«引きこもり錬金術師は放っておいてほしい» 妹に婚約者を奪われ研究に専念できると思ったのに、今度はイケメン王子様に見つかって逃げ出せません……
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「ごほっ、う……」
病院のベッドの上。
窓は開いていて、優しい風が入り込んでくる。
外はいい天気だと思う。
見ることはできないけど、風の心地よさからそう感じられる。
私は……もうすぐ死ぬ。
わかってしまうんだ。
自分の身体のことだから……。
生まれつき身体が弱かった私は、一年のほとんどをベッドで過ごした。
酷い時は一年近く入院生活を送ってきた。
小学校は三分の一も通えていないし、中学は入学式に無理をして出席して、そこから自宅療養を強いられた。
普通の人にとってはただの風邪でも、私にとっては命に関わる。
何度も、何度も苦しんだ。
少しだけ回復すると、わずかな希望を抱いた。
このまま何事もなく全快して、普通の人たちと同じような生活ができるかもしれない。
普通に学校に通って、友達と遊んで、恋をして……。
「……はははっ、無理でした」
そう呟いて、涙すら出ない。
もう身体を起こすことも、首を回すことだってできなかった。
聞こえる音も小さくなっている。
視界だけは良好で、代わり映えしない病院の天井をじっと見つめている。
繋がれた医療器具の音と、風で靡くカーテンの音がシンクロしていた。
徐々に身体の感覚が弱まっていくのがわかる。
心臓の鼓動も、ハッキリわかるほど小さくなっていた。
自分の死に直面した時、人はどう思うだろうか。
死にたくないと思う?
私の場合は違った。
「……やっと……」
解放される。
止まらない咳、下がらない熱、鳴りやまない耳鳴りと頭痛。
食事も喉を通らず、食べたら吐くの繰り返し。
手足はやせ細り、満足に動かすことすら叶わない。
何が幸せか?
生きているだけで幸せ、だなんて幻想だ。
五体満足で生きている人の妄想に過ぎないと、私は感じている。
少なくとも私は、苦しいだけでしかなかった。
幸せなんてひと時もない。
考えるのは、いつになったら終わるのかということ。
そして、自分と同じように苦しんでいる人は、世界にどれくらいいるのだろうか……。
縋っていた。
自分の境遇は特別なんかじゃない。
世界にはもっと不幸な人がたくさんいるんだと。
違う。
そんなの本当は……自分はまだマシなんだと思いたかっただけだ。
私は心のどこかで、見知らぬ誰かの不幸を望んでいたのかもしれない……。
「最低……だ……」
不幸を比べてしまったことを後悔する。
私よりひどい境遇でも、必死に生きて幸せになろうとする人だっていただろう。
そんな人たちに対する冒涜だ。
けれど……私は幸せになれなかった。
このまま生きていても、辛い思いをするだけだった。
ああ、神様。
どうか来世があるなら、普通の生活が送れますように。
他人の不幸を望んでしまった愚かな罪は、来世で償いますから。
辛い思いをしている人がいたら助けたい。
自分と同じ想いをする人が、一人でも減るように。
そうだ。
私の人生は辛かったけど、いろんな人に助けられた。
両親、少ないけど友人も、お医者さんたちも。
私のために必死になってくれた。
不幸中の幸いだ。
願わくは、彼らの未来が幸福でありますように。
私に優しくしてくれた分まで、どうか幸せになってほしい。
そして来世は、私が誰かを助ける側に回りたい。
ああ、よかった。
最後の最期に私は、素敵な気持ちを抱けたみたいだ。
――すべての音が消えた。
◇◇◇
「おぎゃー! おぎゃー!」
赤ん坊が泣いている?
どこ?
違う。
泣いている赤ん坊が自分だということに、私はすぐ気がついた。
空が青い。
涙でぼやけているけど、微かに雲が浮かんでいるのがわかる。
(どうして? 夢?)
私は混乱した。
自分の手足を見て、その小ささとプニプニな感じに驚く。
手足が動くし、首も回る。
それ以前に、赤ん坊になっていた。
「シスター! 赤ちゃんが泣いてるよ!」
「本当ね。この子は……」
(シスター?)
