砂を踏み鳴らせ
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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乾いた風が吹き抜け、フォルドの叫びの余韻は、
やがて砂に吸われるように沈んでいった。
審判役のヘルモーズのもとへ、一人の記録官が小走りで駆け寄った。耳元に口を寄せ、低く何かを告げると、記録官はそそくさと立ち去る。
ヘルモーズは志願者たちへ向き直り、
皺の刻まれた口元に、いつもの柔らかな笑みを浮かべながら言った。
「――ご静粛に」
ざわめきが、少しずつ静まる。
「第十四回戦の志願者が、まだ席を外してございます。先に、もう一人をお呼びいたしましょう」
ヘルモーズは手元の記録板をちらりと見下ろし、
わずかに声を張る。
「――スカル!」
その名が響いた瞬間、
志願者たちの輪の中で、空気がわずかに動いた。
フードを深く被った影が人垣を割り、怠そうに歩み出る。
ヘルモーズの前で立ち止まると、頭ひとつ以上高い背丈が、腰を折るように身をかがめた。
フードの影の奥から、鋭く光る目がヘルモーズを覗き見る。だが、ヘルモーズはその視線を受けても、表情を変えない。
「おい、ジジイ」
スカルの口元が歪む。
「俺の相手は、あんたでもいいんだぜ?」
言いながら、わざとゆっくりと腰のナイフへ手を伸ばす。
その指先が柄に触れた瞬間、
周囲の空気がぴんと張り詰める。
だが、ヘルモーズは、微笑みを崩さなかった。
「謹んで、お断りいたします」
穏やかな声で答えると、目尻の皺を少しだけ深くしてわずかに肩をすくめる。
「ところで……」
ヘルモーズはゆっくり首を傾けた。
「恐縮ですが――
何故記録官を嫌うあなた様が、こんな試験に志願されているのです?」
その問いに、スカルの表情がすっと消える。
舌打ちをひとつ落とし、肩を揺らした。
「ふん……。そんなもん……
村を助ける。それでいいだろ」
ヘルモーズは、ふむ、と小さく頷く。
だが、その目は静かにスカルを見据えていた。
「果たして、そうでしょうか?
あなた様の言動や行動には、矛盾点が多い。
短気は損気とも言います。目的を、見失わぬ様に」
スカルの眉がぴくりと跳ねた。
「何が言いたい?」
ナイフの柄を、ぎり、と握る。
だがヘルモーズは、くすりと笑った。
「いえいえ、何でもございません」
わざとらしく両手を軽く広げる。
そして、ふと思い出したように言葉を付け足した。
「それと、ジジイとはいささか早計ですな。
私はまだ壮年でございます」
踵を返し、にこやかに声を張る。
「皆様、しばしお待ちを。先方がいらっしゃらなかった場合は、スカル様の不戦勝とさせていただきます」
志願者たちの輪から、低い悪態がこぼれた。
「おいおい、冗談だろ」
「あの赤髪、早く来いよ……」
スカルはその声に、ゆっくりと顎を上げる。
フードの影の奥の目が、そこに現れるはずのフレアの姿を探していた。
――
フリージアの衛生室を出て、短い回廊を進む。
革靴が歩く度に、
コン……コン……カッ……と、石床を叩く。
壁に取り付けられた青白い灯が、その音に呼応するように淡く揺れ、床に落ちる影を長く引き伸ばしている。
回廊の先にある、だだっ広い広間。
整然と並べられた長机。
その脇を抜けると、書き物をする記録官や、
話し込んでいた記録官の家族らしい人々が、
足音に、ふと振り向く。
長机の列が途切れると、
塔の外へ通じる通路がまっすぐ伸びていた。
通路の突き当たり――
巨大な鉄門の前で二人の記録官が、壁にもたれて立っていた。赤い髪に気づくと、片方が体を起こす。
「志願者のフレアだな?」
少女がこくりと頷くと、記録官は顎で門を示した。
「門を開く。急げ、次は君の試合だ」
扉の向こうから、歓声とも怒号ともつかない音が押し寄せていた。
血の匂い。砂の匂い。
そして、誰かの恐怖が焦げた匂い。
太い鎖が引かれる。
……ギギ……ギギギギ……
鉄が石を擦る重たい音が響き、門がゆっくりと動き始めた。
フレアは、矢筒の口に指を添え、矢尻を撫でる様に数える。弓の握りを確かめると、軽く弦を弾いた。
ビィィィィン――。
乾いた音が、静かな通路に細く響く。
やがて、門がわずかに押し開かれた。
その隙間から、眩しい白い光が流れ込む。
視界が一瞬白に染まり、フレアは思わず目を細めた。
外の熱気とざわめきが、一気に流れ込む。
地鳴りの重低音が、胸の鼓動を打つ。
ドンッ……ドンッ……バンッ……!
