01. 箱の男
よろしくお願いします
雨の中を一台の車が走っていた。
「こんな雨の日に遠出はこたえるなぁ」と後部座席の男がため息をつく。
「大体こんな簡単な任務に俺と綾華ちゃんで行くなんてさ。上もちょっと慎重すぎない?」
「慎重になるのも当然じゃないですか?だって今回のターゲットはあの伊佐波裕の息子ですからね。もしかしたら化け物かも」
まどの外を眺めながらアヤカが言う。
「またあんなことが起きたら今度こそ東京がなくなっちゃうかも知れませんし」
「だとしたら俺らで止められるのかねぇ」
17年前東京で起きた大災害。それは23区に壊滅的な被害を与え、今でも関東圏に恐怖を与え続けている。それら全ては一体の怪物によって引き起こされた。
伊佐波裕が生み出した怪物、「人魚姫」
それはいまもスカイツリーに巻き付き東京を眺めている。
「またあんなのが出てくると思うと、いますぐ逃げたくなるねぇ。このまま車降りて駅まで引き返そうかな」
「ここから駅まで結構かかりますよ。まだこの辺りは復興されてないですからねぇ。大体2時間くらい?」
「君で2時間なら俺はどれほどかかるんだろうかね。やっぱ現実的じゃないか」
「ここです。着きました」
運転手がそういうと車は一軒家の前で停車した。
東京郊外の閑静な住宅街に存在する一軒家。首都圏に建てられた住宅と比較すると大きな庭が、居住者の生活レベルを表している。
「罠でも仕掛けられているんじゃないか」
「自分の自宅にそんなもの仕掛けると思いますか。勿論そのリスクまで考えたうえで、私たちが選ばれたんですけどね」
そう言い放つとドアを蹴破り、玄関から中の様子を確認する。
「自分のマイホームのドアを蹴りで破壊されたと知ったら、俺なら泣くね」
一階はリビングにダイニング、キッチン、浴槽があるが人のいる気配はない。
「本命は二階だな。俺の後ろに続け」
階段を上がるとそこは寝室と子供部屋だった。部屋の扉には「碧の部屋」と書かれている。
「ここだな」
子供部屋の戸を開けて中をのぞくと、そこには異様な光景があった。
まず子どもが生活していた痕跡がどこにもない。それどころか家具が一つもなく、人が生活した痕跡が全くない。そんながらんどうの部屋の中心に、ポツンと一つだけ、四角い物体が存在している。
「おいおい、この黒い箱が伊佐波裕の息子か?」
「寝室にはそれらしき姿はなかったので、現状その箱が息子さんと考えるしかなさそうですね。」
眼前に存在するその箱にそっと手を触れると
「あっっっっっっっっっっっっっつ!!!!!!!!!!」
肉が焼けるような音が部屋に響いた。
「うかつに触らないでください。私が見てみます」
「そんなこと言ったってアヤカチャァーン。それが黒い箱だってこと以外なにがわかるのさ。」
「それだけじゃないですよ。これは伊佐波裕の能力で作られているものだと思います。彼の能力で誰かしらの魂を箱型に変形させているんじゃないでしょうか」
「ということはこの箱も元人間ということか」
伊佐波裕の能力は魂の変形。人間の中に存在している魂に干渉し、化け物を作り出す。
「正確には死んだ人の魂ですね。伊佐波裕の記録では生きている人間の魂には干渉できないと書かれていました」
「なるほど。で、この箱は一体どうすれば開くんだ?」
「伊佐波によって変形された魂は本人以外にも知覚可能、触れることもできると記録されているので、壊した方が手っ取り早いかもしれません」
「よし!ここは俺がやろう。ソレッ!!」
掛け声と共に振り上げられた手刀が箱に打ち込まれる。
「ジュッ」
「あっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっつあああああぁぁぁあああ」
「やっぱりダメでしたか。中身を守るために強度は相当高く作られてるみたいですね。」
「こいつめ!もう許さんぞ!入れ物風情がこの焔村煌良を二度も愚弄しおって!!!」
そう叫ぶと焔村は右腕を再び振りあげる。
「アルティメット⭐バーニング・フィスト!」
その瞬間拳の内側から火が起こり、たちまち拳全体を炎が包み込む。振り下ろされながら次第にその温度を増していく炎は箱に叩きつけられた瞬間小さな爆発を起こし、箱全体へと燃え広がった。
「ちょっと焔村さん!私たちの目的はあくまで伊佐波の息子の調査と保護です。これじゃ中身が蒸し焼きになっちゃうじゃないですか」
アヤカの心配を他所に焔村は自分のスーツに引火した炎を消す事に躍起になっていた。
「アヤカちゃん早く、水!水持ってきて!」
「ハァ…自分が出した炎なんだから大丈夫なんじゃないですか?」
「フッフッフッ説明しよう。俺の能力で生まれた炎は俺を傷つけることは無いが、別のものに引火した炎は最早我を忘れ、産みの親である俺すら傷付けてしまうのだ。だから大至急水を取ってきてくれ!」
はぁ…神異庁の人ってなんで変な人ばかりなのだろう。黒条綾華は一人頭を悩ませるのであった。
思い出すのは、母のこと。
真っ暗闇の世界にさす光のような人
何もない都会にある森林のような人
雨の日にも咲くアサガオのような人
こんな世界でたった一人の大切な人
もし取り戻せるのなら全て失ったってかまわない
全て…この世にあるもの全てでも…
その時突如として全身に違和感が走り、まどろみの中からひきずり出された。
なんだこれ…
いつぶりか目を開く。いつもは暗闇が永遠に広がっているだけの世界に、今は無数の渦のような流れができていた。
体の動かし方も忘れてしまうほどここにいたので、なす術もなく流れに飲み込まれる
熱い…熱い…
いつぶりかの苦しみに耐えられるはずもなく、伊佐波碧は意識を手放していく。
最後に思い出すのは、母のこと。
助けて…母さん…
…
「アルティメット⭐バーニングフィスト・THE FINALゥ!」
バキッ!
