六、サンドバックにこそ感情がある
第三王子のアロイスは、クラスは違えど同じ一年生である。
日直という立場上二人連れ立って授業の準備へと動いたが、彼が私をわざわざ誘いに来たのには理由があった。
彼は、彼が心配するゲーム主人公の友人に私になって欲しい、そうお考えなだけだったらしいのである。
「私に彼女の友人になって欲しいと?」
「友人とまでいかなくて、話し相手ぐらいは。ああそうだ。生徒会に君こそ来ないかな?」
「生徒会?」
そこで私はハッと気が付いた。
アロイスとユーフォニアの接点が生徒会、のはず。
学術が優秀な生徒は、否応なしに生徒会役員にされるのだ。
それでもって生徒会長は、私に腕を貸すアロイスではなく、彼の直ぐ上の兄、三年生の第二王子のイエルク様でいらっしゃる。
イエルク。
男女問わず、全校生徒の憧れの存在。
彼が憧れの的なのは、知的な美貌と王子という身分からではない。
どんな無理難題が降りかかろうと、その手腕で全て制して来たお方だからだ。
しかしイエルクの見た目は地味である。
くすんだ金髪に青みがかった薄茶色の瞳だからではなく、常に学者風の眼鏡とスーツ姿のせいだ。
パッと見の外見だけならば、黒髪と金色に見える琥珀色の瞳という組み合わせの弟の方が目立つ。
しかしながら、そのとっつきにくそうにも見える彼が誰からも好かれて尊敬されるのは、彼が誰にでも気さくで優しいからだろう。
私にだって声を掛けてくれたのだ。
学園は楽しいかなって。
「ちゃんと俺のお陰で楽しいって答えたよな?」
「ちゃんと、イエルク様が生徒会長でいらっしゃるから楽しいって答えたわよ」
「流石ネズミ姫だ。あのむっつり骨とう品野郎が好みとは」
ヴェルナーめ。
「アダリーシア?」
あ、アロイスと会話中だった。
私は何でも無いという風に首を横に振ったが、縦に振るべきだった。
断るんだし。
「最初は手伝いに来てくれるだけでいいよ。僕がカバーするし」
「えと、ええと」
「兄も心配しているんだ。ほら、三年はもうすぐ引退でしょう?二年の生徒会女子はラーラとキーカだ。気さくなタクシス子爵令嬢達だが双子と言う事で時には排他的になる」
アロイスはここで言葉を切ったが、彼はきっと先に続けたかっただろう。
二年の男子二人は、雷神と例えられるほどの剣技で有名なマルク・ベルンハルトと、国一番の大富豪と言われるロイス伯爵家の嫡男ユリウス・シュバイツァーでしょう、と。
この二人がいるから、ユーフォニアを無防備に一人にしておくことに、僕は心配でたまらないんだ?
「そこで私がいれば、ユーフォニア様はお一人にならない、と。友人想いですのね、アロイス様は」
「そうかな。僕は自分がとっても利己的に感じるけどね。友人の事よりも、また君に様をつけられたと酷くがっかりしてる。このままじゃ僕は好きに君の名前を呼べないとね」
「まあ、アロイスったら」
「それでいいよ。アダリーシア。君の笑顔は素敵だ」
「ま、まあ!!」
「素晴らしい手管だな、アダリーシア。君の狙いは本物のプリンスだったか」
私の足は止まる。
私とアロイスの会話に割り込んで来たのはヴェルナーだ。
彼の気配など今まで一切気が付かなかったが、幻どころか今まさに私達の真横に聳え立っていた。
一体いつの間に、と思ったら、魔法薬研究室の扉が空いている。
魔法薬研究の授業が終わったばかりの二年生だった、というだけか。
授業が休み時間まで長引くは、器具の後片付けがある授業ではいつものことだ。
「ヴェルナー。それはアダリーシアに失礼ではないのか?」
「一人の男を振った翌日に別の男と腕を組んでいる方に?敬意を向けろと?」
「ヴェルナー、いい加減に――」
私は温和なアロイスがヴェルナーに本気で怒りを向けていると気が付き、アロイスの腕を軽く引いた。
彼はハッとした様にして私に顔を向け、私は彼に笑みを返した。
「アダリーシア?」
「アロイス、庇ってくださりありがとうございます」
「アダリーシア、そんな事は当たり前だ。彼に非難されるようなことなど君は一切していないではないか。君を侮辱するなど許せない」
「よろしくてよ。浅はかすぎて物事を混乱させるばかりの方に憤る必要などございませんわ」
「そうだよ、アロイス。人の話を聞かない人に、何を言っても通じない」
私はヴェルナーを真っ直ぐに見つめ直す。
昨日までの気さくさなど一つも無いどころか、彼は昨日まで私に見せたことのない表情を私に向けていた。
見下げ果てている、そんな顔だ。
この顔には覚えがある。
私が恋した人は、私には自分が独身者であると思い込ませていた。
知らなくても私がした事は不倫だ。
友人知人、親に妹、みんなにそんな顔で見られたのだ。
私を騙していた本人さえも。
私はあの人が既婚者だと知った時点で、自分の恋心も全部捨てて諦めたのに。
あの人の家庭を壊すことなどする気も無かったのに!!
「アダリーシア、行こうか」
アロイスは私を気遣い、私を動かすために腕を少し引く。
私はその動きに合わせてアロイスの腕から手を外した。
「アダリーシア。こんな奴の言葉など気にしないで。さあ、行こう」
「アロイス。私の教科書を返してくださいな」
「アダリーシア」
アロイスは、とても残念そうな表情を浮かべると、私に私の本を差し出した。
私はそれを受け取る。
「――生徒会の話は考えてくれるとありがたい」
「それはご辞退しますわ。生徒会の名前を私のせいで汚してしまいそうです」
「ヴェルナーの言った事など君は気にしなく――」
アロイスが言葉を続けられなかったのは仕方がない。
私は分厚い教科書を大きく振り回して、目の前の私を利用だけ利用して侮辱する男に打ち据えていたのだから。
そして、ヴェルナーは、なんと、床に膝を付いている。
無抵抗に殴られたのだ。
そうか、これこそ彼の謝罪だったのね。
私に自分を殴らせれば、私にした事への罪悪感から解放される?
怒らせるために酷い台詞を?
「ふざけないで!!この馬鹿男!!私にも感情があるのよ!!二度と、二度と声も聞きたくない。二度とその顔を私に見せないで!!」
2023/10/2 エリアス・シュバイツァー→ユリウス・シュバイツァーに修正