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靄を行く者

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

「今夜はこの部屋を使え。狭いが、寝具を用意している」


記録官に案内され、フレアとフィオナが通された部屋は、質素ではあったが、以前に使った詰所の部屋よりはずっと整っていた。


石壁。窓はないが、二つ並んだ寝台。

そして真ん中の机の上には、淡い灯を宿したランタンがひとつ置かれていた。


フレアは小さく息を吐く。


「……灯、あるんだ。部屋に……」


それは、この場所が“外”とは違うことを、はっきりと示していた。


フィオナも、きょろりと部屋を見回してから、小さく頷く。


「……一室に、ひとつ……ですか……」


それから、二人は寝台の方を見る。

毛布。それに、村では見たこともない、羊毛の布団と枕。


フィオナは、少しためらうように手を伸ばし、そっと枕を持ち上げた。


「……これ……何ですか? ……ふかふか……」


両手で持ち上げて、胸に当てると柔らかく、ゆっくり沈んだ。


フレアはためらいなく両手を広げて、布団の上にごろんと転がった。


「……おお。沈む。戻る。なにこれ……気持ちいい……!」


片手で布団を押し、もう一度体重を預けて、むにっと沈める。


「村の毛皮より、ずっと軽いし……あったかい!」


「……すごい……。こんなに柔らかいの、初めてです……」


フレアは小さく笑い、荷物を下ろす。


フィオナは、名残惜しそうに枕を元の位置に戻し、今度は毛布の端を指先でつまんだ。

指でそっとなぞり、感触を確かめる。


「塔に住む記録官にとっては、これが“普通”なんでしょうか……?」


「もう少し村に分けてくれてもいいのにね……」


フレアはそう言って、肩をすくめた。


フィオナは、胸の奥に引っかかるものを覚えながら、黙り込む。


しばらくして、机の上の灯が、ふっと視界に入る。


フレアは机の引き出しから、縁に細かな織り模様の入った黒い布を取り出し、それをそっとランタンの上にかぶせた。


部屋の輪郭が、やわらかく曖昧になる。


「……これで、いいかな」


フレアがそう言って、布の端を少しだけ整える。


フィオナはそれを見て、小さく頷いた。


「……はい。ちょうど……落ち着く暗さです」


二人はそれぞれ寝台についた。


フィオナは一度、布団を引き寄せ、肩までかけてから、少しだけ顔を出す。


「……あったかい……」


小さく息を吐いて、目を細める。


「明日の試験も頑張ろうね。……おやすみ、フィオナ」


「はい……フレアちゃん、おやすみなさい」


短いやり取りだけ残して、部屋は静かになった。


布の下、淡い光は二人の寝顔を包み、ただ静かに息づいていた。



翌朝。塔の外・正面広場。


朝の光は、冷たく、色がない。


厚い雲が空を覆い、

光は滲み出るように荒野を照らしている。


足元は湿り、靄が残り、輪郭はぼやけ、

だが、集められた志願者たちの靴音、金属の擦れる音、衣擦れの音は、やけに響いていた。


フィオナは周囲を見回し、息を呑んだ。


「……あれ……?」


声が、かすれる。


昨日は、百人ほどいたはずの人の列。

だが今は――


三十二人。


昨日まで隣にいた顔が、いない。

後ろにいた人も、前にいた人も、消えている。


「……どうして……?」


言葉が、うまく出てこない。


「フィオナ、私たち、昨日の試験、残ったみたいだね」


フレアは、隣で両手を前に重ねたまま、周囲を伺っている。


こちらを振り向き、嫌そうな顔をするフォルド。

キョロキョロと落ち着かないミック。

無言で立ち尽くすネレク。


「……残った……?」


「うん……」


フィオナは一度、確かめるようにフレアを見ると、その視線の先を追った。


少し離れたところに目を瞑り、佇む黒髪の少年。


背筋を伸ばし、誇らしげな表情で前だけを見つめるガイウス。


そして、他の志願者たち。


背の高い者、低い者。

体格も、装いも、立ち方もばらばら。


何かを背負ってきた者たち。

何かをこの場所に立つまでに、越えてきた者たち。


その誰もが、獣のようで、刃のようで、悪意じみた威圧をまとっているように見えた。


フィオナは、無意識に息を整えた。


「私……通ったんだ……。でも……どうして?

