勝者は笑う
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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砂の匂いが、まだ場に残っていた。
「勝負あり、そこまで――!」
誰かの勝利を告げる声。
誰かが敗北の苦汁を飲む音。
そこに、倒れたまま運ばれていったフィオナの姿は、すでに見えない。
だが、フレアの胸の奥には、あの沈黙が重く沈殿したままだった。
「――大丈夫。
フィオナは、ちゃんと立ってた」
唇が、かすかに動く。
その言葉を胸の内で繰り返しながら、フレアは一度だけ、深く息を吸った。
記録官の声が、それを断ち切る。
「ここからは四組の試合に移る。第五回戦――」
記録官が、ゆっくりと腕を掲げる。
「フレア!」
名を呼ばれ、フレアは静かに息を吐く。
胸の前で、拳を一度だけ握り、開いた。
指先には、フィオナを抱いた時の温もりが、まだ残っている。
視線を前へ戻し、そのまま歩き出す。
「……あいつか」
志願者たちの視線に紛れ、フォルドが険しく、息を吐くように呟いた。
釣られるように、隣でミックが半拍遅れて振り向く。
ネレクは、視線だけをわずかに動かした。
フレアの対面に立つのは、剣を握る若い男だった。
背丈も体格も平均。
肩に力が入り、剣先がわずかに揺れている。
目は落ち着かず、呼吸は浅い。
壇上で、ユリウスは赤い髪の少女を見据えると、隣の男に低く声をかけた。
「グレイブ君。私はね、あの娘に賭けますよ」
「……はぁ?」
グレイブは片眉を上げ、鼻で笑った。
「気は確かか、ユリウス。ただの村娘じゃないか。
弓の心得が多少ある、という程度じゃないのか?」
ちらりと、円の中央を見下ろす。
「なぜ、自分の息子でもなく、シンでもなく、
よりにもよって――狩人の小娘などに肩入れする?」
ユリウスは、すぐには答えなかった。
視線はフレアの足運びに固定されたまま、
唇の端だけが、ほんのわずかに持ち上がる。
「ふふ……」
それ以上は語らない。
「始め!」
合図が落ちる。
若い男は、ほとんど反射のように踏み込んだ。
剣は真っ直ぐ。迷いもなく、勢いもある。
だが、単調だった。
フレアは半歩、横へ。
「ほっ……!」
紙一重で剣先を外しながら、視線は男の肩と腰を同時に捉えていた。
「――っ!」
男が息を詰めた、その瞬間。
剣の柄を、手刀で叩いた。
バンッ。
乾いた音。
男の手首がわずかに浮き、構えが崩れる。
「それじゃ猪より遅い……」
崩れた所を足払い。
「……っ!?」
身体が傾き、視界が流れる。
ドサッ。
男は砂に尻餅をつき、フレアは一息で背後に回り込む。腕を掴むと、関節を極めるように一気に締め上げた。
「ほら……ちょっと力、抜きなよ……!」
ギシギシギシ……。
骨と筋が軋む感触が、男の悲鳴を誘う。
「う……うわぁぁ……!」
息を吐く間もない。
カチリ。
フレアは腰のベルトから狩りの血抜き用ナイフを抜き、その腹を、男の喉元すれすれに当てた。
触れない距離。
だが、逃げ場のない位置。
「……ま、参った……」
声は、震えていた。
ほんの数十秒。
「ふぅ……」
フレアの表情は、変わらない。
眉も、口元も、揺れない。
ただ、視線だけが男を正確に捉えている。
一拍。
二拍。
周囲が、遅れて息を吸う。
「勝者――フレア!」
宣告が落ちる。
フレアはナイフを鞘に戻し、男から一歩、距離を取った。
そして短く一礼する。
ミックが、はっと声を漏らす。
「……は、早……」
そして、思わず周囲を見回した。
