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戦場に咲く花

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

――ズドンッ!!


空を支配していた赤黒い影が、

糸を断たれたように落下した。


ニーズヘッグの巨体が、

地面へと叩きつけられ、

外殻が砕け、翅が歪み、砂が噴き上がった。


複眼の光が、ふっと掻き消える。


「……やった、のか……?」


誰かの、掠れた声。


次の瞬間、

張り詰めていた空気が一気に弾ける。


「うおおおおおっ!!」


「倒したぞ……!」


「あんな化け物みたいな蜂を……一人で!」


ざわめきは波のように広がり、

やがて怒号に近い歓声へと変わっていく。


円の中央。


赤い髪の少女は、

仰向けに倒れたまま動かない。

弓を握る指だけが、わずかに緩んでいる。


遅れて、記録官の声が場に落ちた。


「対戦相手の降参により、勝者――フレア!!」


歓声が、さらに一段高くなる。


「おい、担架を用意しろ! 衛生室へ!」


「……大丈夫。眠ってるだけだ」


記録官たちが見回しながら、手分けして動き出す。


「こりゃ……試合場がめちゃくちゃだぞ……」


「武器は自由だからって……

 毒蜂なんぞを使う馬鹿がいるとは……」


「後片付けだ。次が詰まってる、急げ!」


短いやり取りの合間にも、

視線は何度も、

倒れた少女へと戻っていく。


砂に横たわるその姿は、

勝者として称えられながらも、

どこか戦場の余韻を残したままだった。


壇上。


「……どう見ますか、グレイブ君」


ユリウスの問いに、

グレイブは腕を組んだまま、しばらく黙っていた。


視線は、円の中央。

砕けた外殻と、歪んだ翅。

そして、担架で運ばれていく赤い髪の少女。


「英雄だろ、あれ……」


歓声の中、誰かの声が耳をかすめる。


やがて、鼻で短く息を鳴らす。


「……はは」


低く、喉の奥で転がすような笑い。


「正直に言う。

 派手ではない。剣も振らない。見栄えもしない」


肩をすくめる。


だが、再び聞こえた歓声に、

口元が、ほんのわずかに緩んだ。


「――とは言え」


腕をほどき、円の中央を指で示す。


「知略で、空の獲物を地面に引きずり落とし、

 戦い方そのものを変えた」


ぐっと拳を握る。


「速さも、判断も、胆力もある。なにより――

 あの場で、前に出られる奴はそうはいない」


ユリウスは頷き、淡々と筆を走らせる。


グレイブの表情には、

はっきりとした高揚が滲んでいる。


「……英雄だなんだと、

 騒ぎたくなる気持ちも、分からんでもない」


歓声の方へ視線を流す。

そして、低く、楽しげに言う。


「なるほど……。

 賭けはいい勝負になりそうだな」


ユリウスは、

その言葉に視線を上げなかった。


「英雄は、物語には必要です」


さらさら、と乾いた音。


「ですが、我々が集めているのは――

 物語ではありません」


その言葉に、

グレイブは眉をひそめ、ユリウスの方を振り向いた。


「秩序とは、

 英雄を必要としない状態を維持すること」


一拍。


「我々記録官は、

 賞賛を求めず、物語の中心に立つことを拒む者」


ぴたり、と筆を止める。


「そういう者たちこそ、

 塔の秩序にとって、最も価値がある」


視線だけが、円の中央へ向く。


「――そして彼女は、

 自分の行いを誇示しない」


グレイブは答えなかった。

担架で運ばれていく赤い髪の少女の背を、最後まで目で追う。


組んでいた腕をゆっくりと解き、

親指でこめかみを一度だけ掻いた。


小さく、息が漏れる。


「……はは。

 いい拾い物をしたな、ユリウス」


――


「……」


ジェミルは、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。


砂煙がゆっくりと落ち、

羽音の消えた空に、奇妙な静けさが広がっていく。


しばらくして、

ようやく喉が、かすかに鳴る。


「ああ……ラタトスク……。

 君まで、失ってしまうとは……」


唇が、わずかに歪む。

それが笑みなのか、痛みに耐える形なのか、判別はつかない。


「……やはり君は、

 ニーズヘッグを、愛していたんですね」


その言葉には、皮肉も、嘲りもなかった。