 なにもうまく、答えられなかったのに……」


「きっと、フィオナの想いが通じたんだよ」


フレアはそう言いながらも、どこか気持ちは重たいままだった。


昨日の試験内容。選別された志願者たち。

そして何より、試験はまだ続いている。

釈然としない感覚だけが、胸の奥に静かに残る。


そのとき――


三人の上級記録官が、前に並んだ。


黒の上級記録官ヴァルター。

蒼の上級記録官グレイブ。

金色の上級記録官ユリウス。


その後方に補佐役の記録官が数名立つ。

その中には、北の宿舎町にいたヘルモーズの姿もあった。

口元には、相変わらず人当たりのよさそうな笑みを浮かべている。


中央から、ヴァルターが一歩、杖をつき、左足を引き摺りながら前に出る。


背筋を伸ばしたまま、残った志願者たちを一瞥すると、低く、よく通る声で告げた。


「――今、ここに残った者たちが、一次選考を通過した志願者だ」


ざわり、と空気が揺れる。


「誇る必要はない。これは栄誉ではない」


間を置く。


「これは、通過点だ」


視線が、ゆっくりと志願者たちをなぞり、そして一瞬止まる。


先程と違い、瞬き一つせず、こちらを鋭く睨みつける眼差し。


黒髪の少年――シン。


ヴァルターは、ふっと視線を外し、口元を緩めると、言葉を続けた。


「これより先は、さらに厳しくなる。覚悟のない者は、ここで引き返してもいい」


誰も、動かない。


風が、塔の壁に沿って流れる音だけが響く。


ヴァルターは、ほんの一瞬だけ、頷いた。


「よろしい」


そう言うと、ゆっくりと片手を上げた。


それを合図に、左右に控えていた記録官たちが動き、布をかけられたままの大きな板を、志願者たちの前へと運び出す。

木が石の床を擦る、低い音が広場に響いた。


板は中央に据えられ、

しばし、そのまま沈黙が落ちる。


ヴァルターが一歩、前に出る。


指先で、布の端をつまみ――


ためらいもなく、それを引き剥がした。


布の下から現れたのは、大きな表だった。

整然とした線がいくつも並び、辿るごとに重なり、また重なり、最後に一点へ収束している。


その線の下に並ぶ、志願者たちの名。


フレアは目を細めた。


「あー……これ……勝ち上がりだ」


「……えっ?」


フィオナは一瞬、意味がわからず、

ただ、板の上に視線を走らせた。


自分の名前を探す。


端から、順に追い、


……あった。


だが、線を隔てた先に、聞き覚えのある、はっきりした名前を見つけた。


フォルド。


その瞬間、ぞっとした。


「これって、もしかして……」


フィオナは板から目を離し、志願者の方を振り向いた。


「俺ついてるわ。一回戦は楽勝っぽいな」


こちらを見て、ミックにニヤけながら話すフォルド。

ネレクはその声を聞きながらも、訝しげにちらりと目を横にやる。


視線の先は黒髪の少年シン。


フレアは板から視線を外し、フィオナを見る。


「……なるほど。やっぱりこう来たか。

 まぁ、記録官は戦うこともあるっていうけど……」


不安げなフィオナの表情を見て、少しだけ声を柔らげる。


「私の名前、フィオナと組が違うね……。フィオナとはすぐには当たらないみたい。……よかった」


困ったように口元だけをゆるめた。


「……そう……ですね……」


フィオナはそう答えながら、喉の奥がからからに渇いているのを覚えた。


志願者たちのざわめきが広場を満たす。

それを押さえるように、ヴァルターが低く声を落とした。


「――既に気づいている者も多いだろう」


視線が、板の表をなぞる。


「本日の二次試験は、模擬試合だ。

 この表の通り、八名ずつ四組に分かれ、勝ち上がり方式で行う」


一拍。


「各組二名ずつが対戦し、勝者が次へ上がる。

 それを繰り返し、各組から勝ち上がった一名が準決勝へ進出する。そして準決勝の勝者同士が、最後に決勝を行う」


視線が志願者たちに戻る。


「武器は自由だ。各自、最も扱い慣れたものを使え。 ただし――」


声が、ほんのわずかに低くなる。


「対戦相手に致命傷を与えた者は、その時点で失格とする」


ヴァルターは、板から視線を離さずに続けた。


「勝敗は、三つのいずれかで決まる」


指を順に、立てる。


「一つ、相手の死角を突くこと。

 二つ、相手が、敗北を認めること。

 三つ、相手が戦闘不能になること」


指を下ろす。


「その勝敗は、評価に影響する。上位に進むほど、合格は近くなり、優勝者は今年の主席として記録に残る」


一拍。


「――だが」


再び、間。


「我々が評価するのは、勝ち負けだけではない」


視線が、ゆっくりと志願者たちを見渡す。


