(第032話)リザベルさんがいる朝
「ごはぁっ!」
カウンターの右が脇腹に入り、俺は倒れた。
駄目だ。矢吹ロールのタイミングも完全に読まれてしまっている。
あの技はカウンターに弱いということは作中でも明記されているのだが、まさかこれほどだったとは。これじゃ動く的じゃないか。
「今日はもう終いかの」
「ま……待ってください」
「何じゃ。また乳を触りたいのか? すっかり貧乳の虜になったものよのう」
「そうじゃないです!」
結局、あれからリザベルさん(サキュバスver.)は1度も現れず、ドルマゾーラへの攻撃に悶絶するたび、ラムダさん(ロリサキュバスver.)の乳にお世話になっているという、言葉にすると途轍もなく恥ずかしい状況が続いていた。
「では何じゃ?」
「今日が終わったら、あと1日しかないんです! もう時間が――」
「時間?」
ラムダさん(ロリサキュバスver.)は凍り付くような笑顔で俺を見下ろした。
「時間ならいくらでもあるじゃろ。明日が終わればの」
「くっ……!」
「443年、わらわと共に楽しもうぞ。昼に鍛え、夜に癒され。最高ではないか。まあ、この部屋には昼も夜もないがのう」
何も言い返せない。というより、体が動かない。
この9日間、必死になって戦った。考え得る、ありとあらゆる技を繰り出した。
けど、届かない。何一つ通用しない。
ラムダさんは強すぎる。宇宙最強は、俺の手が届くような位置にはいないんだ。
「それではリザベルや。わらわをあの世へ送り返しておくれ」
リザベルさんは無言で頷き、ラムダさんを返すための呪文を小さく唱えた。
これで……残り1日。
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「おはようございます。新しい朝です」
「お、おはようございます」
朝だ。少し眠気が残る、何だか気持ちの悪い朝。
夜のうちに、体のあちこちに鉛でも流し込まれたかのようだ。
「730日目です。報告をお願いします」
「何もやってません……」
最後の朝。
これが、リザベルさんと一緒に過ごせる、最後の朝。
「分かりました。それでは、今日も頑張ってくだ――」
「待ってください!」
嫌だ。こんな形で終わるなんて。
「もう……どうしようもないんでしょうか?」
「……いいえ。何とでもなります」
え?
い、いや。何ともならないだろ。なんせ、相手は宇宙最強の――
「単純な話です。私がラムダさんを呼ばなければいいだけですから」
「あ……そっか」
言われてみれば、確かにその通りだ。リザベルさんが召喚しなければ、ラムダさんはここに来ることができない。
けど……それじゃ何で、リザベルさんは毎日呼び出してたんだ?
「誓いも約束もすべて忘れて、今日から心機一転、異世界で新しい生活を始める。それで――」
「い、いや! そんなの――」
「いいと思いますよ。誰も多良木さんを責めたりしません」
そりゃ、そうかもしれないけど……
って、今はそんなことを考えてる場合じゃないだろ!
俺の頭! このポンコツ! ちゃんと仕事しろ!
「ご希望なら、今すぐ異世界へ送ります。ラムダさんもスケベジジイも、もうこの部屋には呼びません。それですべての方がつきます」
それが嫌だから、何とかしたいんだよ!
けど、何を言えば、思いを伝えられる? 何をすれば、この状況を打破できる?
もっと考えろ! 2年も一緒にいたんだぞ! 何も思いつかないなんて――
2年?
2年……2年……
「1つだけ……正直に答えてもらえますか?」
「分かりました。1つだけなら」
「リザベルさんは、この2年間……楽しかったですか?」
咄嗟に思いついたこと。俺はこの2年間、とても楽しかった。
だから、リザベルさんも同じだったら嬉しいなって。
ただ、そう思っただけだ。
けどきっと、俺が期待しているような答えは返ってこない。
だって俺は――
「はい。とても」
返ってきた言葉が意外過ぎて、耳がおかしくなったのだと思った。
そんな筈ない。だって俺は――
「多良木さんを起こしに行くのが、楽しみで仕方なかったんです」
ロリサキュバスの乳に癒されてるような男を、起こしに行くのが楽しみ?
「それは……今朝もでしたよ」
「おかしいですよ!」
そんなわけあるか。
だって俺は――
「我儘で、自分勝手で、リザベルさんを裏切って、悲しませて……最低の人間なんです!」
「そんなことないです」
「だって、俺――」
「そんなことないです」
「い、いや! まだ何も言って――」
「そんなこと……ないんですよ」
リザベルさんは俺の手をとった。
「多良木さんと過ごした日々……本当に、楽しかったんです」
何も返せなかった。
俺の目に映る、リザベルさんの姿が滲んでいく。
「お、俺も……」
涙はとめどなく、どうしようもなく溢れ、俺の目から零れ落ちていく。
「す、凄く……楽し、くて……」
言葉が上手く出てこない。
「昔は……あ、朝なんか、大嫌い、だったのに……」
けど、最後まで言いたい。伝えたい。
「リ、リザベルさんが、いる朝、は……大好き……でした」
ようやく言い終えた。
涙は全然止まってくれない。けど、不思議と恥ずかしいとは思わなかった。
リザベルさんは何も言わず、ただじっと、俺が泣き止むのを待ってくれた。
「あの……俺が泣き止んだら……」
「ラムダさん……ですか?」
「はい。お願いします」
勝つためにどうすればいいかなんて、そんなの俺に分かるわけがない。
「負けないでくださいね。大好きな……多良木さん」
けど、今日は……今日だけは……リザベルさんのためだけに戦いたい。




