水無瀬村-(10)
家の中には村の人達がたくさんいるにも関わらず、異様なまでに静かでした。私達が入ると皆さんが一斉にこちらを向いて音もなく2階の方向を指差しました。一糸乱れぬと言ってもいい動作に、背筋がゾクっとしたのは私だけではないはずです。
「…お邪魔します」私は軽く会釈して2階に上がっていきます。皆さん近づいてくるわけでも声を掛けてくるわけでもなく、私達が通れるように道を開けてくれました。行き着いた先はある一室でした。
「よう、来てくださった…是非見てあげてください」部屋にはお婆さんが1人だけいました。お婆さんが最後に指差す先は、変哲のないベッドでした。そこにあるものを除けば。
「なん、ですか…これ…?」私はポツリと溢します。
シーツの上には、黒い人の形をしたシミが焼き付くように残っていました。それは髪の毛が混じったようなざらつきや輪郭の膨らみがあって、まるで横たわっていた者が、輪郭ごと染み出して、沈んでいったかのように見えました。続けて訊ねる事が出来ないでいると部屋にいた誰かが低く呟きました。
「ありがたいことです…夢に還られたのです」声の方向に顔を向けるとお婆さんが笑顔でシミに向かって祈るように手を合わせています。
「⬛︎⬛︎になられた…良かったなぁ…報われたなぁ…」三人しかいない部屋。別の誰かの声が聞こえましたが、何と言ったのか上手く聞き取る事が出来ませんでした。
それを皮切りに言葉が広がりました。
口々に、同じ響きで、同じ調子で。
やがて人々の言葉が重なっていくほどに、言葉の輪郭は消えていき、空気は重くなって、私の背筋は氷のように冷えていきます。
そして気が付きました。
辺りに響く声はまるで水中で音を聞いているようだと。突然、私は目や耳、口から、大量の水を吐き出しました。ハッキリとした意識とは裏腹に、体はピクリとも動く事は出来ずに異変を流し続けます。いつしか吐き出した水が私に迫ってきます。足先から膝に、膝から腰にゆっくりと、しかし確実に私は沈んでいきます。
顔まで水が上がってきた時、ようやく体は動きました。私は急いで目や口を閉じて、耳を塞ぎます。すると水は初めから存在していなかったかのように消失して、私は元の部屋に立っていました。あんなに家の中に響いていたはずの声は一つも聞こえてきません。
思わずしゃがみ込んだ私にヨルが寄り添います。
「雨…ここはヤバい、早く出るぞ…」ヨルは私にだけ届く声量で喋ります。私は呼吸を深く繰り返していて、すぐに返事をする事も動く事も出来ません。
「…腐ったような臭いがする…神社や村で感じた臭いだ…あの黒いシミから」目線だけをシミにやります。
黒く何度も塗り重ねたようなシミは今にも動き出しそうでした。私は振り向いて目を逸らします。
「…行きましょう」ヨルに言って部屋から出ようとします。早く出ないと。……あれに惹かれてしまう。
わたしもあんなふうになりたいな。
その時、背中に熱を感じました。
ハッとして振り返るとヨルが背中に手を当てて、小さく、少しジッとしていろと言いました。その声に靄が晴れたような気がしました。そして部屋を後にする時に背後から「もう少しゆっくりして行ったらいいのになぁ…」と誰かに話しかけるお婆さんの声。私は確認する事が出来ないまま、耳を塞ぐようにして家を出ました。
私は家が見えない位置まで来ると息を大きく吸いました。無意識のうちに息を止めてしまっていたようです。
「ヨル…あの家の人達は夢を見ていましたよね…?」お年寄り夫婦の家。調査の時に夫婦で夢を見ていると話していました。
「ああ…だが、今は爺さんの姿が見えなかったな」
「と言う事は、あの黒いシミは……お爺さんですか…?夢を見ると最後にはシミになると言うのですか…?」そんな事、どうやって…何かわかったかもしれないですが、私はあの黒いシミを調べる事も出来なかったです。もう戻る気にもなれません…。それに夢だったら私も見てしまいました。
「雨、これは人間の仕業じゃない。もうこの村から出よう。刀屋 みさきが気になるならあいつも連れて行けばいい。だから早く行こう」何度目かのヨルの説得と手に負えない現実を目の当たりにした私は力なく頷く事しか出来ませんでした。
「一度、戻って荷物を取りに行こう」これからの方針をヨルが決めていきます。
私達は宿に戻ると各自荷物を纏めて、チェックアウトの手続きをしました。
「突然ですね…」予定より早い手続きのため、志乃さんに残念そうな顔をしています。
「急用が出来てしまったので…すいません」嘘をついている事もあって、後ろ髪を引かれる思いとなります。志乃さんの御飯も心残りです。揺れながらも何とか、本当にギリギリで振り切る事が出来ました。
宿の玄関でお見送りをしてくれる志乃さんに頭を下げて私は宿の戸を潜ります。ヨルがすでに荷物を載せてくれていました。
「水無瀬村を出る前にみさきさんのところに行きますよ」連れ出すにしても、一度みさきさんの元まで行って、今まで起きた事を説明する必要があります。依頼失敗となってもそれだけは必要です。ヨルも提案してくれていたので賛成してくれました。
運転席に乗り込んで車のエンジンをかけました。サイドブレーキを外してアクセルを踏みます。ゆっくりと離れる宿。ハンドルをしっかりと握りながらこれからの事を考えます。
私としてはみさきさんも一緒に来てくれたらと思うのですが、素直に聞いてくれるでしょうか。
この村に何か思い入れがあるようだったので、説得や無理やり連れ出す事は難しいかもしれません。助手席に座るヨルは緊張した面持ちで「雨、心配するな。刀屋 みさきも夢の末路を知ったら、こんな村から逃げたいと思うはずだ」と言ってくれました。私もそう思いたいです。
どう話を切り出そうか考えているうちに車はみさきさんのお屋敷の前に到着しました。
私は路上に車を停めると外に出ます。私達がお屋敷の門を潜って玄関に向おうとした時、玄関の戸が開いてみさきさんが出てきました。
「あ、雨さん!ちょうど訪ねようと思っていたんですが!夢について、わかったかもしれません!」私達の顔を見るなり、そう言いました。
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