子供と一緒に、修道服の女性が私に近づき、覗き込んできた。
優しそうな女性だ。
子供は小学生になる前くらいだろうか。
どちらも私がよく知る服装ではなかった。
なんだかゲームや漫画の中に出てくる登場人物のようだ。
入院生活や自宅療養の期間が長かった私にとって、ゲームや漫画が唯一の娯楽だった。
おかげでその手の作品の特徴はよく知っている。
よく周りを見渡すと、明らかに私が知っている街の外観じゃない。
まるで――
「もう大丈夫よ。泣かないで」
シスターが私のことを抱きかかえる。
おかげで視線が高くなって、周囲の景色がより鮮明に見えた。
(――異世界みたい)
そう思った。
街並みも、行き交う人の姿も。
どこもファンタジー世界のそれだったから。
驚きのあまり私は泣き止んだ。
「泣き止んだよ!」
「ええ、この子は今日から教会で育てましょう」
「やった! 家族が増えるね!」
「そうね。大切な家族よ」
シスターと子供が何やら話している。
そんなこと、今の私にはどうでもよかった。
漫画やゲームが好きな人なら、誰もが一度は考えるだろう。
自分もこんな世界に生まれてみたかった。
私はより強く思っていた。
まともに生活できない身体だったからこそ、フィクションの世界にあこがれを抱いた。
(異世界だ! 私、異世界に生まれ変わった?)
興奮が止まらない。
奇跡が起こった。
夢ならどうか覚めないでほしいと願う。
もしも夢じゃないのなら、私は今度こそ――
「あうー」
「あら、いい笑顔ね」
幸せになってみせる!
◇◇◇
――二十年後。
この世界での成人は二十歳らしい。
そう、私はついに成人年齢を迎えた。
前世ではたどり着けなかった人生の分岐点に、私もたどり着くことができた。
「……ふぅ」
などと思ってはみたものの、特に代わり映えしない日々を過ごしている。
私のために設けられた部屋。
この屋敷で、私が自由に活動できる唯一の場所だ。
ここで私は、日夜研究に励んでいる。
何の研究か。
薬ではあるのだけど、そこは異世界らしい物で、ただの薬ではない。
そう、ポーションと呼ばれる錬金術によって生み出される魔法の液体だ。
つまり私は、異世界で錬金術師になっていた。
「今日はこっちの合成を試そうかな」
生まれ変わったら、自分と同じように苦しむ人々を救いたい。
たくさん支えてもらった恩返しがしたいと思っていた。
幸いなことに、私にはうってつけの才能があった。
それこそ錬金術師としての才能だ。
物質と物質を合成し、新しい物質に変換する技法。
魔法の一種であり、使える人間は限られている。
私には才能があった。
錬金術を行使する才能が。
それを知った時、私は運命だと思った。
この世界で生きて、たくさんの人を救うことが、私に課せられた使命なのだと。
何より、私自身が望んだことだった。
ただ……この世界で私が受け取った幸運は、錬金術の才能だけだった……のかもしれない。
トントントン――
ドアをノックする音が聞こえた。
声をかける。
「はい」
「アルハイル様、食事のご用意ができました」
「ありがとうございます。あとで食べるので、いつものように扉の前に置いておいてください」
「かしこまりました」
かちゃりと音がする。
しばらく待つと、扉の前から気配が消えた。
扉を開けると、廊下の台に昼食が用意されている。
病院食のように質素なものじゃない。
綺麗な器に盛りつけられて、見るからにお金がかかっている。
この世界では当たり前の光景?