ただ、

研究者としての理解と、

生き物が生き物として選んだ結果への、静かな受容だけがあった。


隣で、シンは何も言わない。

止めも、肯定もせず、

ただ、ジェミルの横顔を見つめている。


やがて、静かに口を開いた。


「……今はただ、一人の狂人がここにいたように、

 振る舞ってください。できますね?」


声は低く、感情の起伏はない。

忠告でも、非難でもない。


その言葉を、ジェミルは拒まなかった。


やがて、ジェミルの視線が、ゆっくりと外套の内側へ落ちる。


裂けた膜の奥。

幼虫が、蠢いている。


小さく、白く、

確かに“次”を宿した命。


ジェミルの呼吸が、静かに整う。


「ああ……そうか。

 僕の研究は……まだ、終わってはいない」


唇の端が、ほんのわずかに吊り上がった。


狂気ではない。

歓喜でもない。


「ならば、今度は――」


理解した者だけが浮かべる、結論の表情。


「完全に制御可能なニーズヘッグと、

 ラタトスクを育てるとしましょう」


隣で、シンはなおも何も言わない。

だが、その沈黙には、わずかな重みがあった。


――


数刻後。


消毒薬の匂いが、鼻の奥に刺さった。


天井は低い。白い布が波打つように吊られ、

風が通るたび、かすかに揺れている。


「――どこだ、ここ……」


フレアは目を開けようとして、

重たい意識に、舌打ちした。


「……寝てた……? 私……」


ゆっくりと上半身を起こし、

一度、腰に手を当て、呼吸を整える。


「……ふぅ……」


短く吐いて、背筋を伸ばす。


骨が鳴るような感覚。

肩を回すと、筋が少し引き攣ったが、すぐに収まった。


「……大丈夫だな。

 試合は……どうなった……?」


フレアは首を左右に軽く振る。

その拍子に、すぐ隣にもう一つの寝台があることに気づいた。


薄い毛布の下で、

紫の髪が、枕に静かに広がっていた。


「フィオナ……!?」


頭に巻かれた包帯は白く、何重にも重なり、

こめかみのあたりだけ、うっすらと赤が滲んでいる。


腹部には、小さなランタンが添えられていた。


掌に乗るほどの、淡い灯。

呼吸に合わせて、わずかに明滅している。


返事はない。

ただ、胸の上下だけが、静かに続いている。


その時、

布の向こうで、足音が止まった。


す、と空気が変わる。


香りが先に届く。

甘すぎない、花の匂い。

それが消毒薬の鋭さを、柔らかく削っていく。


仕切りの布が持ち上がった。


そこに立っていたのは、背の高い女性だった。


光を含むような淡い金髪が、肩口で静かに揺れ、

肌は白く、表情は穏やかで、よく整っている。


胸元から腰へ落ちるシルクの衣装が、

動くたびに滑らかに光り、布が音もなく波打ち、柔らかな素肌が覗いた。


細いのに、線が冷たくない。

触れたら、痛みがほどけそうな体温がある。


フレアは、息を呑んだ。


――こんな人を、今まで見たことがない。


美しい、という言葉では足りない。

けれど、それ以外の言葉も見つからなかった。


女性は目を細めて、フレアの寝台へ歩み寄った。


「……目が覚めたのね」


声は低い。

まるで、眠りから戻ったばかりの子どもを、

そっと起こすような声。


フレアは、思わず背筋を伸ばした。


その拍子に、

赤い髪がばさりと跳ね上がる。


「え、ちょ……!」


慌てて手をやるが、寝起きの癖毛は言うことを聞かず、ぴょんと跳ねた前髪が、そのまま戻らない。


一気に、顔に熱が集まる。


女性は、その様子を見て、ふっと微笑んだ。

そして、ためらいもなく手を伸ばす。


指先は細い。

けれど、動きに迷いがない。


「心配ないわ。ここは塔の衛生室」


そう言って、

フレアの頭にそっと触れ、

跳ねた髪を撫でるように整えていく。


「あなたは模擬試合で勝ったあと、

 そのまま眠ってしまったの。

 きっと、少し疲れていたのね」


指は優しく、

触れるたび、赤い髪が大人しく元の位置へ戻っていく。


不思議と、逆らう気がしない。


「あ、あなたは……?」


フレアは、語尾を落とすように尋ねた。


「私はフリージア。

 ここに運ばれてくる負傷者を預かっているわ」


花の名みたいに、軽いのに、

その場の空気を、静かに整えてしまう名だった。


フレアは一度頷き、

はっと思い出したように声を上げる。


「あ、試験は……! 勝った後どうなりましたか?

