尾行と微香
毎水曜日の放課後は部活は休みだ。一部の強豪クラブや試合間近のクラブは除いてそう言う規則になっている。だからその日は駅前通りを朱里や部活の仲間と街ブラしている事が多い。でも白兎尾 真鈴は今日は独りで歩いていた。いつもなら何か目新しいものを捜してキョロキョロしている彼女の眼が捕えているのは前方約十メートル先を行くスラリとした少しノッポの男子の後ろ姿だった。
後ろから見ているのでその男子の風貌は見えない。だが毎日隣席から見ているからその様子は眼にしなくとも手に取るように分かる。
美少年と呼ばれるような華のある優美な顔立ちではないがどこにでもある平凡な顔でもない。質実剛健と眉目秀麗が均等に混じり合ったような顔は燻し銀の魅力を漂わせた荒削りなイケメンと言ってもいいだろう。
緩く巻いた前髪を時折指で掻き上げながら長い手足を振って飄々《ひょうひょう》と歩いて行く少年の姿は少なからず人目を引くものがあるはずだ。その証拠に彼の横をすれ違った女性達の多くがその後ろ姿を振り返って見ていた。まぁ単に少年のエキセントリックな雰囲気に違和感を抱いただけなのかもしれないが・・・
その彼、真神 巨狼は真鈴の席隣りの変わり者のクラスメートである。端的に言えばそうなるのだが実際の状況はいささか異なる。
真鈴はラノベが好きだ。学園物のラブコメやちょっぴりアダルトな恋愛小説をよく読んでいる。そして最近はその系統の延長線上にある異世界転移や異世界転生などのファンタジーな作品にハマッていた。
そんな彼女から見た彼は変わり者どころではない。最早、宇宙人、UMA、妖怪、超能力者の類と同レベルの存在であった。彼の周りに起きる精神干渉としか思えない不可思議な現象。更に石碑の影から盗み見た古レンガの塀を悠々と跳び越えたあの超人的な跳躍力! 彼は果たして何者なのか? もしかして彼の正体は人間以外の何かでは? (突拍子もない推量だが半分くらいは当っている。)
今や彼女にとって真神 巨狼は現実世界と非現実世界を結ぶ扉、そして奇跡的に手に入れた異世界へのパスポートに他ならなかった。
真神 巨狼が放課後に一体何をしているのか? 真鈴はそれをどうしても突き止めたくなった。だから NO部活DAY の今日、彼を尾行する事にした。念には念を入れて今日は香水スプレーはほんの少し(下着に染みない程度に)しか使っていない。
そのせいではないと思うけど未だ気付かれてはいないようだ。見たところ駅に向かっているみたいだがそこから何処に行くのだろう? あれ、ひょっとして家に帰るだけだったりして?
そういえば確か通学しているのは実家からじゃなくてアパートを借りているって話だったような・・・ だとすれば今日はハズレってことかな?
いや、それならそれで彼がどんな所に住んでいるのか見てみたいし無駄って事にはならないわ。これからは寝顔だけじゃなくて彼の素顔そのものを全てを暴き出してやるんだから・・・・
『真神君、覚悟してよね!』
真鈴は自分のしていることがストーカー行為そのものだという事に全く気が付いていなかった。
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真神 巨狼は真っ直ぐに前を見ながら歩いていた。だがその狼人としての五感は常人のそれと比べてはるかに多量の情報を捉えてしまう。そのせいで彼は先程よりずっと訝しんでいた。
『ハァッ? ありゃ何なんだ? 後ろのほうでチョコチョコ左右に動きまわっているちっこい女子は・・・・ 俺の後を付けているのか?
