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部屋の中だけの幸せ

「ただいま」

「お帰りー」

「おっじゃましますー」

「あ、タカ君はお邪魔だから帰ってくださーい」

「おっとこいつは失礼、っておい!」

「おいおい、何度目だよこのしょうもないくだり」

「とか言ってヒロも笑ってるじゃん」

「悔しいが笑っちまうんだよな」


 ヒロと二人暮らしを始めて三年が過ぎた。

 ヒロマサ、私、そしてタカ君。

 幼馴染の仲良し三人組の付き合いは、二十代中盤に差し掛かった今もなお続いている。

 

 一つ変わった事は社会人になって出会ったヒロマサと私が付き合った事ぐらいだ。

 タカ君からすれば、”お互い好きだった癖に遅すぎる”とのお言葉だった。そこに関しては確かに何も言えなかった。

 ただ仲の良かった小学生の頃、なんとなく異性として意識し始めた中学時代。高校、大学は別だったが、どんどん男らしくなっていく姿に魅力を感じた。そして社会人になった頃、ヒロから告白された。


“実はずっと好きだったんだ”


 お互いに実は同じ気持ちだった事をその時になって初めて知った。


「私も好きだった」


 初めて私も自分の感情をヒロマサに伝えた。ヒロマサもヒロマサで、私の気持ちには全く気付いていなかった。本当に、私達は遅すぎたのだ。


 でも、付き合ってじゃあベタベタラブラブした付き合いになったかと言えばそういう感じでもなかった。ただ今まで通りのやり取りでも、お互いに好きなんだという事を思う度に、今まで感じた事のなかった、ほのかな温かさがじんわりと身体の中に広がった。


 ――こんな日々が、いつまでも続けばいいのに。


 ささやかな、でも幸せな日々だ。




















「ただいま」

「お帰りー」

「おっじゃましますー」

「あ、タカ君はお邪魔だから帰ってくださーい」

「おっとこいつは失礼、っておい!」

「おいおい、何度目だよこのしょうもないくだり」

「とか言ってヒロマサも笑ってるじゃん」

「悔しいが笑っちまうんだよな」


 マユミと暮らす部屋に今日も帰ってきた。親友のタカユキも一緒だ。

 幼馴染三人の付き合いは小学校時代から社会人になっても続いている。関係が途切れず崩れる事なく続いている事はとてもありがたい事で、二人には本当に感謝している。

 

 でも。

 本当にこれでいいのだろうか。


「ヒロ、ちょっと酒買い足しにいこうぜ」

「おう」

「気をつけてね、二人とも」


 タカユキに声を掛けられ、扉の外に出る。

 空気が一変する。さっきまでの温かい感覚が一瞬にして冷えていく。


「なあ、ヒロ」

「ん?」


 普段おどけて明るいタカユキの表情は、暗く沈んだものになっている。

 付き合いは長い。彼が何を言おうとしているのか、なんとなく分かる。


「もう、終わりにしよう」


 それは、本当は俺が言うべき言葉だった。


「そうだよな……」


 分かっている。途中から気付き始めていたが、どこかで決めなければならない事だった。ずっと続くものではない事は分かっていた。でも、都合の悪い事にきっとお互い目を瞑り続けてきた。


「分かった」


 でも、もう終わりだ。

 今出たばかりの部屋の扉を少し開けた。

 中にいるマユミの姿を確認する。


 そこに、マユミの姿はない。

 さっきまではっきりと見えていた彼女の姿が、どこにもない。

 