もちろん違う。
庶民は待っているだけで食事が運ばれたりはしない。
つまりここは貴族の屋敷で、私は貴族の令嬢という立場にある。
一応は……。
「手紙?」
食事と一緒に、置手紙が添えてあった。
差出人は開く前にわかる。
父親からだ。
中身を開くと、簡潔に一言。
今日の午後に応接室に出なさい。
来客がある。
「一言だけ……誰かも書いてない」
これが私たち親子の日常的な会話の一コマだった。
と言っても、本物の親子じゃない。
私は孤児だ。
正確には、物心つく前に両親に捨てられてしまい、偶然通りかかったシスターに拾われ、育てて貰った。
五歳までは教会で孤児たちと過ごした。
けれどある日突然、ミッテル公爵という貴族の当主様が教会にやってきて、私を指さしてこう言った。
――この娘を私の娘にしたい。
幼いながら驚愕した。
どういう理由か、私を貴族の養子に迎え入れたのだ。
ミッテル公爵家は王国でも名の知れた貴族だったらしい。
どうやら子宝に恵まれず、跡取りがいないことで悩んでいたらしい。
そこで孤児を養子にすることを考えたそうだ。
シスターは祝福してくれた。
貴族になれば、何の不自由もない生活が送れるから。
私は錬金術の勉強ができればどこでもよかったから、シスターが喜んでくれるならとミッテル公爵についてゆくことにした。
幸福なこと?
最初はそう思ったし、そうなるだろうと思っていた。
けれど一年後、運命は変わった。
諦めていた子宝に、ミッテル公爵とその奥さんが恵まれたのだ。
元気な女の子だった。
二人とも喜んでいたし、私も嬉しかった。
一人っ子だった私にとって、初めての妹ができると思ったから。
血は繋がっていなくても、新しい家族の誕生は喜ばしい。
はずだった。
女の子はシュトーナと名付けられた。
彼女は元気に成長していく。
その成長を両親は喜び、期待した。
対照的に、私と関わる時間が減っていくのを感じていた。
徐々に……しかし確かに減っている。
態度も他人っぽさが感じられるようになって、彼女が物心つく頃には、二人のほうから話しかけられることがなくなった。
遅れて気づかされた。
私は二人にとって、所詮は他人なのだと。
二人が本当に欲しかったのは、自分たちの子供なのだと。
それ以来、私はこの屋敷で孤立した。
途中からは望んでそうなったように思える。
家族の時間を邪魔しないように。
他人の私は、この恵まれた屋敷で暮らせるだけで満足だと。
それから私は部屋に閉じこもることが多くなった。
落ち込んでいるとかじゃない。
ポーションづくりの研究を本格的に始めたら、のめり込んでしまって、気づけば夢中になっていた。
時には食事の時間も忘れて没頭した。
それに合わせて、食事も部屋に用意されるようになったのはいつ頃からだっただろうか。
今では当たり前になり、この部屋だけで私の生活はほぼ完結する。
やっぱり幸福だ。
恵まれた環境にいるのだから。
と、当時は思っていたけど……。
「応接室……じゃあ相手は……」
ため息をこぼす。
私は軽く考えていた。
貴族の一員になる意味と、その中で孤立してしまうことの未来を。
◇◇◇
時間になり、私は応接室に向かう。
足取りは少し重い。
扉を開けるとそこには、高貴な見た目の青年が座っていた。
「やぁ、アルハイル、待っていたよ」
「こんにちは、ミゲル様」
ミゲル・ハーフマン。
同じく公爵の地位を持つハーフマン家のご子息で、次期当主。
そして私の婚約者でもある。
「当主殿に聞いたよ? また部屋に閉じこもって何かしているんだって?」
「はい。ポーションの研究をしておりました」
「ふふっ、いつまでそんな嘘をつくんだい? もう聞き飽きたよ」
「……」
この人は、私が錬金術師であることを疑っている。
錬金術の才能は稀だ。
そんな才能を、私が持っていると信じたくないらしい。
理由はシンプルに、私の出自が関係していた。
彼は私の婚約者だけど、愛しているわけじゃない。
