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勝者は笑う

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

砂の匂いが、まだ場に残っていた。


「勝負あり、そこまで――!」


誰かの勝利を告げる声。

誰かが敗北の苦汁を飲む音。


そこに、倒れたまま運ばれていったフィオナの姿は、すでに見えない。

だが、フレアの胸の奥には、あの沈黙が重く沈殿したままだった。


「――大丈夫。

 フィオナは、ちゃんと立ってた」


唇が、かすかに動く。

その言葉を胸の内で繰り返しながら、フレアは一度だけ、深く息を吸った。


記録官の声が、それを断ち切る。


「ここからは四組の試合に移る。第五回戦――」


記録官が、ゆっくりと腕を掲げる。


「フレア!」


名を呼ばれ、フレアは静かに息を吐く。

胸の前で、拳を一度だけ握り、開いた。


指先には、フィオナを抱いた時の温もりが、まだ残っている。


視線を前へ戻し、そのまま歩き出す。


「……あいつか」


志願者たちの視線に紛れ、フォルドが険しく、息を吐くように呟いた。


釣られるように、隣でミックが半拍遅れて振り向く。

ネレクは、視線だけをわずかに動かした。


フレアの対面に立つのは、剣を握る若い男だった。


背丈も体格も平均。

肩に力が入り、剣先がわずかに揺れている。

目は落ち着かず、呼吸は浅い。


壇上で、ユリウスは赤い髪の少女を見据えると、隣の男に低く声をかけた。


「グレイブ君。私はね、あの娘に賭けますよ」


「……はぁ?」


グレイブは片眉を上げ、鼻で笑った。


「気は確かか、ユリウス。ただの村娘じゃないか。

 弓の心得が多少ある、という程度じゃないのか?」


ちらりと、円の中央を見下ろす。


「なぜ、自分の息子でもなく、シンでもなく、

 よりにもよって――狩人の小娘などに肩入れする?」


ユリウスは、すぐには答えなかった。


視線はフレアの足運びに固定されたまま、

唇の端だけが、ほんのわずかに持ち上がる。


「ふふ……」


それ以上は語らない。


「始め!」


合図が落ちる。


若い男は、ほとんど反射のように踏み込んだ。

剣は真っ直ぐ。迷いもなく、勢いもある。


だが、単調だった。


フレアは半歩、横へ。


「ほっ……!」


紙一重で剣先を外しながら、視線は男の肩と腰を同時に捉えていた。


「――っ!」


男が息を詰めた、その瞬間。


剣の柄を、手刀で叩いた。


バンッ。


乾いた音。

男の手首がわずかに浮き、構えが崩れる。


「それじゃ猪より遅い……」


崩れた所を足払い。


「……っ!?」


身体が傾き、視界が流れる。


ドサッ。


男は砂に尻餅をつき、フレアは一息で背後に回り込む。腕を掴むと、関節を極めるように一気に締め上げた。


「ほら……ちょっと力、抜きなよ……!」


ギシギシギシ……。


骨と筋が軋む感触が、男の悲鳴を誘う。


「う……うわぁぁ……!」


息を吐く間もない。


カチリ。


フレアは腰のベルトから狩りの血抜き用ナイフを抜き、その腹を、男の喉元すれすれに当てた。


触れない距離。

だが、逃げ場のない位置。


「……ま、参った……」


声は、震えていた。


ほんの数十秒。


「ふぅ……」


フレアの表情は、変わらない。


眉も、口元も、揺れない。

ただ、視線だけが男を正確に捉えている。


一拍。


二拍。


周囲が、遅れて息を吸う。


「勝者――フレア!」


宣告が落ちる。


フレアはナイフを鞘に戻し、男から一歩、距離を取った。

そして短く一礼する。


ミックが、はっと声を漏らす。


「……は、早……」


そして、思わず周囲を見回した。

歓声はない。