 彼女はずっとこの部屋にいる。

 でも、この部屋以外にはいない。

 部屋の外からは、彼女の姿は確認出来ない。

 部屋の中に足を踏み入れた瞬間、ようやく彼女の姿が現れる。

 手首がズキりと痛んだ。



 そうだ。彼女はもう死んでいる。





















 死んだ彼女がまだ部屋にいる。その事に最初驚きはしたものの、怖いという感情は一切なかった。また会えた。嬉しさの方が遥かに勝った。


「そんな馬鹿な」


 同じ会社に勤める親友のタカユキを家に連れて行った。


「うわ、マユ!」

「え、タカ君!?」


 今まで何度も会ってきた仲なのに、二人の新鮮な驚いた反応に思わず笑ってしまった。


「すげぇ……マジで見えてるし喋れてる……」


 小声でタカユキが驚きを口にした。

 死んだはずのマユと俺達は、生きていた頃と何ら変わらない関係を取り戻した。

 こんな不思議な事があるのか。どうしてこんな事が起きているのか。疑問に感じないわけではなかったが、日々の幸せを思えば野暮な疑問だった。


 だから都合の悪い事から目を背けた。自分の幸せを優先して盲目を演じ続けた。

 分かっていた、そんな事。こんな事がいつまでも続けられるわけがない事を。

 それは、タカユキも一緒だったのだ。


 一緒に喋れてはいけないのだ。

 一緒に暮らしてなどいけないのだ。


 死人と生者がこんなふうに交わり続けるなど、いい事ではないのだ。














「あ、おかえり」

「……」

「あれ。どしたのヒロ?」

「……」

「え、何?」


 部屋に帰ってきたヒロは何も喋らない。私が呼びかけても全く反応なし。

 無視だ。


「何。何で無視するの? 私何かした?」


 それでも尚ヒロは私を無視した。

 昨日まであんなに楽しく喋ってたのに、彼の無視は唐突に始まった。


「ヒロ。ねえ、ヒロ」


 その日から、私の声は彼に届かなくなった。




 


 ヒロから無視される日々が続いた。

 胸の中でもやもやしてムカムカした。更に腹が立ったのは、タカまで私の事を無視し始めた事だ。

 まるで最初から私なんていなかったかのように、二人は私達の部屋で普通に過ごすのだ。


 ――何よこれ。


 途端に世界から置き去りにされた感覚。ひどい絶望と失望と怒り。

 やり場のない怒り。目の前に怒りをぶつけたい人間がいるのに、こんなにも近くにいるのに、急に何も届かなくなった。


 どうして。どうして急に。


 しばらくは負の感情に苛まれた。

 でもやがて行き着いた。


 ――ああ、終わりなんだ。


 そうだ。本当はこんな事あり得ないんだ。

 

 だって、死んでるんだから。


 都合の悪い事は自然と頭から排除された。

 死んでも尚幸せな暮らしが続いたのは便利な盲目故だ。死を受けいれない事で紡ぐことが出来たはりぼての幸せ。でも、はりぼてでも幸せならそれで良かった。三人で過ごせる事が嬉しかった。


「ヒロ、ちょっと酒買い足しにいこうぜ」

「おう」

「気をつけてね、二人とも」


 二人が席を立った。ドアの外に消えた彼らの後をすぐに追い、ドアを開けた。

 そこには、誰もいない。

 

 不思議な世界。この部屋でだけ三人になれる。

 部屋を出た瞬間に、彼らの姿は見えなくなる。

 そう、それが正しい。


 だって、彼らは死んでるのだから。


 そんな事は、もっと早くに気が付いていた。でも幸せを優先した。それはきっと二人も一緒だったんだろう。

 全員が都合の悪い事から全力で目を背けた。だからこの関係が続けられた。


 でも、終わりなのだ。

 彼らが私を無視し始めたのは、おそらくそう言う事だ。

 もう続けられないのだと。


 死んでなお、嫌な気持ちでいる必要なんてない。辛い思いをする必要などない。

 関係を続ける事も一つの答えだったかもしれないが、いずれ綻びは生じただろう。

 

 これでいいのだ。交わり続ける関係性ではない。


 終わりにしよう。


 台所に置いていた赤い包丁を水で洗い流した。


 全てに気付かないふりをし続けるこんな関係性、あまりにも辛すぎる。






















「その条件だと、こちらの部屋になりますかねー」

「え、やっす。ほんとにこの値段で住めるんですか?」

「ええ」

「でも他の部屋、この部屋の倍以上しますよね。なんでこの部屋だけこんな安いんですか?」

「まあ、それは、ね」

「いやいや、なんすかその反応。あ。やっぱりこの部屋、そういう事すか?」

「まあ、へへ、はい」

「何笑ってんすか、キモ。え、何あったんすかここで」

「殺人っすね」

「うーわーバリバリじゃないすか」

「浮気のバレた彼氏が彼女を締め殺したんですよ。でもパニクって死んだ彼女残して部屋に鍵かけて外に出て、そこで彼氏は親友の男に電話して部屋に呼んだんですよ。彼女の後始末の相談の為にね。で、部屋に戻ってみたらなんとびっくり。彼女の姿がどこにもない」

「え、ど、どういう事っすか?」

「死んでなかったんですよ、彼女。彼女意識戻してトイレに隠れてたんです。そんで戻ってきた彼氏と親友の隙をついて滅多刺しにして殺したんです」

「うわぁ……」

「生きてた彼女もすっかり精神に異常をきたして、結局その後精神病棟に入ったんですけど、脱走してこの部屋戻ってきて自殺したんです」

「なにそれ……」

「ね、そりゃ安くするでしょ?」

「納得っすわ……」

「で、どうします? この部屋、住みます?」





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― 新着の感想 ―
[良い点] 仲良さそうにしてたのに、彼氏は浮気して殺人未遂、男友達は理不尽に切り殺され、彼女は浮気されて殺されかけ、…男二人組はよく死後もマユミと仲良くできてたな…いや逆か。マユミよくこんなヤバい男共…
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