記録官の息子たち
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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カラカラカラ……
乾いた風が、砂を撫でていく。
昼の休息を終え、志願者たちの足音が、
遠いざわめきになって広がっていく。
誰かの囁きや笑い声が、それに混じる。
だが、戦いの余韻が残る者たちにとって、
その“残り香”を洗い流すには、
それはあまりに軽すぎた。
昼食を終えたフォルドとネレクは、地面にどかりと腰をかけた。
ネレクは目を閉じ、背筋は真っ直ぐに、
ただ呼吸だけが静かに上下している。
フォルドは片足を伸ばし、さっきまでミックが戦っていた試合場を無言で見据えていた。
試合場には、もう血の跡すら残っていない。
記録官がすぐに均したのだろう。
フォルドは、そこを睨み続けていた。
「……なんだよ、スカルとかいうやつ。
ミックが何したって言うんだ……」
吐き出すような声。
「……」
ネレクは答えない。
フォルドは唇を噛み、もう一度、試合場を見た。
担架で運ばれていく前のミックの顔。
血で濡れた砂。降参の声。止まらない靴底。
胸の奥が、じり、と焼ける。
「……村が飢えてる?
それでなんで記録官が悪いんだよ」
言葉が勝手に強くなる。
「記録官はちゃんと灯を配分してる。
食えねぇのは、村の連中が怠けてるだけだろうが……」
吐き捨てるように言うと、フォルドは砂を指で掻いた。爪の間に黒い粒が入る。
「……」
ネレクは目を閉じたまま、黙っている。
風が止む。
枯れ草が転がる音も、ふっと途切れた。
その沈黙に耐え切れず、
フォルドは舌打ちしそうになる。
そのとき。
「……怠けてる、か」
ぽつりと、ネレクが呟いた。
フォルドが顔を向ける。
「なんだよ」
ネレクは目を開かない。
「灯は配られている。
だが、配られ方は平等じゃない」
「は?」
フォルドの眉が跳ねる。
ネレクは淡々と続けた。
「親父から聞いたことがある。
収穫が少ない村は、配分も減る。
記録が悪ければ、灯は減る。
灯が減れば、また収穫も減る」
静かな声。
感情を押し付けないぶん、言葉が硬く刺さる。
「……悪循環だ」
フォルドは鼻で笑った。
「努力すりゃいいだろ」
ネレクが、ゆっくりと目を開けた。
その眼差しは冷たいのではなく、
見たくないものまで見てしまう種類の冷静さだった。
「……努力しても、灯がなければ畑は痩せる」
フォルドの眉が動く。
「……」
フォルドは目を逸らし、砂をもう一度掻いた。
指先がざらつく。
「ミックは悪くねぇ……。
あいつは……、ただの馬鹿だが……」
言いながら、胸の奥の熱が少しだけ冷える。
その横で、ネレクはしばらく黙っていた。
風が、枯れ草を転がす。
「……だったら、聞くが……」
ネレクは静かに言う。
「あ?」
フォルドが顔を向ける。
ネレクは、試合場を見ていない。
どこか遠い一点を見つめたまま、続けた。
「お前が蹴りつけたあの子は……フィオナだったか?
――何が悪かったんだ?」
フォルドの口が、半開きで止まる。
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出る。
ネレクは動じない。怒りもしない。
ただ、淡々と“問い”の形にする。
「お前は叫んだ。
跪け、謝れ、負けを認めろって」
ネレクの声は淡い。
責める熱も、擁護する熱もない。
ただ、事実だけを並べる。
「……だから何だよ」
フォルドは苛立ちを隠さず、肩をすくめた。
「俺に恥かかせたんだ。
あいつ、最後まで目ぇ逸らしやがって……
俺の“立場”を潰した」
ネレクは一拍置いた。
「……立場、か」
そして、小さく反芻した。
ほんのわずかに、視線がフォルドへ向く。
「人はな――立場を盾にする」
声は低い。
「立場を握ると、楽になる。
自分の側が“正しい”と決められるからだ」
フォルドの喉が動く。
ネレクは続けた。
「スカルは村の飢えを盾にした。
飢えているという事実を、怒りの根拠にした。
だから――記録官を悪にできた」
一拍。
「そして、“その息子”というだけのミックを、
同じ悪の側に置いた」
フォルドの視線が揺れる。
ネレクは目を逸らさない。
「お前はどうだ」
フォルドの拳が、無意識に握られる。
「お前はフィオナを、“村の女”だというだけで差別した」
風が、砂を薄く巻き上げる。
「……はっ?
