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帰還

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

挿絵(By みてみん)



無言のまま、剣を構え合う二人。


時間は、ほんの数分も経っていないはずだった。

それなのに、その硬直は、まるで何十分も続いているかのような錯覚を周囲に与えていた。


誰も動かない。

誰も、息をすることさえ躊躇っている。


フレアは、二人を交互に見つめていた。

剣先の微かな揺らぎ、呼吸の間、肩の位置――


視線は冷静にそれらを追っている。だが胸の奥では、かつて森で獣と相対した瞬間と同じ、静かな高揚が、確かに脈打っていた。


フィオナはいつの間にか両手を胸の前で重ね、口元に添えている。

指先が白くなるほど、力がこもっていた。


フォルドは、動かないネレクの背中をじっと見つめていた。

何か言葉を投げようと、唇がわずかに開き、そしてまた閉じる。


その時だった。


ぶぅん――


小さな羽音が、場違いなほど軽く空気を切る。


一匹の小蝿が、志願者たちの隙間を縫うように飛び、ふらりと軌道を変えると――

隣で観戦していたミックの鼻先に、ちょこん、と止まった。


「……ふぁ……?」


間の抜けた声が、かすかに漏れる。


ミックの鼻腔がひくりと広がり、意図せず空気が一気に喉へ流れ込む。

堪えようとしたのは、ほんの一瞬だけだった。


「はぁっくしょんッ!!」


乾いたくしゃみの音が、張り詰めた広場に響き渡る。


刹那。


「――っ!」


シンの靴底が、土を蹴った。


低く、鋭い踏み込み。

音は小さい。だが、それで十分だった。


シュッ――


視線が追いつく前に、黒い影が前へ滑る。

静止していた空気が、一気に裂けた。


ヒュッ、と遅れて風が鳴り、

黒銀の刃が一直線に、ネレクの懐へと迫る。


キィン――!!


甲高い金属音が炸裂し、火花が散る。


ネレクは反射的に剣を振り上げ、その一撃を受け止める。


ガキッ。


衝撃が腕に伝わる前に、

シンの剣は、するりと滑った。


今度は真正面からではない。


「な――」


ネレクの剣先がわずかに外へ流れる。

その隙間に、シンの体が滑り込む。


近い。

息が触れる距離。


ネレクの瞳が見開かれた。


シンの剣が、下から掬い上げるように軌道を変える。


「くっ!」


ネレクは咄嗟に腰を引き、後ろへ跳ぶ。

刃は衣服の端をかすめ、布が裂ける音がした。


ざっ、と砂を踏む音。


シンはさらに剣の角度を変え、斜め上から斬り込む。

ネレクの息が喉の奥で割れ、刃がそれを外へ逸らす。


キンッ。


間を置かずに、二撃、三撃。


「くっ!」


ネレクは下がらない。

踏みとどまり、すべてを正面から受ける。


ガキィン!

キィン!


金属音が連なり、

衝撃が腕を震わせる。


息が、少しだけ荒くなる。


ネレクは歯を食いしばり、咄嗟に剣へ力を込め、掬い上げるようにしてシンの刃を鍔で捉えた。

次の瞬間、全身の重みを乗せて弾き返す。


ガキィィィン!!