 まさか、私、寝過ごしたんじゃ!?」


フリージアは微笑んだ。


「今はお昼休憩よ。安心して。

 午前中の試合は終わったわ。

 あなたの出番は、また午後から」


フレアは、ほっと息を吐いた。


フリージアは、隣の寝台――

フィオナへ視線を移した。


包帯。

灯。

眠る顔。


それらを一度だけ、確かめるように見てから、

再びフレアへと視線を戻す。


「彼女は、今は眠らせている」


柔らかい断言。


「頭を打っている。血も流した。

 それに……心も、限界まで使った」


フレアの喉が、動く。


「……フィオナ、大丈夫なんですか……?」


フリージアは、ゆっくりと頷く。


「大丈夫」


たったそれだけで、

胸の奥の硬いものが、少しだけほどけた。


「……よかった……」


フレアの肩から、力が抜ける。

ほとんど息のような呟きだった。


その様子を見て、

フリージアは思い出したように、脇へと視線を落とす。


「そうだわ。これ……」


静かに取り上げたのは、

布で簡素に包まれた、小さな包み。


丁寧に布を解くと、

中から現れたのは、固焼きのパンだった。

表面にひびの入った、素朴なそれと、

一緒に、使い古された木製の水筒。


フリージアは、それを両手で支えるように持ち、

ほんの少しだけ身を屈めて差し出した。


「あなたに、と。

 黒髪の男の子が届けてくれたのよ」


その声には、

ほんのわずかな、柔らかい含みがあった。


「あ……」


フレアの眉が、ぴくりと動く。


「あいつか……?」


フレアは、しばらくパンを見つめてから、

ゆっくりと手を伸ばした。


「……いただきます」


パンを割ると、乾いた音がした。


フレアは割れた断面を見下ろし、

一瞬だけ迷うように瞬きをしてから、

上品ぶるように、ほんの少しだけかじる。


「……ん……」


噛み締めた途端。


――ぐぅ。


間の抜けた音が、はっきりと鳴った。


「……っ!」


フレアの肩が跳ねる。

一拍遅れて、頬が一気に赤くなった。


「ち、違っ……! 今のは……!」


慌てて口を押さえるが、

空腹は正直だった。


フリージアは、その様子を見て、

声を立てずに微笑む。


責めるでも、からかうでもない。

ただ、微笑むだけ。


「……お腹が空いていたのね」


その一言に、

フレアは言い返せなくなる。


照れ隠しのように視線を逸らし、

それからもう一度だけ、

フィオナの眠る顔へ視線をやると、

ぎゅっとパンを握り、もう片方の手で、水筒を取った。


「私、そろそろ行きます。

 フィオナのこと、頼みました!」


そう言い、立ち上がると、布の仕切りを押し分け、

そそくさと、衛生室を出ていこうとする。


その先で、ふと、視界に入る。


――もう一つ、奥の寝台。


そこには、布が多く掛けられていた。

包帯も、灯も、量が違う。


フレアの足が、止まった。


寝台の上。


大きな身体に乱雑に巻かれた包帯。

胸と肩、腹部まで何重にも覆われ、

灯は一つではなく、二つ、三つと添えられている。


目を閉じ、呼吸は、浅い。


見覚えのある顔が見えた瞬間、

フレアの喉が、詰まった。


「……ミック……?」


フリージアが、後ろから静かに告げた。


「彼は、あなたの次の試合で重症を負い、

 ここへ運ばれてきた……」


淡々とした声。


「命に別状はない。

 けれど……怪我はフィオナさんよりも重い……」


フレアは、拳を握った。


「……ご……め……」


ミックの唇が、何かを告げるように、かすかに動く。

息が漏れ、声は小さい。


フレアは気づいて、思わず一歩、近づいた。


「……ミック?」


はっきりとした返事はない。

ただ、呟くように唇がもう一度、ゆっくりと形を作る。


「……ごめんよ……」


かろうじて、聞き取れるほどの空気。


フレアは、息を止めた。


「……殴られて……

 ……蹴られるのって……」


唇が震える。

言葉の途中で、呼吸が乱れ、喉が鳴る。


「……こんなに……痛かったんだ……」


その一言に、実感がこもっていた。

誇張でも、愚痴でもない。

ただ、初めて知った事実を、そのまま吐き出すような声音。


ミックの口が、もう一度、動く。


「……フォルドを……

 ……止められなくて……ごめん……」


フレアの指先が、ぎゅっと縮こまる。


「……それから……」


呼吸が、引っかかる。

胸が、小さく上下する。


「……君が……次に戦うやつは……

 ……フォルドより……やばい……」


それだけ言うと、

ミックの唇は、ゆっくりと閉じた。


力が抜け、

口元が、わずかに歪む。


それが笑みなのか、安堵なのか、

フレアには分からなかった。


「……ありがとう」


フレアは、ただ一言だけ、そう告げる。


その傍らで、

フリージアが音も立てずに毛布を引き上げ、

ミックの肩口まで、そっと掛け直した。


そして、何も言わず、フレアを見つめた。


責めるでも、慰めるでもなく、

ただ、静かな心配だけを宿した眼差し。


フレアは小さく一礼すると、

視線を伏せたまま踵を返し、衛生室を後にした。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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