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志願者たちの灯

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/


挿絵(By みてみん)



でこの広い記録官がアグリを御し、

荷車はゆっくりと坂を下っていく。

フレアは荷台の縁に腰を掛け、村が灯の代わりに納めた品々を見つめていた。


塩袋。干し肉。乾燥させた根菜。

骨材。毛皮の外套。


それと、卵。


車輪が、きし、と小さく鳴り、

ふと、鉄製のフライパンに目が留まる。

フレアはそれを持ち上げる。


縁は少し歪み、底には何度も火にかけられた跡が黒く残っている。


「……何これ?

おじさん、なんでこんなもん乗ってんの?」


手綱を引いていた、でこの広い記録官は、前を向いたまま答えた。


「それか? 仕事道具だ」


「……?」


フレアはフライパンを持ったまま、首を傾げた。


記録官は、少し間を置いてから言った。


「あんたは、なんで記録官に志願したんだ?」


「私?」


フレアは少し考え、それから素直に答えた。


「記録官になってさ、

お父さんとお母さんや、村の人たちを楽にしてあげたいんだ。

ティノ村の冬は大変なのよ。雪、積もるし……」


記録官は顔色ひとつ変えず、淡々と告げた。


「そうか」


それから続ける。


「俺はな、近々、記録官を辞める。

長年務めたのが功を得て、酒を扱う許可が下りた」


フレアは目を瞬かせる。


「へぇ……」


「地元で酒場をやる。

働いた分だけ飲ませて、食わせる。そいつを使ってな」


「すごいね」


フレアがそう言うと、記録官は小さく息を吐いた。


「今じゃ、記録官なんて、陰では煙たがられるだけさ」


手綱を軽く引きながら、付け足す。


「……まぁ、頑張りすぎるな」


フレアは、しばらく何も言えなかった。


言葉の意味が、うまく噛み合わない。

胸の奥に、何かが引っかかったまま、形にならない。


フライパンを荷台に戻し、フレアはただ意味が分からず、ただきょとんとしていた。


――


「着いたぞ」


フレアは荷台から振り向いた。

そこには、石造りの家屋が整然と並ぶ北の宿舎町が広がっている。

記録官と、その家族たちが暮らすために設えられた町だ。


荷台から降りた瞬間、

どこからか、香ばしく肉を焼く匂いが漂ってきた。

村では嗅ぎ慣れない、温かく重たい匂いだった。


でこの広い記録官は、近くにいた別の記録官に声をかけ、

話の途中で一度だけフレアを指差す。

指された男はちらりと彼女を見やり、

無言のまま手帳を開いて、何かを書き込んだ。


「話は通しておいた。俺は荷物を運ぶ。

 お前は、この先の詰所で一晩休め」


「ありがと。卵の件、頼んだよ」


「わかってる。金色の上級記録官様に、通しておく」


フレアはにっと口元を緩めると弓を背に担ぎ直し、

何も言わず詰所のほうへと歩き出した。


石畳は乾いており、靴底が軽く音を立てる。

同じ造りの家屋。壁際には薪や木箱が、決まった位置に積まれている。


すれ違うのは、ほとんどが記録官だ。

マントの色は異なっていても、

胸元に揃った徽章だけが、この町の住人であることを示している。


歩き始めてすぐ、フレアはいくつもの視線を感じた。


真正面から見る者はいない。

だが、通り過ぎる瞬間、あるいは一歩遅れて、

ちらり、と目だけが向けられる。


――見ない顔だな。

――志願者か。


そんな無言の確認が、空気の中を行き交っている。


誰も足を止めない。

誰も声をかけない。


それでいて、無視されているわけでもない。

足音と衣擦れの音が、規則正しく重なっていく。


道の脇では、記録官の子どもたちがしゃがみ込み、

小さな黒と白の石をいくつも並べて遊んでいる。

別の家の前では、男が何本もの剣を研いでいた。


ここでは、生活が静かに続いている。

村のようなざわめきはない。沈黙でもない。

それでも、家屋のそのどれもから淡い灯の光が漏れていた。


詰所は、町の端にあった。

他の家屋よりも壁が厚く、

人の出入りで磨かれた扉が、静かに佇んでいる。


フレアは一度だけ、背後を振り返った。


宿舎町は変わらない。

彼女を受け入れも拒みもせず、

ただ「志願者」として通過させるだけだ。


フレアは息を整え、

詰所の扉へと手を伸ばした。


軋む音とともに扉が開く。


中は、思ったよりも広かった。

石壁に囲まれた室内には、長机がいくつも並び、

簡素な椅子に腰を下ろした若者たちが、静かに待機している。


志願者だろう。

誰もが口数少なく、視線を落としたまま、

あるいは手元をじっと見つめている。


空気は張り詰めているが、重苦しくはない。


入口に近い机には、三人組の若い男たちが陣取っていた。

そのうちの一人、つり上がった目をした男が、

フレアに気づくと、ちらりと横目を向ける。


そして、唇の端をゆっくりと歪める。


「へっ……また女かよ」


声は低く、ほとんど囁きに近い。

だが、確信に満ちていた。


「女が入試なんて、無理無理」


言葉のあと、

隣に座っていた小太りの男が小さく鼻で笑い、

もう一人の細長い男も、それにつられるように肩を揺らした。


つり目の男は、

自分たちの胸元に揃った徽章に、

一瞬だけ視線を落とす。


それからもう一度、薄く笑うと、

興味を失ったように奥の机へと顔を向けた。


フレアも、ふん、と小さく鼻を鳴らし、

同じ方向へ視線を送る。


そこには、

薄い紫色の髪をした少女が一人、

椅子の上で身体を縮こませるように座っていた。


髪は肩先で揃えられ、

前髪が少しだけ目にかかっている。


背中を丸め、膝の上で両手の裾をきつく握りしめ、

視線は定まらず、机の端と床の間を行き来していた。


フレアはしばらく、その様子を見てから歩き出す。


背後で、三人組の男たちが、

また何かを含んだように口元を歪ませる気配がしたが、振り返らない。


足音を抑え、

少女の前にある椅子を静かに引く。


向かい合うように腰を下ろし、

フレアは、いつも通りに名乗った。


「私はフレア。ティノ村出身。よろしく!」


微笑みながら、右手を差し出す。


少女は、その手をじっと見つめたまま、固まる。


数拍遅れて、はっと我に返ったように肩を跳ねさせ目が泳ぐ。


「は、は、はわわっ……!