シンの視線が一瞬だけ動き、半歩、後ろへ下がる。


間合いが、再び開く。


張り詰めていた広場に、遅れて息が戻る。

観ていた志願者たちが、ようやく肩を落とした。


「は、速……」


誰かの呟きが、空気に溶ける。


フレアは、無意識に拳を握りしめていた。

その視線は、シンの足運びから一瞬も離れない。


フィオナも、小さく息を吸う。


その時――

門前に設置された壇上で、ユリウスは手元のメモ帳から、ふっと筆を離した。

広場を見下ろす視線を上げ、隣に立つグレイブへ、低く問いかける。


「あの少年……知っていますか?」


グレイブは振り返らない。

ただ、剣戟の余韻が残る広場の中央を見据えたまま、答えた。


「ああ……ヴァルターの弟子、シンだろう。

 あいつも参加していたのか……」


短い沈黙。


「ウィズの夜から、この三年。

 消息を絶っていたが……」


ユリウスは、わずかに眉を寄せる。


「彼もまた、十六歳。

 満を持して記録官に志願した……ということでしょうか?」


「ああ」


グレイブは低く息を吐く。


「あいつは、記録官になりたがっていた。

 孤児がヴァルターに拾われ、塔に身を置くようになってから、いつも書庫に籠もっては勉学に励み、

 訓練生が去った後の訓練所で、ひとり剣を振っていた」


言葉が、少しだけ重くなる。


「だが……」


「だが……?」


「ヴァルターと同じく、

 あの夜の惨劇を、目の前で見た」


グレイブの視線が、わずかに伏せられる。


「塔は書庫を封鎖し、学者たちを追い出し、灯喰いの出現を抑えるため、灯の配分も厳しくした。

 あいつもまた、居場所を失った一人だった」


一拍。


「……まだ十三の、子どもだぞ」


ユリウスは、しばし黙り込む。

やがて、静かに言った。


「なるほど……。

 つまり今、彼はその苦渋を背負ってでも、この塔への再帰を選んだ――ということですか……」


言葉が落ち、二人はそろって隣を見た。


ヴァルターは視線を上げようともしない。

広場で交わされる剣の気配にも、周囲のざわめきにも頓着せず、

ただ目の前の事象を、淡々と手元のメモ帳へ書き記し続けている。


筆先が紙を擦る、乾いた音だけが、規則正しく響く。


そこにあるのは感想でも評価でもない。

記録――ただ、それだけだった。


「ネレク、向こうはちょびっとだけ速いが、

 剣はひょろひょろじゃねえか!

 さっさとたたんじまえ!」


フォルドの声が、場違いなほど大きく広場に響いた。


ネレクは、額を伝う雫を手の甲で払い、

何も言わずに剣を構え直す。


深く息を吸い――

ゆっくりと吐く。


呼吸を整え、視線を据える。

見ているのは、ただ一人。

目の前のシンだけだった。


「……ふん」


ネレクは、わざと大きく息を吐いた。

肩の力を落とし、剣を、すっ、わずかに横へ振る。


その動きに呼応するように、

シンの視線が、ほんの一瞬だけ揺れる。


次の瞬間――


ザッ!!


ネレクが踏み込んだ。


踏み込みは鋭く、地を叩くたび、土が揺れ、乾いた砂埃が舞い上がる。


初撃は、大きく振らない。

距離を殺し、逃げ場を削るように、

刃を、ぐっ、と前へ押し出す。


キィィィン――。


金属が擦れる高い音。


シンは剣の腹でそれを受け、

手首を返して力を流す。

刃が噛み合い、わずかに弾けた。


ネレクは止まらない。

さらに一歩、前へ。

逃げ道を塞ぐように、圧をかける。


シンは下がる。


一歩。

半歩。


身体を低く落とし、刃を外へ払って距離をずらす。


だが――

その隙を、ネレクは逃さない。


ネレクの剣が、横へ。

間を置かず、縦へ。

さらに、軌道を反転させ、逆方向へ振り抜く。


一撃。

二撃。

三撃。


シンは身体を捻り、

そのすべてを、紙一重でかわしていく。


だがネレクは、焦らない。

力を込めすぎず、剣先で空間を制し、

ただ一つ――

足を止めさせることだけを考える。


刃は、確実に距離を奪っていた。


少しずつ。

だが、確実に。


ザリ……。


ネレクの踏み込みに合わせ、

シンの足が、わずかに遅れた。


砂を踏む音が、重くなる。


ネレクは、呼吸を乱さない。

追い込んだ感触だけを、静かに確かめる。


剣先を振らず、押し出す。

逃げ場を潰し、体勢を崩させるための一歩。


その瞬間だった。


シンの足が、ふっと流れた。


ザッ――。


砂を噛む音。

身体がぐらりと後方に傾き、重心が外れる。


――崩れた。


今度は、はっきりとそう見えた。


観ていた者の誰かが、息を呑む。


「……!」


ネレクの目が、わずかに見開かれた。


判断は、一瞬。

迷いはない。


間合いは詰まっている。

体勢を立て直す時間は、ない。


ネレクは剣を振り上げる。


ブンッ――!


