宗教勧誘2
「どういうことですか」
僕は聞き返す。
「瀬川くんの人生は誰の物かしら」
「僕の物でしょう」
「あなたはあなたの人生を所有しているの。ここまではいいわね」
「ええ、まあ、そうなりますかね」
「でも完全な所有権を有しているわけではないのよ。だって、人生は腕時計みたいに、誰かにあげたりできないじゃない?自由に処分できない点で、普通の所有権とは違うのよ」
「そうですね」
「そして、無理やり処分しようと思うなら、生命を終わらせるしかない。本来できないことを無理やりやろうとしてるんだから、そりゃ、腕時計を壊すときには感じなかった苦痛や恐怖もわいてくるんじゃないかしら」
なるほど、そういう考え方もできなくはないとは思った。しかし、議論の内容とは全く別の、ある疑問がわいてきた。
「あの、お話はまあ、なんとなく理解したんですけど、それを僕に言ってどうしようっていうんですか」
「?話を聞いてもらうだけって、初めに言ったじゃない」
女はけろりとして答える。
「入信しろとか、そういうことは言わないんですか」
「そりゃまあ、私と同じ考えの人がいたらうれしいけれど。でもその前にしっかりと理解してほしいの。その気があれば、また明日お話しましょうか?」
「また明日って。これから死のうとしている人間ですよ」
「あら、あなたはもう、今日は自殺なんてできないわ。ほら」
女が指さした方向には、朝日。
「わざわざ夜にここにきて死のうとする人間はね、最後の最後、恐怖に打ち勝つのを、ここの不気味な雰囲気に後押ししてもらおうと思って、そう考えて来るのよ。明るくなったら、ここはもう普通の橋。不気味でもなんでもないの。昼間の六王橋でも自殺を決行できる人間なら、とっくに自分の家か線路かでやってるはずだわ」
悔しいけれど、そのとおりかもしれない。さっきから、ところどころで自分の考えを見透かされているような気がする。自分の考えどころか、自分が意識していなかったことまでも...
「本田さんは、夜はいつもここにいるんですか」
「そうよ、毎晩ね」
「自殺しに来た人に、さっきの考えを聞いてもらおうとしてる、と」
「そのとおり。たいていは無視して通り過ぎる人ばかりだけど」
「明日も、ここにきても、いいですか」
この人の話を、もっと聞いてみたいと思った。死ぬ気がなくなったわけではない。ただ、死ぬ前に、人生とはどんなもので、どんな意味があるのか、この人はどう考えるのか気になった。そして、この人なら、その答えを知っているような気がした。そして、それを知った後なら、勝手な予想だけど、恐怖もなく死ねるんじゃないかと思った。
「もちろんよ」
本田さんはまっすぐこちらをみて答えた。
「最後にもうひとつ、いいですか」
何かしら、という感じで本田さんは小首をかしげている。
「僕がもし、神様を信じていて、本田さんの考えを聞くに値しない人間だったら、そのときは、本田さんはどうしていたんですか」
「そのときは、話を聞いてなんてひきとめたりしなかったわ。あなたが死にに行くのを見送ったと思う。最後に皮肉のひとつでも言ったかしら。たとえば...」
本田さんは少し寂しそうに笑ってこうつぶやいた。
「神の御加護がありますように」