第4話 教室の空気
「おはよう、坂城殿!」
朝、廊下で小野に声をかけられた。
眠い目を擦っている生徒が多い中、小野は笑顔だ。なにか話したいことがあるらしく、うずうずとした表情をしている。
「おはよう、なにか良いことあった?」
「おお、わかるか? さすが坂城殿」
「まぁさすがにそんだけニヤニヤされたら。で?」
「聞いてくだされ。実は、前々から狙っていたブツが手に入って」
と、小野はカバンの中から紙袋を取り出す。
そこに手を突っ込み、ゆ~っくりと中から本を取り出す。大きさからして文庫本。カバーの感じからしてラノベか?
だが小野は、すぐに取り出さず、表紙の一部だけをチラ見せして袋の中に戻してしまった。
……そんなに焦らされてもなぁ。
「ところで、坂城殿は00年代の名作ラノベについてどれくらい知識がありますかな?」
「全然詳しくないけど。あ、でも、当時大ヒットしてアニメになって、今でもシリーズが続いてるのもそこそこあるんだっけ?」
「うむ、ラノベの黄金時代のひとつですな。今は投稿サイト経由で出版されるのが多いが、この頃はまだ勃興期。純粋なアマチュアの集いだった時代ですな。なので、この時代の商業ラノベは現代とは違う趣の作品が多く、そこに味わいがあって――」
「つまり、その時代のラノベを買ったわけだ」
小野のうんちくが始まると長くなるので、この辺で口を挟んでキャンセルしておかないと。
「うむ、その通り。さて、我がなにを買ったと予想する?」
「だから、当時のラノベはほとんど知らないんだって」
「ヒントは、アニメ化もコミカライズ化もされていない作品。すでに絶版、電子書籍化もされていない。新品で手に入れる方法はすでに皆無」
「じゃあわかるわけねぇよ」
「全二巻。ちなみに作者はこの作品のみで筆を折ったらしく、当時からほぼ無名と言っていい」
「さては小野……クイズのふりして、そのラノベがどれだけ貴重かを教えようとしているな?」
「はっはっは、さすが坂城殿。鋭い。まさにその通り。さて、この本の稀少性がわかってもらえたところで、そろそろお見せしよう」
ようやく小野が紙袋からラノベを取り出す。
その表紙に、俺はあらゆる意味で衝撃を受けた。
まずはタイトル。
「“いも♡メイ”……なんだこの短いタイトルは。どんな作品なのかまったくわからないぞ」
「当時は四文字タイトル全盛期ですからな。本来なら略称になるものを正式タイトルにするのが一般的だったのですぞ」
「わざと短くしていたのか? 今と真逆だな……」
「ちなみに内容をもとに現代風のタイトルをつけるなら、“ツンデレ妹を俺の専属メイドにしてみた”という感じになるだろうか」
「じゃあ最初からそう書けや、って言いたくなるが……これが時代による文化の違いってやつだな。まぁタイトルはいいとして……」
短いタイトル以上に気になったのは、そのイラスト。
表紙イラストと言えば作品の顔。売上を左右するはずの重要な要素のはずだが……。
なんというか……その……ヘタ。
のっぺりした顔と、素人目にも狂っているとわかるデッサン。六本ある指。四~五色くらいしか使われていない乏しい色彩。
あらゆる点で、商業レベルに到達していないように思える。当時のレベルは知らないが、現代ならこれ以上のイラストは、SNSに毎日腐るほど投稿されている。
「驚いたようだな、坂城殿」
「悪い意味で……いや、そういう言い方は良くないな」
「構わん。むしろそれが自然な反応。この作品は、このクソみたいなイラストのせいで爆死したと言われている」
「いや、クソって言い方は失礼だろう。仮にも商業作品なんだから……たぶんなんか意図があってこんな絵にしたんだよ」
「噂では、その作品の絵師は編集長の子どもらしい。無職だった自分の子どもにイラストレーターという肩書を与えたくて、ムリヤリ描かせたらしい。その子どもは絵を学んだことはなかったし、やる気もなかったのでわざとひどく描いたが、気分を害したくないので編集長はリテイクせずにそのまま使用することにしたとか」
徹頭徹尾ひどいエピソードだ。仕事の私物化も甚だしい。
「こんなクソ絵のせいで盛大に爆死した本作だが、中身はまさに傑作。平均的なレベルの絵師がついていれば、確実にアニメ化し、時代を代表する作品になっていたはずと言われている。その証拠に、一部には熱狂的ファンがいまだにいる。ただでさえ発行部数が少ないのに、ファンが手放さないので中古が出回ることもなく、今もなお知られていないわけで――」
結局長いうんちくを聞かされてしまった。
「我はすでに一巻は読み終わった。二巻はまだ手に入れていないが、いずれ必ず手に入れる。というわけで、この一巻は坂城殿に貸そう。今度、内容について深く語り合おうではないか」
なぜ二十年も前に打ち切りになった作品の感想を今さら語り合わねばならないのか……と言える雰囲気じゃないな。小野は鼻息荒く興奮しているし。
