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記録官の息子たち

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

挿絵(By みてみん)



カラカラカラ……


乾いた風が、砂を撫でていく。


昼の休息を終え、志願者たちの足音が、

遠いざわめきになって広がっていく。

誰かの囁きや笑い声が、それに混じる。


だが、戦いの余韻が残る者たちにとって、

その“残り香”を洗い流すには、

それはあまりに軽すぎた。


昼食を終えたフォルドとネレクは、地面にどかりと腰をかけた。


ネレクは目を閉じ、背筋は真っ直ぐに、

ただ呼吸だけが静かに上下している。


フォルドは片足を伸ばし、さっきまでミックが戦っていた試合場を無言で見据えていた。


試合場には、もう血の跡すら残っていない。

記録官がすぐに均したのだろう。


フォルドは、そこを睨み続けていた。


「……なんだよ、スカルとかいうやつ。

 ミックが何したって言うんだ……」


吐き出すような声。


「……」


ネレクは答えない。


フォルドは唇を噛み、もう一度、試合場を見た。

担架で運ばれていく前のミックの顔。

血で濡れた砂。降参の声。止まらない靴底。


胸の奥が、じり、と焼ける。


「……村が飢えてる?

 それでなんで記録官が悪いんだよ」


言葉が勝手に強くなる。


「記録官はちゃんと灯を配分してる。

 食えねぇのは、村の連中が怠けてるだけだろうが……」


吐き捨てるように言うと、フォルドは砂を指で掻いた。爪の間に黒い粒が入る。


「……」


ネレクは目を閉じたまま、黙っている。


風が止む。

枯れ草が転がる音も、ふっと途切れた。


その沈黙に耐え切れず、

フォルドは舌打ちしそうになる。


そのとき。


「……怠けてる、か」


ぽつりと、ネレクが呟いた。


フォルドが顔を向ける。


「なんだよ」


ネレクは目を開かない。


「灯は配られている。

 だが、配られ方は平等じゃない」


「は?」


フォルドの眉が跳ねる。


ネレクは淡々と続けた。


「親父から聞いたことがある。

 収穫が少ない村は、配分も減る。

 記録が悪ければ、灯は減る。

 灯が減れば、また収穫も減る」


静かな声。

感情を押し付けないぶん、言葉が硬く刺さる。


「……悪循環だ」


フォルドは鼻で笑った。


「努力すりゃいいだろ」


ネレクが、ゆっくりと目を開けた。


その眼差しは冷たいのではなく、

見たくないものまで見てしまう種類の冷静さだった。


「……努力しても、灯がなければ畑は痩せる」


フォルドの眉が動く。


「……」


フォルドは目を逸らし、砂をもう一度掻いた。

指先がざらつく。


「ミックは悪くねぇ……。

 あいつは……、ただの馬鹿だが……」


言いながら、胸の奥の熱が少しだけ冷える。


その横で、ネレクはしばらく黙っていた。


風が、枯れ草を転がす。


「……だったら、聞くが……」


ネレクは静かに言う。


「あ?」


フォルドが顔を向ける。


ネレクは、試合場を見ていない。

どこか遠い一点を見つめたまま、続けた。


「お前が蹴りつけたあの子は……フィオナだったか?

 ――何が悪かったんだ?」


フォルドの口が、半開きで止まる。


「……は?」


思わず、間の抜けた声が出る。


ネレクは動じない。怒りもしない。

ただ、淡々と“問い”の形にする。


「お前は叫んだ。

 跪け、謝れ、負けを認めろって」


ネレクの声は淡い。

責める熱も、擁護する熱もない。

ただ、事実だけを並べる。


「……だから何だよ」


フォルドは苛立ちを隠さず、肩をすくめた。


「俺に恥かかせたんだ。

 あいつ、最後まで目ぇ逸らしやがって……

 俺の“立場”を潰した」


ネレクは一拍置いた。


「……立場、か」


そして、小さく反芻した。


ほんのわずかに、視線がフォルドへ向く。


「人はな――立場を盾にする」


声は低い。


「立場を握ると、楽になる。

 自分の側が“正しい”と決められるからだ」


フォルドの喉が動く。


ネレクは続けた。


「スカルは村の飢えを盾にした。

 飢えているという事実を、怒りの根拠にした。

 だから――記録官を悪にできた」


一拍。


「そして、“その息子”というだけのミックを、

 同じ悪の側に置いた」


フォルドの視線が揺れる。


ネレクは目を逸らさない。


「お前はどうだ」


フォルドの拳が、無意識に握られる。


「お前はフィオナを、“村の女”だというだけで差別した」


風が、砂を薄く巻き上げる。


「……はっ?

