第3話 203号室の秘密
俺と彩紗は小学校の頃からの幼馴染。
彩紗は当時からかわいくて、男子からも女子からも人気があった。
もちろん俺も彩紗のことが好きな男子の一人で、身の程もわきまえず、彩紗に好かれようといろいろがんばっていた。
その努力は報われず、当時の俺は彩紗にまったく男として見てもらえなかった。
まぁ、嫌われてもいなかったけれど。
大勢いる友達の一人に過ぎなかった。
彩紗を取り巻く状況が変わったのは、中学三年生の夏。
何があったのかは、本当のところを、俺は詳しく知らない。
彩紗に関する悪い噂が一人歩きし、どうしても学校に行きたくない状況にまで、彼女は追い込まれた。
その時のことを、彩紗は今も話したがらない。それほどに深い傷を負っていた。
不登校になってしまった彩紗に追い打ちをかけたのは、担任教師だった。
担任教師は、彩紗をなんとか学校に来させようと、彩紗の家に日参した。
「早く学校に来てください」というクラスメイトからの寄せ書きを持って来たり、朝の通学時間に迎えに来たり、夕方にプリントを届けに来たり。
本人は良かれと思ってやっていたのだろうが、彩紗にとって担任の行動は強い圧力だった。
余談だが、中国語では“圧力”と書いて“ストレス”という意味だそうだ。
そして、担任の圧力は、彩紗にとって噂に負けず劣らぬ強いストレスになった。
担任が来る時間になると、パニックになり叫び出すこともあったそうだ。
生徒同士の人間関係のせいで学校に行けなくなったのに、教師が自宅に押し掛けて無自覚にストレスを加えてくる――これでは彩紗が回復に向かうはずなどない。
彩紗は日に日に憔悴していったらしい。
俺がその話を聞いたのは、母親から。ママ友同士のネットワークでどこかから漏れて来たらしい。
なんとかしてあげたい……そう思った俺は、父親に相談をした。
うちは副業でアパート経営をしており、ちょうど空き部屋があった。
そこを彩紗に使わせてあげてほしい。と。
父親から了承をもらってから、俺は彩紗の家の郵便ポストに手紙を入れた。
そこを使っていることは誰にも言わないから、日中はそこにいればいい。そうしたら静かに過ごせるから――とそこに書いた。
その手紙を送った翌日、彩紗の両親がうちに来て、詳しい話をした。
家賃はタダ。その代わり光熱費等は井納家で支払う――ざっくりそういうことが決まった。
その翌日には家具がアパートに運び込まれ、彩紗は通学途中の誰かに遭遇する危険がない午前六時にアパートに行き、日が沈んでからこっそり家に帰るという生活をするようになったらしい。
そこから彩紗の体調は目に見えて回復するようになったそうだ。
そしてが彩紗がアパート生活を始めて一か月半が経った頃、彩紗から俺に連絡が来た。
勉強を教えてほしい、というものだった。
中学の間は復学は難しいが、高校はちゃんと行くつもりだから勉強したいということだった。
この時の彩紗が俺に頼んだのは、アパートのことを他の人に教えるわけにはいかないから。他に選択肢がないから――というぐらいの理由だったのだろう。
部屋を貸してもらえた感謝はあっても、まだそこまで特別な感情を持ってはもらえていなかったと思う。
実際、勉強を教え始めた初期の頃は、彩紗はかなりよそよそしかった。
でも、放課後に毎日彩紗の家に行き、勉強を教えるようになると俺たちの距離は一気に近づいて行った。
それがはっきりわかったのは、志望校を選ぶ段階になった時だ。
彩紗は、俺と同じ学校に行くと言い出した。
俺の志望校は少し離れたところで、同じ中学から行くやつはそれほど多くない。そういう意味では、彩紗にとっても都合がいい進路だった。
ただ、彩紗の成績的にはちょっと厳しかった。
おそらく、合格率は五割に満たないだろう。
運良く合格できても、自分の偏差値よりかなり高いところにうっかり入ってしまうと、それからが大変――という話も聞く。
「別の学校の方が、楽しい高校生活を送れるんじゃないか?」
「絶対に理希くんと同じ学校がいい。むしろ同じじゃないとイヤだ。同じところに行くためなら死ぬ気で勉強する。理希くんがいない高校になんて行きたくない!」
彩紗はそう言って、本当にものすごい量の勉強をした。
俺が学校に行っている間、彩紗はそのすべてを自主勉強に費やした。音楽や体育などの受験と関係ない教科がない分、もしかしたら彩紗の方が勉強量は多かったかもしれない。
そこまで本気になって、俺と一緒の学校に行くためにそこまで本気になってくれる……その気持ちを受け取った俺は、心に誓った。
ないとは思うが……もし高校で、彩紗の身になにかあったのなら、どんな手を使ってでも絶対にも守る、と。
★★★
受験は無事に終わり、俺も彩紗も合格した。
その後の春休み、このアパートをどうしようかという話になった。
今の彩紗にはもう必要ない。引き払うかどうするか……そういう判断を迫られた時、彩紗は言った。
「できればまだここを使いたい。もしなにかあった時、逃げる場所がほしいから。……なにもなくても、ここにいたい。この部屋にいたら、理希くんと一緒にいられるから」
それから彩紗は俺の手を握り、こう言った。
「好きです。私の彼氏になってください」
――というのが、この部屋が俺たち二人の居場所になった経緯だ。
それから約一年半、誰も知らない俺たちの半同棲生活は今も続いている。