ただ、飲み込むような沈黙だけが、場に落ちている。


フォルドは、腕を組んだまま、しばらく動かなかった。


「……なんだよ、あれ」


その言葉に、ネレクは眉をひそめ、

何も言わずに口を閉ざした。


壇上。


グレイブが思わず身を乗り出す。


「……おい。見たか? 弓さえ使わなかったぞ……」


ユリウスは、静かに頷く。


「ええ。

 相手の力量を一瞬で測り、最短で無力化した。

 無駄な攻めも、見せ場もない。ただ“終わらせただけ”です」


グレイブは、舌打ちをひとつ。


「……嫌な戦い方だ」


「彼女は狩人です。

 きっとあれが獲物を倒し、

 生き残る為の“狩り”の戦法なのでしょう」


「……だが、それだけでは……」


グレイブが言葉を切る。


ユリウスは、筆を止めた。


「それだけではありません。

 彼女は――特別なのですよ」


そう言うと、再びメモ帳に何かを書き留める。

さらさら、と乾いた音が、かすかな風に混じった。


「特別……?」


グレイブは腕を組み、

円を離れていくフレアの背中を目で追う。


赤い髪が、歩調に合わせて左右に揺れる。


「そう言われれば、確かに何か、

 特別なものを感じるが……だがな、ユリウス」


「はい?」


低く、喉の奥で鳴らすように言う。


「私は、もっとこう……

 ガーンッと、ズバッと、斬る闘いが見たいのだ。

 今の相手は、あまりにも素直すぎる」


ユリウスは、微かに笑った。


「君らしい……。ですが、ズバッと斬ってしまったら、試験はそこで終わります」


筆を置き、静かに言葉を続ける。


「我々が選ぶのは、統制に耐えうる者ですから」



そこから先は、流れるように試験は進んでいった。


四組・第六試合。


「勝者――ジェミル!」


目の下に影を落とした男が、視線を伏せたまま静かに一礼する。


「おい……あいつ、逃げ回ってただけだぞ……?」


「相手は……なんで倒れたんだ?」


囁きが波のように広がる。

ジェミルは答えず、分厚い外套の裾についた砂埃を、割れ物を扱うように几帳面に、丁寧に払った。


ぱさり、ぱさり。


その表情は――

顔が歪むほどに、口元が吊り上がっていた。


――


四組・第七試合。


「勝者――ミック!」


一瞬の間。


「や、やったぁ!!」


ミックが両手を上げて跳ねた。


「勝った! 勝ったぞ!!」


勢いのまま、くるりと一回転し、

ズボンの裾を引っ張って腰を振る。


「見たか!? 俺だって“記録官の息子”なんだからな!!」


周囲から、どっと笑い声が起こり、

冷やかしと野次が飛び交う。


「……よかったな」


フォルドが呆れたように息を吐く。


ミックはへらへらと、満面の笑みで、何度も頷いた。



四組・第八試合。


ダァァンッ!


鈍い衝撃音とともに、

フードを被った男が、相手を地面へ叩き伏せた。


砂が跳ね、呻き声が漏れる。


「ぐっ……!」


男は勢いのまま馬乗りになると、

片膝を相手の腹に落とし、体重をぐっとかけた。


そのまま、腰に差していた短いナイフを引き抜き、

刃をくるりと指先で回してから、ためらいなく喉元へ突きつけた。


「おい……お前……記録官の家族か?

 それとも――村人か?」


押さえつけられた男の喉が鳴り、

言葉にならない息が漏れる。


「ひ……ひぃ……!」


「そこまで! 勝者――!」


記録官が声を張り上げ、前へ出る。


だが、フードの男は動かない。

記録官が静止しようと、伸ばした腕を荒っぽく払い、

ナイフの刃先を、さらに押し当てる。


皮膚が切れ、赤い線が滲んだ。


「ち、違います……!

 ぼ、僕は……」


「ああ!?」


男の声が、低くなる。


「ちゃんと答えろや!

 どっちだって聞いてんだよ!」


「む、村人です……!