 あ、あの、その、わ、わ、わ、わたし……っ」


言葉が追いつかない。


「フィ、フィオナ……で、ででで、で……

 北西の……ジュ、ジュダ村、か、か、から……き、き、ききき……きまし、きました……っ」


語尾が絡まり、声が裏返る。


言い終えると同時に、

フィオナは深く頭を下げ、

そのまま動けなくなった。


フレアは、差し出した手を引っ込めることもなく、

ただ、変わらぬ調子で言う。


「……うん。よろしくね、フィオナ」


「はい……」


フィオナは、差し出された手をしばらく見つめてから、

まるで壊れものに触れるみたいに、恐る恐る指先を重ねた。


一瞬だけ、ぎゅっと力が入る。


けれどすぐに我に返ったように手を離し、

また慌てて膝の上で服の裾を握りしめた。


視線は床に落ちたまま、肩が小さく強張っている。


「……」


フレアはその様子を見て、くすっと笑った。


「ねえ」


フィオナがびくっと肩を跳ねさせる。


「なんでそんなに緊張してんの?」


「えっ、あ、そ、その……っ」


言葉が喉で詰まり、フィオナは一度、深く息を吸おうとして失敗する。


「わ、わたし……試験なんて……受けるの、初めてで……。 人も、その……たくさんで……」


声は小さく、途中で揺れた。


フレアは椅子の背にもたれ、少しだけ身を乗り出す。


「私だって初めてだよ」


あっさり言われて、フィオナはきょとんと顔を上げる。


「だけど確かに初めてってそうかも。

 私も最初は、手が震えて弓、引けなかったし」


「え……?」


「緊張しすぎてさ、試し撃ちで矢がそれて――

 村長の頭、かすめちゃったの」


「あ……、えっ!?」


「ほんとほんと。

 頭のてっぺんが川みたいに一本禿げちゃって……

 ”お前には才能がない”って、あとで散々言われた」


フレアは肩をすくめる。


「…………」


フィオナは一瞬ぽかんとして――


「……ふ、ふふ……」


堪えきれないように、口元を押さえる。


それに気づいて、フレアはにっと笑った。


「ねえ、フィオナはさ。どうして記録官になろうと思ったの?」


フィオナは一瞬、答えに迷ったように視線を泳がせる。

けれど、逃げ場がないと悟ったのか、裾を握る指に力を込めた。


「……わたしの村に、孤児が……その、何人もいて……」


言葉を選びながら、ぽつりぽつりと続ける。


「灯が足りなくて……夜、眠れない子もいて……。

大人たちは、どうしても自分の家族で精一杯で……」


喉が鳴る。


「だから……記録官になれたら、灯を……少しでも……回してもらえるんじゃないかって……」


言い終えたあと、フィオナは顔を伏せた。

自分の願いが、身勝手に聞こえたのではないかと不安そうに。


フレアは、しばらく黙っていた。

それから、ゆっくりと頷く。


「私と一緒だ」


「……え?」


「村の人を、楽にしたくて志願した。理由、それだけ」


フィオナは、はっとして顔を上げる。


フレアは照れたように鼻を掻いた。


「正直さ、記録官が何をするかなんて、全部は分かってない。でも、村で凍えたり、我慢してる人を見るのは……ずっと嫌だった」


フィオナの肩から、すっと力が抜ける。


「……同じ、ですね……」


声は、さっきよりも少しだけはっきりしていた。


「うん」


フレアは、再度にっと笑う。


「だからさ、緊張しててもいいよ。変でもいい。

 ここにいる理由は、ちゃんとしてる」


フィオナはその言葉を、胸の奥で何度も反芻するように黙り込む。


やがて、そっと顔を上げた。


「……ありがとう、ございます」


語尾はまだ少し揺れているけれど、

今度は、ちゃんとフレアの目を見ていた。


