(第035話)恥ずかしいのはお互い様
目が覚めた。
「おはようございます。多良木さん」
最初に飛び込んできたのは、リザベルさんの笑顔。
今の状況は……おお。膝枕か。なんだか久しぶりな気がする。
「おはようございます。リザベルさん」
そういえば、ラムダさんが日本語を話せることをカミングアウトしてからの10日間、膝枕どころか碌に会話もしてなかった。
まあ、状況を考えれば当たり前だけど。
しばらくして、視界の隅から矢吹さんの顔が現れた。
「多良木よ。ようやったのう」
う。少し気まずい。
けど、必殺技を囮に使ってしまったこと。きちんと謝っておかなきゃ。
「すいません。俺、矢吹さんの必殺技をちゃんと使わなくて――」
「分かっとる分かっとる。ワシの技はもう時代遅れになっとったんじゃろう?」
え?
「もしかして気付いてたんですか?」
「ワシが現役だった頃からだいぶ時間が経っとるようじゃしの。それに、もうアレはお前さんの技じゃ。好きなように手を加えたらええ」
俺の技……? いや、あれは某有名漫画の主人公の……
っと、そんなことはどうでもいいか。矢吹さんからのプレゼント、ありがたく頂戴しておこう。
「ずっと心残りだったんじゃ。アレの完成があと1年早ければ、世界に手が届いとったかもしれんと」
「矢吹さん……」
「お前さんはこの老いぼれに、終わった夢の続きを見せてくれた。感謝しとるよ」
矢吹さんはそう言って笑ったが、たぶん俺が見せたのは夢の終わりだ。矢吹ロールが1年早く完成していたとしても、世界チャンピオンには通用しなかっただろう。
それでも、モヤモヤした気持ちを抱えたまま終わるよりはずっといい。
矢吹さんの笑顔は、俺にそのことを教えてくれているようだ。
「ありがとうございます。俺、矢吹さんに教わったこと、一生忘れません」
そしてもちろん、教わったのは必殺技だけじゃない。
何事かを成し遂げたいと思うなら、地味でつまらない基本の反復を腐らずやること。当たり前のように思うかもしれないが、それができる人は意外に少ない。
偉そうなことを言ってるが、俺も矢吹さんに言われるまで気付かなかった。分からないのは頭が悪いからだ、上手にならないのは運動神経が悪いからだと、何かもっともらしい理由をつけて、本当の理由から目を背けていたんだ。
「もう一つ。今夜こそはと思った日は、事前に厠で1、2回……じゃ。忘れるなよ?」
まあ……それも一応覚えておくか。
「他にもあるぞ。女性の出すOKサインというものはだな――はぐぅっ!」
「しょうもないことを多良木に吹き込むでない」
首に手刀を受けた矢吹さんが視界からフェードアウトし、代わってラムダさんが現れた。
「まずは見事、と言わせてもらおうかの」
「ラムダさん。本当にありがとうございました」
「聞きたいことがある。お主……最後の技は狙っておったのか?」
「最後の技……」
と言われてもですね。
「実は、ラムダさんに組み付く前から頭がぼんやりしてて、何をしたのか全然覚えてないんです」
そう。俺の意識がはっきりしてたのは矢吹ロールを繰り出したところまで。それからどう動くかなんて、まったく考えていなかったんだ。
「お主がやったのは見せ物の技……バックドロップじゃよ」
「バックドロップって、プロレスの……?」
「あのようなものを実戦で使ってくるとは、さすがに予測できなかったわい。まあ、わらわもまだまだ未熟ということじゃな」
「ははは……」
うーん。何か嘘っぽい。たとえ予測できなかったとしても、ラムダさんなら即興で対処できたような気がする。
そんなことを考えていると、ラムダさんは俺の傍に座り、顔をぐっと近付けてきた。
「大した男よ。わらわも、お主とならもう少し続けてもよかったんじゃがのう。まったく、惜しいことをしたわい」
うっ。この妖しい笑顔。ラムダさん(ロリサキュバスver.)だ。
「じゃが、今回は弟子の成長を素直に喜んでおくとするかの」
そう言って俺の頭を優しく撫でると、ラムダさんは立ち上がり、視界から姿を消した。代わりにリザベルさんの姿が目に映る。
「リザベルさん……重くないですか?」
「いいえ。もう少しこのままでいましょう」
「けど、矢吹さんとラムダさんが見てるし――」
「スケベジジイは気絶してますよ」
あ。そういえばラムダさんの手刀を首にくらってたな。
まあ、どっちみち人目を気にするような状況でもないか。リザベルさんが構わないと言うなら、素直に甘えさせてもらおう。
「リザベルさん。ありがとうございました。あのとき、リザベルさんの声が聞こえてなかったら立ち上がれませんでした」
「気にしないでください。それより……1つ質問させてもらえますか?」
「いいですよ」
「では……あのとき、私がどんなことを言ったか、覚えてますか?」
「ばっちり覚えてますよ」
「やっぱり!」
「未来永劫忘れないでしょうね」
「うう……」
リザベルさんは両手で顔を覆った。指の隙間から僅かに覗くその顔は、夕焼け空とか、よく熟れたトマトなんかを彷彿とさせるほど真っ赤になっている。
「何か問題があるんですか?」
「い、いえ。問題というほどのことではないんですが――」
リザベルさんが何を言いたいのか。それは様子を見ればだいたい分かる。
けど、俺は何も言わずに次の言葉を待った。返す言葉だけを準備して。
「その……恥ずかしくて……」
「お互い様ですよ。俺だってけっこう恥ずかしいこと言ってるんですから」
返事が早すぎたのか、リザベルさんは一瞬きょとんとして、それからすぐにくすくすと笑った。
「多良木さん、あれでカッコつけてたんですね」
「た、確かに、全然カッコよくなかったですよね」
「そうじゃないです。そうじゃなくて……この2年間、多良木さんはずっと多良木さんだったってことですよ」
「そうですか? 自分ではけっこう変わったつもりだったんですけど」
面白いことを言ったつもりはこれっぽっちもなかったが、リザベルさんは顔を上げると、さっきよりも少し大きな声で笑った。たぶん、最初の日のことを思い出しているのだろう。
しばらくして、再びこっちに顔を向けたリザベルさんの目には、きらきらと光る涙が浮かんでいた。
「もちろん、変わったところはたくさんあります。けど、多良木さんはやっぱり多良木さんなんです」




