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繋げる声

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

「第二回戦、はじめ!」


記録官の声が広場に響いた瞬間、怒号と剣戟の音が重なり合った。

金属がぶつかる乾いた音、踏み込む足が地面を叩く音――

それらが混じり合い、広場全体を震わせる。


フィオナは、観覧する志願者たちの輪からそっと離れ、後方に身を縮めるようにしてしゃがみ込んだ。


次は、自分の番。


そう思っただけで、胸の奥がぎゅっと締め付けられ、心臓の音が耳の内側で脈打ち始めた。

呼吸が浅くなり、息を吸おうとするたび、喉がひくりと鳴る。


震えそうになる肩を抑えるように、フィオナは胸の前で両腕を抱きしめた。

そのまま、ぎゅっと目を閉じる。


暗闇の向こうで、喧騒がこだまする。

次第に喉の奥から、かすれた声が零れた。


「……怖い……」


その時だった。

フィオナの背後で、気配が動いた。


気づいた時には、もう遅い。


そっと、だが確かに――

背中に、穏やかなぬくもりが触れる。


「……」


フィオナは、びくりと肩を震わせた。

次の瞬間、両肩を包むように、静かに腕が回される。


視界の端に、赤い髪が揺れるのが見え、

温かな吐息が、頬のすぐそばにかかる。


「フィオナ……大丈夫だよ」


耳元で落ちる声は、低く、柔らかい。

命令でも、励ましでもなく、

ただ、そうあることを許す声だった。


「今は、怖くていい」


フィオナの喉が、ひくりと鳴る。


「……っ」


言葉にならない息が漏れ、胸が小さく上下する。


フレアだった。

彼女は、何も言わず、額をフィオナのこめかみへ、そっと寄せる。


肩に回された腕が、わずかに力を持つ。


「……こうやってさ」


フレアのまつ毛が、ふと瞬いた拍子に、フィオナの目尻に触れた。

くすぐったいような、熱を帯びたような感覚に、一瞬、呼吸が止まる。


「昔、私が狩りに出る前……

 怖くて動けなくなった時、お母さんが同じことしてくれたんだ」


フィオナの指先が、ぎゅっと縮む。


「何も言わずに、後ろから優しく包んでくれて……

 『大丈夫よ』って……」


フレアの腕が、さらに少しだけ、力を増す。


「だから、今はそれでいい」


フィオナの視界が、滲んだ。


閉じた瞼の裏に、ぼんやりとした光景が浮かぶ。


寒い夜。

薄い毛布。

小さな背中に、そっと添えられた手。


思い出そうとしていなかった記憶が、勝手に浮かび上がる。


「私のお母さんも……」


声が、震える。


「……こうして……くれました……」


フレアは、何も言わない。

ただ、額の位置をほんの少しだけ、近づけた。


「……だから」


静かな声。


「立つのは、あとでいい」


「……」


「今は、震えてていい」


フィオナの呼吸が、少しずつ整っていく。

浅かった息が、ゆっくりと、胸の奥まで届く。


隣に誰かがいる。

そのぬくもりだけで、世界の輪郭が戻ってくる。

身体の芯に絡みついていた冷えが、ほんの少しだけ解けていった。


広場では、まだ剣戟の音が鳴っている。

誰かの勝利を告げる声が、遠くで上がる。


それでも、この一瞬だけ、世界は狭く、二人の視線の先には、同じ静けさがあった。


フィオナは、ゆっくりと目を開ける。

視界の端で、フレアと目が合う。


「……フレアちゃん……」


「ん?」


「……ありがとう……」


フレアは、ふっと息を吐いた。


「負けても死ぬわけじゃない」


そう言って腕を解き、そっと一歩、距離を取る。


「だから――」


軽く、背中を叩く。


「精一杯、やってこい」


フィオナは、小さく頷いた。


震えは、消えていない。

怖さも、なくなってはいない。


それでも――

隣に立ってくれる人がいる。


それだけで、足元は、確かだった。


「第三回戦を始める。呼ばれた者は前に出ろ!」


記録官の声が、冷えた空気を震わせた。


広場のざわめきが引く。

視線が、一斉に前へ集まる。


「フォルド!」


名を呼ばれると、フォルドはふっと口元を緩めた。

隣のネレクとミックに手を軽く振り、そのまま気負いなく、前へ出る。


歩き方は軽く、足取りに迷いはない。


円の中央に立つと、鞘に収めていた剣をゆっくりと、わざとらしいほど丁寧に引き抜いた。


カチャリ。


刃を一度、くるりと回す。

傷一つない刃が、鈍く、均一な光を返した。


そのまま、刃先を前へ突き出す。


「俺の相手は、誰だっけなぁ?」


まるで退屈そうに、片眉を上げる。


後方で、ミックが堪えきれず、小さく吹き出した。


「それ、さっきネレクを倒したやつの真似でしょ」


「うっせぇ!」


フォルドは振り返りもせず、吐き捨てるように返した。


「次、フィオナ!」