バレてないつもりなんだろうがショーウインドーとかカーブミラーに思いっ切り映り込んでいるから尾行しているのが丸わかりなんだが。』
理由は分からないが自分を尾行している人物がいる。顔までははっきりしないが小動物のようなちょこまかしたした動きとポンポンはねる兎の耳のようなツインテールには見覚えがあった。
『あれは・・・ひょっとして白兎尾さんじゃないのか?』
臭覚を最大限に意識してゆっくりと息を吸い込む。雑踏の中に立ち昇る様々な臭いの中で微かに漂うハイビスカスとベリーが合わさった甘いフローラルな匂い、これは確かにブルガリの オムニア コーラル オードトワレの香りだ。
ということはやはり尾行者は間違いなく白兎尾 真鈴だと巨狼は判断した。
別段オードトワレの種類などに明るいわけではないが学校で彼女が座る隣の席から漂ってくる香りが義姉の使っている香水と偶然同じ匂いだった。そこで先日、久方ぶりに実家に戻った際、彼女の部屋に置いてあった香水の容器で製品名を確認してみたのである。それで名前を知っているだけの事だった。ただ運悪くそれを義姉に見られてしまいジトッとした眼と声で
「フ~~ン、 巨狼ったらあたしの匂いが気になるんだ? キモッ……」
と言われて気まずい思いをしたけれど・・・・
「あら、気にしなくていいわよ。あれは単なる照れ隠しだから。」
義母が彼の顔を見ながら意味ありげな笑いを浮かべてそう言ったが余計気まずくなっただけだった。その時の気まずさがよみがえって来て巨狼は思わずゴホンと咳払いをした。とにかく今は後をつけて来る白兎尾 真鈴をどうにかしなくては・・・・
尾行されること自体は問題ない。いや、状況によってはないわけではないがまぁそれは置いといて何故尾行しているのかが問題であった。
『ひょっとして俺に惚れた? ハハ、まぁそれは無いな。それなら普通ラブレターを渡すとか放課後に呼び出してコクるとかするよな。いきなり帰り道の後をつけるとかあり得ないだろ。ヤンデレやストーカーじゃあるまいし。
でもそうじゃないとすると・・・やっぱ、あの超人ジャンプを見られていたか?
今からの駅裏一帯はヤバイ事が多い時間だ。今日も不審なところを見られないとは言えないしな。こりゃどっかであの娘を撒く必要があるぞ・・・・ヨシ、だったらあそこがいい。』
巨狼は何かを思い立ったように頷くと一度も後ろを振り返ることなくスタスタと駅に向かって歩き出した。それにつられるようにラビットツインの跳ねる髪房がトコトコと付いて行く。
この尾行劇の裏側には恋とヤンデレとストーカーの要素がオードトワレの淡い残り香の如く漂っていることを巨狼も真鈴も気付かないまま歩いて行った。
☆ ― ★ ― ☆ ― ★ ― ☆
これが駅裏……満月町三丁目! 初めて見る雑多でちょっと怪しい歓楽街の雰囲気に真鈴は戸惑っていた。時刻は午後四時半を少し回った頃である。後数時間もすれば通りは酔客や遊び客でごった返し喧噪と華やかさ、そしてけぶる様な如何わしさが入り混じった世界に変わるだろう。
だがこの時間はまだ人通りも少なく冷たく澱んだような気怠さが大通りや路地裏に立ち込めているだけだ。
巨狼の後をつけていったら駅に着いた。そのまま駅の中を真っ直ぐに抜けて出たところがこの駅裏だった。満月町三丁目、十六夜通りと書かれた看板の立った通りを巨狼は真っ直ぐに歩いて行く。行くところが既に決まっているかのような歩き方だ。それがどんなところなのか早く知りたいと思いながら真鈴は彼を見失わない様に付いて行った。
しばらくして巨狼が不意に向きを変えた。さほど広くない路地に入っていく。彼女はあわてて彼の後を追いかけた。やっているのかやっていないのか分からないような飲み屋と思しき店が数件軒を連ねたガランとした道だった。店の扉が開いていて奥に人の動く気配があることからどうやらこれから営業を始める所らしかった。
それらの店の軒先をスルスルと素通りして彼は進んでいく。
