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赤い髪と金色の男

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

記録の塔下層。


等間隔に並べられた長机に志願者たちは腰を下ろし、静かに待機していた。


誰もが声を潜め、空間全体がひそひそと息を詰めている。


衣擦れや椅子の軋み、遠くの足音。

すべてが、やけに大きく聞こえた。


フレアは机の端に座り、肘をついて両頬を支えていた。

背中は丸く、視線だけが、ずっと前列の向こう端の席に座る、黒髪の少年を追っている。


少年は両手を膝に置き、背筋を伸ばしたまま目を閉じている。

まるで眠っているようにも、祈っているようにも見えた。


……いや。


――まるで意識を一点に集中させ、感覚を研ぎ澄ますかのような。


フレアはそう思いながら、ちらり、ちらりと視線を送る。見すぎると気づかれそうで、視線を逸らしては戻した。


最前席には、フォルドとネレクが並んでいた。

フォルドは落ち着かない様子で何度も背筋を伸ばし、視線を扉のほうへやっては、すぐに逸らしていた。

ネレクは相変わらず無表情で、同じように扉を見つめている。


そのとき、面接室の扉が開いた。


ギィ……。


中から、ミックが出てきた。


一瞬、志願者たちの視線が、同時に彼へと集まる。


ミックは一歩、二歩と歩き出し――

ふと立ち止まって、こちらを振り返った。


何も言わない。


ただ、にやりと口角を上げて、軽く手を上げる。


ピースサイン。


それだけだった。


だが、その一瞬で、空気がほどけた。


フォルドは肩の力を抜き、ほっと息を吐く。


「……なにが、ピースだよ。このデブ」


小さく呟きながら、ミックに笑いかけた。


ミックは何事もなかったかのようにフォルドの隣に腰を下ろす。


ネレクは相変わらず無表情のままだったが、視線だけが一瞬、ミックに向き、すぐに戻った。

ほんのわずかに、胸を撫で下ろしたように見えた。


そのとき、扉の向こうから声がした。


「……次。フィオナ君」


フィオナの身体がびくりと震えた。


「は……はいっ!」


声が、少し裏返る。


フィオナは慌てて背筋を伸ばし、椅子から立ち上がった。

スカートの裾を整えようとして、指がもつれ、思わず何度も撫でてしまう。


フレアは顔を上げて、フィオナを見る。


小さな背中。

きゅっと握られた拳。


「……頑張れ」


小さく、けれどはっきりとフィオナを鼓舞した。


フィオナは一瞬だけ振り返ると、ほんの少し表情を緩め小さく頷いた。


「……行ってきます」


声は小さかったが、震えてはいない。


フィオナは扉の前に立ち、ノックする手を一瞬ためらわせた。


――コン。


軽い音。


「入りなさい」


中から、静かな声。


フィオナは深く息を吸い、そっと扉を押し開けた。

光の向こうへ、小さな背中が消えていく。


扉が閉まり、静けさがまた戻ってきた。


フレアは、拳をぎゅっと握りしめたまま、扉をじっと見つめていた。


――


扉が閉まる音が、背後で小さく響いた。


フィオナは一瞬、立ち尽くしたまま、部屋の中を見回した。


白い石壁。

高い天井。

正面に置かれた長机と、その向こうに座る人物。


逆光の中で、金色の縁を持つ鎧だけが、淡く光っている。


「……お掛けなさい」


フィオナははっとして一礼し、差し出された椅子に腰を下ろした。


背筋を伸ばそうとして、かえってぎこちなくなる。

指先が、膝の上でそっと絡まった。


「緊張していますか」


「……は、はい」


ユリウスはそれを責めるでもなく、ただ淡々と紙を一枚取り上げた。


「フィオナ君。ジュダ村出身……。

 志願理由を教えてください」


フィオナは一瞬、息を吸い込んだ。

胸の奥にしまっていた言葉を、掬い上げるように。


「……北西のジュダ村には、孤児がたくさんいるんです」


声は震えていた。


「灯が足りなくて……食べるものも足りなくて……夜になると、寒くて……」


唇を噛み、言葉を整える。


「大人たちは、みんな必死で……誰も悪くないんです。でも……」


顔を上げる。


「それでも、あの子たちは……あのままじゃ、消えてしまいます」


指が、強く絡まる。


「記録官の人たちは、灯を運べる。決められた量を、ちゃんと届けられる。――だから……私、記録官になりたいんです」


ユリウスは静かに、ただ一度だけ、視線を答案からフィオナへ移した。


「……なるほど」


それは否定でも肯定でもない声だった。


「ですが……君に、その孤児たちとの直接の関係はありませんね」


言葉は柔らかかった。

だが冷たく、正確だった。


