第2話 半同棲カップル
俺が制服の上着を脱ぐのを見ると、彩紗はハンガーを手にし、空いている手を伸ばして来た。
その手に上着を渡す。彼女はそれを受け取り、ハンガーにかけると部屋の隅のラックに吊るした。
「なにか飲む?」
彩紗が訊いてくる。
「なにを飲んでた?」
「チャイ。ティーバックを煮だしてたとこ」
「じゃあ俺もそれで」
「うん」
彩紗はキッチンに戻り、火にかけていた鍋の様子を見る。
このアパートのキッチンは狭い。幅が五十センチくらいしかなく、一人分の広さしかない。なので一緒にいると邪魔になるので、俺はささっとふたり分のカップを取り出してすぐにキッチンを出た。
去年買った色違いのお揃いのマグカップ。
それをテーブルの上に置き……お菓子もほしいな。
たしかなんかあったはず。
部屋の横にお菓子入れの箱を置いている。
中にはスーパーで売っている安いバームクーヘンがあった。
個包装された小さなバームクーヘンを適当に取り出し、テーブルに置いた。
少しして、彩紗がティーカップを持って来た。
そこからカップにお茶を注ぐ。
「それでは、今日も学校お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
そう言って乾杯してから、お茶を一口飲む。
……なんかすごい香辛料のにおいがする。
まずいとは言わないが……すごい独特。
「そう言えば、昨日、ネットで適当に動画を見てて知ったんだけどね」
と、彩紗が言った。
「お茶の木って、たった一種類しかないんだって。緑茶と紅茶って収穫後の加工方法が違うだけなんだって」
「…………知ってたけど」
ドヤ顔で語る彩紗には申し訳ないが、結構有名な話だ。
「ぐぬっ」
彩紗は一瞬だけ悔しそうな顔をしたが、すぐにドヤ顔を取り戻した。
「でもこれは知らないでしょ? 日本でお茶って言ってるものは、中国でも“茶”って書くんだよ。読み方もチャ」
「……いや、意外でもなんでもない。むしろ違ったらどうしようってレベルだ」
「ふふふ、焦らないで、理希くん。雑学はまだまだここから。今飲んでいるチャイはインド風の味付けだけど、茶と名前が似てるよね?」
「そうだな」
「なんとこのチャイ、インドからずーっと西、トルコまで同じ呼び名なのです。つまり、日本からトルコまで、チャと言えば通じるのです」
「ってことは、どの国に行ってもお茶を注文することはできるわけか。すげぇな」
「ね、すごいよね」
ドヤ顔する彩紗がかわいすぎたので、少しおまけしてやるか。
「まぁ一番すごいのは、そんなこと知ってる賢い彩紗だけどな」
そう言ってを撫でてあげると、彩紗はちょっと驚いた表情を一瞬だけしたが、すぐに目を細めてゴロゴロと喉を鳴らして俺の肩に頬を擦りつけてきた。
「理希くんに頭撫でてもらうの好き。っていうか、理希くんが好き、大好き!」
「俺も彩紗のことが大好きだよ」
「……………………」
「あれ?」
「そこはほら、『え、なに?』って聞き返すところじゃない?」
「なんで? ……あっ、あの話か」
昼休みに小野が言っていた鈍感系の話を思い出した。その場限りの雑談と思ってすっかり忘れてた。
「伏線回収しやすいように振ってあげたんだけど?」
「ありがとう。でも、小野が言ってたろ? それは告白キャンセルのテクニックだって。俺の物語のヒロインは彩紗で決まってるから、はぐらかす必要はないんだよ」
そう言って、彩紗のおでこにキスをする。
「そこじゃなくて。ね?」
彩紗が上目遣いにおねだりしてきた。
指で自分の唇を触っている。
ほしがりな彼女の唇にあらためてキスをする。
唇を離すと、彩紗は幸せそうな顔をして、また頬を擦りつけて来た。
だが、今度はそれだけでなく、そっと俺の背中に手を回し、服の中に手を突っ込んできた。
そして、皮膚をつまんでぐいっとつねる。
「痛てててっ! 急になにするんだ⁉」
「今日の私は少し怒ってます」
「今まで全然そんな感じなかったくせに」
「昼休みの小野くんの話を振り返ったら思い出した。彼女がいるのかって訊かれて、理希くんはいないって答えてた」
ああ、その話か……。
「私は? 私は違うの?」
ぷぅ、と頬を膨らませる彩紗。
なんだこのかわいすぎる生き物。
思わず頬を指で突っついてしまった。
口の中から空気が漏れてきて、その音がちょっとおもしろい。
かわいくておもしろいなんて最強すぎる。
「そりゃ、この部屋のことはみんなに秘密にしてるから、堂々と言えないのはわかるよ。でも、ああも堂々と彼女がいないと言われると、少し怒ってしまうのですけれど?」
「ごめんごめん。でも、俺は小野にウソは言ってないよ。俺は彩紗のことを彼女と思ってないから」
「………………え?」
彩紗の顔から一切の感情が抜け落ちて、この世の終わりみたいな表情になる。
コロコロと表情が変わってかわいいけれど、あんまりいじめるのもよくないな。
「彼女じゃないなら……私は……理希くんのなに? まさか……ただの友達?」
「嫁かな?」
「……嫁?」
「まだ十八才になってないから結婚はできないけど、気持ちの上ではもう夫婦。だから彼女じゃなくて、嫁だって思ってる」
「嫁……お嫁さんかぁ。えへへ、なら許す。じゃあ私も、これからは理希くんのことを彼氏じゃなくて旦那さんって思うようにしようかなぁ」
自分で言っておいてなんだけど、直球でそういうこと言われると、なかなか照れるなぁ。
もう少しオブラートに包んだ言い方にすればよかった。
けどまぁ、彩紗が嬉しそうだから、別にいいか。実際のところ、夫と呼ばれると、恥ずかしい以上に嬉しいし。
「ねぇ理希くん」
「うん?」
「本当に結婚しようね。これからもずっと一緒だよ」
「もちろん」
そう言って、俺は彩紗を抱きしめた。
それから窓に手を伸ばし、カーテンを閉めた。
窓は道路に面してるわけじゃないので誰にも見られないと思うけど、イチャイチャしてるところは万が一にも見られたくない。
彩紗のそういう姿を見ていいのは、俺だけだ。