ただ家同士の関係性があり、形式的に決められた婚約に従っていただけだ。
「けど、それを聞くのも今日限りかな」
「……はい?」
「君との婚約は、この場で破棄させてもらうよ」
「……はぁ」
私のリアクションが弱かったのか、彼はムスッとした顔を見せる。
「驚きすぎて反応もできなかったかな? まぁいいさ。君には何も期待していないから」
「えっと、婚約を破棄されるのですね」
「その通りだ」
「よろしいのですか? この婚約はミッテル家とハーフマン家の同意の元に結ばれたものです。それを独断で破棄するのは」
「独断じゃない。両家の同意はすでに得ているよ。それに、君以上の適任がいるからね」
「適任?」
私は首を傾げた。
けれどこの時点で、誰のことを言っているのかは明白だった。
扉が開く。
姿を見せたのは、ドレスに身を包んだ可憐な少女だ。
「ご機嫌よう、お姉様」
「シュトーナ……」
「紹介しよう。彼女が僕の新しい婚約者だよ」
シュトーナは私の隣を通り過ぎて、得意げな表情を見せる。
そのままミゲル様の隣に立ち、ミゲル様は彼女の肩に手を回して抱き寄せる。
見せつけてきた。
二人が新しい婚約者同士であることを。
「……」
「驚きで言葉もでないかな?」
さっきも聞いたセリフだ。
確かに驚いてはいるけど……。
「そうでしたか。おめでとうございます」
「――!」
ミゲル様は驚いた表情を見せた。
私がそこまで動じていないことに驚いたのだろう。
当たり前だ。
彼が私のことを愛していないことなんて最初からわかっていた。
シュトーナの存在がある限り、いずれはこうなる気がしていたのもある。
思っていたよりも早かった。
彼女が成人になる頃まで待つかと思っていたけど、この世界での婚約に年齢は関係ない。
ついに踏み切ったという感じだ。
「シュトーナ、ミゲル様とお幸せになってね」
「……わかっていないですか? お姉様は捨てられたのですよ? 惨めですね」
「婚約者にでしょう。わかっているわ」
「っ……」
甘やかされて育ったシュトーナは、とても生意気な子になってしまった。
私の出自も知っている。
明確に、私のことを下に見ているのが態度から伝わる。
けれどもう慣れている。
見下されるのも、馬鹿にされるのも。
彼女にとって私が他人であるように、私にとっても彼女は他人だと、すでに割り切っているから。
しかし気に入らなかった様子だ。
彼女は意地悪な笑顔で続ける。
「わかっていませんね。私が婚約した時点で、お姉様はミッテル家に必要ないのです。出自を知られている以上、誰もお姉様と新たに婚約なんてしないでしょうから」
「その通りだ。誰も好んで、元平民を相手には選ばない。加えて錬金術師だと嘘をつく引きこもりだ」
「嘘じゃありませんよ」
この人はまったく信じてくれない。
いや、両親やシュトーナも疑っている。
確かに成果物を彼らに見せたり、提供したことはない。
街の薬屋さんと直接やりとりをしているから、出来上がったポーションを見せたこともなかった。
両親は私に興味を失っていたから、一々何をしているのか確かめなかった。
私も、自慢することはなかったから、知らないのは当然だ。
けれどまったく信じてもらえないのは、さすがに少し悲しかったな。
「いつまでも嘘をつき続ける。そんな娘を近くにおくなんて、ミッテル家にとっても汚点になる」
「お父様もお母様もお優しいですから、今まで大目に見ていたんですよ? でもお姉様は成人になり、私はミゲル様と婚約しました。お姉様? いつまでもこの屋敷にいられると思いますか?」
「それは……困ったね」
要するに、いつか屋敷を追い出されるという意味だ。
嘘ではないだろう。
私は元々孤児で、この屋敷の人間じゃない。
必要なくなったら追い出されるというのも、あながち遠い話じゃない。
そうなると困る。
せっかく研究に没頭できる場所があるのに。
道具や素材も、個人で集めるのには限界がある。
「困るでしょう? 辛いでしょう?」
