水無瀬村-(15)
私は声に目を開けました。
辺りは薄暗く、空は今にも雨が降りそうなほど黒く、ぶ厚い雲に支配されていました。
…どうやら水無瀬村の神社ですね。
目の前では白装束を身に纏い、烏帽子を被った人物が社殿の前に跪いて、祝詞を唱えています。
私はその言葉を聞いたことがあります。
その独特な抑揚、中性的な声。
神前の白装束の人物。
なるほど、またあの時の追体験ですか。
一度見た光景なので私には余裕がありました。とりあえず、湖に投げ込まれるまでは、と限定しておきますが。自分が失われていく感覚は何度体験しても慣れそうにはありませんからね。
と言うわけで、繰り返される言葉を少しでも拾い上げようと聞き入りますが、やはり未だ全くと言っていいほど理解できません。日本語には変わり無いようですが、最早ここまで理解できないと異国か異世界の言葉のようです。
他に何か出来ないかと思い、私は白装束の人物に声をかけてみます。
「あの…」出ると思っていなかったので、かなり微かな声が出ましたが、これは追体験のはず。前回同様に自分の意思が行動に反映されることはないと思っていましたが、今回は違うようです。それならと、続けて声をかけてみます。
「すいません、あなたが話しているのは日本語ですか?それとも異世界の言葉ですか?」今度はしっかりと声を出せました。私の声に気が付いたのか、白装束の人物がぴくりとしたように見えました。今、反応がありましたよね…?それよりも別の違和感が生まれました。
「聞こえていたら、答えていただきたいです。後、私を見逃してもらえませんか…?」この時、違和感の正体に気付いて背筋が冷たくなりました。
聞こえているのは確かに私自身の声。それに追体験なら、私の意識が行動に反映されるはずがないですよね。
じゃあ、これは本当に——。
そう考えた瞬間。
足元の砂利の感触、湿った空気の匂い、頬をなでる生ぬるい風。どれも夢にしてはあまりに生々しいと感じました。
それに、目の前の人物から放たれる気配は、映像でも記憶でもなく“ここに居る”存在のものでした。
今度は全身から一斉に嫌な汗が吹き出します。いや、そ、そんなわけないじゃないですか。どうせ夢オチってやつですよ。ヨルが起こしてくれるに違いないですよ。
そうじゃないとこの後、私は…。
自分で言っていて頭では現実逃避だと理解していました。そして、先程まで自分が試していたこともすっかり頭の隅に追いやっていました。
「…思ったより早く…目を覚ましたんですね」
静かな声。けれどそれは確かに、知っている声でした。
私が顔を上げた時、神前に跪いていた白装束の人物がゆっくり立ち上がり、砂利の音を鳴らしてこちらを向きます。
布越しの視線が私を見ているのが分かります。
布の向こうで、確かに人が息を吸っています。
「やっぱり、あんなものは当てになりませんね」布の奥の声は、独り言のように吐き出されました。
ですが、短く、確実に響きます。
私はその声に確信しました。
「…あなたは、みさきさん、ですよね?」
目の前に立つ人物は私に夢の調査を依頼した刀屋 みさきさん、その人でした。
「……ばれて、しまいましたね」
正体を見破られたみさきさんは、顔を隠している布を躊躇うことなく取りました。
「…流石に気が付きますよ、友達の声ですからね」
「…っ、腐っても探偵と言うわけですね」みさきさんは顔を一瞬だけ歪ませましたが、すぐに戻りました。
「ところでみさきさん。これはどう言うことですか?」聞きたいことは山ほどあります。ですが質問というよりも答え合わせです。
「どう、とは?捕えられているこの状況のことですか?」みさきさんは余裕を持った表情で惚けるように応えました。
「ああ、それについてもお願いします。私の冥土の土産と言うことでも良いですよ」慌てては思う壺なので私も笑顔で返しました。
焦っているようには見えない私を不思議に思ったのか、みさきさんはしばらく無言になった後、口を開くと「冥土…雨さんは何処までわかったんですか?」と続けます。
黒幕の登場でこれから解答編かと思ったのですが、どうやら答えてくれなさそうです。
ですが、私は探偵です。問われたら語りましょう。
事件についてを。
「……そうですね。この状況からも明白ですが、水無瀬村では今でも生贄が捧げられてることは確実ですね」身動きの出来ない我が身を振り返ります。
「生贄が捧げられたことで水が浄化されて村は潤いました。その代わりに水を取り込んだ人間は夢を見るようになりました…幸福感に囚われ、村を離れることもできず、いずれ生贄になる…」
生贄。浄化。繁栄。生贄と続いて行くわけですね。
外部の人間であっても見境なく。
「夢は呼び水であり生贄に“選ばれる証”になっている。だから見始めた時点で、その人はすでに囚われているんです。私が夢を見たことを志乃さんから聞いていますよね?」志乃さんの名前に眉が反応しましたが肯定も否定もしてくれません。
「……私を呼んだのは最初から生贄にするためです…恥ずかしながら繁盛していない探偵事務所なので、行方不明になっても騒がれないと思ったからでしょう?」だからこそ狙われた。おかげで貴重な体験が出来ましたけどね。余裕に皮肉を込めて笑います。
みさきさんは答えることも表情を変えることもありません。
「後は…そうですね。刀屋家は水神様に生贄を最初に捧げた一族で、みさきさんが夢を見ていないのは本当のこと。その役目を負うために見逃されている…と言ったところでしょうか…」
監禁された蔵。別の出入口は神社がある方角でしたしからね。
正解ですか?と言う目でみさきさんを見ます。
「そうですよ…」彼女は少し忌々しげな顔で小さくと答えました。
「刀屋家は水神とか言う存在に生贄にされない代わりに生かされています。決してここから逃れられない…呪いのようなものです」表情を変えずに言葉を紡ぎます。
「でも、それが“正しい在り方”なんです。水無瀬の村は、その代償で続いてきたのですから」それでいて何処か冷めて、諦めた色が濃くなっていきます。
「ねぇ…雨さんも生贄になってくれますよね…?水無瀬村のために。私のために」ゆっくりと顔を上げるみさきさん。指の隙間から見える目が怪しく光っています。
「嫌ですよ。私はまだやりたいことがたくさんあります」ヨルともまだ一緒にいたいですし、妄想も美味しいものを食べることも、それに依頼人を助けることも。
私の欲望や願望は限りないのです。
「…雨さん、余裕ですね」まさかこの状況で断られるとは考えていなかったのか腹立たしいと言った感じで目を細めるみさきさん。
「当然ですよ、ヨルが来てくれますから」縛られながらもにっこりと笑って胸を張ってやります。
「……ヨルさんが?来るわけないじゃないですか…なんだ、恐怖でおかしくなってしまったんですね」私の言葉に警戒はしながらも同情するように笑っています。
「いいえ、来ますよ。ヨルは私を守るって約束しました」私はみさきさんを真っ直ぐ見て答えます。
その時、後方から茂みを掻き分ける音と共に影が走りました。
みさきさんの目が、その影を捉えると驚きで大きく見開かれました。私には姿が見えていませんが誰が来たかすぐにわかります。
「待たせたな」
影が短く言葉を放ちました。
ほら、来てくれました。