門をくぐると、背後で声がした。
「……おい」
振り返ると、記録官の男が
にやりと笑って親指を立てていた。
フレアは一瞬、きょとんとする。
それから小さく笑い、同じように、親指を立てて返す。
背筋を伸ばし、石の階段をゆっくり降りていくと、
横の壇上が視界に入った。
ヴァルターは椅子に腰掛けたまま、一度だけ振り向く。鋭い視線は、フレアをまっすぐと射抜いた。
その隣で、ユリウスが口髭を上げ、軽く片手を上げる。さらにその横でグレイブが、にっと歯を見せ、顎を前にしゃくった。
フレアは目を瞬かせながら軽く頭を下げ、
再び視線を前へ戻す。
砂の上に降りた、その時――
ドンッ!!
鈍い音と風圧が押し寄せ、第一・ニ班の円から一人の志願者が弾き飛ばされた。男の身体が砂を転がり、砂煙がぶわりと舞い上がる。
志願者の輪の中で、ウルグニルが腹を揺らして手を打ち鳴らし、その先で、槍がすっ、と持ち上がる。
円の中央で振り向きざま、ガイウスは顎を上げ、
フレアの姿を認めると、逆立つ金色の髪が、ぴり、と風に震えた。
フレアは腕を上げて風圧を避けると、第三・四班の円へと視線を向けた。
乾いた土の上を、まっすぐ歩く。
ザッ……ザッ……ドン。
張り詰めた空気を裂き、靴底が砂を踏み鳴らす。
その音に気づいた志願者たちが、次々と顔を上げた。
「あ……」
強張った表情が、ふっと緩む。
小さく息を吐く者。
口がほころぶ者もいる。
誰もが身を引き、まるで、無言の合図でも交わしたかのように、道がゆっくりと開いていく。
誰かが、すれ違いざまにフレアの肩を軽く叩く。
フレアは肩を撫でながら、その度に、わずかに身を引き、口元に苦笑を浮かべる。
横から記録官が腕を広げ、志願者たちの腕を押し返した。まるで盾になるように、フレアの進む道を確保する。
ざわめきが、次第に大きくなる。
その音の奥で、ヘルモーズが声を落とす。
「――おや」
記録板を覗き込んでいたヘルモーズが、ゆっくり顔を上げた。志願者の影の向こう、揺れる赤い髪を捉える。
口元の笑みが、ほんのわずか深くなる。
「どうやら――お待たせしたようですな」
スカルがゆっくりと振り向く。
それにつられるように、志願者たちの視線も一斉に同じ方向へ向いた。
ネレクが顎をわずかに上げ、隣で蹲っていたフォルドは、おずおずと顔を覗かせた。
ヘルモーズは軽く頷き、声を張った。
「第十四回戦、もう一人の志願者――」
わずかに間を置く。
「フレア!」
その名が落ちた瞬間。
ざわめきが、ドッと膨らんだ。
誰かが手を打ち鳴らす。
志願者たちの足が、次々と地面を踏み鳴らしていく。
「フレア! フレア!」
「やれー!赤髪!そいつをぶっ倒せー!」
「フレア!さっきの化け物を倒した弓、
また見せてくれよ!」
フレアは歩みを止めない。
鼓動のような地響きに、訳がわからず足が弾む。
小さく肩が揺れ、両腕を曲げて軽く踊る。
思わず笑みが溢れる。
離れた場所でシンは、ふっと目を見開き、その無邪気な笑みを、思わず目で追う。
その後ろで、ジェミルが愉快そうにくすりと笑い、同じように肩を揺らした。
フレアは赤い髪をふわりと振り、
笑みを残したまま、砂の円へ足を踏み入れた。
中央に立つスカルをまっすぐ見据える。
スカルはフードを脱ぐと、眼前に立つ戯けた少女を見下ろした。口元が、苛立たしげにわずかに歪む。
「随分と人気者じゃあないか」
顔はそのまま、視線だけ、周囲の志願者たちをちらりと見回す。
「まるで――もう記録官になったつもりか?」
フレアは小首をかしげた。
「あは……? さぁ。何でだろ?」
両手を軽く振り、肩をすくめてみせる。
その仕草は、まるで世間話でもしているようだった。
だが、次の瞬間。
赤い髪がぴたりと止まり、
フレアの視線が、すっと鋭くなる。
「でも、わかってることが二つある」
スカルの目が、フレアを睨む。
「あんたがミックを――」
フレアは一歩、踏み出す。
「ぼこぼこになるまで痛めつける、
陰険なやつってこと」
わずかな沈黙。
そしてフレアは、口元に小さく笑みを浮かべた。
「それと――」
肩から弓を外し、手に取る。
靴底がズッと鳴り、砂が散る。
「私があんたを、ぶっ飛ばすってこと!」
スカルの口角が、歯が剥き出しになるほど持ち上がった。
「くっくっく……」
肩が揺れる。
やがてスカルは、腰のナイフを引き抜き、
指先でくるりと回した。
刃が空気を裂き、銀の弧を描く。
「やってみせろ!赤髪のフレア!」
その声を皮切りに、ヘルモーズが腕を振り上げる。
「第十四回戦、フレア対スカル。始め!」
――ドンッ!