 随分ベラベラと喋るじゃねぇか。

 いつもなら口一つ開かないくせによ!」


ネレクは静かに続ける。


「“跪け”と言ったのは、勝負のためじゃない。

 お前の立場を守るためだ」


フォルドの胸の奥が、どくりと鳴る。


「謝れと言ったのも、試験の規定のためじゃない。

 “お前の方が上だ”と確認したかったからだ」


沈黙が落ちる。


ネレクはそれ以上、言葉を足さない。

ただ一つだけ、静かに締める。


「立場を盾にするとき、人は気づかない。

 自分が、誰かの“悪”になっていることに」


フォルドの顔が強張る。


「……ちげぇ」


喉の奥で噛み殺すような声。


「ちげぇよ!!」


砂を蹴るように、立ち上がる。

志願者たちのざわめきが、一瞬だけこちらを向いた。

フォルドは拳を握りしめ、ネレクを睨みつける。


「大体なぁ――村人なんかが、記録官に憧れて試験を受けに来るのが気にくわねぇんだよ!!」


胸の奥に溜まっていたものが、堰を切る。


「俺たちは、生まれた時から記録官になる為に、学んで、努力して、ここにいる!」


声が荒れる。


「灯の扱い方も、記録の書き方も、

 規律も、戦い方も――

 全部、父さんから叩き込まれてきた!」


歯を食いしばる。


「それを侮辱するやつは許さねぇ!!」


「誰も侮辱していない」


ネレクは、静かに言った。


「ぽっと出の村人が、“憧れてるから”って来て……

 同じ土俵に立つだと!?しかも女が!?

 それこそ侮辱だろうが!!」


その声の奥には、怒りと、焦りと、

説明しきれない苛立ちが混ざっていた。


ネレクは、しばらく何も言わなかった。

ただ、フォルドの呼吸が荒いまま落ち着くのを待つ。

そして、静かに言った。


「……お前は、次の試合、シンには勝てない」


風が止まる。


フォルドの眉が跳ね上がった。


「……は?」


怒りより先に、戸惑いが滲む。


ネレクは目を逸らさない。


「あいつは立場で戦わない。血でもない。

 戦う相手に対し、真正面から敬意を払っている」


フォルドの拳が震える。


「……ふざけんな」


かすれた声。


ネレクは続ける。


「お前は、立場にしがみついている。

 誇りじゃない。しがみついているんだ」


フォルドの胸が、どくりと鳴る。


「黙れ」


「恐れているからだ」


ネレクの声は、少しも荒れない。


「俺は……努力してきた!」


「知っている」


ネレクの目がわずかに揺れる。


「俺はネレク、お前より強い!

 お前がやられたシンを倒して、

 俺が上だって証明してやる!」


ネレクの指先が、ほんのわずかに動く。


「だから言っている」


息を吐くような声だった。

だが、その言葉は揺れなかった。


「負けるなら……、

 記録官の息子として、誠実に戦って負けろ」


ネレクは一歩、近づいた。


「記録官の息子として、

 血と教育を受けた者として、

 胸を張って立て」


「……!」


「立場を盾にせず、

 相手を下に置かず、

 努力だけを武器にして戦え」


風が、二人の足元の砂を揺らす。


「その上で負けるなら、

 それは侮辱じゃない」


一拍。


「それは、本物の敗北だ」


言葉は静かだったが、重かった。


フォルドの目が揺れる。

怒りか、戸惑いか、分からない光が差す。


喉が鳴る。


拳が震える。


そして――


「……五月蝿えー!!」


怒鳴り声が、乾いた空気を裂いた。


「分かったような顔しやがって……!

