(第008話)皇帝復活
「けど、カイザーってドイツの言葉ですよね? 皇帝くんは両親ともに日本人なのに、どうしてドイツ語を名前にされたんでしょう?」
「まあ、そういうものなんですよ。深く考えないでください」
田中皇帝……それは俺の勤務先、県内の問題児ばかりを集めた私立十六夜学園の中でも屈指の悪。
喫煙、飲酒、万引き、恐喝、喧嘩に深夜徘徊。それこそ、殺人以外の悪いことは一通り経験してますってやつだ。
「うわっ……多良木さん、皇帝くんに歯を折られたことがあるんですね」
例の紙を見ながら、リザベルさんが呟いた。
そう。十六夜学園の男性教師で、皇帝に殴られたことがない者はいない。中でも俺はこっぴどくやられた口だ。
「ふむふむ。暴走族、皇帝怒羅権の頭で、口癖は不運と踊っちまったぜ……って、何ですかこれ? 日本語にドイツ語に英語に……めちゃくちゃじゃないですか」
もういい。頼むから深く考えないでくれ。
「ところで皇帝……何で死んだんですか?」
「えっと……深夜のバイク事故だそうです」
ということは、享年十七歳か。
まあ、二十歳まで生きることはないと思ってたけど。
「皇帝以外で誰かいませんか?」
「それが……いないことはないんですが、あとは10歳未満の子供とか、お年寄りとかですね」
くそう。遊び相手か話し相手にしかならないな。
「多良木さん。もしかしてその……皇帝くんを呼び出して――」
「はい。実戦的なトレーニングが必要だと思ったんです。筋トレだけしてても強くなれないですし」
「やっぱり」
「けど、皇帝じゃなくていい……というか、皇帝じゃない方がいいんですよ」
「やっぱり教師なんですね。教え子を殴るのは嫌な――」
「いえ。それは全然気になりません」
俺の答えが意外だったのか、リザベルさんは目をぱちくりとさせた。
「あなた……それでも教育者ですか?」
「お互い死んでますし、今さら教師もへったくれもありませんね」
「多良木さん! 見損ないましたよ!」
「そんなこと言ったって、こっちは歯を折られてるんですよ」
確かに、二十八歳の大人が十七歳の子供を呼び出して喧嘩するなんて、正気の沙汰じゃない。良識のある大人なら、そう考えて当然だ。
けど、これだけは断言する。実物の皇帝を見たら、子供だなんて思わない。絶対に。
「まあ、とにかく狂暴な奴なんですよ。加減を知らないというか」
「分かりました。じゃあ呼び出しますよ」
「えっ? いきなり?」
切り替えが早い。早すぎる。
「準備はいいですか?」
「ちょ、ちょっと待って!」
「実戦的なトレーニングが必要なんでしょう?」
「確かにそう言いましたけど……」
「うってつけの相手じゃないですか」
「さっきと言ってることが……」
というか、正直に言おう。怖いんだよ。
「出でよ! 田中皇帝!」
「早っ!」
うわあ。マジで出てくるのか。
……ホントに出てきた。前触れも何もなく。
しかし……何て格好してるんだよ。鳶職みたいなズボンに、刺繡だらけの長ラン。これが特攻服とかいうやつか……
って、コイツ! しばらく学校に来てないと思ったら、いつの間にか刺青入れてやがる! しかも顔に!
信じられない。親は何も言わないのか? 将来困ることになるかもって考えないのか?
「お顔に落書き……誰かに悪戯されたんでしょうか? 可哀そうに」
やめて。刺激しないで。
「オイオイ。何だよここ……」
皇帝は爬虫類を彷彿とさせる鋭い目つきで、舐めるように周囲の様子を窺っている。
小学生の頃から札付きの悪で、中学生のときは近隣の中学校の不良どもをまとめていた、ナチュラルボーンな悪党。短く刈り上げた金髪に、ピアスだらけの耳。顔面の刺青を抜きにしても、一目で危険生物だと分かる。
「ひ、久しぶりだな。田中」
皇帝が俺をジロリと睨んだ。
「何だよ。誰かと思えば、タラオちゃんじゃねえか」
「んぶふぅっ!」
リザベルさんが吹き出した。
どうやら、猫に見えない猫型ロボットが出てくるアニメだけじゃなく、そそっかしい主婦が主人公の国民的アニメのことも知ってるらしい。
ちなみに、十六夜学園の生徒で、俺を多良木先生と呼ぶ者はいない。先生に渾名をつけるのは珍しいことではないが、それを面と向かって、しかも生徒全員が言う学校は相当珍しいと思う。
それだけではない。生徒だけじゃなく、保護者のほとんどが俺をタラオと呼ぶのだ。そんな学校は、日本で十六夜学園くらいのものだろう。
「多良木だ」
「知らねえよ。バーカ」
しかし考えてみれば、皇帝は体が特別大きいとか、筋骨粒々《きんこつりゅうりゅう》というわけではない。純粋な戦闘力でいえば、俺の方が上なんじゃないだろうか?
そうだ。見た目の怖さや凶暴さにビビりさえしなければ、十分勝ち目はある。
よし。決めた。当初の予定通りにいく。そもそもお前には、今まで散々《さんざん》嫌な目に遭わされてるからな。
「田中。今日はお前に教育的指導というものを与える」
「女がいるじゃねえか」
皇帝は俺を無視し、下卑た笑みを浮かべながら、リザベルさんに近寄っていった。
くそう。威厳ゼロだ。
「な、何ですか?」
「へえ。乳は小せえけど、顔はまあまあいけるじゃねえか」
「なっ! 田中! 貴様……!」
まずい。リザベルさんは今まで、遠目にも分かる貧乳であるにもかかわらず、自身について『巨……ではない』などという遠回しな言い方をしていた。そして俺は、そのことに気付いていながら、ひたすらツッコむのを我慢していたんだ。
それを……俺より先にツッコみやがって……!
「何だよ。コイツ、テメェの女か?」
「お前には関係ない! そんなことり、初対面の女性に対してその口の利き方――」
俺は拳を握り締めた。
「これが教育的指導だ! 歯を食いしばれ!」
渾身の右ストレートを放つ。けど難なく躱され、逆にカウンターの右がボディに深々と突き刺さった。
体をくの字に折り曲げ、悶絶。これはまずい。いきなり動けない。
「邪魔すんなよ。タラオは公園でイクラちゃんと遊んでな」
くそう。腹立つ。きっと今のも、リザベルさんのツボに入って――
……って、あれ? 今度はリザベルさんが笑わない。
それどころか、涙目で肩震わせてる。これってもしかして……
「多良木さん! コイツ……殺してください!」
リザベルさんの絶叫が、部屋中に響き渡った。
なるほど。これが逆鱗に触れたってやつか。
よかった。『巨……ではない』にツッコまなくて。