彼岸の夢は、すぐそこに。
【彼岸の夢は、すぐそこに。 】をお送りします。
宜しくお願い致します。
「ねえ〜、まだ気にしてるの?? あんたも小さいわね〜」
巴はベットの中から、茶化す様にヒロトに声をかける。
「煩いな。お前も関係者なんだぞ! 」
ヒロトはここ最近、心が休まる事がなかった。巴との情事を知った鏡花が、二月にマンションから飛び降りた。遺書にその事は何も書かれていなかった。だがその事が引き金だと誰でも思うだろう。
「関係ないわよ。あいつが勝手に飛んだだけよ……ちょっと! 何処に行くの? 」
およそ人のモラルが欠落した巴にも嫌気が刺して来た。
「帰るんだよ」
「よくあんなマンションに帰る気になるわね? 」
巴は大の字になって毛布を跳ね飛ばした。なんでこんな女と……
「明日は、教授会がある。資料を取りに行かないといけない」
ヒロトは家への帰路についた。ここから歩いて三十分ほどだ。時刻はちょうど夜中の一時を回ったところだった。マンションのエレベーターに乗り込み、部屋がある5階のボタンを押す。
「?! なんだ? 」
エレベーターは五階を素通りして、九階まで上がってしまった。
九階は鏡花が飛び降りた階だ……もう一度ボタンを押して、今度こそ自分の部屋のある五階に到着した。自分の部屋の前にきて、鍵を取り出したところで携帯電話に着信が入る。
「この番号?? 」
まさか鏡花からの番号だった。解約した筈だ?! それよりも誰だ??
通話ボタンを押すと、向こう側から微かな音が聞こえる。
河の流れの様な音が……
気持ち悪くなって、携帯の電源を切り、手早く鍵を開けて部屋に入った。書斎から会議資料を掴み、そして部屋を出ようとした時に、今度は部屋の固定電話が鳴る。
恐る恐る受話器を上げると、また河の流れる音が聞こえる。
「なん何だ!! 」
受話器を叩きつける様に電話を切った。
部屋を出ようとすると、扉が重い。強引に扉を外に押し開くと、自分の眼を疑った。いや脳を疑った。エレベーター前の廊下は真っ黒な水で覆われていた。くるぶしまで水に浸かってしまう。
背中に怖気が走り、恐怖に駆られてエレベーターに乗り込む。
いや、やめよう! 水没したら死ぬ! そう判断したヒロトは階段を駆け降りてゆく。
エントランスになんとか辿りついて、玄関の自動ドアを潜ると、目の前の光景に息を呑んだ。
「な、なんだこれは??? 」
目の前を巨大な幅の河が流れていた。
左手から右手に流れていた。
真っ黒い水を湛えて流れていた。
「さあ、行きましょう! 」
すーっと、気配もなく、自分の右腕にその白い手が巻き付いてくる。身体の皮膚が泡立つのを感じた。ゆっくり右側に顔を向けると、そこには美しい鏡花の顔があった。
「な、なんで??! 」
「迎えに来たのよ……」
「迎えに……」
「そうよ、手紙に書いてたでしょ? 」
確かに、迎えに行くと書いてあった……
遺書に書いてあった……
彼岸から迎えに行くと。
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