靄を行く者
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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「今夜はこの部屋を使え。狭いが、寝具を用意している」
記録官に案内され、フレアとフィオナが通された部屋は、質素ではあったが、以前に使った詰所の部屋よりはずっと整っていた。
石壁。窓はないが、二つ並んだ寝台。
そして真ん中の机の上には、淡い灯を宿したランタンがひとつ置かれていた。
フレアは小さく息を吐く。
「……灯、あるんだ。部屋に……」
それは、この場所が“外”とは違うことを、はっきりと示していた。
フィオナも、きょろりと部屋を見回してから、小さく頷く。
「……一室に、ひとつ……ですか……」
それから、二人は寝台の方を見る。
毛布。それに、村では見たこともない、羊毛の布団と枕。
フィオナは、少しためらうように手を伸ばし、そっと枕を持ち上げた。
「……これ……何ですか? ……ふかふか……」
両手で持ち上げて、胸に当てると柔らかく、ゆっくり沈んだ。
フレアはためらいなく両手を広げて、布団の上にごろんと転がった。
「……おお。沈む。戻る。なにこれ……気持ちいい……!」
片手で布団を押し、もう一度体重を預けて、むにっと沈める。
「村の毛皮より、ずっと軽いし……あったかい!」
「……すごい……。こんなに柔らかいの、初めてです……」
フレアは小さく笑い、荷物を下ろす。
フィオナは、名残惜しそうに枕を元の位置に戻し、今度は毛布の端を指先でつまんだ。
指でそっとなぞり、感触を確かめる。
「塔に住む記録官にとっては、これが“普通”なんでしょうか……?」
「もう少し村に分けてくれてもいいのにね……」
フレアはそう言って、肩をすくめた。
フィオナは、胸の奥に引っかかるものを覚えながら、黙り込む。
しばらくして、机の上の灯が、ふっと視界に入る。
フレアは机の引き出しから、縁に細かな織り模様の入った黒い布を取り出し、それをそっとランタンの上にかぶせた。
部屋の輪郭が、やわらかく曖昧になる。
「……これで、いいかな」
フレアがそう言って、布の端を少しだけ整える。
フィオナはそれを見て、小さく頷いた。
「……はい。ちょうど……落ち着く暗さです」
二人はそれぞれ寝台についた。
フィオナは一度、布団を引き寄せ、肩までかけてから、少しだけ顔を出す。
「……あったかい……」
小さく息を吐いて、目を細める。
「明日の試験も頑張ろうね。……おやすみ、フィオナ」
「はい……フレアちゃん、おやすみなさい」
短いやり取りだけ残して、部屋は静かになった。
布の下、淡い光は二人の寝顔を包み、ただ静かに息づいていた。
⸻
翌朝。塔の外・正面広場。
朝の光は、冷たく、色がない。
厚い雲が空を覆い、
光は滲み出るように荒野を照らしている。
足元は湿り、靄が残り、輪郭はぼやけ、
だが、集められた志願者たちの靴音、金属の擦れる音、衣擦れの音は、やけに響いていた。
フィオナは周囲を見回し、息を呑んだ。
「……あれ……?」
声が、かすれる。
昨日は、百人ほどいたはずの人の列。
だが今は――
三十二人。
昨日まで隣にいた顔が、いない。
後ろにいた人も、前にいた人も、消えている。
「……どうして……?」
言葉が、うまく出てこない。
「フィオナ、私たち、昨日の試験、残ったみたいだね」
フレアは、隣で両手を前に重ねたまま、周囲を伺っている。
こちらを振り向き、嫌そうな顔をするフォルド。
キョロキョロと落ち着かないミック。
無言で立ち尽くすネレク。
「……残った……?」
「うん……」
フィオナは一度、確かめるようにフレアを見ると、その視線の先を追った。
少し離れたところに目を瞑り、佇む黒髪の少年。
背筋を伸ばし、誇らしげな表情で前だけを見つめるガイウス。
そして、他の志願者たち。
背の高い者、低い者。
体格も、装いも、立ち方もばらばら。
何かを背負ってきた者たち。
何かをこの場所に立つまでに、越えてきた者たち。
その誰もが、獣のようで、刃のようで、悪意じみた威圧をまとっているように見えた。
フィオナは、無意識に息を整えた。
「私……通ったんだ……。でも……どうして?
