十一、思い出の場所で
部屋を飛び出したはいいが、私はどこに向かうべきか深く考えてはいなかった。
まさに、考え無し、だ。
「ああ、私がゲームの主人公だったら、勝手にヴェルナーがいる場所に行けていたはずでしょうに」
私は馬鹿な事を呟いていた。
本気で馬鹿だ。
三日ぶりの学園内はとても静かだが、それは授業中であるからだ。
品行方正なべルティーナが部屋を訪問してくれたことで、私は学園に行けば生徒達ががやがやしている昼休み状態だと錯覚してしまったのだ。
「ふふ。まだ三限目だわ。あの姉さんが私の為に授業をさぼっていたなんて考えもしなかった。でもって、不登校を続けている私は職員に見咎められる訳にはいかない。どうしよう。っていうか、二年の教室にヴェルナーがいるかどうかだけでも確かめに行くべき?」
結局の私は、ヴェルナーと出会った最初の場所に来ていた。
図書館と本館を繋ぐ渡り廊下はいつでも人気が無いから、職員の目から身を隠したい私には最適な場所でもあるからでもあるが、ヴェルナーに会えるかもと期待していたからの方が大きい。
彼がいるはずは無かったが。
そこで私はヴェルナーを積極的に探すべきかと悩んでいるのだ。
悩むだけで私が動かないのは、この世界がゲーム世界であることが理由だ。
イベントが始まった時点で教室にいたはずのヴェルナーが消えたら、なんて怖い想像を私はしてしまったのである。
ゲームではよくある現象だが、リアルで起きたら心臓止まる。
「いや、いくらなんでも、そこまでは」
だが私は、自分が呼んでも来ないメイドが、べルティーナならば呼び出せるという事実を目の当たりにしたじゃないの。
「そうよ。フラグ立てなきゃキャラとイベントが起こせないのが恋愛シュミレーションゲームなのよ。目当ての人物と会話するどころか、まず会うにはフラグを立てなきゃだったじゃない。でもって、ヴェルナーとのフラグは」
私はそこで頭を抱える羽目になった。
だって私はゲームを実際にしていない。
ゲームシナリオやキャラ設定について妹が面白おかしく語るのを、私は聞いて喜んでいただけなのだ。
ヴェルナーに会うためのフラグって何だっけ?
というか、ヴェルナー関係のイベントって、何?
「お嬢ちゃん?こんなところで何をしているのかな?」
急に掛けられた大人の男性の低い声に、私はびくっとなって飛び上っていた。
今まで聞いた事のない職員の声であるが、確実に大人の男性の声であるならば、この学園の職員のはずだろう。
喋り方がとても軽薄であるが。
私は恐る恐る振り返る。
しかし、私を呼び留めたはずの人が、私のすぐ後ろにはいなかった。
数歩下がった先の柱にて、両手をついて寄りかかっていたのである。
チャコールグレーのスーツ姿のその背中は、小刻みに揺れている。
必死に笑いを堪えている、そんな状態なのだろうか。
「ぷ、くくく。ぴょん、ぴょんって飛んだ。五歳児だ」
「失礼ですわね!!あなたは一体どなたですの?」
失礼な男はゆっくりと私に顔を向ける。
私は息が止まっていた。
艶やかなブルーブラックの短い髪は、前髪をあげて額を出し、いかにも大人の男性という風にまとめているが、ニュアンスパーマをかけたような遊びもある。
彼の整い過ぎた顔立ちは精悍なのに優美さがあり、ブルーシルバーの瞳は北の凍った空みたいで、まるで人を惑わす悪魔のようなのだ。
何が言いたいかというと、華のある極上すぎる男がそこにいた、である。
「見惚れたかな?」
「はい、びっくりしました。それであなたはどちらさま?」
「素直か!」
男はそこで声を出さない大笑いをして見せた。
なぜ声を出さない?と思った途端に彼は顔を悪戯めいた微笑みに戻し、自分の口元に指を一本当てた。
静かにって、あなたが一番煩い気がします。
「あの」
「君のイベントは今日だけはお休みだ。今日はお家に帰って、そうだね、その可愛い顔がちゃんと可愛いものになるように美容マッサージでもしていようか」
私は自分が泣き腫らした顔だったことを忘れていた。
恥ずかしさといたたまれなさで両手で顔を覆うと、私の上に影が落ちた。
男が私の真ん前に移動してる。
近い!!
って、さらに近くなった。
男は私に身を屈め、私の顔のすれすれまで自分の顔を近づける。
「俺を想いながらベッドで待っておいで。君が想像したとおりに俺が君の玩具になろう」
「必要ありません!!」
私は近すぎる無礼な男を突き飛ばすため、彼に向かって思いっ切り力を込めて両手を突き出した。
ところが、彼はひょいっと身を躱し、私はバランスを崩す。
そして私は囚われ人だ。
私は転ぶ事は無かったが、私の後ろに回った男によって腰に腕を回されて支えられている、という恰好なのだ。
「か、感謝します」
「勇ましいじゃじゃ馬さん。ここは危険だ。俺のような悪い男が今日はウロウロしているんだ。急いでお家に帰るんだよ」
私の腰から彼の腕は消え、その代わりという風に、私は彼に背中をトンと軽く押された。
悪い男達がウロウロ?
それがヴェルナーのイベント?
「あの!!」
振り向けば、すでに男の姿は無い。
「うそ、今のって、ゲームのイベントムービーそのまま、だった?」
私は夢幻のような出来事にぞっとしながら、周囲を見回していた。
だってこれは、フラグが立った、イベントが開始、ということよね。
ヴェルナーは大丈夫なの?




