十六、濡れ衣
図書館事件は怖かったけれど、私とヴェルナーの心が通じ合ったのだから、私には僥倖そのものではないだろうか。
「ふふ」
いつもの学食。
以前のように私の方が先に席に着き、私を見つけたヴェルナーが私の横に座る、そんないつもの流れだけれど、私と彼はもう、いつもの、ではないのだ。
「ふふふ」
勝手に笑ってしまうなんて、私はどれだけ浮ついちゃったの。
私の上に影が落ちた。
ヴェルナーだわ。
私は彼へと顔を上げた。
ヴェルナーでは無かった。
同じ学年でも一度も話した事は無い別のクラスの女子二名と男子一名が、私を囲むように立っている。
見るからに敵愾心むき出しで、一番気が強そうな黄色い髪の子が口火を開いた。
「ご機嫌ね。お兄様が権力者だからって、あなたは好き放題出来て良いわね」
「ほんとう。いくらなんでもあれはやり過ぎ。学校休んでそんな嫌がらせをして、それでヴェルナー様を手に入れるなんて、さすが、銀狐の妹ね」
青みが強いアッシュ系の髪色の子が黄色の髪の子の言葉の後を継いだが、彼女達が言い出したことは一体何事なのかと、私こそ心当たりが全くない。
「ユーフォニアが君をいじめている?その反対だろ?彼女のロッカーに自分の物を隠して、彼女に濡れ衣を着せていたことは聞いていた。それだけでも最低なのに、今度はこんな酷い事まで!!君に人の心はあるのか!!」
薄茶色の髪色の男子が、私を弾劾する理由を叫ぶように言い放ち、私の真横を大きく蹴り飛ばした。
食事トレイが乗ったテーブルは、彼に蹴られた事で倒れはしないが大きく揺らぎ、トレイの上の紅茶入りカップを飛び上らせた。
私は大きく溜息を吐く。
今日は桜色だった。
なのに、今は紅茶で染まって紅葉色になってしまった。
この間は生クリーム、今回は紅茶。
次はミルク?ジャム?
「きゃああ!火傷をしてしまいますわ!!」
私を心配したような女性の大声があがり、その声の主は私へと手をさし伸ばしたが、私はその手を振り払った。
「きゃあ!」
ユーフォニアはよろけ、この惨状を引き起こした青年が彼女を腕に抱く。
「なんてひどい事を!彼女は善意ばかりなのに」
「そうよ。常に人の事ばかり考えていらっしゃる人なのに。あなたを見捨てても誰も言わないのに、助けようとしたこの人に!!酷すぎない?」
私は彼女達に言い返す前に、まず自分でやれることをした。
椅子から立ち上がり、テーブルの上の水差しを取り上げると、その水を全部、自分の胸元に掛けたのである。
「あつっ」
冷たい水が熱い紅茶のかかった肌を冷ましたが、そのために既に火傷になりかかっていた肌の痛みも感じた。
「な、何をなさるの」
「あ、頭がおかしいんじゃ無いの?」
黄色とアッシュが私の行動に脅え声を出した。
私は彼女達の前に踏み出し、今まで私が受けてきた眼つき、人を見下すって奴で彼女達をねめつけた。
「火傷したら水で冷やす。当たり前の事でしょう。私はあなた方のお陰で火傷をしましたの。急いで手当せねばなりませんのでこれにて失礼させていただきますわ。ごきげんよう」
私は踵を返したが、私の前には男子生徒が数人立っている。
彼らの中心に立ち彼らのリーダー然としているのは、茶色い髪の筋肉質だがすらりとした体躯の美青年、マルク・ベルンハルトだ。
ベルンハルトが引き連れているならば、この目の前の男子生徒達は二年生だということか。
「何ですの?」
ベルンハルトが一瞬たじろいだ気がしたが、彼はそれでも高圧的に私に彼が思う事を伝えてきた。
「君が爵位のない者、守るべき弱者を痛めつけているというのは本当か?」
剣豪のベルンハルトは一般庶民の家の子で、その剣の腕前を見込まれて騎士階級の家の養子となったという身の上だ。
それで彼こそ爵位や権力というものに敏感なのだろうか。
爵位や権力をかさに弱者に無理をしようとする行為者に彼は過剰に反応して、必ずきつすぎるお灸をすえるのである。
彼が何を聞いてここに現われ、私を責めたいと思う理由などわからない。
だから私は彼を真っ直ぐに見据えた。
大体、二年男子が一年女子を数人で囲むってどうなのよ?
「身に覚えのない事ばかりを先程から責められておりますの。漠然と、ではなく、詳細に、誰が、いつ、どこで、何を、どのようにした、のか、教えてくださりませんこと?」
ベルンハルトは私の視線を受け止め、彼こそ私を真っ直ぐに見つめる。
揺るがない視線は、嘘を見破る地獄の門番のようである。
「君が、昨日、女子寮にて、哀れなメイドに対して大火傷を負わせた、と聞いている。その理由は、恋する相手が別の女性に恋文を出した事に対して、その手紙を運んだ咎、ということだ」
私は、あ~、と声を上げていた。
そんな事もあったな、という思い出した声だ。
ただし、私が思い出したそんなことは、私に送られたはずのヴェルナーの手紙が複数あったという事実についてだ。
幸せ過ぎて、届かなかった手紙のことを忘れていた。
「残念だ。全部事実だったとは」
あ、しまった。
私が不用意に上げた声で、私は自分をさらにドツボに嵌めちゃったみたい。
ベルンハルトはもちろん、彼の取り巻きのように存在する、ひいふう……、五人の男子生徒だって私を殺気立った目で睨んでいる。
「君はどうして生存率が下がることばかりするの」
図書館でのヴェルナーの嘆きが思い出され、彼の存在を感じ、そのお陰で私はベルンハルトの威圧に負けない気概が生まれた。
顎を上げ、胸を張った。
そうよ、濡れ衣を着せられた人間がどうして脅えなきゃいけないのよ。