随分ベラベラと喋るじゃねぇか。
いつもなら口一つ開かないくせによ!」
ネレクは静かに続ける。
「“跪け”と言ったのは、勝負のためじゃない。
お前の立場を守るためだ」
フォルドの胸の奥が、どくりと鳴る。
「謝れと言ったのも、試験の規定のためじゃない。
“お前の方が上だ”と確認したかったからだ」
沈黙が落ちる。
ネレクはそれ以上、言葉を足さない。
ただ一つだけ、静かに締める。
「立場を盾にするとき、人は気づかない。
自分が、誰かの“悪”になっていることに」
フォルドの顔が強張る。
「……ちげぇ」
喉の奥で噛み殺すような声。
「ちげぇよ!!」
砂を蹴るように、立ち上がる。
志願者たちのざわめきが、一瞬だけこちらを向いた。
フォルドは拳を握りしめ、ネレクを睨みつける。
「大体なぁ――村人なんかが、記録官に憧れて試験を受けに来るのが気にくわねぇんだよ!!」
胸の奥に溜まっていたものが、堰を切る。
「俺たちは、生まれた時から記録官になる為に、学んで、努力して、ここにいる!」
声が荒れる。
「灯の扱い方も、記録の書き方も、
規律も、戦い方も――
全部、父さんから叩き込まれてきた!」
歯を食いしばる。
「それを侮辱するやつは許さねぇ!!」
「誰も侮辱していない」
ネレクは、静かに言った。
「ぽっと出の村人が、“憧れてるから”って来て……
同じ土俵に立つだと!?しかも女が!?
それこそ侮辱だろうが!!」
その声の奥には、怒りと、焦りと、
説明しきれない苛立ちが混ざっていた。
ネレクは、しばらく何も言わなかった。
ただ、フォルドの呼吸が荒いまま落ち着くのを待つ。
そして、静かに言った。
「……お前は、次の試合、シンには勝てない」
風が止まる。
フォルドの眉が跳ね上がった。
「……は?」
怒りより先に、戸惑いが滲む。
ネレクは目を逸らさない。
「あいつは立場で戦わない。血でもない。
戦う相手に対し、真正面から敬意を払っている」
フォルドの拳が震える。
「……ふざけんな」
かすれた声。
ネレクは続ける。
「お前は、立場にしがみついている。
誇りじゃない。しがみついているんだ」
フォルドの胸が、どくりと鳴る。
「黙れ」
「恐れているからだ」
ネレクの声は、少しも荒れない。
「俺は……努力してきた!」
「知っている」
ネレクの目がわずかに揺れる。
「俺はネレク、お前より強い!
お前がやられたシンを倒して、
俺が上だって証明してやる!」
ネレクの指先が、ほんのわずかに動く。
「だから言っている」
息を吐くような声だった。
だが、その言葉は揺れなかった。
「負けるなら……、
記録官の息子として、誠実に戦って負けろ」
ネレクは一歩、近づいた。
「記録官の息子として、
血と教育を受けた者として、
胸を張って立て」
「……!」
「立場を盾にせず、
相手を下に置かず、
努力だけを武器にして戦え」
風が、二人の足元の砂を揺らす。
「その上で負けるなら、
それは侮辱じゃない」
一拍。
「それは、本物の敗北だ」
言葉は静かだったが、重かった。
フォルドの目が揺れる。
怒りか、戸惑いか、分からない光が差す。
喉が鳴る。
拳が震える。
そして――
「……五月蝿えー!!」
怒鳴り声が、乾いた空気を裂いた。
「分かったような顔しやがって……!