「彼らは君の家族ではない。君が養っているわけでもない。君の責任でもない」


フィオナは、言葉を失った。


「他の大人たちのように、関わらない事の方が、よほど理知的でしょう。――それでも、君は『助けたい』と言うのですか?」


静かな問い。


フィオナはしばらく黙り込み、それから小さく答えた。


「……放っておけないからです」


ユリウスは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「放っておけない、ですか」


声は穏やかだった。


「君は優しい」


それは褒め言葉のようで、同時に距離のある言い方だった。


「では、もう一つ聞きましょう」


視線が、まっすぐフィオナを射抜く。


「孤児は、犯罪を犯しやすい」


フィオナははっとした。


「……え……?」


「統計上の話です。親も、居場所も、教育もない。規範を学ぶ機会も乏しい。結果として――配給から外れ、盗み、暴力、性犯罪、灯を巡る闘争を起こしやすい」


淡々とした声だった。


「君が灯を届け、彼らを救ったとしましょう」


一拍。


「そのうちの一人が、盗みを働いたら?」


「……」


「誰かを傷つけたら?」


「……」


「あるいは、灯を奪い、騙し、殺したら?」


フィオナの喉が鳴る。


「それは、君が生かした命です」


その言葉は、刃のように静かだった。


「君は、その責任を負えますか」


フィオナは俯いた。

指先が、膝の上で震える。


「彼らが生きていることで生まれるすべての善と悪、その両方を、君は背負えるのですか」


沈黙。


「記録官とは、配る者ではない。結果を引き受ける者です」


一拍。


「君は、それを望んでいますか」


フィオナは答えられなかった。唇が震え、視線が落ち、指先が膝の上で絡まる。


やがて、ぽつりと雫が一つ落ちた。


「……わかりません……」


心臓が高鳴り、声が震え、涙が瞼の奥に満ちてくる。


やがて――堰を切って、零れ落ちた。


「……そんなっ……ことまで……考えたこと……ありませんでした……」


フィオナは一度、喉を鳴らして息を吸った。

だが、それはうまく肺に入らず、途中でひっかかる。


「……でも……でも……、あのままじゃ……あ、あの子たちはっ……」


言葉が途切れ、息が混じる。


「助け……たいんです……」


ユリウスはしばらく黙り、やがて静かに息を吐いた。


「……そうですか」


声は低く、落ち着いている。


「君はまだ、責任を引き受ける覚悟を持っていない。 だが、目を逸らすこともできない」


それは非難ではなく、確認だった。


「それは弱さであり、同時に人間らしさです」


視線がわずかに和らぐ。


「記録官には理知が必要だ。だが理知だけでは人は救えない。そして感情だけでは、人は守れない」


視線が戻る。


「君はその両方を持っている。ですがまだ、制御できていない」


「……だ、だから――」


フィオナは何とか言葉を捻り出し、応えようとする。だが、遮られる。


「君が孤児たちを助けたいと願うなら――

 その責任と覚悟を、この先の試験で示しなさい」


フィオナははっと息を呑んだ。


ユリウスはそれ以上何も言わず、ただ涙に濡れるフィオナの瞳を静かに見つめる。


フィオナは、暫く戸惑い、

そして小さく頷いた。


「……はい……」


――


面接室の扉が、静かに開く。

ぎい、と小さく軋み、中からフィオナが、出てきた。


顔を上げない。

おもむろに両手で顔を覆ったまま、

一歩、また一歩と歩いてくる。

足取りはどこか遅い。


机の列の前で、ふと立ち止まり、

指の隙間から、細い息が漏れた。


何も言わずにフレアの隣へ腰を下ろす。

肩が、ほんのわずかに震えている。


フレアは、思わず小さな声で尋ねた。


「……フィオナ。どうしたの?」


フィオナは答えない。

顔を覆ったまま、ただ小さく首を振る。


フレアは一瞬だけ戸惑い、それから視線を落としかけたその時。


フィオナが、ほんの一瞬だけ、指の間からこちらを見た。


潤んだ瞳。

まだ引ききっていない涙が、薄く残っている。


フレアは、思わず息を呑んだ。


何か言おうと、唇がわずかに動く。


だが――


「……次。フレア君」


静かな声が、面接室の奥から落ちた。


フレアはぴくりと眉をひそめ、短く息を吐く。


フィオナをもう一度だけ見てから、何も言わずに立ち上がった。


椅子が、小さく鳴る。

顔はむっとしたまま、視線は逸らさない。


一歩。


また一歩。


面接室の扉へ向かって歩き出す。


背中は真っ直ぐ、足音だけが静かな空間にはっきりと響く。


コン、コン……。


「入りなさい」


ユリウスの声。