まぁカルトな人気を誇る作品は、ハマればおもしろいってことは珍しくない。貸してくれるって言うなら読んでみるか。
紙袋に包まれた古のラノベを受け取るため手を伸ばす。そこへ、すっと影が差した。
誰かが俺たちの横に立っている。
それは彩紗だった。
彩紗はじっとこちらを見て、
「悪いけど、どいてもらえる?」
と冷たい声で言った。
俺たちは廊下の真ん中で話し込んでいて、道を塞いでしまっていたようだった。
端によって道を開けると、礼も言わず、彩紗はそのまま横を通り過ぎて行った。
アパートにいる時は、猫撫で声で甘えてきて、キスをねだってくる。
でも、学校では素っ気ない。
それはいつものことだ。ここでの俺たちは完全に他人のふりをしている。
「道を塞いでいた我らにも問題はあったが、どいてもらって礼もなしとは……いやはや、一軍様は気取っていることで」
遠ざかっていく彩紗の背中に向けて、小野はため息を吐く。
うちのクラスは、一軍と二軍で完全に分断している。
クラス内にカーストと呼ばれるヒエラルキー構造があるのは、だいたいどこも同じだろう。
だが、この学校は、その度合いが少々強い。
そして、うちのクラスはその中でもさらに色濃く出ている。
一軍と二軍との交流は一切ない。
普通のクラスなら、みんなから好かれていて、両方の階級に顔を出している超コミュ強の一人や二人はいるはずだ。
しかしうちのクラスの一軍は一軍の中でのみ、二軍は二軍の中でのみ活動している。
実際は、部活が同じで放課後は交流があるというケースは少なくない。みんなには内緒だが、俺や彩紗のようなケースもある。
だが、クラスの中では、自分と同じ階級の者としか話をしない。
というより、違う階級の者と話すのを許さない空気が満ちている。
二軍が一軍に話しかければ「調子に乗っている」。
一軍が二軍に話しかければ「上流階級としての作法がなっていない」。
そういう目で見られてしまうのだ。
教室は因習村だ。うかつに不文律を破ろうものなら、村八分という地獄が待っている。
学校でも彩紗と話したいのはやまやまだが、203号室という他人の手が入らない聖域が俺たちにはある。
リスクを冒してまで学校で関わるメリットは、あまりないと言っていい。
その辺は合意の上なのだが……ああいう感じで冷たくされると、やっぱり傷つくなぁ。
そう思っていると、スマホにメッセージが入ってきた。
――彩紗:さっきはごめん、感じ悪かったよね? 小野くんにも謝っておいて。
……彩紗も俺に冷たく当たったことで傷ついていたんだ。
学校では別々の社会に属していても、俺たちの心はいつもひとつなんだ。
「なぁ小野。井納さんも悪気があってああいう態度なんじゃないと思うぞ。むしろ優しい方じゃないか?」
「優しい方とは?」
「だって、他の一軍グループなら、舌打ちとか、足で床を叩くとかしてアピールするだろ? 言葉でおねがいするだけずいぶんマシだぞ」
自分で言ってて悲しくなってきた。
なぜ同じクラスの中でそんなに差があるんだ? 一軍の連中の全員が、俺の上位互換ってわけじゃない。
なんなら、勉強も運動も全然できないやつだっている。
見た目がいいからとか、一軍のやつと仲が良いからそっちに混ぜてもらってるとか、その程度の人間がいくらでもいる。なにせ、一軍と二軍の比率は5:5だ。
根拠があるわけでもなく、いつの間にかなんとなく作られた階級に、どうしてこんなに振り回されなきゃいかんのか……。
「まぁたしかに。他と比べれば、井納嬢はずいぶんと感じが良い一軍なのは間違いない。その辺は認めざるを得ないな。そういえば、坂城殿は井納嬢と同じ中学であったな? 中学時代の井納嬢に関して、いろいろ良くない噂があるが、どの程度事実なのだ? 聞くところでは、ずいぶんと男癖が悪かったそうだが……」
「小野、噂は尾ひれがつくものだ。信用しない方がいい」
「うむ、それはわかっている。しかし、火のない所に煙は立たぬとも言うし」
「火も燃料もよそから持ってこれる。そしたら放火なんて簡単だろ?」
「なるほど、坂城殿は噂を否定する立場を取っている、と。了解した。我は中学時代の井納嬢のことはなにも知らぬ。しかし、坂城殿が信用できる男だということは知っている。ならば、坂城殿の言葉を信じ、噂はただの噂だと納得しよう」
芝居がかっているけど、なかなかカッコ良いこというなぁ、こいつ。
しかし……うちの中学校からここは物理的にかなり離れていて、進学して来ているやつも多くない。
なのに、昔の噂がじわじわ広がっていたとは……小野にまで広がっているということは、もしかしたら一軍の間ではすでにかなり知られているのでは?
彩紗にそういう気配は見られないので、たぶんなにも問題にはなっていないんだろうけど……きっかけ次第でまた爆発するなんてことにならなきゃいいが。