「そうだね。研究が続けられないのは困るよ」
「――! そうじゃなくて……」
「え? 他に何か困ることってあるかな?」
私はシュトーナに問いかけた。
驚いた顔をした彼女は、不機嫌そうに私を睨む。
どうやら怒らせてしまったらしい。
「そういうところです。お姉様は……」
「シュトーナ?」
「もういい。事実を受け入れられず混乱しているんだよ」
私たちの会話に、ミゲル様が割って入る。
ミゲル様は怒るシュトーナを諫め、私に告げる。
「もう下がるといい。君とこうして話すのは、これが最後になるだろうね」
「はい。ありがとうございます」
「っ……残念だね? 僕と結婚できなくて」
「はい? ああ、そうですね」
「……」
微塵も思っていないけど、一応そういうことにしておこう。
正直、彼のことは苦手だった。
シュトーナと仲良くしている以前に、彼は女好きだ。
私との婚約期間も、複数の女性と関係を築いていたり、それを隠そうともしていなかった。
キザなセリフ、態度も合わない。
婚約を破棄してもらえるのなら、それはそれで好都合だ。
余計なストレスが減る。
「今までありがとうございました。失礼します」
私は頭を下げて、応接室を出た。
予定より早かったけど、これで私は研究に専念できる。
そう思いながら、部屋に戻った。
◇◇◇
アルハイルが退出後。
残された二人は数秒固まっていた。
「ミゲル様……お姉様はまったく驚いていませんでした」
「今だけさ。きっと部屋に戻って泣いているよ」
「……そうですわね。婚約破棄されて、いつか追い出されると知って、普通でいられるはずがありません」
二人はアルハイルの態度が気に入らなかった。
もっと絶望すると思っていた。
嘆き、悲しむと。
それを楽しみにしていたのに、その反応は淡々としていた。
まるで最初から知っていたかのように。
「後になってこの屋敷に残りたいと言っても、もう遅いですわ」
シュトーナは知らない。
彼女が思うほど、アルハイルはミッテル家に愛着がないことを。
「まったくだ。僕の魅力も再確認するだろうね。僕は彼女のことなんて、なんとも思っていないけど」
ミゲルは知らない。
その想いが一方通行であり、彼女もまた何も感じていない。
最初から愛し、愛されもしていない事実を。
二人はアルハイルに幻想を抱いている。
惨めではかなく弱い女だと。
しかし現実は――
彼女はそれほど、弱い人間ではなかった。
◇◇◇
とある森の中にある古い小屋。
私は木箱をせっせと運び、小屋の前に置いた。
「よいしょ! とりあえず今日はこれだけ」
研究室になっていた部屋から、素材や道具の一部を持ち出した。
婚約破棄をきっかけに、私はいずれ屋敷を追い出される可能性に気づいたからだ。
ここは王都を出てすぐのところにある森林。
凶暴な動物や魔物は少なく、比較的安全に過ごせる場所で、小屋も最初から使われなくなって放置されていた。
私にとってはもう一つの研究室だ。
一人で素材を集めている時、偶然見つけてから第二拠点になっている。
もし追い出されたら、ここで研究を続けよう。
「道具は何とかなる……でも素材は……大変だなぁ」
ミッテル家の力で集められていた素材も少なくない。
ひとえにお金だ。
お金があれば、必要な素材を一々探して回る必要もない。
研究の時間が大きく短縮される。
その利点を失うのは、確かに痛手だった。
「今後は資金集めもしないと」
やらなきゃいけないことがたくさんだ。
大変だけど、充実はしている。
前世の経験があるから、こうして自由に歩き回れるだけでも幸福だ。
そう、幸福なんだ。
婚約破棄されたり、捨てられる未来があったりしても、健康で元気に生きているから。
そういう意味じゃ、私を捨てた両親にも感謝している。
元気な身体に生んでくれてありがとう。
この身体でたくさん勉強して、働いて、もっと大勢の人を助けられたら――
「ガルルルル」
「え……え!」
気づけば私の眼前で、大きな獣が荒い呼吸をあげていた。
狼?