そして、控えめに――

けれど確かに、微笑った。


フレアはその笑顔を見て、満足そうに頷いた。


詰所の張り詰めた空気の中で、

二人の間だけ、ほんの少し温度が変わった気がした。


――


その頃、宿舎町の入り口。


アグリに跨った金色の鎧の一団が、石畳を鳴らして戻ってきた。

隊列は乱れていない。だが、その数は――ひとり、少ない。


「金色の上級記録官ユリウス・バルナーク様が戻られたぞ!」


迎えに出ていた記録官たちの声が、張りつめた空気を震わせる。


先頭の男が、アグリから静かに降り立つと、

槍を片手に地へ突き、背筋を正した。


短く刈りそろえられた金髪。

額には、切りそろえきれなかった一本の前髪が揺れていた。

長いまつ毛の奥の瞳は、誰とも目を合わせず、

まっすぐ前だけを見ていた。


ユリウスは、鎧についた埃を軽く払うと、

迎えの記録官に向き直り、低く告げた。


「灯喰いの討伐には成功しました。

 ですが……今回は、バルドル君が犠牲となりました」


その瞬間、周囲の空気が凍りつく。


誰かが息を呑む音。

誰かが、視線を伏せる気配。


ユリウスは一拍置き、言葉を選ぶように続けた。


「彼は清廉な記録官で、私欲のない男でした。……惜しいことをした」


さらに一拍。


「家族へは、すぐに連絡を。

 遺体は――丁重に、弔ってあげてください」


それだけを告げると、深くはないが、確かな一礼をする。


次の瞬間には、彼の表情はすでに整えられていた。

悔恨も、動揺も、そこには残っていない。

まるで、それらをすべて内側へ押し込めたかのように。


ユリウスは無意識に口髭を撫でながら、

何事もなかったかのように、石畳を歩き出した。


「……ユリウス様。ご苦労さまです」


声をかけたのは、でこの広い記録官だった。

彼もまた一礼し、自然とユリウスの半歩後ろに並ぶ。


「ああ、君か」


ユリウスは歩調を変えず、前を見たまま答える。


「ティノ村への灯の配給、ご苦労でした。

無事で何よりです」


その声は穏やかだが、どこか事務的だった。


でこの広い記録官は、少し間を置いてから切り出す。


「実は……ティノ村で、少し面白い収穫がありまして」


ユリウスの歩みが、ほんのわずかに遅れる。


「面白い、収穫?」


でこの広い記録官は足を止め、

布に包んでいたそれを、そっと差し出した。


ユリウスも立ち止まる。


布を解かれると、そこには――

淡く温かい光を宿した、ひとつの卵。


ユリウスの眉が、わずかに動いた。


「……これは」


卵を両手で受け取り、目を細める。

表面の脈打つような光を、逃すまいと見つめる。


「なんでも……カムナ、なんとか、だそうで」


その瞬間、ユリウスの瞳がはっきりと見開かれた。


「カムナ=トゥチカの卵ではないですか!」


声が、思わず強まる。

先ほどまでの抑制された調子とは、明らかに違っていた。


「一体、これをどうしたのです?」


でこの広い記録官は、少し言いづらそうに視線を逸らしながら答えた。


「ティノ村の志願者が、採ってきたそうで。

 灯を、もう少し融通してほしいと……」


一拍置き、付け足す。


「赤い髪を束ねた、生意気そうな少女でした」


その言葉に、ユリウスの指が――

卵の殻を、わずかに強く包み込む。


「赤い……髪の少女……?」


ユリウスは卵から目を離さぬまま、

その言葉を、確かめるように反芻した。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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