 ほ、ほんとに……!」


突きつけた刃を、ほんの一瞬だけ留め、

相手の顔を上から覗き込む。


「……ちっ」


短く舌打ちし、

男はようやく立ち上がった。


ナイフを、くるりと逆手に持ち替え、

腰のベルトへ無造作に突っ込む。


「……使えねぇな」


そのまま、記録官と視線も合わせず、

だるそうに背中を丸め、膝を外に投げ出すように歩く。


ぶつかりそうになった相手にも一切譲らず、

志願者たちの輪を割って去っていった。


倒れた男は、その場に取り残され、

喉元を押さえたまま、荒い息を繰り返していた。


壇上で、

ヴァルターは静かに顔を上げる。


その視線は一瞬だけ、

刃のように鋭く、フードの男を射抜いていた。


――


シンの二戦目は、終始静かだった。


派手な踏み込みも、強引な斬り合いもない。

互いに距離を保ち、受け流し、かわし、刃だけが淡々と応酬する。


やがて相手の呼吸がわずかに乱れた、その一瞬――

シンの刃が、正確に相手の剣を断った。


剣は折れ、音を立てて地に落ちる。

両手が上がり、「参った」と短い声が落ちた。


勝負は、それで終わった。


フォルドも勝った。

剣を振り回し、力で押し切るような戦いだった。


勝利が告げられた瞬間、

顔に浮かぶ苛立ちを、乱暴にかき消すように、笑う。


その笑みが何を誤魔化しているのか、

フォルド自身だけが、まだ分かっていなかった。


そして、フレアの順が再び回ってきた。


「――次。第十一回戦」


記録官が名を告げようとした、その時。


観覧していた志願者の一人が、突然、身を強張らせる。


ブゥゥン……。


低く、不快な羽音。


「うおっ……! やめろ、あっち行け!」


緑がかった蜂が一匹、

志願者たちの影を縫うようにして、ふらりと宙を舞った。


誰かが手を振り払い、誰かが一歩、距離を取る。

だが蜂は逃げず、まるで場を確かめるように、ゆっくりと旋回し、やがて一本の糸に引かれるように前へ飛んでいった。


「フレア!」


記録官の声が落ちる。


名を呼ばれ、フレアは小さく息を吐く。

赤い髪が揺れ、靴底が砂を踏む音が、はっきりと響いた。


シンの視線が僅かに動く。

壇上ではユリウスとグレイブが、同時に視線を落とした。


「続いて、ジェミル!」


対戦相手の名を告げられる。


ゆらりと、対面に立った男を見て――

フレアはほんの一瞬、胸がざわついた。


男は、ゆっくりと顔を上げる。


瞼は落ち、眠っていないのか、目の下には濃い影。

何かを考えているようで、何も考えていないような眼差し。


だが、それよりも異様なのは、肩から足元までを覆い隠す、不自然なほど分厚い外套だった。


「始め――!」


「……」


男の視線が、フレアを捉える。

立ったまま、武器も何も構えず、微動だにしない。


その様子を見て、フレアは背中へ手を伸ばし、弓を取った。


――今は近づくべき相手ではない。


そう、本能が告げる。


「……」


風が吹き、砂が転がっていく。


「……なに? 戦う気がないの……?」


フレアのその言葉に、ジェミルは一歩後ずさる。


「いえ……」


そう答えた瞬間だった。


「痛っ!」


フレアは思わず肩を押さえた。

布越しの皮膚の表面を、針で弾かれたような鋭い刺激。だが痛みは一瞬で、血の匂いも、滲む感触もない。


「……蜂?」


視線を走らせる。


緑がかった蜂は、すでに彼女の肩を離れ、低い羽音を残してどこかへ退いていった。

まるで――役目を終えたかのように。


フレアは唇を引き結び、深く息を吸った。

胸の奥に、嫌な予感が沈む。


視線を上げる。


その先で、

ジェミルは半歩、さらにもう半歩、距離を取っていた。


「……おや」


低く、柔らかな声。


「まさか今、このような場所で……

 このような時に、運悪く蜂に刺されましたか?」


一語ずつ、確かめるように言葉を選ぶ。


「蜂の種によっては、非常に厄介な毒を持つものもいると、聞き及んでおります……」


一拍。


「そう、例えば……」


長い前髪が揺れ、

影を落とした瞳が、深淵の向こうを覗き込むように、ふっと見開かれた。


「死に至るようなもの、など……」


首を、ほんのわずかに傾げる。


「……大丈夫、ですか?」


その問いかけは、

フレアへの気遣いとも、確認とも、脅しとも取れない底知れぬ響きを帯びていた。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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