なにもうまく、答えられなかったのに……」
「きっと、フィオナの想いが通じたんだよ」
フレアはそう言いながらも、どこか気持ちは重たいままだった。
昨日の試験内容。選別された志願者たち。
そして何より、試験はまだ続いている。
釈然としない感覚だけが、胸の奥に静かに残る。
そのとき――
三人の上級記録官が、前に並んだ。
黒の上級記録官ヴァルター。
蒼の上級記録官グレイブ。
金色の上級記録官ユリウス。
その後方に補佐役の記録官が数名立つ。
その中には、北の宿舎町にいたヘルモーズの姿もあった。
口元には、相変わらず人当たりのよさそうな笑みを浮かべている。
中央から、ヴァルターが一歩、杖をつき、左足を引き摺りながら前に出る。
背筋を伸ばしたまま、残った志願者たちを一瞥すると、低く、よく通る声で告げた。
「――今、ここに残った者たちが、一次選考を通過した志願者だ」
ざわり、と空気が揺れる。
「誇る必要はない。これは栄誉ではない」
間を置く。
「これは、通過点だ」
視線が、ゆっくりと志願者たちをなぞり、そして一瞬止まる。
先程と違い、瞬き一つせず、こちらを鋭く睨みつける眼差し。
黒髪の少年――シン。
ヴァルターは、ふっと視線を外し、口元を緩めると、言葉を続けた。
「これより先は、さらに厳しくなる。覚悟のない者は、ここで引き返してもいい」
誰も、動かない。
風が、塔の壁に沿って流れる音だけが響く。
ヴァルターは、ほんの一瞬だけ、頷いた。
「よろしい」
そう言うと、ゆっくりと片手を上げた。
それを合図に、左右に控えていた記録官たちが動き、布をかけられたままの大きな板を、志願者たちの前へと運び出す。
木が石の床を擦る、低い音が広場に響いた。
板は中央に据えられ、
しばし、そのまま沈黙が落ちる。
ヴァルターが一歩、前に出る。
指先で、布の端をつまみ――
ためらいもなく、それを引き剥がした。
布の下から現れたのは、大きな表だった。
整然とした線がいくつも並び、辿るごとに重なり、また重なり、最後に一点へ収束している。
その線の下に並ぶ、志願者たちの名。
フレアは目を細めた。
「あー……これ……勝ち上がりだ」
「……えっ?」
フィオナは一瞬、意味がわからず、
ただ、板の上に視線を走らせた。
自分の名前を探す。
端から、順に追い、
……あった。
だが、線を隔てた先に、聞き覚えのある、はっきりした名前を見つけた。
フォルド。
その瞬間、ぞっとした。
「これって、もしかして……」
フィオナは板から目を離し、志願者の方を振り向いた。
「俺ついてるわ。一回戦は楽勝っぽいな」
こちらを見て、ミックにニヤけながら話すフォルド。
ネレクはその声を聞きながらも、訝しげにちらりと目を横にやる。
視線の先は黒髪の少年シン。
フレアは板から視線を外し、フィオナを見る。
「……なるほど。やっぱりこう来たか。
まぁ、記録官は戦うこともあるっていうけど……」
不安げなフィオナの表情を見て、少しだけ声を柔らげる。
「私の名前、フィオナと組が違うね……。フィオナとはすぐには当たらないみたい。……よかった」
困ったように口元だけをゆるめた。
「……そう……ですね……」
フィオナはそう答えながら、喉の奥がからからに渇いているのを覚えた。
志願者たちのざわめきが広場を満たす。
それを押さえるように、ヴァルターが低く声を落とした。
「――既に気づいている者も多いだろう」
視線が、板の表をなぞる。
「本日の二次試験は、模擬試合だ。
この表の通り、八名ずつ四組に分かれ、勝ち上がり方式で行う」
一拍。
「各組二名ずつが対戦し、勝者が次へ上がる。
それを繰り返し、各組から勝ち上がった一名が準決勝へ進出する。そして準決勝の勝者同士が、最後に決勝を行う」
視線が志願者たちに戻る。
「武器は自由だ。各自、最も扱い慣れたものを使え。 ただし――」
声が、ほんのわずかに低くなる。
「対戦相手に致命傷を与えた者は、その時点で失格とする」
ヴァルターは、板から視線を離さずに続けた。
「勝敗は、三つのいずれかで決まる」
指を順に、立てる。
「一つ、相手の死角を突くこと。
二つ、相手が、敗北を認めること。
三つ、相手が戦闘不能になること」
指を下ろす。
「その勝敗は、評価に影響する。上位に進むほど、合格は近くなり、優勝者は今年の主席として記録に残る」
一拍。
「――だが」
再び、間。
「我々が評価するのは、勝ち負けだけではない」