違う。
大きさも気配もスケールが異なる。
魔物だ。
(どうして? ここに魔物なんて一度も……)
下がろうとした。
ただ、魔物が睨んでいるのは私じゃなくて、私の背後にある小屋だと気づく。
そうだ。
ポーションやここにある素材の多くは、魔物によっては高いエネルギーを得られる良質な餌。
私を食べるより、小屋を襲おうとしている。
「だ、ダメ! ここはダメ!」
この小屋には試作中のポーションだってある。
頑張って集めた素材も。
屋敷から持ってきたばかりのものだって。
ここを壊されたら、私が研究を続ける場所がなくなってしまう。
それだけは絶対、絶対に――
「ガルルル……グアアアアアアアア!」
「っ――!」
「しゃがめ」
「――!」
男の人の声がした。
咄嗟にしゃがむ。
すると、シュパッと何かが斬れる音がした。
続けて液体が噴き出す音も。
「もう目を開けていいぞ」
「は、はい……うわ!」
目の前の魔物は、首を斬り落とされて倒れていた。
代わりに明るい髪の男性が、私の前で剣を握っている。
刃には血がついていた。
彼が魔物を倒してくれたようだ。
「あ、ありがとう……ございます」
「まったく、すぐに逃げろよな? そんなに大事か? このボロ小屋」
「だ、大事ですよ! ここには私の夢が詰まってるんですから!」
「夢?」
「そうです! どんな病にも、どんな傷にも効く万能ポーションを作ること! みんなが健康に生きられる世界にすることが私の夢なんです!」
私は盛大に語った。
大きな声でハキハキと。
言った傍から赤面する。
初対面の相手に、一体何を語っているのか。
「ご、ごめんなさい。私は何を……」
「ぷっ、ははははははは!」
彼は笑った。
綺麗な青い瞳から、大粒の涙を流して。
「そ、そんなに笑わなくても……」
「いやすまない。すごくいい夢だと思う」
「だ、だったら笑わないでください」
「笑うさ。お前は本気でそうしたいと思っている。顔も見たことがない他人の幸福を願っているのがわかった。馬鹿にしたわけじゃない。嬉しくて笑ったんだよ」
そう言いながら、彼は優しい笑顔を見せる。
馬鹿にされたわけじゃなかったようで、少しホッとした。
それにしても誰だろう?
この場所で誰かに会うのは初めてだった。
見た目からして一般人とは思えないし、剣を持っているから王都の騎士?
にしては貴族っぽいというか……顔もどこかで見たような……。
「聞くが、その万能ポーションが作れたら凄いことだぞ? 地位も名誉も手に入る。貴族は大金をはたいても欲しがるだろうな」
「そんなの知りません。貴族とか、名誉とか関係ないですよ」
「……そうか?」
「はい。だってせっかく作ったのに、貴族にしか手に入らないんじゃ意味ないですから。貴族であろうとなかろうと、幸せになる権利は平等にあります」
彼は真剣な表情をしていた。
冗談交じりではなく、本気で質問していたことがわかったから、私もまっすぐに答えた。
地位や名誉にこだわりはない。
そんなものなくても、私は幸せになれる。
だからいらない。
ほしいのは、私みたいに苦しむ人が、少しでも未来に希望が持てる……そんな奇跡だ。
「いいな、それ。今のも本心だったな」
「はい?」
「お前、名前は?」
「アルハイル・ミッテルです。あ……」
素直に名乗ってしまったけどよかったのだろうか。
一応まだ貴族の令嬢だし。
ミッテル家の令嬢がこんな場所に一人でいることを、不審に思われたり……。
いや、そもそも私のことなんて知らないか。
「ああ、ミッテル家の長女か」
「え、知ってるんですか?」
「当然だろ? この国の貴族の名前はすべて頭に入ってる」
「す、すごいですね……」
「当たり前のことだ。これくらいできなきゃ、国を背負えないだろ」
「国……」
あれ?
ひょっとして……ひょっとする?
「あ、あの……お名前は……」
「ん? なんだ気づいてなかったのか?」
彼は腰の剣を鞘ごと抜いて、鞘に施された装飾を私に見せる。
それは王家の紋章。
この国でその紋章を身に付けられるのは当然……王族しかいない。
私はごくりと息を呑む。
「俺はアイト・シュトラール。第三王子だ」
「――し、失礼しました!」
やっぱり王子様だった。
見たことあるなと思ったけど、当たり前だ。
パーティーに行けば必ず見る機会はあったのだから。
気づかないなんて我ながらマヌケすぎる。
「ははっ、気づかれてなかったとはな。よほど夢中だったか」
「あの、えっと……」
「今さら畏まるな。むしろ砕けた感じがちょうどいい」
「……」
怒っているようには見えない。
むしろ上機嫌に笑っていて、気持ちが少し緩む。
「だがまぁ、貴族令嬢がこんな場所で一人でいるのはどうかと思うぞ」
「うっ……」
「俺がいなかったら、今頃魔物の餌だったな」
「はい。と、とても感謝しております。このご恩はいつか必ずお返し――」
「じゃあ今返してもらおうか」
「え?」
今ですか?