「勝ち上がるほど、評価の機会が増える。それだけの話だ」


ヴァルターは言い終えると、静かに後ろに下がった。


「それでは、組に分かれてもらう!各自、自分の組をよく確認するように!」


補佐役の記録官たちが動き出した。

手を挙げて志願者たちの輪に割って入り、短く、的確な指示を飛ばしていく。


「一組、二組はこちら。三組、四組はそちらへ」


押されるように、人の流れがゆっくりと形を変える。

誰かが足を引き、誰かが肩をぶつけ、ざわめきが、分断され、整理され、四つの塊へと分かれていった。


まず、一組。


風に逆立つ金色の髪が、ひときわ目を引く。

背筋を伸ばし、視線をまっすぐ前に据えて立つガイウス。

その表情は、緊張よりもむしろ静かな自信に近かった。


気品ある衣装の肩に、三又の長槍が静かに収まっている。

その背中に、同じ組の志願者たちは、自然と距離を取った。


次に、二組。


ひときわ大きな影が一歩前に出た。


古傷の残る太い両腕をぐっと掲げ、

わざとらしく力を込めて、上腕二頭筋を誇示する。


顔はにやりと歪み、歯の隙間から息を吐く。


「俺様はウルグニル。石の心臓を持つ者だ!」


声が広場に響き、石壁にぶつかって跳ね返る。


「見ろ。この筋肉が、貴様らの細い骨をへし折る。

 ……ふん!」


低く鼻を鳴らし、同じ組に並ぶ志願者たちを値踏みするように見回した。

視線を向けられた者たちは、思わず目を逸らすか、肩を強張らせる。


三組。


志願者たちはそれぞれ、互いに距離を開けて立つ。


フィオナは、足元に目を落とす。

フォルドは、口を歪めたまま、周囲を流し見る。

ネレクは、顎を上げ、じっと前を見据えている。

そして、さらに離れて黒髪の少年――シンが立つ。


誰も言葉を発さず、目線だけが行き場を失って漂っている。

張り詰めた緊張が、空気を満たしていた。


そして、四組。


揺れる赤いポニーテールが、風に流れる。

フレア。


片足に体重を預け、腕を軽く組んで、周囲を静かに見渡している。

視線は流すようで、表情は穏やかだった。


「私の組はろくな奴がいないなぁ……」


他の志願者に混じって、少し後方に、血色の悪い顔。


目の下に濃く落ちた影。

そして何より目を引くのは、肩が出っ張り、身体をすっぽりと覆うほど、不自然な分厚い外套だった。


その隣には、もう一人。

フードを深くかぶった痩せた男が立っている。


顔は伏せられ、はだけた胸元に羽根を束ねた首飾りを掛けている。

片足だけを小刻みに揺らし、じっとしている気配がない。


そして最後に、ミックは周囲をきょろきょろと見回し、落ち着きのない視線で首を左右に振っていた。


フレアはその様子を一度だけ流し見てから、前に意識を戻した。


四つの組が、広場に等間隔で並んだ。


「それでは一組から二組、三組から四組の順で、分かれて同時に第一試合を行う!」


一拍。


「表に書かれている二名は前へ! 他は下がれ!」


記録官の合図とともに、志願者たちは音を立てて後ろへ下がる。

名前を呼ばれた者だけが、円の中心へと踏み出した。


「ネレク、負けんじゃねぇぞ!」


フォルドが、軽い調子で声をかける。

だがその視線は、どこか緊張を隠しきれていなかった。


「……」


ネレクは振り向かず、無言のまま腰の剣を抜く。

金属音が短く鳴り、刃が光を弾く。


向かいに立ったのは――


「あ……あいつだ」


フレアが前屈みになる。

フィオナも、思わず一歩前へ出た。


黒髪が揺れ、粗末な黒い衣が擦れる。

少年は背筋は伸びたまま、ただ静かにネレクを見据えている。


シン。


深く、一呼吸置き――次の瞬間だった。


右足が、半歩だけ前に出る。

きゅ、と革の擦れる音。


カチャリ――。


腰の鞘が、わずかに前へ傾く。


左手が鞘を押さえ、

右手の指がゆっくりと開き、小指から流れるように、柄を包んでいく。


黒銀の刃が、滑るように抜け、淡い光を一瞬だけ弾いて――

刃先が、ぴたりと止まる。


背筋を張ったまま、

伸び切った右腕は前へ。剣は、まっすぐネレクを捉える。


それだけで、場の空気が変わった。


「……っ」


ネレクの喉が、無意識に鳴る。

ゆっくりと右手の剣を上げ、腰を落とし、左手を柄に添える。


目だけが、真っ直ぐにぶつかる。


志願者たちは息を詰め、誰も言葉を出さず、ただ二人の間の空気を見つめていた。

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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