視線が、ゆっくりと志願者たちを見渡す。
「勝ち上がるほど、評価の機会が増える。それだけの話だ」
ヴァルターは言い終えると、静かに後ろに下がった。
「それでは、組に分かれてもらう!各自、自分の組をよく確認するように!」
補佐役の記録官たちが動き出した。
手を挙げて志願者たちの輪に割って入り、短く、的確な指示を飛ばしていく。
「一組、二組はこちら。三組、四組はそちらへ」
押されるように、人の流れがゆっくりと形を変える。
誰かが足を引き、誰かが肩をぶつけ、ざわめきが、分断され、整理され、四つの塊へと分かれていった。
まず、一組。
風に逆立つ金色の髪が、ひときわ目を引く。
背筋を伸ばし、視線をまっすぐ前に据えて立つガイウス。
その表情は、緊張よりもむしろ静かな自信に近かった。
気品ある衣装の肩に、三又の長槍が静かに収まっている。
その背中に、同じ組の志願者たちは、自然と距離を取った。
次に、二組。
ひときわ大きな影が一歩前に出た。
古傷の残る太い両腕をぐっと掲げ、
わざとらしく力を込めて、上腕二頭筋を誇示する。
顔はにやりと歪み、歯の隙間から息を吐く。
「俺様はウルグニル。石の心臓を持つ者だ!」
声が広場に響き、石壁にぶつかって跳ね返る。
「見ろ。この筋肉が、貴様らの細い骨をへし折る。
……ふん!」
低く鼻を鳴らし、同じ組に並ぶ志願者たちを値踏みするように見回した。
視線を向けられた者たちは、思わず目を逸らすか、肩を強張らせる。
三組。
志願者たちはそれぞれ、互いに距離を開けて立つ。
フィオナは、足元に目を落とす。
フォルドは、口を歪めたまま、周囲を流し見る。
ネレクは、顎を上げ、じっと前を見据えている。
そして、さらに離れて黒髪の少年――シンが立つ。
誰も言葉を発さず、目線だけが行き場を失って漂っている。
張り詰めた緊張が、空気を満たしていた。
そして、四組。
揺れる赤いポニーテールが、風に流れる。
フレア。
片足に体重を預け、腕を軽く組んで、周囲を静かに見渡している。
視線は流すようで、表情は穏やかだった。
「私の組はろくな奴がいないなぁ……」
他の志願者に混じって、少し後方に、血色の悪い顔。
目の下に濃く落ちた影。
そして何より目を引くのは、肩が出っ張り、身体をすっぽりと覆うほど、不自然な分厚い外套だった。
その隣には、もう一人。
フードを深くかぶった痩せた男が立っている。
顔は伏せられ、はだけた胸元に羽根を束ねた首飾りを掛けている。
片足だけを小刻みに揺らし、じっとしている気配がない。
そして最後に、ミックは周囲をきょろきょろと見回し、落ち着きのない視線で首を左右に振っていた。
フレアはその様子を一度だけ流し見てから、前に意識を戻した。
四つの組が、広場に等間隔で並んだ。
「それでは一組から二組、三組から四組の順で、分かれて同時に第一試合を行う!」
一拍。
「表に書かれている二名は前へ! 他は下がれ!」
記録官の合図とともに、志願者たちは音を立てて後ろへ下がる。
名前を呼ばれた者だけが、円の中心へと踏み出した。
「ネレク、負けんじゃねぇぞ!」
フォルドが、軽い調子で声をかける。
だがその視線は、どこか緊張を隠しきれていなかった。
「……」
ネレクは振り向かず、無言のまま腰の剣を抜く。
金属音が短く鳴り、刃が光を弾く。
向かいに立ったのは――
「あ……あいつだ」
フレアが前屈みになる。
フィオナも、思わず一歩前へ出た。
黒髪が揺れ、粗末な黒い衣が擦れる。
少年は背筋は伸びたまま、ただ静かにネレクを見据えている。
シン。
深く、一呼吸置き――次の瞬間だった。
右足が、半歩だけ前に出る。
きゅ、と革の擦れる音。
カチャリ――。
腰の鞘が、わずかに前へ傾く。
左手が鞘を押さえ、
右手の指がゆっくりと開き、小指から流れるように、柄を包んでいく。
黒銀の刃が、滑るように抜け、淡い光を一瞬だけ弾いて――
刃先が、ぴたりと止まる。
背筋を張ったまま、
伸び切った右腕は前へ。剣は、まっすぐネレクを捉える。
それだけで、場の空気が変わった。
「……っ」
ネレクの喉が、無意識に鳴る。
ゆっくりと右手の剣を上げ、腰を落とし、左手を柄に添える。
目だけが、真っ直ぐにぶつかる。
志願者たちは息を詰め、誰も言葉を出さず、ただ二人の間の空気を見つめていた。
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