自分、デザイン分かるので【中編】
数日後、面倒くさい客の担当で“言いなり営業”の石垣が田村に引っ付いて自分の元にやってきた。
「これ、もう一度修正頼める?」
口を開いたのは石垣の方である。よくよく話を聞いてみると、客側は相当お怒りの様子だ。どうしてこちらの要望通りに出来ないのか!と、怒りを露にしているとのことだ。
自分は何も聞かされず言われたとおりに修正をしただけで、このウェブサイトの仕様……どんな目的で作られるかも教えて貰えていない状況だ。いきなりそんな文句を聞かされたところで、元々は田村がヘマしたから今――お客様激怒――の現状があるのではないのか?
流石に我慢ができず深いため息が漏れる。
そんな自分を気にもかけず、石垣は持っていた資料の中から薄いパンフレットのようなものをおもむろに広げた。
「このカタログはお客さまが自分で作られていて、自分はデザインが出来るから良し悪しは分かるんだ。ダサいものを持ってくるな!って事なんだよね。だから、必ず満足がいくものを作ってくれって」
客が「凄いだろう」と渡してきたと言うカタログは、写真は解像度が荒くガビガビ。文書アプリで作ったよりはいくらかマシくらいのレベルで、凄いだろう?と言うほどのものでは無かった。自分がデザイン業界半年で初めて作った案件のカタログの方がもっとマシだと思える程度の代物である。
簡単に言えば、素人のレベルを越えられていないのだ。
渡されたカタログの悲惨さに言葉を失い、呆然と眺めるしかなかった自分に気が付いているのかいないのか、続けて田村が超高級で知られる家具店の分厚いカタログを見せながら言う。
「お客さまはこのカタログに掲載されている、こんな写真を使ったデザインをご希望だそうなんだ」
見せられたカタログは、素材をつなぎ合わせてコラージュで作るのはとうてい無理と断言できる代物で、芸術的にも素晴らしい写真を使ったカタログだった。スタジオで、恐らく何十万以上はかかっているだろうセットを組み、携わっている人数だけでも少なく見積もって十数人はいるであろうと推測できる写真を田村は指さしている。
客の言う「自分で作ったカタログ」の一万倍でも足りないくらい、クオリティがまるで違う。ちらりと見た田村の顔は腹が立つほど笑顔だ。この顔を眺めていると我慢が出来ずに事件を起こしてしまう気がするので、カタログに目を戻しながら話す。
「このレベルをご要望されるなら、セットを組んで撮影した写真をお客さまからご提供いただくか、撮影班組んでください」
当たり前の事を言っただけなのに、それを聞いて田村は激怒する。本を机に叩きつけ、激しく自分を叱責した。顔がタコのように真っ赤になっているのでなかなかに見応えがある。
「口答えせず、作れと言ったら作れ! それとも出来ないのか!」
無茶苦茶である。質の悪いフリー素材の写真から、明らかに何十万もかかっている写真を作り出すなんて到底無理な話だ。ひと箱百円のチョコレートが一粒何千円の高級チョコレートと同じ土俵に立てるわけがない。どんなにすばらしいパティシエが練り直しても、百戦錬磨のセレブ相手に安物の味を隠すことは難しいだろう。
そもそもの話、自分は百戦錬磨にはほど遠い。ウェブ業界ではまだ素人に毛が生えた程度だし、転職前だってしがない地方の広告デザイナーだった。
自分は今、誰の目から見ても明らかな無理難題をふっかけられているのだ。
田村からの無茶ぶりを誤魔化すかのように石垣が言う。
「何とかしてくれるよね? できるよ、キミなら。期待してるよ」
自分は錬金術師でも魔術師でもないし、ましてや客の心が読めるエスパーでもない。まともに説明もせず、ただこれを作れと言われても……素材も何もないのにどうやって作ればいいのか分からない。単純にデザインのレシピになる材料が無いのだ。この料理にたどり着く道筋など、今の時点では到底見えない。
追い打ちをかけるように石垣が言う。
「あ、いくつか案を作ってもらえる? 明日の昼までに」
何を言っているのか理解が出来ない。情報も素材も渡さず、何案も作れと言う。しかも納期は既に一日もないではないか。
「わかりました」
どうにも腹が立つ方が増してしまい、怒気を込めた返事をした自分は席に戻る。今日も残業だ。残業代は前職より六万減った給料に入っていると言うていなので、ある意味サービス残業みたいなものだ。しなくて良い残業ほど無駄なものはない。
席に戻り、苦々しい気持ちを整えるために深呼吸をする。もう一度、客の言う事を整理する。
一、渡されたカタログのようなデザインを希望。
(そもそもここに掲載されているのは写真であって、デザインではないぞ)
二、渡されたカタログの何が良いとかではなく、こういったデザインが良いとしか言わない。
(嘘だろう? 何が気に入ってこのカタログを渡してきたのかさっぱり分からない。この客が取り扱っている商品はひとつ百円程度のものだ。何十万もするソファーが撮影された写真の何処と類似点がある?)
三、客はデザインが分かる。デザイナーなんだから何とかしろ。
(雑なのは客のヒアリングが出来ていない石垣で、既にデザイナーは何時間もかけて取り組んでいるはずでは?)
ダメだ、何も分からない。ただ分からないと言う事が分かっただけだ。しかし、作らないと刻々と時間は過ぎ去り、このままでは残業時間がただ増えていくだけではないか。
プリント用紙の裏側に、ザクザクとレイアウトを思いつくままにいくつか殴り描く。イメージが固まったものから順に素材を探す。勿論、あの上品なカタログに見合う写真などないので、一枚の写真を探すのに一時間ほどかかる。とにかく目に付いたものを片っ端からダウンロードするので、デスクトップがどんどん写真で埋まっていく。
ある程度希望に近い素材をダウンロードし、デスクトップから「素材」と命名したフォルダに写真を格納して、中身を確認しながら再びふるいにかける。
百枚近い素材を吟味し終えると、次はその素材を順に切り抜いていく作業が待っている。客の指定した写真には、鬱陶しいほど花弁が細かな花の写真が多数掲載されていたので、スプレー菊などの花弁の多い花々をひとつひとつ丁寧に切り抜いていく。
花を採用した理由は、自分が写真を見て「飾られた花が製品を程よく際立たせている」と感じたのと、客の商品は女性が見ることが多いものだからだ。
しかし、花を切り抜くにはそれなりの時間がかかる。大量に切り抜くので手伝ってくださいと言いたいが、入ったばかりの社員がまだ関係構築出来ていない上司や先輩に向かって手伝ってほしいとは言えない。
そもそも、この会社にウェブデザイナーは自分と田村の二人しか居ない。少なくとも田村は上司だ。何より下積みの長かった自分は、田村より切り抜きに関しては技術は上で作業自体も断然早いという確信があった。
切り抜きが終わった頃には、既に帰宅推奨時間となっていた。周りの社員は自分にちらりと視線を向けながらも席を立ち、次々に退社の挨拶をしてそそくさと帰っていく。
自分はといえば、ようやく最初のデザイン案に着手したばかりだった。
後編のあとに番外編があります。全4話です。