驚いた私は殿下を見上げる。
殿下はとても……悪い笑顔をされていた。
嫌な予感がする。
「お前、俺の婚約者になれ」
「……へ?」
「決まりだ。今日からお前は俺の婚約者だ。よろしく頼むぞ」
「……え、ええええええええええええ!?」
さすがの私も驚いて、生まれて一番の大声を出した。
殿下は耳を塞ぐ。
「ビックリしたな。いきなり大声を出すな」
「な、なな、何をおっしゃっているんですか? 婚約って……」
「冗談じゃないぞ? 本気だ」
「いえ、でも私には婚約者がいまして」
「最近破棄しただろ?」
すでに知られている!?
つい先日の出来事なのにもう知っているの?
王族の情報網……恐るべし。
じゃなくて、そこじゃなくて!
「どうして私なんですか? ご存じないかもしれませんが、私は元平民です」
「知ってる。だから注目はしてた」
「え……」
「思いつきではあるが、お前が適任だと思ったんだ。俺の夢を叶えるためにもな」
「殿下の夢……?」
「ああ、俺の夢は――」
彼は語る。
胸に手を当てて、空を見上げて。
「この国から身分の差をなくすことだ」
「――」
驚かされた。
王族が、身分のトップにいる人がそれを言う?
場合によっては国家反逆の思想になりかねないことを……。
現王政を否定する夢を、彼はまっすぐ語った。
「そのために俺は王にならないといけない。だが、俺だけの力じゃ難しい。きっかけがいるんだ。王になるための……努力とは違う奇跡が」
「奇跡……」
「この出会いも一つの奇跡だ。お前が万能ポーションを作れば、多くの人が救われる。それを手伝いたい。代わりに俺の妻として、俺の願う未来に協力してくれ」
「あ、えっと……」
突然のことすぎて、頭が上手く回らない。
殿下の夢はわかった。
私との婚約を望むのは、その夢を叶えるためだと。
具体的なことはさっぱりだけど、単なる思い付きというだけじゃなさそうだ。
難しいことはよくわからない。
けど、わかることもある。
王族の婚約者になんてなったら、変に注目される!
研究どころじゃなくなる!
「け、結構です! 私は研究ができればそれでいいので!」
「その研究も俺が手伝おう。王家の後ろ盾ができるんだ。悪いことじゃないだろ?」
「そ、それは……確かに」
「研究設備も用意する。研究において何の不自由もない環境を提供しよう。どうだ? 悪くないだろ?」
「うぅ……」
悪くない……悪くない!
どうせ屋敷は追い出されるし、研究場所も考えていた。
ここはいい場所だけど、今みたいに魔物が出るようになったらおしまいだ。
安全に、確かに研究ができる場所。
殿下の婚約者になれば、それが手に入る。
それに……。
「恩を返すって言ったよな?」
「は、はい」
この状況は断りにくい。
命を助けられた後なんて、何をお願いされても断れないよ!
殿下は笑う。
「安心しろ。不幸にはしない。お前の夢が叶うように、俺も手を貸すから。だから代わりに、俺の夢も助けてくれ」
切実な想いを感じた。
本気で願い、足掻いているのだろう。
王子という立場で、似合わない夢を掲げて。
それは叶わぬ夢かもしれない。
でも、だからこそ……願い、掛ける想いは本物であると。
「わ、わかりました……」
「――ありがとう、アルハイル」
彼は手を差し出した。
握手だろうと思って手を出すと、彼は私の手を握って引き寄せる。
「わっ! で、殿下?」
抱き寄せられて、殿下の胸に触れ、見上げた先で彼は微笑む。
「よろしくな。俺の婚約者」
「――は、はい……よろしくお願いします」
これでよかったのだろうか。
本当に研究に没頭できるのだろうか?
なんとなく……思った通りには行かない気がした。
けれど、殿下が言ったように。
この出会いが奇跡なら――
私たちの夢にも、再び奇跡は起こるかもしれない。
【作者からのお願い】
最後まで読んで頂きありがとうございます!
楽しんで頂けたなら幸いです。
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