歓声はない。
ただ、飲み込むような沈黙だけが、場に落ちている。
フォルドは、腕を組んだまま、しばらく動かなかった。
「……なんだよ、あれ」
その言葉に、ネレクは眉をひそめ、
何も言わずに口を閉ざした。
壇上。
グレイブが思わず身を乗り出す。
「……おい。見たか? 弓さえ使わなかったぞ……」
ユリウスは、静かに頷く。
「ええ。
相手の力量を一瞬で測り、最短で無力化した。
無駄な攻めも、見せ場もない。ただ“終わらせただけ”です」
グレイブは、舌打ちをひとつ。
「……嫌な戦い方だ」
「彼女は狩人です。
きっとあれが獲物を倒し、
生き残る為の“狩り”の戦法なのでしょう」
「……だが、それだけでは……」
グレイブが言葉を切る。
ユリウスは、筆を止めた。
「それだけではありません。
彼女は――特別なのですよ」
そう言うと、再びメモ帳に何かを書き留める。
さらさら、と乾いた音が、かすかな風に混じった。
「特別……?」
グレイブは腕を組み、
円を離れていくフレアの背中を目で追う。
赤い髪が、歩調に合わせて左右に揺れる。
「そう言われれば、確かに何か、
特別なものを感じるが……だがな、ユリウス」
「はい?」
低く、喉の奥で鳴らすように言う。
「私は、もっとこう……
ガーンッと、ズバッと、斬る闘いが見たいのだ。
今の相手は、あまりにも素直すぎる」
ユリウスは、微かに笑った。
「君らしい……。ですが、ズバッと斬ってしまったら、試験はそこで終わります」
筆を置き、静かに言葉を続ける。
「我々が選ぶのは、統制に耐えうる者ですから」
⸻
そこから先は、流れるように試験は進んでいった。
四組・第六試合。
「勝者――ジェミル!」
目の下に影を落とした男が、視線を伏せたまま静かに一礼する。
「おい……あいつ、逃げ回ってただけだぞ……?」
「相手は……なんで倒れたんだ?」
囁きが波のように広がる。
ジェミルは答えず、分厚い外套の裾についた砂埃を、割れ物を扱うように几帳面に、丁寧に払った。
ぱさり、ぱさり。
その表情は――
顔が歪むほどに、口元が吊り上がっていた。
――
四組・第七試合。
「勝者――ミック!」
一瞬の間。
「や、やったぁ!!」
ミックが両手を上げて跳ねた。
「勝った! 勝ったぞ!!」
勢いのまま、くるりと一回転し、
ズボンの裾を引っ張って腰を振る。
「見たか!? 俺だって“記録官の息子”なんだからな!!」
周囲から、どっと笑い声が起こり、
冷やかしと野次が飛び交う。
「……よかったな」
フォルドが呆れたように息を吐く。
ミックはへらへらと、満面の笑みで、何度も頷いた。
⸻
四組・第八試合。
ダァァンッ!
鈍い衝撃音とともに、
フードを被った男が、相手を地面へ叩き伏せた。
砂が跳ね、呻き声が漏れる。
「ぐっ……!」
男は勢いのまま馬乗りになると、
片膝を相手の腹に落とし、体重をぐっとかけた。
そのまま、腰に差していた短いナイフを引き抜き、
刃をくるりと指先で回してから、ためらいなく喉元へ突きつけた。
「おい……お前……記録官の家族か?
それとも――村人か?」
押さえつけられた男の喉が鳴り、
言葉にならない息が漏れる。
「ひ……ひぃ……!」
「そこまで! 勝者――!」
記録官が声を張り上げ、前へ出る。
だが、フードの男は動かない。
記録官が静止しようと、伸ばした腕を荒っぽく払い、
ナイフの刃先を、さらに押し当てる。
皮膚が切れ、赤い線が滲んだ。
「ち、違います……!
ぼ、僕は……」
「ああ!?」
男の声が、低くなる。
「ちゃんと答えろや!
どっちだって聞いてんだよ!」
「む、村人です……!