ギィ……バタン。


逆光。

窓から刺す光の中で、机の上に組まれた両手と、ユリウスの影だけが浮かぶ。


「初めまして。

こうして出会えたことを、光栄に思いますよ……」


口元が、わずかに緩む。


「フレア・レヴァ……いや、失礼。フレア君。

これより面接試験を始めます」


「あの……!」


「どうしました?」


「フィオナに何か言いましたか。あの子、泣いてた……」


ユリウスは少しだけ間を置き、首を傾げた。


「他人の面接内容を詮索するのは、ルール違反ですよ。フレア君」


フレアは眉尻を上げ、何も言わずに椅子へ腰を下ろす。


ユリウスは一度だけ視線を落とし、手元の紙に目をやった。


「では、質問です」


顔を上げる。


「あなたはなぜ、記録官になろうと思いましたか」


フレアは一度、肩の力を抜き、ゆっくりと口を開いた。


「私の出身のティノ村は、冬の間、森と雪に閉ざされる山間の狩猟村です。だから灯の配給は乏しい。村が今より楽に暮らせるように、私はお父さんから、記録官になる道を示され、そのために狩人としての訓練を受けて育ちました」


視線は逸らさない。

フレアの声は静かで、揺れがない。


ユリウスは一瞬だけ瞬きをした。


「……ほう」


紙に一行、何かを書き留める。


「“助けたい”ではなく、“楽に暮らせるように”ですか」


フレアは小さく頷いた。


「はい。助ける、という言い方は好きじゃありません。私たちは施しを受ける側じゃない。雪山の岩塩も、獣の皮も、塔に寄贈するし、食べる為には狩りもする」


一拍。


「でも――それは、命を賭けてやっています」


ユリウスの筆先が、わずかに止まった。


「雪崩も、落石もある。獣に襲われて帰ってこない人もいる。吹雪で迷って、そのまま見つからない人もいる」


フレアの声は低く、だがぶれなかった。


「それでもやらなきゃ、生きられないからです」


ユリウスは、その言葉を咀嚼するように、ほんのわずかに口角を上げた。


「現実的ですね」


「それが狩人の現実です」


しばし沈黙。


「……灯があれば、それが変わると?」


「夜に明かりがあれば、作業は昼に偏らなくて済む。寒さを凌げれば、凍死する人は減る。弱い人が、無理をしなくて済む。それだけで、人は死なずに済みます」


ユリウスは静かに言った。


「それでも、他の村と比べれば、君の村は自立しているように見える」


フレアは、首を振る。


「人は、石じゃありません。削れたら、元には戻らない」


ユリウスはその言葉を、しばらく口の中で転がすようにしてから、紙にまた一行、何かを書いた。


「……なるほど」


「あの」


「何でしょう」


「私が摂ってきた卵はどうなりましたか?荷車のおじさんが、金色の上級記録官に渡してくれるって……」


ユリウスは、紙から視線を上げずに続けた。


「ああ、あれはあなたが摂ってきた物でしたね。

 検分のため、いまは私の管理下に置いています。状態も良好です」


フレアは、ほっとしたように小さく息を吐いた。


「……よかった。だったらもう少し灯を――」


「ただ」


ユリウスは、言葉を切る。


「あれが何なのか、あなたは分かっていますか?」


フレアの眉がわずかに動く。


「……カムナ=トゥチカの卵でしょ。きっと、美味しい目玉焼きができる」


だが、その言葉に、ユリウスの筆が止まった。


「食べませんよ……」


低く、きっぱりとした声。


フレアは、思わず瞬きをした。


「……え?」


ユリウスはゆっくりと顔を上げ、フレアを見た。

その視線には、叱責も嘲笑もない。


「そう、カムナ=トゥチカ。あれを持ち帰る者が現れたのは正直、驚きましたよ」


フレアの胸に、わずかな違和感が引っかかった。


「……それってどういう意味ですか?」


「あなたが記録官になったら……

 その時に、話せることがあるかもしれません」


フレアは、言葉を失う。


「……ていうか、あの筆記試験の問題、あなたが作ったんですか?」


「ええ。最後の問題。お気に召しましたか」


「……えげつない」


ユリウスは、ほんのわずかに口元を緩めた。


「期待していますよ」


フレアは返事をせず、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。

静かにユリウスを見返し、得体の知れないものを見る目で、その顔を刻みつける。


この出会いがやがて、彼女を世界の中枢へと巻き込んでいくことを、今はまだ知らない。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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