 お前とは絶交だ!!」


砂を踏みつける。


「……俺は、負けねぇ!!」


その声は強い。

だが、どこか掠れていた。


フォルドはネレクに背を向け、

志願者たちの輪へと荒々しく歩き出す。


背筋は伸ばしている。

だがその歩幅は、わずかに乱れている。


ネレクは呼び止めない。

ただ、静かにその背中を見つめていた。


――


乾いた風が、試合場の砂を静かに撫でた。

第三・第四班の試合場の中央へ、ひとりの男が歩み出る。坊主頭の中年の記録官だった。


彼は円の中央で足を止めると、

柔らかな微笑みを浮かべ、周囲を一度ゆっくりと見渡した。


志願者たちのざわめきが、わずかに静まる。

丁寧に腰を折ると、誰に向けたともつかない、分け隔てのない礼をした。


「私は、上級記録官ユリウス・バルナーク様直属――補佐役のヘルモーズでございます」


落ち着いた声が、広場に静かに広がる。


「誠に僭越ではございますが、皆様の午後からの審判を務めさせていただきます。どうぞ、よしなに」


再び、深く一礼した。


それから顔を上げると、ヘルモーズは手元の記録板へ視線を落とした。


「それでは――第十三回戦を行います」


志願者たちの視線が、一斉に試合場へ集まった。


「始めに――フォルド」


ざわめきが起こる。


フォルドはゆっくりと立ち上がる。


拳を握り、深く息を吸う。

肩を一度だけ回し、背筋を伸ばす。

顎を引き、視線をまっすぐ前へ。


ネレクの声が、頭の奥で鳴る。


――立場を盾にせず。


喉が鳴る。


「次に、シン」


空気がわずかに張り詰めた。


シンが歩み出る。


足音は小さい。

無駄な力みがない。


静かに、フォルドの前に立つ。


挑発もない。

怒りもない。

ただ、まっすぐ、その目は澄んでいる。


フォルドは歯を食いしばる。


「おい、お前……、シン。

 スカした顔しやがって……。

 ネレクが世話になったな」


鼻で笑う。だが、その笑みはわずかに引きつっている。


「でもよ、俺をあいつと同じだと侮るなよ!」


シンは瞬き一つしない。静かに立っている。


「ふふ……どうか穏便にお願いいたします」


ヘルモーズはにこやかな笑みを崩さず、

穏やかに言った。


「それでは、始め!」


地を蹴る音と共に、フォルドが先に動いた。


砂が弾ける。


「見せてやるよ!格の違いってやつを!」


踏み込みは鋭い。

剣は迷いなく振り抜かれる。


先手必勝。

上段から叩きつけ、相手の構えごと押し潰す。

自らの優越を示す、渾身の一撃。


――だが。


シンは半歩、身体を沈めた。


その瞬間、視界が跳ねた。


ドォォォン!


「……え?」


フォルドの身体が宙を舞って回転し、

次の瞬間、背中から叩きつけられた。


肺から空気が押し出される。


「……ぐっ」


剣が、指から滑り落ちる。


ガチャン――。


乾いた音が、やけに大きく響いた。


立てない。

息が、入らない。

目を開けると、空が揺れている。


シンは、すっと、剣先をフォルドの額に突きつけて、

小さく呟いた。


「記録官とは、灯の体現者。

 灯とは、民を救うための力……」


シンの目が、まっすぐ覗き込む。

その目は――フォルドの奥の澱みまで、

透かし見るかのように、静かな光を宿している。


「灯の本質を理解できないお前には、

 これ以上、評価を与えるわけにはいかない」


その言葉に、フォルドの瞳が、わずかに見開かれる。


「……勝負あり! 勝者――シン!」


記録官の声が落ちる。

周囲の志願者たちがざわめく。


「今の……何だ?」


「速すぎだろ……」


壇上で、ヴァルターがわずかに目を細める。

その視線は、冷静にシンを測っている。


ユリウスは口髭を撫でながら、小さく息を吐く。

グレイブは腕を開き、肩をすくめた。


フォルドは、地面に横たわったまま、

理解が追いつかない。


たった一撃。

努力も、誇りも、怒りも。

何も届かなかった。


視界の端で、シンが背を向け歩き出す。


胸の奥が、じわりと熱を帯びる。

目の奥が滲む。


「……ちくしょう」


声がかすれる。


フォルドの拳が砂を掴む。


「ちくしょう……!」


涙が、ぽたりと砂に落ちる。


悔しさなのか、怒りなのか、自分への失望なのか、

分からない。


シンが、ほんの一瞬だけ立ち止まる。


「ちくしょう……!!

 ちくしょう……!!」


叫びは、子どものように無防備で、みっともない。

ただ、重い沈黙だけが、場を包んだ。


ヘルモーズが、顔に困った色を滲ませながら、

場を収めようと口を開きかける。

だが、結局何も言わず、静かに口を閉じた。


その光景を、ネレクはひと時も目を離さず、

ただ静かに、見届けていた。


その横顔は変わらない。

だが、唇の端は、血が滲むほど強く結ばれていた。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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