砂が爆ぜ、スカルが踏み込む。
一歩、二歩――
次の瞬間、スカルの身体がふっと消えた。
フレアの目が、わずかに横へ走る。
ギィィンッ!
その瞬間、砂煙の中で乾いた金属音が響いた。
火花が散り、鋭い刃の腹を、フレアの弓が弾き返す。
「――っ!」
フレアの眉がわずかに寄る。
赤い髪が風圧に煽られて、ばさりと揺れた。
黒い影が地を這い、一直線に伸びた脚の先、仕込みナイフが弾丸のような速さでフレアの腹を掠めた。
だが、スカルは止まらない。
伸び切った脚のまま地面に片手をつく。
その瞬間、身体が回転し、砂がぶわりと舞い上がる。
もう片方の脚が大きく弧を描いた。
「おっと!」
フレアは反射的に後ろへ跳ぶ。
刃が鼻先をかすめ、風が頬を叩いた。
スカルの口角が、にやりと持ち上がる。
回転を止めたスカルが、ぐっと上半身を起こした。
鋭い目が、獲物を逃すまいとフレアを捉える。
「まだ終わりじゃねぇぞ!」
右手のナイフが閃く。
「速いけど――まっすぐすぎ!」
フレアの目が、きらりと光った。
彼女の手が、スカルの腕をガシッと掴む。
そのまま刃をかわし、その腕の横に身体を滑り込ませた。
引き寄せた勢いで、身体がくるりと持ち上がる。
「とおっ!」
赤い髪がふわりと舞い上がり、
フレアの身体が、逆さまのままスカルの肩口をかすめ、宙へ跳ね上がった。
「何っ!?」
スカルは思わず目を見開き、空を仰ぐ。
空中でフレアの手が矢筒へ走る。
一本の矢を掴み、そのまま弓に番える。
ヒュンッ!
鋭い風切り音。
カンッ!!
スカルの手元で火花が弾けた。
ナイフが弾き飛ばされ、くるくると回りながら砂へ突き刺さる。
志願者たちの輪が、どっと揺れた。
「今の見たか!?」
「速え……! 人間かあれ!?」
ざわめきが一気に膨らむ。
フレアが着地する。
わずかによろめき、靴底がザッと砂を削った。
「……とっと」
弓をくるりと持ち直し、にっと笑う。
スカルは振り返り、喉を鳴らした。
「俺の腕を踏み台にし、
矢を射る時間と距離を稼ぐとはな……」
口元が歪む。
「いい反応だ」
スカルは腕を腰のベルトへ伸ばし、鞘から二本目のナイフを抜き出した。
刃が冷たい光を散らし、獲物を測る獣のように、目を鈍く光らせる。
すぐには踏み込まない。
フレアは肩の力を抜き、矢筒から矢を抜くと、指の中で軽く持ち直した。
赤い髪の奥で、瞳がすっと細くなった。
「あんたもだいぶ喧嘩慣れしてるみたいだけど――」
フレアは弓を、ゆっくり構えた。
「こっちも森の獣たちに、死ぬほど鍛えられてきたんだよね!」
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