「あっつ!あっつ!あっつ!あっち!!」
すぐさまバケツに手を突っ込み、腕に燃え移った炎を消す。
「あのー…それいつまでやるんですか?というか燃やす必要あるんですか?さっきから焔村さんが一人で苦しんでるだけなんですけど」
「いや、今のは手応えがあった!俺の拳を七発も耐えるとは、この箱はなにか特別な魂が使われてるに違いない…」
「そうなんですかね」
心底どうでも良さそうな綾華を他所に、焔村は自分の世界に入り続ける。
「さぁいでよ!伊佐波裕の寵児!その化け物じみた姿を晒し、その首を俺に差し出すのだ‼」
ひびの入った部分に蹴りを叩き込むと、激しい音を立てながら亀裂が全体へと広がり、そして
「ギャギャギャギャギャァアアア」
と箱からか、中身からか悲鳴が聞こえ、黒い箱は粉々に砕け散った。
「キャーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
その次に響いたのは綾華の悲鳴。それもそのはず、砕け散った箱の中からなんか汚い汁が部屋中に流れ出したのである。
たちまち床中に広がったそれは、もっとも近くにいた煌良の靴にたっぷりと染み込む。
「クソ…この家は呪われている。伊佐波一族は俺が根絶やしにせねばならん」
足元の不快感が煌良の決意をより一層燃え上がらせた。
「いつまでそうしてる。早く降りてこないか」
天井には先ほどまでは存在しなかった鎖が2本突き刺さっている。その鎖は綾華の袖の奥へと繋がり、お気に入りの靴を汚さないように支えている。
「買ったばかりなんですよ、この靴。絶対に嫌です!」
「今はそんな場合ではないだろ。化け物がそこにいるんだぞ」
「…」
「…まぁいい。さてこいつが今日のメインディッシュか」
崩れた箱の破片を退けると、そこには男が一人倒れていた。痩せ型で薄気味悪いほど白い肌をしている。
「どうやら意識がないらしい。いやそもそも死んでいるのか?」
「いいえ、死んでいるのであればもっと腐っているはずです。長い間箱に入っていたはずですから」
天井から見下ろす綾華が冷静に分析する。
「どっちにしろ動かないのなら都合がいい。俺たちのミッションはこいつを連れて帰ることだからな」
煌良の腕が再び炎に包まれ、男の首へと手が届きかける。
その時
「焔村さん!黒条さん!」
ダンダンダンと階段を駆け上がる音が響き渡った。
「どうしたドライバー!ここは危険だ。まだ入るんじゃない」
「お二方に緊急の電話が!」
ドライバーの手には神異庁の緊急用携帯が握られていた。
「それはご苦労だった。もしもし電話代わりました。焔村です」
携帯を耳に当てた瞬間、電話の向こうから怒声が鳴り響いた。
「焔村てめぇ!なんで自分の携帯にでねぇんだクソ!!」
思わず耳から遠ざけたくなる音量だが、久しぶりに聞く声の主への驚きが勝った。
「その声は、矢津谷さん??」
「そうだ!こちら神異庁特別管理課の矢津谷。お前らの携帯に連絡がつかないから緊急用携帯を使わせてもらった」
「あれーそうですか。綾華ちゃん携帯は?」
「あー通知がうるさいから車に置いてきちゃったんですよね。どうせ任務中に使うこともないと思ったので」
「そういう理由です。いやー最近の若者には驚かされるばかりですねぇ…」
「じゃあてめぇはなんで電話に出ねぇんだ!焔村!」
「任務中の俺の気分をかき乱すのはたとえ総理大臣でも許されないんですよ。矢津谷さん。任務の時は必ず家で保管しています」
「クソッどいつもこいつも…!!いや、今はそんな話をしている場合じゃない!」
「どうしたんですかそんなに焦って」
「動き出したんだよ人魚姫が!17年ぶりに!!お前らの方に向かってる。時間的にいつそっちに着いてもおかしくないぞ!」
「人魚姫が…?」
あまりに突然のことで完全に思考が停止する。
「焔村さん。どうしたんですか?」
「くる……ここに。人魚姫が…!」
綾華もまたあまりに急な出来事に理解が追いついていないという顔をした。
しかし、そんな2人の思考を凌駕した本能がその身に迫る邪悪な気配を察知した。
「避けろ!!!!」
瞬間、今まであった部屋がバラバラに吹き飛んだ。
人魚姫によって薙ぎ払われた家は瞬く間に倒壊していく。その人の形を模した手は強く、強く握りしめられていた。
外敵を滅ぼすため、そして護らなければならないものを守るため。
「母さん…」
握りしめられた拳の中で伊勢波碧は再びまどろみの中に落ちてゆく。
彼に定められた使命を果たすその時まで…
誤字・脱字を見つけたらぜひ教えてください