ほ、ほんとに……!」
突きつけた刃を、ほんの一瞬だけ留め、
相手の顔を上から覗き込む。
「……ちっ」
短く舌打ちし、
男はようやく立ち上がった。
ナイフを、くるりと逆手に持ち替え、
腰のベルトへ無造作に突っ込む。
「……使えねぇな」
そのまま、記録官と視線も合わせず、
だるそうに背中を丸め、膝を外に投げ出すように歩く。
ぶつかりそうになった相手にも一切譲らず、
志願者たちの輪を割って去っていった。
倒れた男は、その場に取り残され、
喉元を押さえたまま、荒い息を繰り返していた。
壇上で、
ヴァルターは静かに顔を上げる。
その視線は一瞬だけ、
刃のように鋭く、フードの男を射抜いていた。
――
シンの二戦目は、終始静かだった。
派手な踏み込みも、強引な斬り合いもない。
互いに距離を保ち、受け流し、かわし、刃だけが淡々と応酬する。
やがて相手の呼吸がわずかに乱れた、その一瞬――
シンの刃が、正確に相手の剣を断った。
剣は折れ、音を立てて地に落ちる。
両手が上がり、「参った」と短い声が落ちた。
勝負は、それで終わった。
フォルドも勝った。
剣を振り回し、力で押し切るような戦いだった。
勝利が告げられた瞬間、
顔に浮かぶ苛立ちを、乱暴にかき消すように、笑う。
その笑みが何を誤魔化しているのか、
フォルド自身だけが、まだ分かっていなかった。
そして、フレアの順が再び回ってきた。
「――次。第十一回戦」
記録官が名を告げようとした、その時。
観覧していた志願者の一人が、突然、身を強張らせる。
ブゥゥン……。
低く、不快な羽音。
「うおっ……! やめろ、あっち行け!」
緑がかった蜂が一匹、
志願者たちの影を縫うようにして、ふらりと宙を舞った。
誰かが手を振り払い、誰かが一歩、距離を取る。
だが蜂は逃げず、まるで場を確かめるように、ゆっくりと旋回し、やがて一本の糸に引かれるように前へ飛んでいった。
「フレア!」
記録官の声が落ちる。
名を呼ばれ、フレアは小さく息を吐く。
赤い髪が揺れ、靴底が砂を踏む音が、はっきりと響いた。
シンの視線が僅かに動く。
壇上ではユリウスとグレイブが、同時に視線を落とした。
「続いて、ジェミル!」
対戦相手の名を告げられる。
ゆらりと、対面に立った男を見て――
フレアはほんの一瞬、胸がざわついた。
男は、ゆっくりと顔を上げる。
瞼は落ち、眠っていないのか、目の下には濃い影。
何かを考えているようで、何も考えていないような眼差し。
だが、それよりも異様なのは、肩から足元までを覆い隠す、不自然なほど分厚い外套だった。
「始め――!」
「……」
男の視線が、フレアを捉える。
立ったまま、武器も何も構えず、微動だにしない。
その様子を見て、フレアは背中へ手を伸ばし、弓を取った。
――今は近づくべき相手ではない。
そう、本能が告げる。
「……」
風が吹き、砂が転がっていく。
「……なに? 戦う気がないの……?」
フレアのその言葉に、ジェミルは一歩後ずさる。
「いえ……」
そう答えた瞬間だった。
「痛っ!」
フレアは思わず肩を押さえた。
布越しの皮膚の表面を、針で弾かれたような鋭い刺激。だが痛みは一瞬で、血の匂いも、滲む感触もない。
「……蜂?」
視線を走らせる。
緑がかった蜂は、すでに彼女の肩を離れ、低い羽音を残してどこかへ退いていった。
まるで――役目を終えたかのように。
フレアは唇を引き結び、深く息を吸った。
胸の奥に、嫌な予感が沈む。
視線を上げる。
その先で、
ジェミルは半歩、さらにもう半歩、距離を取っていた。
「……おや」
低く、柔らかな声。
「まさか今、このような場所で……
このような時に、運悪く蜂に刺されましたか?」
一語ずつ、確かめるように言葉を選ぶ。
「蜂の種によっては、非常に厄介な毒を持つものもいると、聞き及んでおります……」
一拍。
「そう、例えば……」
長い前髪が揺れ、
影を落とした瞳が、深淵の向こうを覗き込むように、ふっと見開かれた。
「死に至るようなもの、など……」
首を、ほんのわずかに傾げる。
「……大丈夫、ですか?」
その問いかけは、
フレアへの気遣いとも、確認とも、脅しとも取れない底知れぬ響きを帯びていた。
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