シンの身体が後ろへ倒れ、

肩が地に触れ、土が跳ねた。


「今だ、行け!ネレクッ!!」


フォルドの声が、遠くで弾ける。


ネレクには聞こえない。


視界にあるのは、倒れ伏したシンの姿だけ。

呼吸は整っている。

間合いは、完全に自分のものだ。


――捉えた。


振り下ろそうとした、その瞬間。


ひやり、とした感触が、喉元を撫でた。


――止まる。


ネレクの身体が、凍りつく。

視線だけが、ゆっくりと下へ落ちる。


そこにあったのは、

自分の喉元に、ぴたりと突きつけられた黒銀の刃。


「……な……」


声にならない息が、漏れる。


シンは倒れたはずだった。

視線は、外れていない。


――いや。


倒れた瞬間、

シンは左手を地面につけていた。


掌が砂を噛み、

ギュッ、と反動を溜める。


半身を返し、

地を蹴り、

身体を低く滑らせるように起こす。


その間も、ネレクは見ていた。

見ていたはずだった。


だが――

速すぎた。


スッ、と視界の端に、黒銀の刃が滑り込む。


シンは、すでにそこにいた。


腰は低く落ち、片膝が地面につく。

重心は完全には戻っていない。

だが、刃先だけは、寸分の狂いもなく、

ネレクの喉元を捉えていた。


剣先は、まっすぐ。

微動だにしない。


「そこまで!」


記録官の声が響く。


ネレクは、ゆっくりと剣を下ろした。

シンは刃を引き、喉元の冷気が離れる。


「この勝負、勝者――シン!」


記録官の声が、広場に響いた。


一拍、遅れて――

ざわっ、と空気が揺れる。


「……え?」


「今の、どうなった……?」


「倒れたよな……?」


囁きが、あちこちで弾ける。


誰もが見ていたはずなのに、

誰もが、決定的な瞬間を言葉にできない。


ネレクは、剣を下ろしたまま、刃が触れていた位置を、無意識に指でなぞる。


「……ちっ」


フォルドが、歯噛みする。


「なんだよ……今の……!」


声を荒げかけて、途中で言葉を切った。


ネレクの背中が、

それ以上の言葉を、拒んでいたからだ。


ネレクは、ゆっくりと顔を上げる。


シンは、もうこちらを見ていない。


剣を収め、背を向け、

何事もなかったかのように、円の外へ歩いていく。


その足取りは、静かで、一定で、

勝者の誇示も、敗者への侮りもなかった。


ネレクは、ゆっくりと剣を鞘に収めた。


カチャリ。


その音が、

自分の中で何かが終わった合図のように、静かに響いた。


ざわめきの中、

フィオナは、胸の前で組んでいた手を、そっと下ろした。


「……終わった……」


声は、小さかった。


だが、

胸の奥が、まだ強く脈打っている。


フレアは、拳を握ったまま、動かなかった。


視線は、最後までシンを追っている。


――あれは、剣の勝負じゃない。

――距離と、判断と、覚悟の差。


森で獣を仕留める時と、同じだ。


一瞬の“隙”は、

作られたものか、

与えられたものか。


見誤った方が、死ぬ。


「シン……」


小さく名を呼び、フレアは、ほんのわずかに息を吐いた。


「ちょっと、かっこいい人ですね……」


フィオナは、そう言ってから、はっとしたように口元を押さえた。

自分でも驚いたらしく、視線が泳ぐ。


「い、いえ、その……戦い方が……」


言い訳は小さく、途中でしぼんだ。


フレアは、赤くなったフィオナの横顔をちらりと見て、ふっと口の端を緩める。


「ああ、ね」


視線をシンの背中へ戻す。


「おもしろいのが、混ざってるなぁ……。

 ネレクは本気だった。あれは、あなたの“本当の実力”……?」


門前の壇上で、

ヴァルターが、手元のメモ帳に筆を走らせている。


カリ、カリ、カリ……


その隣で、


「……見事だな」


グレイブは、短く息を吐いた。

それは感嘆というより、長く胸に溜めていたものを、ようやく外へ出したような吐息だった。


視線は、まだ広場の中央――

剣を収め、背を向けて去っていくシンの背中に向けられている。


「孤児が救われ……」


ユリウスは言葉を選ぶように、一拍置く。


「十三で、惨劇を目の当たりにし……」


口の端が、わずかに歪む。


「それでも――正義を守る側として、帰ってきた……ということですね」


ユリウスは、視線を伏せた。


「……それでも」


ユリウスの言葉に、グレイブが被せるように顔を上げる。

低く、だが迷いのない声。


「私は、お前の息子に賭けるがな?」


目を細め、歯を剥き出してユリウスに、どこか楽しげに笑いかける。

それを受け、ユリウスの口元も、ふっと緩む。


「面白い賭けになりそうですね……」


二人は視線を交わし、

ほとんど同時に、にやりと笑みを浮かべた。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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