第127話 グリフォン1
「さて、日が暮れる前に火を起こさなくっちゃ」
オルハンは、ぱん、と手を叩くと辺りを見回し、乾いた枝を手際よく拾い集めた。
慣れた手つきで枝を組み、火打ち石で火種を落とす。
やがて橙色の炎が揺らめいた。
「じゃあ、夕食の準備をしようか。フィサーンはとっても美味しいんだよ!」
オルハンは先ほど仕留めた鳥に香草を詰め込むと、川べりの赤粘土を塗りつけ、炭火の中へ放り込んだ。
「羽も皮も一緒にはがれるから、下ごしらえも楽なんだよ」
しばらくして、泥の塊を叩き割ると、黄金色に焼き上がった肉が現れる。
立ちのぼる湯気とともに、ハーブの香りが夜の森を満たした。
受け取った胸肉に歯を立てる。
噛んだ瞬間、肉汁と香草の香りが口いっぱいに広がった。
「……なるほど。理屈は分かります。でも、ここまでとは思いませんでした」
「でしょ?」
オルハンも豪快にかぶりつく。
何度もこの料理を作ってきたことを物語る、堂々とした食べっぷりだった。
焚き火の炎がぱちぱちと爆ぜる。
夜の森は静まり返り、ときおり冷たい風が木々の間を抜けていく。
「ノアはさ。何か夢中になれるものってある?」
「特には。気ままに生きているだけです。できることをしているだけで」
「それもそうか」
オルハンは焚き火へ枝を一本放り込んだ。
「僕が君くらいの年の頃は、何をしたいかなんて考える暇もなかったな」
「オルハンさんにも、そういう時期があったんですね」
「あったよ」
彼は遠い昔を思い出すように炎を眺める。
「ただ、生きることに必死だった。今とは別の意味でね」
しばらく、薪の爆ぜる音だけが響いた。
「どうして、そこまでして生きようとするんですか?」
オルハンは一瞬、言葉を飲んだ。
「……言ったでしょ。約束があるって」
「約束?」
「うん。友達を、孤独にしないため」
それだけ言うと、オルハンは立ち上がった。
「さあ、もう寝よう」
オルハンは地面に手をかざした。
「――『フェアリーサークル』」
淡い光が地面を走り、僕たちを囲むように円を描く。
「これで、何かあれば精霊が教えてくれるから、ぐっすり眠れるよ」
小屋の中に作られたツタのベッドに横たわる。
葉の壁が風を遮り、外の冷たさはほとんど感じない。
森の匂い。
遠くで鳴く夜行性の獣の声。
焚き火が爆ぜる音。
それらすべてが、少しずつ遠ざかっていく。
目を開けると、葉の隙間から白んだ光が差し込んでいた。
外に出ると、焚き火はとうに消え、白い灰だけが残っている。
オルハンはすでに起きていて、灰の中から拾った小枝で、消えかけた熾火をつついていた。
「おはよう。よく眠れた?」
「ええ、おかげさまで。この小屋のおかげですね」
「でしょ?」
オルハンは得意げに笑うと、軽く伸びをした。
「今日は、いよいよグリフォンだね」
その声には、昨夜の重さはもう欠片も残っていなかった。
いつもの、無邪気な笑顔。
僕は荷物をまとめながら、彼を観察する。
昨夜見せた横顔と、今の笑顔。
どちらも、同じオルハンのものだ。
「行こうか」
彼はそう言うと、迷いのない足取りで森の奥へと歩き出した。
森の奥へ進むほど、木々は少なくなっていく。
鳥の声は遠ざかり、代わりに乾いた風の音が耳に残った。
やがて木々が途切れ、切り立った岩肌が姿を現した。
「来ます!」
『魔力走査』の範囲の端に、高速で接近する反応を捉えた。
オルハンもすでに空を見上げ、弓を構えている。
やがて、雲の向こうから巨大な影が現れた。
馬車二台分はあろうかという巨躯。
鷲の頭と翼。
獅子の胴体と後脚。
グリフォンだ。
鉤爪の生えた前脚には、丸々と肥えた牛が一頭、まるで玩具のように吊り下げられていた。
オルハンが弦を引き絞った。
放たれた矢は風を裂き、一直線にグリフォンへ迫る。
だが——
グリフォンの巨体が、あり得ないほど滑らかに横へ流れた。
まるで空そのものを滑るように、矢をかわす。
「風魔法か」
オルハンがつぶやいた。
ただ翼を動かしただけではない。
周囲の風の流れそのものを操り、矢の軌道を読んで回避したのだ。
グリフォンは岩山へ降り立つと、掴んでいた牛を地面へ下ろした。
そして再び舞い上がる。
グリフォンはそのまま上昇すると、不意にその翼を畳んだ。
巨体が、一直線にこちらへ向かって急降下する。
「支援します。——『エンハンス』」
僕はオルハンの視覚と反応速度を強化する。
「すごい……! これなら!」
オルハンはもう一度、グリフォンへ狙いを定めた。
「——『シルフィーアロー』!」
番えた矢の周囲で風が渦巻き始める。
「くらえ!」
放たれた一矢は、風をまとって空を駆け抜けた。
グリフォンの飛行軌道が、再び大きくぶれる。
だが、オルハンの矢もまた、その動きを読んだかのように軌道を変える。
風をまとった一矢が、グリフォンの羽の付け根へ突き刺さった。
巨大な翼が震えた。
支えを失ったグリフォンの巨体は、そのまま地面へ向かって落下していく。
「やった!」
オルハンが声を上げる。
「まだです!——もう一体!」
僕の『魔力走査』が、新たな反応を捉えた。
岩山の影から別のグリフォンが飛び出す。
狙いは僕らだ。
同時に、地面へ叩き落とされたはずのグリフォンが、甲高い声を上げる。
傷つきながらも、口元に風の魔力を集めていた。
「風のブレス……!」
放たれた暴風が、こちらへ迫る。
「こっちは僕が押さえます!」
僕はそう叫ぶと、墜落したグリフォンへ向かって駆け出した。