しばらくして別の通りに突き当った。仕舞屋横丁という看板が掛かっている。十六夜通りの半分くらいの道幅だが軒を連ねる店の件数はそれなりにあるようだ。その内の一つ、平屋建ての古びた店の中へ巨狼は入ってしまった。玄関の左右にガラス張りのドアが在る店で軒下の置台にピンク色した週刊雑誌らしきものが無造作に並べられている。
「ここは・・・本屋?」
それはこじんまりとした個人経営の本屋だった。軒下の店頭看板には【 谷口書店 】という剥げかけたペンキ塗りの名前が描かれている。
真鈴はとりあえずガラス戸のドアを開いて中に入って見た。店内は幅広くはないが奥行きは思ったより深い。巨狼の姿を捜して店内を見回したがまばらに立つ客の姿の中には見当たらなかった。
もっと奥に行ったのだろうか? と考えて通路を進もうとした彼女は前に立つ客の一人と偶然目が合った。本を手に取って読んでいたその男の顔が何故かギョッとしたように強張った。男はきまり悪そうな表情で読んでいた本を棚に戻すとそそくさといなくなってしまった。直ぐ近くに居た別の男性客も真鈴の視線から慌てた様に顔を背けた後でチラチラと彼女の顔を横目で見ている。それらに違和感を感じた真鈴は改めて周囲を観察してやっと気が付いた。
「ここって・・・・エッチな本ばっかり!?」
駅裏の歓楽街の横丁にある個人経営の古びた本屋。ありよりのありがちな設定どおりそこはアダルト雑誌やエロ漫画、エロ小説ばかりを集めた古本屋だった。いくら女性過多の社会であっても女性客はごく少数であろう。ましてやお嬢さん風の女子高生の来店など皆無に近い筈である。よって先程の客達の彼女に対する奇妙な反応は無理からぬものであった。
真鈴は気まずさと恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら飛び出すように店を出た。
そのまま駅に向かって走りたかったがこの本屋と駅との位置関係がはっきりしない上に肝心の巨狼の尾行が出来なくなってしまう。そこで彼女は軒下の棚台に置かれた週刊雑誌を屈みこんで見るふりをしながら彼を待つことにした。
そこには少年向けの漫画雑誌や比較的健全な表紙の青年雑誌も置いてあったのでそれを手に取ってみた。巨狼が店から出てきた時に顔を見られないで済むように開いた本で顔を隠し上半身が半分ほど置台の上に覆いかぶさる様な格好を取る。すると身体のバランスを取るため自然と膝を軽く曲げておしりを突き出すようなポーズになった。小学生ならいざ知らず花の女子高生がするには何とも珍妙な姿勢ではあった。仕方が無いと自分に言い聞かせながらしばらく待ってみたが少年が店から出て来る気配は無かった。
痺れを切らした真鈴がもう一度店の中に戻ってみようかと思いかけたその時だった。彼女は自分の太腿からお尻にかけて妙な違和感を感じた。梅雨の名残の生暖かい湿った空気がその辺りの部分にジットリと這い上がって来たような気がしたのである。
そこで初めて誰かが後ろから自分のスカートを捲りあげている、という事に気付いた彼女は反射的に
「キャアッ!」
と悲鳴を上げながら振り返りざまに持ち上げられたスカートの裾を自分の手で振り払った。憤りと驚きを湛えて振り返った彼女の眼に映ったのは髪を赤く染め半袖の白いカッターシャツをだらしなく着崩した男子高校生だった。青いネクタイをだらりと弛めて灰色のズボンを腰穿きしている。
そいつの周りには仲間らしい似たような雰囲気の男子が四人ほど立っていた。着ている制服が同一であるところから見て同じ高校の生徒なのだろう。ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながら赤髪の男子が話しかけて来た。
「ヘェー イチゴ柄なんて可愛いパンツ穿いてんじゃん。ねぇ、教えてよ。あんた名前なんて言うの? 」
「なっ 何をするんですか! セクハラよ! 変態っ!」
「ハハッ 悪リィ、悪リィ。 いやアンタの後ろ姿があんまり可愛かったもんでさ。
ついやっちまったんだ、勘弁してよ。」