記録官のその呼び声に、壇上でユリウスは手元の筆をぴくり、と止めた。

無言のまま、俯いていた視線を、すっと上げる。


呼ばれた声に、一瞬、フィオナはたじろぐ。


胸の奥が、ぎゅっと縮む。

心臓が跳ね、音が大きくなる。


――私。


足元を見下ろし、息を吸う。

震えは、まだ残っている。


だが、背中に触れたぬくもりを、思い出す。


ゆっくりと、顔を上げた。


「……」


返事はしない。

ただ、歩き出す。


観覧する志願者たちの輪を抜け、

一歩ずつ、前へ。


歩幅は小さい。

足取りは、決して軽くない。


途中、何人かと視線が合う。

憐れみ、驚き、戸惑い。


そのすべてを、受け止めながら、進む。


――逃げない。


そう、心の中でだけ呟いた。


フィオナは、フォルドを目で捉え、定められた位置に立つ。深く息を吸い、肺の奥まで、冷たい空気を入れた。


「――第三回戦、はじめ!」


記録官の声が、冷えた空気を切り裂く。


一拍遅れて、向かいの円で別の組の怒号が上がる。

剣が鞘を離れる金属音、靴が地を蹴る音。

だが、フィオナの耳には、それらすべてが遠かった。


正面に立つフォルドは、剣を軽く構え、唇の端を歪めて笑っている。


「……へぇ、女がしゃしゃり出て来んじゃねえよ」


視線が、フィオナの手元に落ちる。

短い筒状の棍。


「それが武器? 冗談だろ」


嘲りを混ぜた笑い声が、乾いた空気に落ちた。


フィオナは答えない。

胸の奥が、ぎゅっと縮む。

だが、足は動かなかった。


フォルドが、踏み込む。


粗い。

だが、一直線。

軽薄さを隠そうともしない、無分別の剣。


フィオナは半歩退き、棍の端を押した。


カチ、と乾いた音が鳴り、棍が伸びる。

筒は、即席の短棍へと姿を変える。


「……っ?」


フォルドの眉が一瞬だけ動く。


その一瞬に、フィオナは息を吸って踏み込んだ。

力ではない。狙いだけを定める。


短棍の先端が、フォルドの肩口へ――


ドン。


「ゔっ……!」


鈍い衝撃。


周囲がざわめき、フレアは腕を振って歓声を飛ばす。


「よっしゃあ! フィオナ、ナイス!」


フォルドが後ろへよろめき、声を上げる。


「いってぇぇぇッ! なんだよ、それ!」


「これは……伸縮自在の連結棍。

 ――リンク・タクトです……」


フィオナは答える。


肩をすくめるようにして痛みを逃し、舌打ちが漏れる。

苛立ちを含んだ声に、フィオナの肩が一瞬びくりと揺れる。だが、すぐに声には笑いが混じる。


「へぇ……そうか。仕掛けがあるってわけか」


剣を構え直し、今度は慎重に距離を取る。

横へ、円を描くように回り込む。


フィオナは連結棍リンク・タクトを前に構えたまま、半歩ずつ、相手の動きに身体ごと向きを合わせる。

肩が硬い。息が浅い。棍を握る手が、汗ばむ。

それでも、目を逸らさない。


フォルドが、再び踏み込む。


今度は速さではなく、間合い。

剣先が、探るように伸びる。


その瞬間――

フィオナは、連結棍リンク・タクトをさらに押し出した。


カチ、カチ。


もう一段階、棍が伸びる。

今度は、腕の長さを超える“棒”になる。


「なっ……!」


フォルドの声が短く漏れた。

剣を引き切る前に、棍の先が届く距離が変わった。


キィン――。


刃が棍に弾かれ、甲高い音が鳴る。

衝撃がフィオナの腕に走り、指先がしびれる。


だが、フィオナは身体を捻った。

棍を回転させ、低く振る。


ズンッ。


太腿に、鈍い一撃。


「っ……!」


フォルドは足を引き、体勢を崩しかけた。

倒れかけて、踏み直し、視線だけが、冷たく細くなる。


「やるじゃない!」


フレアの声に呼応するように、志願者たちが囁く。


「あの女の子……善戦してるな」


「でも、軽いな……」


フィオナの息が荒くなる。

腕が重い。

棍を支えるだけで体力が削られていく。


フォルドは剣を構え直しながら、口角を上げた。


「なるほどな」


声が低くなる。


「当たっても、痛ぇだけだ」


一歩、前へ。


「遅いし、軽い。

 これじゃ、殺れねぇ」


さらに一歩。


フィオナは、棍を握り直す。

指が白くなる。


「だったら――」


フォルドは、剣を振り上げた。


フィオナが棍を前に構える。

だが、そのまま――フォルドは止まらない。


剣を受けに来た棍を、無理やり押し込み、距離を潰す。


「っ……!」


フィオナの腕が開き、胸が晒される。


次の瞬間、フォルドの肩が――ぶつかる。


ドン。


体重がのしかかり、フィオナの身体が後ろへと弾かれる。


「きゃっ……!」


視界が跳ね、背中がドン、と地面へ落ちる。

息が詰まり、視界が白くなり、

土の匂いが鼻に刺さり、口の中がざらついた。


「ははっ!」


フォルドは、そのまま前に出る。


「ほらな!」


倒れたフィオナの腹部に、靴底が無慈悲に落ちる。


ドンッ!


