自分、デザイン分かるので【後編】
「ねえ、まだ帰れないの? 何か手伝おうか?」
腑抜けた質問をしたのは田村だ。煩い、誰のせいで残業になっていると思っているんだ。
「いえ、明日の指定された時間までに終わりそうにはないので、めどが付くまでは帰れません。部長は先に帰っていただいて、結構です」
怒りから語尾に力が入ってしまったが、精一杯にこやかに返したと思う。ただ、上手く笑顔を作れていたかについては、目の前に鏡が無いので分からない。
自分の強い返しに何も言えなくなった田村は食い下がることもなく「ほどほどにね」と言ってあっさりと帰って行った。時刻は二十時を過ぎた頃だった。
それから更に二時間ほど時間をかけて制作をし、帰宅をする頃には社内に居る人数は両手で余る程度だった。翌朝、寝不足でぼやっとした頭を無理やり健康ドリンクで覚醒させて、期限までには「これでどうだ!」と言える力作二案、捨て案二案を渡すことが出来た。
出来上がったデザインを受け取った石垣は「これならオーケーが貰えるよ!」と、ホクホク顔で客の元に飛んで行った。
昨晩も石垣は女子社員を誘って一緒に飲んでいたことを自分は知っている。夜遅くまで休憩もせずに制作しているデザイナーへ、気の利いた差し入れのひとつくらいあってもバチは当たらないと思うのだが……。
戻ってきたら殴ってやりたい衝動を必死でこらえ、こぶしを思いきりギュッと握り込んで何とか冷静な顔を保ち、その後ろ姿を見送った。
三日後。
「ありがとう!この案が気に入ったって!」
あの面倒な客が気に入った案があったらしく、珍しく心からの笑顔で石垣が報告してきた。
決定案は、客からの指示とはかけ離れたデザインだった。自分が気を利かせて少し違う切り口でデザインをした「捨て案」だった。
デザイン業界では、提案時に外したデザイン……ようするに、デザイナーが自分好みに気軽に作ったものが通ることがある。今回もその業界あるあるが発動したらしい。
「デザイナーさん変えたでしょ? すごく良くなったよって。自分が考える奥行きのあるデザインになったって喜んでいたよ! 流石だね、やっぱりキミなら出来ると思ってたんだ」
言わなくていい事をペラペラと雄弁に語る石垣に、心の中で「やめてくれ」と制止しながら自分は田村を横目で見る。ここには田村もいるのだ。いたたまれず、褒められているはずの言葉がそのまま自分の心をえぐっていく感覚に襲われる。
しかし田村は、長い間苦しめられた末にようやく客からのゴーが出たことにひとまず安堵した様子で、じゃあそれで進めよう!と、次の工程へ指示をはじめた。
しかし顔は……笑っているが笑っていない。自分が認められたことが内心複雑なのだろう。感情が乗っていない、のっぺりとした顔で無理やり笑顔を作っているように見える。立場など知った事ではないが、自分が田村と同じ立ち位置だったら――さっきの石垣の心無い言葉を聞きたくはないだろう。嫉妬と情けなさで感情が入り乱れているに違いない。
その証拠にこの案件以降、自分は田村の“お気に入りリスト”から外された。お気に入りではなくなったせいで、元から強めだった風当たりが更に強い物となってしまった。空気が読めない石垣の野郎、許すまじである。
しかし何だろう、「自分が考えていた通りの奥行きのあるデザイン」とは。一度もそんなことは言っていなかったじゃないか。自分の考えを言語化も出来ないのに、自分はデザインが分かる?
デザイナー、舐めるなよ。
それは、まともに指示が出来ない田村にも当てはまることだが、今は置いておこう。
サイトを公開した数日後、今度は別の場所の修正を言い渡される。新しいデザインに合わせて別の個所も変更したいと言ってきたそうだ。正直、プランに入っていない箇所だ。
何時間もかけて変更し、暫くの間は平和が続く――はずだった。
一か月後、青ざめた顔をした石垣が田村の元にかけより、耳を疑う相談をしていた。
「やっぱり修正したい、あと数回は修正したいとお客様が言われてます」
「いやいや。もう十分ご要望に応えてやっているし、サイト制作はうちの会社の最安プランだからそんなに大幅な変更を何度も出来ないよ。追加料金をいただければ出来なくはないけど、一度説得してくれないか」
そんなやり取りがあったあと、数日後に自分に知らされたのは「お客さまが激怒し、もうお前の会社には頼まないから支払った制作費用全額返金しろ」という、あり得ない顛末だった。
デザイン分かるので、というならば。自分である程度制作すれば良いのではないだろうか。
どんな仕事だって魔法のように出来上がることなどない。あっていいわけがない。それが出来るのは一握りの選ばれた天才のみで、ほとんどの人は自身の努力の積み重ねで成り立たせているものだ。
デザインが分かるのであれば、どれだけ繊細で時間のかかる大変な仕事をしているかも分かる筈である。デザイナーを舐めた態度を取り続ける事が、逆に自分はできるふりをしているだけの小者だと証言しているようなものではないか。
このサイトは何人もの労働力を使って作られているし、既にウェブサイトは数か月公開されている。流石にこれで「全額返金しろ」とは、開いた口が塞がらない。
しかし、客の怒りはおさまらずサイトは閉鎖に追いやられた。
それから半年後。
たまたま「あの案件、どうなったかな?」という興味本位で検索すると、他社が制作したあの会社のウェブサイトが公開されていた。
自分たちが聞いていた話とはかけ離れたもので、少し古い……ハッキリ言うとクソダサいデザインで、見つけたその日の自分のヒットポイントは、残量が限りなくゼロに近付いた事だけを伝えておく。
客は本当にこれを望んでいたのだろうか? 思い返してもいまだに理解ができない。
デザインが“分かる”とは……永遠のテーマである。
少なくともその筋のプロに向かって「わかる」「できる」を、軽々しく言わない事をおすすめしたい。
このあと番外編があります。次で最終回です。