよ。そんな使い道あんのかよ、すげーなノア」
驚きで目を丸くするライル。
「……はぁ。ノアの『ヒール』が規格外なのは知っていたけど、大概ね」
エレナは呆れたように、深いため息をついた。
「でも、これでギルドの薬不足も解決しますし、僕たちも儲かる。一石二鳥ですよ」
そう言いながら、僕は新しく芽吹いた瑞々しい茎にナイフを滑らせた。