「ああっ……!」


息が喉で折れ、声が掠れる。


次は、肩。


ドカッ!


「うぅ……!」


フォルドは、間合いを切らない。

剣を握ったまま、上から見下ろして、笑う。


「痛ぇか?」


言いながら、靴先がもう一度持ち上がる。


その瞬間だった。


「やめろ!!」


低い研いだ刃のような声が、ざわつく輪の外から飛んだ。


フレアだ。


広場のざわめきが、ふっと薄くなる。

誰かの笑い声が途切れ、息を吸う音だけが目立ち始める。


フォルドの足が一瞬だけ止まる。

しかし、すぐに鼻で笑い、わざとらしく肩をすくめた。


「は? 負ける方が悪いだろ」


そう言い捨てて、身体を埋めるフィオナを見下ろす。

その視線は、さっきまでの軽さが消えて、ただ意地が悪い。


フォルドは片眉を下げ、さらにもう一度、蹴り付ける。フィオナの背中に鈍い衝撃が走る。


ガンッ!


「くっ……」


フィオナの喉が潰れた声を漏らす。

土に押しつけられ、息が吸えない。

肺が、空気を求めて痙攣する。


後ろで、ミックが――笑いかけていた口を、ゆっくり閉じた。

唇の端が引きつったまま動かない。


ネレクは腕を組んだまま、

顎の筋をきつくさせ、目を逸らした。


囁きが消え、剣戟の音も、向こうから聞こえてはいるのに、ここだけ別の場所のように静くまる。


フォルドはそれを気にする様子もなく笑った。


「はは……死角は突いてやらねぇ」


低い声が、土に落ちる。


「謝れよ。女なんだからさ、その顔に傷つくの、もったいねぇだろ?」


靴底が、また上がる。

今度は、ゆっくり。見せつけるように。


「ほら、言えよ」


――ドッ!


「跪いて、謝れ!!」


誰かが息を呑む音すら、やけに大きく聞こえる。


フレアは一歩、前へ出かける。


だが、怒鳴り声が広場に響いた瞬間――

フィオナの指が連結棍リンク・タクトの“継ぎ目”に触れた。

押し込む。

引く。

滑らせる。


ギリ、と金具が鳴り、縮んで身軽になった棍が、低く走った。


ゴッ。


フォルドの足首が払われ、体勢が崩れる。


「っ!?」


踏ん張りを失い、フォルドの体が尻から崩れる。


「うげっ!」


フィオナはその隙に、転がるように距離を取り、

ゆっくりと、立ち上がる。


カチ、カチ。


肩は落ち、背中は丸い。

手は震え、足が笑っている。

服は土まみれ。


もう誰の目にも、ぼろぼろだった。


「フィオナ……」


フレアは、小さく呟いた。

ただ、唇を噛み、視線を逸らさずに見つめている。


離れた場所で、シンが微かに顔を上げた。


フォルドも立ち直る。

顔から笑みが消え、苛立ちがむき出しになる。


「……調子乗るなよ」


剣先が、フィオナへ向く。


「もう終わりだ!」


声が広場に響く。


「勝てるわけねぇだろ!

 わかったら跪け!」


二人を見つめる周囲の声が鎮まる。


「謝れ!」


フィオナは、棍を握り直した。

膝が笑い、視界が揺れる。


それでも――


フィオナは、ゆっくりと目を閉じた。


暗闇が降りる。

広場の喧騒が、少しだけ遠のく。


――寒い夜。

――灯のない部屋。

――寄り添って眠る、小さな背中。


唇が、かすかに動く。


「……リョウ……」


声は、ほとんど息だった。


「……エリー……ミリア……ルッソ……アシュレイ」


一人ずつ。

確かめるように。

祈るでもなく、願うでもなく。


ただ、名前を呼ぶ。


「……大丈夫だから……。お姉ちゃんがんばるから……」


小刻みに震える小さな背中たち。

それでも生きようとする体温。

母と同じように抱きしめて、言い聞かせた言葉が、今度は自分の内側で響く。


フィオナは、静かに目を開けた。

視線は、揺れていない。


跪かない。

何も言わない。

ただ、立っている。


フォルドの顔が、歪んだ。

さっきまで女を見下していた目が、今は“立っている相手”を見ている。

その事実に気づいた瞬間、唇が強く引き結ばれた。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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