繋ぐ落とし物 【月夜譚No.91】
手作りの文庫本のカバーには、イニシャルが縫われていた。色褪せたそれは、布の端が少し擦り切れて、大切に使われていたものだと判る。
彼女は膝を折ってそれを拾い、砂埃に汚れた表面を軽く手で払った。中を開いてみると、タイトルも著者も知らないものだった。それほどメジャーな作品ではないらしい。
渡り廊下の隅に落ちていたということは、学校の生徒のものだろうか。もしかしたら、教師の誰かかもしれない。
彼女は少し考えて、足を踏み出した。職員室前の忘れ物の棚に置いておけば、持ち主も見つかるだろう。
「あ、それ」
声がして正面に目を向けると、渡り廊下の終わりに男子生徒が立っていた。見知った顔に、目を瞬かせる。
彼は彼女のクラスメイトだ。会話という会話もしたことがない、本当にただのクラスメイトだが。
彼女が拾った本を手渡すと、彼は嬉しそうに笑って礼を述べた。踵を返して去っていくその背中を、彼女はぼんやりと眺めていた。
彼の笑顔は、優しく柔らかく、いつもの印象とはまるで違ったのだ。