お前とは絶交だ!!」
砂を踏みつける。
「……俺は、負けねぇ!!」
その声は強い。
だが、どこか掠れていた。
フォルドはネレクに背を向け、
志願者たちの輪へと荒々しく歩き出す。
背筋は伸ばしている。
だがその歩幅は、わずかに乱れている。
ネレクは呼び止めない。
ただ、静かにその背中を見つめていた。
――
乾いた風が、試合場の砂を静かに撫でた。
第三・第四班の試合場の中央へ、ひとりの男が歩み出る。坊主頭の中年の記録官だった。
彼は円の中央で足を止めると、
柔らかな微笑みを浮かべ、周囲を一度ゆっくりと見渡した。
志願者たちのざわめきが、わずかに静まる。
丁寧に腰を折ると、誰に向けたともつかない、分け隔てのない礼をした。
「私は、上級記録官ユリウス・バルナーク様直属――補佐役のヘルモーズでございます」
落ち着いた声が、広場に静かに広がる。
「誠に僭越ではございますが、皆様の午後からの審判を務めさせていただきます。どうぞ、よしなに」
再び、深く一礼した。
それから顔を上げると、ヘルモーズは手元の記録板へ視線を落とした。
「それでは――第十三回戦を行います」
志願者たちの視線が、一斉に試合場へ集まった。
「始めに――フォルド」
ざわめきが起こる。
フォルドはゆっくりと立ち上がる。
拳を握り、深く息を吸う。
肩を一度だけ回し、背筋を伸ばす。
顎を引き、視線をまっすぐ前へ。
ネレクの声が、頭の奥で鳴る。
――立場を盾にせず。
喉が鳴る。
「次に、シン」
空気がわずかに張り詰めた。
シンが歩み出る。
足音は小さい。
無駄な力みがない。
静かに、フォルドの前に立つ。
挑発もない。
怒りもない。
ただ、まっすぐ、その目は澄んでいる。
フォルドは歯を食いしばる。
「おい、お前……、シン。
スカした顔しやがって……。
ネレクが世話になったな」
鼻で笑う。だが、その笑みはわずかに引きつっている。
「でもよ、俺をあいつと同じだと侮るなよ!」
シンは瞬き一つしない。静かに立っている。
「ふふ……どうか穏便にお願いいたします」
ヘルモーズはにこやかな笑みを崩さず、
穏やかに言った。
「それでは、始め!」
地を蹴る音と共に、フォルドが先に動いた。
砂が弾ける。
「見せてやるよ!格の違いってやつを!」
踏み込みは鋭い。
剣は迷いなく振り抜かれる。
先手必勝。
上段から叩きつけ、相手の構えごと押し潰す。
自らの優越を示す、渾身の一撃。
――だが。
シンは半歩、身体を沈めた。
その瞬間、視界が跳ねた。
ドォォォン!
「……え?」
フォルドの身体が宙を舞って回転し、
次の瞬間、背中から叩きつけられた。
肺から空気が押し出される。
「……ぐっ」
剣が、指から滑り落ちる。
ガチャン――。
乾いた音が、やけに大きく響いた。
立てない。
息が、入らない。
目を開けると、空が揺れている。
シンは、すっと、剣先をフォルドの額に突きつけて、
小さく呟いた。
「記録官とは、灯の体現者。
灯とは、民を救うための力……」
シンの目が、まっすぐ覗き込む。
その目は――フォルドの奥の澱みまで、
透かし見るかのように、静かな光を宿している。
「灯の本質を理解できないお前には、
これ以上、評価を与えるわけにはいかない」
その言葉に、フォルドの瞳が、わずかに見開かれる。
「……勝負あり! 勝者――シン!」
記録官の声が落ちる。
周囲の志願者たちがざわめく。
「今の……何だ?」
「速すぎだろ……」
壇上で、ヴァルターがわずかに目を細める。
その視線は、冷静にシンを測っている。
ユリウスは口髭を撫でながら、小さく息を吐く。
グレイブは腕を開き、肩をすくめた。
フォルドは、地面に横たわったまま、
理解が追いつかない。
たった一撃。
努力も、誇りも、怒りも。
何も届かなかった。
視界の端で、シンが背を向け歩き出す。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
目の奥が滲む。
「……ちくしょう」
声がかすれる。
フォルドの拳が砂を掴む。
「ちくしょう……!」
涙が、ぽたりと砂に落ちる。
悔しさなのか、怒りなのか、自分への失望なのか、
分からない。
シンが、ほんの一瞬だけ立ち止まる。
「ちくしょう……!!
ちくしょう……!!」
叫びは、子どものように無防備で、みっともない。
ただ、重い沈黙だけが、場を包んだ。
ヘルモーズが、顔に困った色を滲ませながら、
場を収めようと口を開きかける。
だが、結局何も言わず、静かに口を閉じた。
その光景を、ネレクはひと時も目を離さず、
ただ静かに、見届けていた。
その横顔は変わらない。
だが、唇の端は、血が滲むほど強く結ばれていた。
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